第三章 津島花野 

第三章 津島花野 1

 今年の夏は梅雨明けが早くて気温が高くて、終業式を迎えた瞬間から俺達の日々に最高気温が襲い掛かる。三十二度。三十五度。三十八度。『モーニングタイム』でもこの連日の猛暑日については毎日毎日報道していて、曰く、「数十年に一度の」暑さらしい。この台詞、毎年聞いている気がするけれど。けれど確かに実際暑くて、起きていても寝ていても風呂にいてもトイレにいても日本中のどこにいても暑い。それは埼玉のド田舎勅使河原市でも東京都今川市でも同じらしく、俺は今、今川駅西口に佇んでいた。

 今川市は新宿や渋谷のような派手さはないけど、それでもちゃんと都会なので田圃も畑もないしその代わり高いビルや飲食店が立ち並び、駅中にショッピングセンターが並んでいる。駅前のターミナルには色々な人がいる。ギター片手に弾き語りをしている人、メガホン片手に政治への不満を訴えている人、ピンクの色の髪をしたゴスロリ風の女性がティッシュ配りをしている人。宗教勧誘。「あなたの幸せを一分だけ祈らせて頂けませんか」俺の幸せを祈るんだったらもっと一生懸命祈ってほしいよ。とにかくここは人が多い。そういえば今川に到着してから蝉の声を聴いていない。電車の音と足音ばかりだ。勅使河原市では決して見ることのできないビルの大型屋外ヴィジョンでは、涼しい服を着た化粧の濃い女子アナウンサーが懸命に話している。

『……大阪ではただいま三十五度を超えているということで、これから夕方、夜にかけてもまだまだ気温が落ちずに熱帯夜になることが予想されます。皆さん、水分と栄養を充分に摂取し、なるべく涼しい環境で過ごしてください……』

 大型ヴィジョンから少し目を逸らせば、電光掲示板に現在の時刻と気温がばっちり赤字で記されている。十四時四十五分。三十四度。ふざけてんのかってくらい、暑い。天を仰げばギラギラの太陽がこの世の支配者みたいな顔をしていて、まるで拷問か、嫌がらせみたいだ。サイレンが聞こえる。この世のすべての危険を凝縮したかのようなそれはどんどんどんどん近づいてきて、白いワンボックスカーが道路向こうのビルの前に到着する。誰か倒れたのかもしれない。可哀そうに。それに集まる野次馬を眺めていると、俺のスマホがブルルと震える。ライトだ。

『五十分に到着するよー』

 続けてココアからも連絡が入る。

『ごめんなさい、ちょっとすぎそう』

 わかった、とそれぞれに返信して、俺は首から流れる汗を拭った。

 俺の選んだ誕生日プレゼントをライトはあまり喜んでくれなかったようだ。かわいいライオンが「僕は獅子座のB型です」って言っている黄色いTシャツ。ぴったりだと思ったのにライトはライオンと睨めっこをしながら始終渋い顔をしていた。残念だ。七百円だったけど。しかし、津島花野が表紙のグラビア誌はちょっと気に入ってくれたように見えた。まぁ、ココアから貰ったハンカチには及ばなかったけど。

 そんなことより二人の心をがっちりと掴んだのは、プリンス・ジャッキーこと並木平介から貰った津島花野つしまかの主演映画のプレミアム試写会のチケットだった。

「え!? お前これなに!? どうしたの!?」

「もらった。お前の誕プレにって」

「誰に!? お前んちのおばさん!?」

「いや、平介」

「平介って誰!?」

 というやり取りを経て、今に至る。

 待ち合わせは十五時。俺にもライトにもココアにもそれぞれ付き合いや用事があるので、会うのは一週間ぶりだ。というか、二人ともそれぞれ出先から今川駅に出向いている。

 ビルの大型ヴィジョンの画面が切り替わり、「ハッピー☆星座占い」になる。監修:マダム・パンドラ。マダム・パンドラは「モーニングタイム」だけではなく、手広く色々と仕事をしている。流石超有名占い師だ。瞬間、俺の脳裏にいい笑顔をしたプリンス・ジャッキーこと並木平介が浮かび上がるが、頭を振ってそれを祓う。「モーニングタイム」では十位だった俺の山羊座。ラッキーアイテムのタブレット菓子はちゃんと持ってる。


【十位 山羊座 新しい出会いに期待~おでかけしてときめくような出来事に遭遇するかも~ ラッキーアイテム:ゆるきゃらグッズ】


 その結果に、おや、と俺は思う。ラッキーアイテムが変わっている。モーニングタイム以外の占いはあまり見ないのでよくわからないが、こういうこともあるのだろうか。しかしゆるきゃらグッズなんて言われても、急にそんなもの用意できない。さて、どうしようなんて考えていると、改札から人混みに交じって大きめのリュックを背負ったライトが歩いてくる。俺がプレゼントした獅子座のB型のTシャツを着ている。なんでだ?

「ひどいんだよぉ~静岡の姉ちゃんちから来たんだけどさぁ~このTシャツ寝巻にしようとしたら、これ着て東京行けとかいうんだぜ~? ひどくないかぁ~?」

 なんてめそめそするライトは面白いけどやっぱりうざい。でも俺の見立てはやっぱり合ってて、お前このTシャツ滅茶苦茶似合ってるなお前以上にこのTシャツが似合う奴なんていないんじゃないか。ライトは暫くの間自分が姉の家でいかに雑に扱われていたのかめそめそと話していたのだけれど、元々立ち直りの早いやつだ、ふと思い出したようにリュックの中から紙袋を取り出した。

「これ、お土産」

 そこから現れたのは掌に収まる程度の大きさの少年で、全体的に緑。いがぐり頭にタンクトップ、短パンといういかにも田舎の子供ですという風貌のそのマスコットはプラスチックでできていて、正直あまり可愛くない。どんな反応をしたらいいのかわからず無言でそれを眺めていると、いい笑顔をしたライトが解説してくれた。

「面白いだろ。静岡のゆるきゃらで茶畑光太郎っていうんだって。お茶が輝いているから光太郎だってさ。これ、ここ押すと光るんだ。すごくない? 懐中電灯代わりにもなるんだぜ?」

 ライトが光太郎くんの頭を押すと、緑色の光太郎くんの体がピカピカ光ってカタカタ笑う。気味が悪い。無言の俺。

「背中にあるこのダイヤルで音量を調節するんだ!」

 なんていかにも得意げにライトは言うけれど、声を張り上げて笑う光太郎くんに行きかう人達が次々振り向いて、驚き、笑う。流石ライト、とんでもない代物を買ってきたな。よくこれで俺が喜ぶと思ったよ。

 本来だったらありがたく気持ちだけ受け取るところなんだけれど、俺は先ほどの「ハッピー☆星座占い」の結果を思い出す。十位山羊座。ラッキーアイテムはゆるきゃらグッズ。俺の手の中でぴかぴかと光りながら笑い声を飛ばす光太郎くん。大型ヴィジョンはすでに切り替わり、近日公開の津島花野の映画の宣伝をしている。次第に光太郎くんが光を失い、静かになる。どうやら光る時間と笑う時間が連動しているらしい。無駄に高性能だなこれ。

 俺は力尽きて屍のようになった光太郎くんをポケットにしまい、言った。

「ありがとう。大事にするな」

「おう!」

 それから十分程度して、白のチュニックと花柄のショートパンツ姿のココアが到着する。改札の向こう、大きめのキャリーケースをごろごろ転がしながらやってきたココアはきょろきょろと不安そうに辺りを見回していたのだけれど、俺達の姿を見つけると一変、ぱっと瞳を輝かせた。

「テル君! ライトくん! 久しぶり」

 なんて言いながら駆け寄ってくるココアは犬みたいで可愛い。

「久しぶり」

「ごめんね遅くなっちゃって。電車乗り間違えちゃって」

 なんて眉毛をへにゃりと垂らすココアに、ライトが両手をぶんぶん振る。

「いーよいーよ仕方がないって! 加藤、おじさんのとこ行ってたんだろ?」

「うん。慣れないところ行ったからわかんなくて。ごめんね」

 もう十五時を過ぎているというのに八月の都内は地獄みたいだ。太陽は一向に活動をやめようとしないし、それどころか更に勢力を増し一層輝きを強めている。ここ今川市には埼玉のド田舎みたいな土もなければ木もないし田圃もない。あるのはビルと自販機とあと人。まるでオーブンの中みたいだ。焼き肉用の鉄板みたいになっているコンクリートの上を縦横無尽に歩く人間を避けて通るという面白みのないゲームをしながら、ライトが振り向く。

「俺、静岡の姉ちゃんのところ行ってきたんだ! お土産買ってきたから、あとで渡すな!」

 でかい荷物は駅のコインロッカーに纏めて突っ込んだ。一回四百円なんてぼったくりみたいな値段だけれど、二人でいれたら半分になる。でかいリュックを下ろして身軽になったライトは、久しぶりに会うココアにテンションが上がっているらしく、しきりに話しかけている。

「私もお土産買ってきたから渡すね」

「加藤はどこ行ってきたんだっけ? 神奈川?」

 ココアは白いリボンのついた麦わら帽子を被りなおすと

「福岡だよ。パパが今博多にいるから、ママと泊まりに行ってきたの」

「そっか。単身赴任て大変だな」

「うん。忙しいみたい」

 そこで目の前の信号が点滅し、赤になる。俺もライトもみんな止まる。スマホから一瞬たりとも目を逸らさない女子高生も太った汗だくのサラリーマンもギターを背負った紫色のヘアーのバンドマンもみんな止まる。動いているのは車だけ。その、高速で走る車を眺めながら、ココアは嬉しそうに笑った。

「でも、楽しかったよ。わざわざ時間作って遊びに連れて行ってくれたし、前よりも、沢山話を聞いてくれるようになった気がするんだ。私ね、ママと一緒にカレーライス作ったの」

 ひゅんひゅんと急かすように走っていた車の動きが緩やかになり、止まる。変わる信号と動き出す俺達。汗を拭う俺のことを、ココアが覗き込んできた。

「ねぇ、テル君はどこか行った?」

「行ってないよ」

 真美子は看護師だからなかなか連休は取れないし、そもそも夏なんて医療関係従業者が一年で最も忙しい時期のひとつだ。熱中症の患者が一日に何度も運ばれてくるんだ。ほら、目の前のビルにも救急車が一台止まっている。

 なぜか申し訳なさそうにしょんぼりと肩を落とすココアの隣で、ライトが慌てたような仕草を見せた。

「で、でもテル、去年もそんな感じだったけどうちの家族と一緒に海行ったもんな! バーベキューだってしたし!」

 なんて言って、ココアに「ライト君の馬鹿!」なんて怒られている。何してんだこいつら。

 プレミアム試写会が上映される『今川未来シティシネマ』がある『今川未来シティビル』は今川駅から徒歩十五分らしいが、歩いても歩いてもそれらしきものは見つからない。ビル、ビル、ビル、そしてビルばかり。巨人の群れの中に飛び込んでしまったかのようだ。今にも襲い掛かってきそうな巨大な建物達に俺達は慄く。東京とは、今川市とはこんなにも恐ろしいところだったのか。≪鍋島浩之≫が昔来たときはこんなんじゃなかった気がする。昔って言っても、もう、二十年くらい前だけど。

 巨大なダンジョンに完全に迷い、途方に暮れ、蜃気楼の一つと化すしかなかった俺達に希望の光を与えたのはココアだった。登校拒否をしていたくせに期末テストで学年五位を掻っ攫った加藤心愛は、「あっ」と思い出したように、というか実際に思い出して、ぽちぽちぽちとスマホに何かを打ち込んだ。

「何してんだよ」

 俺の問いかけに、ココアはスマホから目を離さずに答えた。

「グーグルマップで調べてるの」

「ぐーぐるまっぷ?」

「うん。ほら、ここ。建物の名前打ち込むと出るんだよ」

 ココアのスマホ画面には今川駅近辺の地図が表示されていて、その中央辺りにぽつんと赤いマークが立っている。

「ここ。ここが今川シティビル。この通りに歩くと着くよ。歩いて二十分だって」

 と汗を拭くココアの額に髪の毛がぺったりと張り付いている。へぇ、すげぇな最近の携帯電話事情って。≪鍋島浩之≫のときなんて、携帯にアンテナついてたからな。

 グーグルマップ様の指示通り歩くこと三十分、漸くの事『今川未来シティビル』に到着した。

 今川未来シティビルは『近代化と未来への歩み』をテーマにした近代的なビルで、全体的に細くて長い。イタリアの男みたいなスタイリッシュな外観をしている。金と銀に輝く回転ドアをくぐると、涼しい大気が汗だくの俺達を包んでくれる。ほっと一呼吸をして顔を上げるとそこに飾ってあるのは黄色と青とピンクのカラフルな薄が荒れ狂っているかのような勢いのある絵画。セクシーなお姉さんのブロンズ像。ところどころ並べられている銅像や宝石、芸術の類は普段俺達が滅多にお目にかかれるようなものではないということくらい、俺にもわかる。というか、すれ違う人達があまりにもお洒落すぎないか? あまりにもいい服を着すぎていないか? もしかしなくても俺達は場違いというやつなのではないか? 空調はめちゃくちゃ効いているのに、どこからともなく汗が出てくる。普段行くようなスーパーやショッピングモールとは全く違う洗練された雰囲気に圧倒され、俺達はエントランスの隅で輪になり会議を始めることに決めた。

「おい、本当にここ今川未来シティシネマなのかよ」

「うん……グーグルマップでは、一応」

「でも、映画館の雰囲気全然ないよな?」

 泣きそうになるココア。下を向いて黙るライト。考える俺。そして俺は、一つの決断を下す。

「よし、ライト。お前あそこにいる従業員のお姉さんに聞いて来いよ」

「えっ……」

 俺の指示に、ライトがあからさまにうろたえた様子を見せる。

「無理無理! 怖い! 無理だって!」

「なんで無理なんだよ。ただ従業員のお姉さんに聞いてくるだけだろ」

「だってあのお姉さん美人だしお洒落だし今別の人の接客してるじゃん!」

「あんなのすぐ終わるだろ」

「じゃあテルが行けばいいじゃん!」

「無理」

「なんで!」

「お前に貸した科学の宿題が帰ってきてない」

「それはまだ写し終わってないから!」

 なんて静かなホールでギャーギャーする俺達の声は結構響いて、行きかう人達がちらちらと俺達に視線を向けてくる。やばい、迷惑だった。おいライト、声量をちょっと押さえろ追い出されるぞと宥めようとした瞬間、

「キャー!」

 という黒板を引っ掻いたような悲鳴が聞こえてきた。例えて言うなら多分黄色。俺とライトのおしゃべりなんてお話にならないというようくらいの沢山の声が一瞬で現れて、ホールにいる全ての人間の意識はそちらに向かう。

「な、なんだ……?」

 俺の呟きに、耳を抑えて目をまん丸くしたココアが頷く。

 声の発生源はビルの出入り口で、なんだか騒がしい。声が、というか空気もうるさくて、全体的に人が多い。つい先ほどまでそんなに多くなかったのに、出入り口を中心にして、何かに群がるようにして人が増えている。人、というか女性だ。群がっているのは綺麗な服を着てお洒落な髪形をした若い女性ばかりだ。何に群がっているのかはわからない。外がとんでもなく明るいせいで、光りに群がっているかのようにも見える。その、光が段々大きくなり、移動し、女性陣をかき分けるようにして姿を見せる。俺の背中に走る悪寒。顔を顰めるライト。頬を紅潮させるココア。

「やぁ、また会ったね」

 相も変わらずいい笑顔を見せるプリンスジャッキーはいつ見てもどこで見てもいい男であり。

 俺は本当に会いたくなかったよ、平介。

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