第二章 並木平介 12

 ジャッキー曰く

「あんなの、最初見たときから玩具だってわかってたよ」

 とのこと。

「みんな混乱しているからわからなかったみたいだけど……あれは手品用のライフルでね。ドン・キホーテなら千円もかからないんじゃないかな……えぇ? あんな人達に人を殺せるわけないでしょう。ただちょっと道を踏み間違えただけの人だよ……これから更生の余地がいくらでもある」

 らしい。そんな、玩具の銃だとわかっていて捕まっていたのか。

「人質になるのは久しぶりでね。ついついテンションが上がっちゃったんだ。悪かったね。イギリスに住んでいた頃は頻繁に強盗に鉢合わせをしたもんさ」

 どれだけ治安の悪いところに住んでいたんだこいつ。

 母親が銃に戯れるゼルダ君を抱き上げたところで、裏表両方の出入り口から警察官がなだれ込むように入ってくる。ざっと三十人くらい? もっとか? もしかしてうちのクラスの人数分より多いかもしれない人数の警官が一気に店内に入ってきて、二人の強盗を囲む。曰く、「上司に身に覚えのない失敗を擦り付けられてリストラされた」「退職金すらもらえなく、家族に見捨てられた」「妻も子も金もない自分達は強盗をするしかないと思った」らしい。かわいそうな人たちだな、と俺は少し同情する。

「だからと言って誰かを傷つけるのは誉められたことではない。彼らにはまだまだ未来がある。決して悪いことなんてできない人たちだ。彼らは疲れすぎている。少し休むべきなんだ。そして、罪を償い、新たな人生を歩むべきだ」

 と、パトカーに乗せられて遠くなる強盗達を眺めながら呟くジャッキーのことを、報道陣が一瞬で囲む。

「人気占い師のプリンス・ジャッキーさんですよね!?」

「強盗達はどんな様子でしたか!?」

「どんな状況でしたか!?」

「人質になったときのお気持ちは!?」

 なんて沢山のマイクとカメラを差し出されても困った顔の一つもしないのは流石芸能人様だ。メディアの中心になっているジャッキーの後ろで、アダム君がりあむちゃんにこっぴどくフラれていた。「意気地なし!」「最低!」「泣いてんじゃないわよクソ野郎!」泣きながら縋りついてくるアダム君を蹴飛ばすりあむちゃんの足の逞しいこと。元気出せよアダム君。お前はもっと男を磨くべきなんだ。その一方、チコちゃんと従業員の男がちょっといい雰囲気になっていたので、人生色々、人間関係は様々過ぎる。

 対して俺は報道陣に囲まれることも恋人にフラれることもないので、家に帰る。警察に声をかけられることもなくマイクを向けられることもなくライトへの誕生日プレゼントを持って家に帰る。頼まれたはずのバニラフレーバーのコーヒー瓶を赤帽子にぶつけて忘れたまま家に帰る。途中豆腐屋に寄って豆腐と油揚げを買って家に帰る。そして仕事から帰ってきた真美子にこっぴどく叱られる。

「もー、ほんとーにあんたって忘れっぽいんだから」

「ごめんなさい」

 正座をして頭を下げる俺と、仁王立ちする真美子。真美子は、はぁ、とため息を一つつくと、

「まぁいいや。まだ予備もう一瓶あるし。次の時頼むわ」

 予備あるんかい。

「そういえばあんた」

「え?」

「今日強盗事件があったって。知ってる? 宋明寺の近くのマキバナルド。丁度プリンス・ジャッキーが居合わせて取り押さえたって。怖いよねー」

「あー、うん」

 なんて生返事をする俺。大変だったよ本当に。 

 珍しく早く帰ってきた真美子がエプロンをつけて夕食を作り始める。何を作るのかわからないけど、何でもいい。俺は真美子の料理が好きだ。テレビは例の強盗事件の話題で持ち切りで、どのチャンネルを見てもずっとジャッキーが出ている。いつもの倍くらい出ている。鬱陶しい。不意に俺は、昼間のジャッキーの言葉を思い出す。

『君は興味なくとも。僕はあるね。君と、君の運命に』

 俺はテレビを見ることをやめた。

 真美子が夕飯を作るのを眺めながらリビングのソファで寝転がっていると、玄関の呼び鈴が鳴る。

「テルー、ちょっと出てー」

 と真美子が振り向きもせずに言う。はいはい。漫画を置いて、とろとろと緩慢な動作で玄関へ向かう。

「はいはい、どちら様です……か……」

 なんて扉を開けると、そこには満面の笑顔のジャッキーが立っていて、俺の体は硬直する。状況が理解できず五秒くらいたっぷり見つめあう。それから扉を閉めようとするのだけれど、ジャッキーの右足ががっちりと邪魔をして扉が閉まらない。

「なんっ、でっ」

「なんでって失礼だなぁ」

 あははははなんて笑うジャッキーはまるで初夏の緑みたいに爽やかだけど、玄関を閉まらないよう足を挟んでくる辺りは全然爽やかじゃない。真夏の夜に訪れたホラーだ。

「なんでっ、どうしてっ! なんでうちを知ってるんだよっ!」

「あはは。日本の行政ってガバガバだと思わない?」

「帰れ!」

 なんて俺達がガチャガチャ攻防している音が気になったらしい真美子が、奥から顔を出してくた。

「ちょっとテルー、何してるのー? ライト君? それならご飯食べてって……」

 真美子の動きが止まる。目が点になって、それからぱぁああああっと明るくなり、星みたいにきらきら光る。

 半分閉じかけていたはずの玄関の戸をこじ開けて、ジャッキーが入ってくる。

「どうも」

「まあぁあああああ」

 額を抑える俺。真美子の声のトーンが半分くらい高くなる。

「まあまあまあまあ。プリンス・ジャッキーさんじゃない! やだ、いつもテレビで見てます!」

 なんて高い声で喚く真美子に、ジャッキーが自己紹介をする。

「初めまして。並木平介なみきへいすけと言います。輝大君にはいつもお世話になっています」

 いつもお世話してねーよ。まだ三回くらいしか話してねーし、実質今日が初めて関わったくらいだよ。てゆーか、お前、平介っていうのか。イギリス育ちで金髪碧眼のイケメンなのに平介。ウケる。普通の名前すぎるだろ。

「もー、輝大ったらいつの間にジャッキーさんとお友達になってたのー。ジャッキーさん、ご夕飯は? もしよかったらご一緒にどう?」

 ネギのついたお玉を両手で持ってきゃぴきゃぴと飛び跳ねる真美子なんて初めて見た。今年三十四歳になる癖に。ジャッキーはひどく申し訳なさそうな表情をすると、

「いえいえ。そんな、ご迷惑になるので。しかし、輝大君にこんなに美しいお姉さんがいるなんて知りませんでした」

「やだー、お姉さんだってやだー」

 ひどく嬉しそうに俺の背中を叩く真美子の力は半端なく強い。これ、絶対痣になってる。

「母親だよ」

 と俺は言う。するとジャッキーは青い瞳をビー玉みたいにまん丸くして、わざとらしく大袈裟に驚いた。

「お母さん? まさか。とても若々しいですね」

「もー、やだー、若々しくて美しくてかわいいなんてそんなー」

 そこまで言ってない。

 渋谷の女子高生みたいなテンションでヒートアップする真美子に、ジャッキーが紙袋を取り出す。CALDIの紙袋だ。

「これ、お近づきのしるしに。よかったら、どうぞ」

「あ、ありがとう。そんな、気を使わなくてもいいのに」

 なんて言いながらもしっかり受け取る真美子は主婦の鏡だ。その場ですっと中身を覗き、驚く。俺も一緒に驚く。

「これ……」

「バニラフレーバーコーヒーと紅茶のクッキー!」

 同じようなリアクションをする俺と真美子に、ジャッキーが笑う。それから

「お母さんがこのコーヒーと紅茶のクッキーが好きだと聞いたんですよ」

 と話す。俺、そんなこと一言も話してない。誰に聞いたんだそれ。

「ところでお母さん、輝大君に少しお話があるんですけど、大丈夫ですか?」

 突如話題を変えたジャッキーに、俺は眉を寄せる。ジャッキーと話すことなんて一つもない。叩かれて真っ赤に腫れあがっているであろう背中を擦りながら

「は? やだよ、これから夕飯なんだ」

 と断ろうとするのだけれど、浮かれた真美子があっさりと承諾する。

「いーわよー。どうぞどうぞー。好きなだけ話してあげてー」

「ありがとうございます」

 ぺこり、と頭を下げるジャッキーはその動作だけでも品があって美しい。英国紳士そのものだ。英国紳士って見たことないけど。浮かれ切った真美子が鼻歌交じりにスキップで部屋の奥に消えていく。玄関先に残された俺とジャッキー改め平介。俺がなんとなく乗らない気分で顔を上げると、いい笑顔の平介が俺を迎える。

「じゃあ、話そうか」

 俺、お前ほんと嫌い。


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