第二章 並木平介 11

 ジャッキー効果により着席率120%を誇っていたはずの店内は、強盗がやってきたことで従業員入室口と裏の入り口から大方逃げたらしく、10%くらいに減った。取り残されたのは俺とジャッキー、赤ちゃんを抱えた母親、大学生くらいのカップルと、従業員が三人だけ。

「うわぁ~ん、怖いよアダムくぅ~ん」

「大丈夫、俺が守ってあげるからねっ、りあむちゃん!」

 コントみたいな会話をして抱き合うカップルは滑稽だ。

 おいおい、お前ら、アダムくんとりあむちゃんて、それ本名なのかよなんて緊張感のないこと思う俺。

 強盗二人はちょっとイライラしてるらしく、猟銃? ライフル? 俺には銃の知識がないからよくわからないけどそのようなもの。の、銃口をさっと向けて、言った。

「静かにしやがれ! 死にたいのか!」

「ひええぇえぇ!」

 抱き合って固まるカップル。馬鹿じゃねーのか、こいつら。

 俺達は今、カウンターの前に固まって座っている。立っているのは強盗二人と、従業員の女の子だけ。多分バイト。顔の感じから高校生くらいだと予想する。その、いかにもこの春高校生になりましたって感じの女の子が泣きそうな顔でレジスターからお金を出している。

「ったくよぉ、最近のガキは礼儀がなってねぇからよぉ」

 なんて言うのは赤いニット帽の男。この暑い中黒の長袖を着ていてちょっと太っていて背が低い。顔が隠れてるから見えないけれど、声の感じから多分四十代後半くらいかなと勝手に検討をつける。

「兄貴! 両方のレジから金を出しました!」

 と駆け寄ってきたのは青いニット帽の男。多分こっちは少し若い。白い半袖から伸びている腕に張りがある。けれど、中年太りが始まっている感じがあるから、三十代半ばってところか? と、これも適当な決めつけ。

 赤帽子男が青帽子男から金を受け取り、数えている。

「ひぃ……ふぅ……みぃ……けっ、これだけかよ、しけてんなぁ」

「おいお前! ちゃんと全部金出したんだろうなぁ!」

 赤帽子の呟きに、青帽子がバイトの女の子を怒鳴りつける。びっくりして体を跳ねさせる女の子。それから今にも泣きそうな声で

「ぜ、全部出しました!」

 と言う。赤帽子は金をポケットにしまい込んでから

「裏に金庫があるはずだろう。それからも持ってこい」

「えっ……」

「早くしろ、できねぇのか!」

 怒鳴りつける赤帽子。女の子は直立不動のままぼろぼろぼろと泣き出して、

「わ、わたし、わたし金庫の暗証番号わかんないっ……そんなのしたことないっ……」

「お、俺! 金庫の開け方わかります! 俺が行きます!」

 女の子の涙に、俺の隣に座っていた従業員の若い男が立ち上がる。俺には大学生くらいに見える。マッチ棒みたいに細い男のことを、赤帽子は上から下からじっと見て、それから青帽子に向けて言った。

「おい、お前。あいつがちゃんと金を用意するか見張りに行け」

「ウス!」

「妙な動きをしたら一発だからな」

「わかりました!」

 背中に銃を突き付けられたまま両手を上にあげ、店の奥に消えていく従業員の男。それと反対に泣きながら座る女の子。「チコちゃん、大丈夫? 落ち着いて、落ち着いてね」なんて中年の従業員の女性に慰められている。チコちゃん泣くなよ、赤ちゃんだって泣いてないんだぞ。ただ寝ているだけだけど。

 赤帽子の男は男の従業員の背中に銃口を突き付けたまま店の奥に消えていく青帽子を見送って、自身の銃の先を俺達に向けた。俺、ジャッキー、カップル、従業員の女性とチコちゃん、すやすや眠る赤ちゃんを抱えた母親。そこまで数えるように指していって、端まで行ったそれが不意にジャッキーまで戻ってくる。

「お前」

「僕?」

 赤帽子の問いかけに、不思議そうな声を出すジャッキー。

「お前、見たことあるぞ。プリンス・ジャッキーじゃねぇか」

 赤帽子の表情はわからないけれど、声だけでにやけていることがわかる。カップルが抱き合ってガタガタと震えている。が、ジャッキーは風でも吹いているかのような爽やかな顔でこう言った。

「知ってもらえて光栄だよ」

 馬鹿かこいつ。

 赤帽子も同じことを思ったらしく、銃を持つ手に力を入れた。

「ああ、毎日嫌っていうほど見てるからな」

「ありがとう」

「ありがとうじゃねぇ!」

 赤帽子がテーブルを盛大に蹴っ飛ばした。乗っていたポテトやハンバーガー、ナゲットが床に散らばった。転げた拍子にシェイクの蓋が取れて、白い液体がとろとろとろとろ床に広がっていく。

「きゃあ!」

「いやぁ!」

 抱き合うカップルと、従業員。赤子を守るように抱きしめる母親。

「調子に乗ってんじゃねぇぞクソガキ! 余計な事したら一発だからな!」 

 赤帽子はもう一度テーブルを蹴り倒して俺達を威嚇すると、別の席にどかっと座った。そのテーブルの上には、手の付けられていない封に包まれたままのバーガーとポテト、ストローの刺さっていない飲み物がある。マスクを取ったことで顔が露わになる。ごま塩みたいで髭が濃い。赤帽子がそれらを食べ始めるのを見届けながら、余計なことを言うなとジャッキーのことを肘で突く。なんのことだとばかりにそっぽを向くジャッキー。こいつ。

 赤帽子がハンバーガーを食べ終わる直前で、外からピーポーピーポーという慌ただしい音が聞こえてくる。日差しが沢山入る大きな窓から警察車両が止まるのが見えた。

 ポテト最後の一本を銜えた赤帽子が顔を歪めた。それからガンッ! とまたテーブルを蹴飛ばして立ち上がり、怒鳴る。

「おい! 誰だ通報しやがったのは!」

「ひいぃいぃ!」

「ち、違います! 違います!」

 悲鳴を上げて抱き合うカップル。従業員。母と子。俺とジャッキーは抱き合うことなく首を振る。それからジャッキーがなんともない口調で言う。

「僕達じゃないよ。君達が来たとき、沢山の客が逃げただろう? その中の誰かが通報したんだろう」

 さも当然というようなジャッキーの解説に、赤帽子が舌打ちをする。赤帽子がジャッキーを睨みつけながら銃を持った瞬間、店の奥から金を持った青帽子と男の従業員が戻ってきた。

「兄貴! 金を出させました!」

 赤帽子は一瞬浮かれたような声を出すのだけれど、外から聞こえてくるサイレンの音で動きを止める。

「兄貴、け、警察っスか?」

「ああ、外に逃がしたのがまずかったな」

『君達はー、完全に包囲されているー! 人質を解放しー、速やかに外に出てきなさいー!』

 外から聞こえてくる警察官の呼び声に、青帽子が少し怯えたような仕草を見せた。

「あ、兄貴っ、どうしますかっ」

 青帽子ほどではないが、赤帽子もいくらか動揺しているように見えた。が、自分に喝を入れるかのようにして

「馬鹿野郎! ここまで来てやめられるかよ!」

 と怒鳴り、母親の腕の中で寝ていた赤ちゃんをひったくった。

「きゃあ!」

「うるせぇ!」

「か、返して! 返してください!」

「邪魔だ! 黙れ!」

 足に縋りつく母親とそれを蹴飛ばす赤帽子。この赤ちゃん、この騒動の中でも図太くすやすや寝ていたのだけれど、ここにきて漸く目を覚ます。まさかの強盗とのご対面に、赤ちゃんは赤帽子を見て、見て、見て。

「んぎゃああああああああああああああああ」

 盛大に泣いた。

 今まさに外で俺達を包囲しているパトカーも真っ青っていうくらいにぎゃんぎゃん泣いた。

 まぁ、泣くよな、泣くだろうな、と思いながら耳を抑えていると、母親が「ゼルダ君っ!」なんて言いながら取り返そうと走っていく。つーか、ゼルダ君ていうのか。キラキラネームにもほどがある。

 赤帽子は片耳を抑えてギャン泣きするゼルダ君を吊るし遠ざけていたのだけれど、青帽子が母親を殴って転ばす。「きゃあ!」なんて悲鳴を上げて転倒する母親。ギャン泣きするゼルダ君。青帽子が言う。

「子供が無事ならおとなしくしてろ!」

 床に転がったまま涙を流す母親に、従業員のチコちゃんと女子高生のりあむちゃんが駆け寄る。りあむちゃんが母親の背中を撫でて、助けを求めるようにして彼氏のアダム君を見る。アダム君は独り頭を抱えて震えている。瞬間、すっと冷めた表情になるりあむちゃん。これ、間違いなくフラれるな。

 この狭い空間の中繰り広げられるそれぞれの人間模様に、どうしたもんかと俺は思う。思いすぎて思わず口に出てしまう。

「……どうしたもんかねぇ」

 俺の呟きを隣にいるジャッキーが拾い、頼んでもないのに応答する。

「どうしようねぇ」

 そのなんてことない言葉に、俺はなぜか、お? と思う。小指にできたささくれみたいにちょっとした引っ掛かりを感じる。こいつ、何を考えてるんだ?

 ゼルダ君は火が付いたみたいにぎゃんぎゃん泣いていたのだけれど、赤帽子が右手に持っている銃を見た瞬間おとなしくなる。興味が一気に銃に向けられたらしい、空中に吊るされたまま、うー、あーという擬音を出しながら懸命に両手を銃に向けて伸ばしている。

「静かにしやがれ!」

「んみゃー」

 右手に銃、左手に赤ちゃんをぶら下げたまま入り口の扉を開ける赤帽子。半分顔を出した状態で、警察に向かって叫んでいる。

「おい! これが見えねぇのか! 殺されたくなかったらな、車と一千万を用意しろ!」

「ぶー」

「やめろ! 暴れんじゃねぇ!」

 どうしても銃が気になってるらしいゼルダ君は、泣き崩れたまま動くことない母親と比べてご機嫌だ。わかる、男は武器が好きだよ。銃とか剣とか鎌とか。俺も好きだよ。時と場合によるけど。

 青帽子の男が落ち着かない様子で、店内を端から端まで行ったり来たりしている。かなり汗をかいて、白いシャツの背中にびっしょり地図ができている。泣く母親。慰めるりあむちゃんと従業員達。ダンゴムシみたいに丸まって震えるアダム君。身動きの取りようがなく途方に暮れる俺。なぜか余裕のある表情をしているジャッキー。

『わかった! 用意しよう! だから人質を解放するんだ!』

「信用できねぇなぁ! お前らがちゃんと用意したら返してやるよ!」

 ガハハハと高笑いをし、豪快に扉を閉める赤帽子。それから世話しなく動き回る青帽子の元に戻ってくるが、ちょっと膝が震えてないか? 

「あ、兄貴! 一千万て……」

「ば、馬鹿野郎! ここまで来て引き返せるかよ!」

「でも、そんな大金!」

 ここにきて仲間割れを始める二人に比べ、ゼルダ君のご機嫌加減は半端ない。銃が気になって気になって仕方がないという様子でぷらんぷらん赤帽子の手にぶら下がっている。

「だぁ~ぶぅ~」

「ゼルダ君!」

 母親が必死に手を伸ばすが、その手は強盗の元にいるゼルダ君まで届かない。

 赤帽子が言う。

「いいじゃねぇか。俺とお前、金を手に入れてハッピーエンド。このまま遠いどこかで二人静かに暮らそうぜ」

「で、でも兄貴……」

「でももなにもねぇ! 金なんてなぁ、奪ったもん勝ちなんだよ。お前もよくわかってるだろうよぉ。まともに働いてたってなぁ、損するだけなんだよこんなもん!」

 赤帽子の投げやりな叫びに、青帽子がぐっと黙る。クッション席に下ろされたゼルダ君がバブバブご機嫌な様子を眺めながら眉を顰める俺の横からジャッキーの麻薬みたいな声が響いてきて、俺はぎょっとする。

「それは、本当にハッピーエンドなのだろうか」

 突然のジャッキーの乱入に、強盗二人が驚いたような顔をする。それから銃を持ち直して

「なんだてめぇ! 死にてぇのか!」

 と脅迫する。が、ジャッキーは怯まない。床に座り、その青い瞳でじっと強盗達を見つめたまま、続ける。

「誰かを傷つけ無理やり奪い取ったもので幸せになる……それもひとつの方法であり考えだ。しかし、あなた達はそれで本当に幸せになれるのだろうか? それは本当にあなた達が求めているものなのか? 奪ったもの勝ち、確かにそれもひとつの真実だ。しかし、誰もに間違いなく適応されるわけではない。あなた達は、本当にそれを求めているのか?」

「てめぇ、何を知って――」

「あなた達はわかっているのではないか? 正しいこと、正しくないこと、自分が本当に進むべき道を――戸惑い、迷い、立ち止まり、間違えてしまっただけではないのだろうか?」

「うるせぇ! 黙れ! 黙れ!」

 赤帽子が混乱し、暴れる。テーブルと椅子をガンガン蹴飛ばして、落ちたバーガーやポテトを踏みつける。ぐしゃぐしゃになって飛び散るファストフード達。おまけの玩具の人形が踏みつけられ、潰れた。

「あ、兄貴! 落ち着いてください!」

 青帽子が赤帽子に制止をかける。が、赤帽子の暴走は止まらない。

「俺達はなぁ、見放されてるんだよ! お前みたいになぁ、恵まれた人間じゃねぇ! 黙ってて金の入ってくるような人間じゃねぇんだよ! お前にはわかんねぇだろうなぁ! 俺達みたいな、社会からも家族からも見放されちまった人間の気持ちなんかよぉ!」

「誰も見放してない。見放しているのはあなた自身だ。あなたが自身を見放しているから、誰もが皆あなたのことを見放していると錯覚している」

「知ったこと言ってんじゃねぇ!」

 俺は思い出す。あの大雨の日、ココアを攫い学校で発狂をした元担任の山田のことを。錯乱して混乱して気の狂った山田。奇妙な叫び声を上げながら壁に頭を打ち付けて血塗れになった山田。俺は恐怖する。もしかして赤帽子は、このまま狂ってしまうのではないか? 山田のように壁に頭を打ち付けて血塗れになってナイフを振り回してしまうのではないか?

 俺の予想は赤帽子が何度目かのテーブルを蹴り、壁を殴り、床に散らばった食べ物を踏み潰した辺りで確信に変わる。ジャッキーに銃口が向けられたことで、ただの妄想が現実になってしまったことを知る。

「殺してやる! お前も、赤ん坊も、お前ら全員殺してやる!」

「兄貴!」

「きゃあ!」

 抱き合って震える従業員。子供の名前を呼ぶ母親。その母親を抱きしめるチコちゃん。涼しい顔のジャッキー。赤帽子に制止をかける青帽子。俺はやばいと思う。とんでもないピンチだと思う。赤帽子は俺達を殺す気だ。あの引き金が引かれたら、ジャッキーの白い額に風穴が空いてしまうと想像する。そしてそれは、ジャッキーだけではなく間違いなく俺達の体も貫通するであろう、リアルな現実だ。

 駄目だ!

 俺はCALDIの紙袋をコーヒー瓶とクッキーが入ったまま赤帽子に向けて投げつけた。見事赤帽子の顔に命中する紙袋。赤帽子の体を吹っ飛ばすことはできなかったが、それでも射線を変えるには充分な威力を持っていた。赤帽子の手中から銃が落ちる。よろけた拍子に銃を蹴飛ばして、ジャッキーの元まで送り込む。銃を拾うジャッキー。一瞬放心したのち、我に返る赤帽子。

「てめぇ!」

 激高した赤帽子がジャッキーに襲い掛かろうとするが、袋から飛び出たバニラフレーバーのコーヒーの瓶を踏みつけ、転ぶ。ジャッキーは一瞬で赤帽子に馬乗りになると、その銃口を赤帽子の鼻先に突き付けた。

「神はいつだってあなたのことを見守っている。見放すことなど決してない。見放すとしたらあなた自身だ。運命は廻る。行いは全て自分自身に帰ってくる。善行はあなたに善行を、悪行はあなたに悪行を」

「や、やめろ……やめるんだ……やめてくれ……!」

「兄貴!」

 恐怖のあまりぶるぶると泣き始める赤帽子のことを青帽子が叫ぶ。だが、ジャッキーはやめない。鼻先につけた銃口も、馬乗りになり赤帽子の動きをすべて止めることも、その青い瞳でじっと赤帽子を捕らえることすらも、やめない。

「神はいつも最良のカードを僕達に与える。それを選ぶのは僕達だ。人生は選択の連続だ。あのときああすれば、こうすれば、というのは過ぎたことでしかない。運命を決めるのは他の誰でもない、あなた自身だ。今あなたの身に起きていることも、これから起きていくであろう出来事も、すべて、あなたが選んできたことでしかない」

 麻薬みたいなあいつの声。宝石みたいなあいつの瞳。俺は気が付く。やばい、あいつ、本気だ! 本気で引き金を引く気なんだ!

「やめろジャッキー!」

 俺の叫びはあいつまで届かない。ジャッキーが赤帽子の鼻先に銃口をつきつけたまま、引き金を引く。

「Good luck」

 目を逸らす人質達。周りの声など気にも留める、なんの躊躇もなくジャッキーが引き金を引いた―― 

 ぽんっ。

「……え?」

 あまりにファンシーな光景に、俺は思わず目を疑う。恐怖のあまり目を閉じていた人質達も、あまりにも間の抜けた銃声にぽかんとしている。青帽子だって同じだ。サングラスがずり落ちて、季節外れのニット帽からぼさぼさの髪の毛がはみ出している。

「おや、気絶かい? 情けないねぇ」

 銃口から飛び出ているのは赤青黄色の色とりどりの造花。それと一緒に飛び出した紙吹雪がぱらぱらと舞い、散らばって、気絶している赤帽子のことを飾っている。

 この状況が全く理解できず両目を白黒させる俺達と対照的に、玩具の銃を持ったまま肩を竦めるジャッキーは、相も変わらずひどく涼しい顔をしていた。

「兄貴! 大丈夫っスか兄貴!」

 青帽子が銃(多分これも玩具だろう)を放り出し、くるくると目を回している赤帽子に駆け寄る。床に転がった銃に目を付けたゼルダ君がクッション席から転げ落ちて、ハイハイで近寄り、拾う。

「だぁ~ぶぅ~」

 玩具の銃を手に入れてご機嫌なゼルダ君だけは、もしかして、かなり前から気が付いていたのかもしれないけれど。


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