第二章 並木平介 10
身長155センチの俺は身長178センチのプリンス・ジャッキーからうまく逃げ切ることができずあっさりと捕まって宋明時から百メートルほど離れた場所にあるハンバーガー屋に連れ込まれる。自転車は宋明寺に置いてきた。次の乗るときには間違いなく肉を焼ける程度に熱されているだろうが、腹が減ったので仕方がない。奢ってくれるっていうし。
「宋明寺を見に来たんだ。関東三大不動、真言宗智山派のひとつ……素晴らしい霊場があると聞いてね」
なんて小難しいことをいうジャッキーと俺の間にはそれぞれにトレーが置かれていて、俺は適当に頷きながらコーラを飲んでハンバーガーを食べてポテトを摘まむ。つーかこいつもハンバーガーなんて食うんだな。こんな、フレンチ料理しか食いませんみたいな顔してる癖に。
「ファストフードは僕も好きだよ。手軽で、安くて、簡単に食べられる。高ければいいってものでもない。友好を深める際の食事としても最高だと思わないかい?」
うわ、心読まれたし。
俺はズゴーとコーラを啜って動揺を落ち着かせる。
「……宋明寺とかそんなわざわざ見に来るところじゃないと思いますけど」
その通りだ。宋明寺なんて暗いし、汚いし、古いばっかりで煌びやかさのひとつもない。
「そんなことはないよ。宋明寺には宝石的な美しさはないけれど、歴史と気品がある。そしてパワー。爆発的なものではないけれど、長い間人々の願いを聞き入れ受け入れてきた偉大な力。包容力。静けさの中に感じる強さと厳しさ。それが宋明寺の美しささ」
「……そういうもんですかね」
「そうさ。人はみな、目に見えるものしか信じない。隠された価値を感じようとしない。目に見えるものだけがすべてじゃないさ」
「はぁ」
なんてよくわからない哲学を並べながらポテトを摘まむジャッキーのことを、みんなが見ている。時々シャッター音さえ聞こえてくる。盗撮は犯罪だっつーの。
ジャッキーは両手でコーラを飲む俺のことも周りから向けられているハートの目も気にすることなく、うっとりとした様子で窓の外を見た。太陽にさんさんと照らされた街。車道と、その向こう側に広がる田園風景はただひたすらのどかなものだ。
「……ここはいいところだ。静かで、のんびりとして、人間と自然が共存している。神の息吹に守られた、素晴らしい場所だ」
太陽を反射するジャッキーの横顔はなお美しい。有名な絵画か、生きた彫刻みたいに見える。こんな、学生向けの安いハンバーガーとコーラを食べているだけなのに。何言ってるかわからないけれど。
「意外ですね。こんな、何もない場所がいいところなんて」
「そうかな」
「ええ。田圃ばっかりで遊ぶところなんてどこにもない」
「僕、こういう景色好きだよ」
「そうですか」
「僕はね、イギリスの田舎町で育ったんだ。ピーターラビットって知ってる? あんな感じの」
「へぇ」
ピーターラビットね。かわいいウサギだ。知っている。昔、のどかのお気に入りのお昼寝布団がピーターラビットだった。読んだことないけど。
「読んだことないかもしれないけど」
俺はナゲットをケチャップに浸したまま動きを止める。こいつマジで心読めるんじゃないのか。
冷汗を浮かべながらナゲットを咀嚼する俺のことを、ジャッキーが面白そうな顔で見ている。そしてそれが俺の隣に置かれている袋に移動し、問われる。
「津島花野が好きなの?」
「はぁ?」
「だってそれ、花野が表紙を飾っている雑誌だよね。今日発売した」
俺は隣に視線を移す。半透明の袋の下に、うっすらと津島花野が透けている。
「俺はそんなに。これ、友達のプレゼントなんで」
「もしかして、この間一緒にいた?」
「はい。俺は必要ないと思ったんですけど、母親が渡せって」
「仲いいね」
「そうですね」
適当に答える俺。にこやかなジャッキー。
「……人の縁は複雑でね。繋がっては切れて繋がっては切れていく。か弱い糸のようなものさ。一期一会、合縁奇縁、一見偶然のように思えてもすべてがすべて仕組まれたものだ。何の意味もないように見えても何かしらの意味がある……僕と、君が出会ったことも」
食べかけのハンバーガーを置いて俺を見つめる青い瞳。問答無用に頬張る俺。
「そうですかね」
「この間の君のリーディング」
話に全く興味を持たない俺に、ジャッキーが切り込みを入れてくる。
「途中になってしまった。悪かったと思っているよ。折角協力してもらったのに」
「いえ、全然。俺、そういうの興味ないんで」
「君は興味なくとも」
じっと俺を見つめるジャッキー。ハンバーガーを食い続ける俺。
「僕はあるね。君と、君の運命に」
その、女であれば一瞬で口説き落とされるような甘い台詞。俺はハムスターみたいに頬をぱんぱんに膨らませたまま硬直する。それから嚥下。すごーっとコーラを飲み干して、立ち上がった。
「ありがとうございました。帰ります」
「いやいや、そんな焦らないで」
「急用が!」
「君、暇だからって理由でお母さんから買い物頼まれたんでしょう?」
なんでそんなこと知ってるんだ! 俺、一言も話してないぞ!
卓上に置いておいたスマホを回収する前に一秒の差で人質に取られる。こいつ!
「こっ……」
「君の前世を見た」
ジャッキーの一言が、激高しかけた俺の感情にストップをかける。
「……はっ」
「僕はタロットカードを主体とした占いを中心に行っているが、その際対象者の魂とも通信する。それはつまり過去世を知り会話をするということだ」
「な、に、を」
「人間は目に見えることしか信じない。馬鹿げたことだと思うだろう? けれど、僕にはそれができる」
そこで一呼吸置いて、続ける。
「輪廻転生、魂は廻る。何度も何度も何度も、生まれては死にまた生まれ変わる。誰にでも過去があるように、誰にでも前世がある。でも、人はそれを知らない。自分がかつて全く別の誰かとしての生きていたことを。違う、知らないわけではない。忘れてしまうんだ。別の誰かとして、新しい人生を生きていくために。記憶というのは素晴らしいものばかりではない。辛いこと、苦しいこと、悲しいこと。それらは今世を生きていくための足枷となる。でも君は覚えている」
ジャッキーの青い瞳。高級な宝石みたいな青い瞳が俺を見る。
「そうだろう? 鍋島浩之君」
立ち上がったまま黙る俺。スマホは未だジャッキーに取られたままだ。周りの客たちの声とか時々聞こえるシャッター音とかレジの音とかそういったものが一気に遠くなり、すべて壁の外に出ていってしまったような気さえする。この世のすべてに置き去りにされてしまったみたいだ。俺とジャッキーの二人だけの世界。居心地が悪すぎる。汗を吸ったTシャツが乾いて、冷たく肌に張り付いた。俺は額に手を当てて長く長くため息を吐いて、それからジャッキーの殆ど手のつけられていないウーロン茶をひったくって飲み干した。乱暴に着席する俺。ウーロン茶が空になっていることを軽く振って確認し、言った。
「だったら、何なんだよ」
鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔をしてるジャッキー。俺が急に態度を変えたことに少し驚いているらしい。いい気味だ。ジャッキーは長い睫毛を瞬かせると
「それが君か」
と口角を上げた。
「俺も何もねぇよ」
「君と初めて会ったとき」
ジャッキーがいくらか食い気味に話してくる。話を聞かないタイプの人間かこいつ。
「雷に打たれたかのような衝撃を感じた――今までに感じたことのない感覚だった――まるで天の光を見るかのような――あれは間違いなく歓喜であり――運命の導きであると確信した――」
ひどく恍惚とした表情で語るジャッキーと、ジャッキーのトレーに残っているナゲットを勝手に食べる俺。こいつまじでやべぇな、ド変態じゃん。
「だからってあんたが喜ぶ理由なんてないと思うけど」
「人は新しい知識を得たときに快感を覚える生き物なんだ」
「あっそ」
気持ち悪いなこいつ。
「もういいだろ、帰っていいか?」
「君が今食べているナゲットは誰のものだい?」
ミントみたいな爽やかな笑顔で指摘するジャッキー。俺は摘まんでいるナゲットをじっと見て、それから口に放り込んだ。
「何が聞きたい」
「そりゃあ勿論」
ジャッキーは両手を組んで頬杖をつくと、言った。
「≪君≫のことだよ」
もぐもぐとナゲットを咀嚼して飲み込む俺。もう一個とケースに手を伸ばすも、生憎空になっているのでこれまた殆ど手のつけられていないジャッキーのポテトに手を伸ばす。
「……何を聞きたい」
機嫌の悪さを丸出しにする俺のことなど気にもせず、ジャッキーは顎に手を当てて探偵のような仕草を取った。それから、うーん、少し考えて
「いつ亡くなったんだい?」
「20XX年のクリスマス」
「今から十五年ほど前だね。交通事故とは不運だったね」
「そうね」
俺としては今お前とこうして向き合っていることのほうが不運だけどな。
如何にも紳士という風貌のこの占い師は紳士の国出身の癖に全くデリカシーがなく、失礼な質問をズバズバ飛ばしてくる。
「何歳の時?」
「二十四歳」
「痛かったかい?」
「まぁ……痛かったな。なんつうか、うまく表現できない。痛すぎて痒い、みたいな感じ」
「へえ……死後の記憶などはあるかい?」
「……死後の記憶、かはわかんないけど。暗かったな」
「暗かった?」
「ああ。暗くて、何にもなくて……でも、怖いって感じじゃなかった。暖かくて安心できて……海の一番深いところにいるみたいだった」
「ずっとそこにいたのかい?」
「ああ」
指についたケチャップとマスタードを舐める俺の前で、ジャッキーがまた考えこんでいる。それからぱっと顔を上げて
「いつ、自分に前世の記憶があると気が付いたんだい? 最初からかい?」
「最初から、じゃねーな。多分だけど、三歳の誕生日。それ以前の記憶は全くない」
「物心がつくと同時に前世の記憶が蘇ったってこと?」
「さぁ。ただ、母さんの話によると、それ以前は殆ど話さない子供だったらしい。少し心配するくらいにはな。最も、三歳の誕生日を区切りに一気にしゃべりだしたから安心したらしいけど」
「お母さんは知っているのかい?」
「知らないよ」
「他の人は?」
「いない。こんなの、誰も信じるわけないだろ。思春期にありがちな妄想だと片づけられるのがオチだ」
冷めきったポテトを二本纏めて放り込む。ハンバーガー屋のポテトは出来立てが命だ。さくさくの熱々がなくなったポテトは正直あまりうまくはない。
ジャッキーが震えている。下を向いて、両手をきつく握りしめて。一見泣いているか、怒っているかのようにも見えるけど違う。これは歓喜だ。全身で喜びを現わしているのだ。
俺の予想通り、ジャッキーは勢いよく顔をあげるとひどく興奮した様子で言った。
「すっ……てきだっ……」
そんなジャッキーの顔はちょっと紅潮していて青い瞳もウルウルしていて、もし俺が女だったらその場で倒れて救急車を呼ばれるような代物なのだが、生憎俺は男だ。男の顔に興味はない。周りではバタバタとすでに何人か倒れているけど。
「素敵?」
「ああ!」
「……ふーん」
本当にキモイな。まじでやべーよこいつ。
「つうかさ、お前もよくこんな話信じるな。嘘だとか思わねぇの?」
「嘘?」
「色々あるだろ。宗教とか、勘違い野郎とか、精神病とか」
「ああ、テレビ局ではよくあるみたいだね。その際はボールペンを渡して帰ってもらうよ」
「あっそ」
そこでポテトがとうとうなくなる。氷しか入っていないコーラ風味の水を吸い、喉を潤す。
「僕は嘘つきは好きじゃない。君は嘘をつかないだろう?」
にっこりとチョコミントアイスみたいな笑みを浮かべるジャッキー。何も言わない俺。
そこで未だジャッキーの手元に置かれている俺のスマホがぶぶぶと振動する。俺は半ばひったくるようにしてスマホを取り戻す。
「お母さんかい?」
「ああ」
『帰りに豆腐屋に寄って豆腐を買ってこい』という真美子に適当に返信して立ち上がる。
「帰る」
「そう。残念だな」
「話し足りないならまだ話して行けよ。相手は沢山いるだろ」
視線の動きだけで周りを見渡す。美しく着飾った野獣たちがぎらぎらとした瞳でジャッキーを見ている。
「遠慮しておくよ」
苦笑いで答えるジャッキー。ジャッキーにも怖いものがあるらしい。
「今日はありがとう。楽しかったよ」
「あっそ。よかったな」
「また機会があったらよろしく頼むよ」
「機会なんかねーよ。二度と会わない」
「運命は悪戯なんだ。可能性は充分にある」
「……あのなぁ」
俺は店の扉に手を開けたまま振り返る。
「前から思ってたけどその運命とかそういうのってあんま――」
ガンッ、と勢いよく外側に開かれる扉。前のめりになる俺の体。転ぶ直前でなんとか体勢を整えて、言う。
「あ、すいません……」
瞬間、鼻先に突き付けられた黒い穴。それが銃口で、目の前にいる人物が手にしているものが銃であるということに気が付くまでほんの数秒時間がかかる。
「死にたくなかったら手を上げろ! 金を出せ!」
この暑い中ニット帽をかぶり、でかいグラサンとマスクで顔を隠した二人組の男が銃を構えて立っている。上がる悲鳴。途端、慌ただしくなる店内。俺は両手を上げて、後ろにいるジャッキーのことを横目で見る。
「おや、ついてないね」
本当にな。
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