第二章 並木平介 3

 どうしたんだよ何をそんなに急いでるんだ折角だからうちで夕飯食ってけよというライトの誘いを断って家に帰る。

 誰もいない真っ暗なアパートの一室。靴を放り出すように駆け込んで、そのままベッドにダイブする。汗を染みこんだYシャツを脱ぐこともない俺はシーツおばけ。震えが止まらない。あのとき、プリンス・ジャッキーと目が合った瞬間から俺の体は緊急警報が鳴りっぱなしで治まる気配が一向にない。冷や汗がひどい。心臓がバクバク動いて爆発し今にも口から飛び出てしまいそうだ。これだけ書くと、まるでココアの読んでいるような少女漫画のようでもあるけどそんなかわいいものじゃない。真逆だ。俺の中にある第六感が、シックスセンスが、あいつはやばい近づくなとそう訴えているのだ。

 そのまま暫くベッドの上でシーツに包まったままブルブルブルブル震え続けて、俺の震えに便乗するようにして机の上に置いてあるスマホがブルブル震える。それどころじゃないので放っておいたが、あまりにもブルブル震えてうるさいので俺はシーツを被ったままベッドから降りる。

 LINEが十通。多いな。ココアとライトと真美子。

 ココアとライトのLINEの内容なんて精々「大丈夫?」とか「どうしたんだよ、熱でもあるのか?」とかその程度なんだけど、真美子のLINEがひどい。


『あんた七時までに帰ってなかったでしょ? 罰としてお風呂掃除の刑。あとはちゃんとご飯食べて宿題して進路を考え直しておくこと』


 風呂掃除の刑って、真美子がいてもいなくても大体俺がやってるけど。

 十通のLINEにすべて既読をつけているうちに、少しずつ震えも悪寒も収まってきて、俺はシーツおばけをやめる。それでも夕食を作る気にはならなくて、冷凍炒飯をレンジで温めてながらテレビをつけると、またしてもプリンス・ジャッキーが満面の笑みで画面を占領していて俺の背中に悪寒が走る。

 なんとかって女子アナが目をハートマークにしながらジャッキーにインタビューしている。

『プリンス・ジャッキーさんは今若い女性の間で爆発的な人気を誇っていますね。昨日発売した著書も売り切れ続出ということで……』

『はい。皆さん、本を買って頂いているようで、有難い限りです』

『ジャッキーさんは毎日テレビで顔を見ない日がないほどお忙しいそうで……』


 そのアナウンサーの言葉に、俺はさすさすと体を擦り守っていた両手の動きを止める。そうだ、こいつは芸能人。俺は一般人。プリンス・ジャッキーは毎日毎日テレビで顔を見ないほどに忙しいのだから、そう簡単に会うはずがない。今日はたまたま初の本を出版した記念の挨拶廻り件サイン会だったので目撃しただけで、普通に暮らしていたら絶対に出会うはずがないのだ。あのとき感じたとんでもない危機感も近づいてはいけないというシックスセンスも、ただ単に俺とジャッキーの相性が絶対的に悪いだけで、もう二度と会わないのだから関係がないのだ。イギリス人と日本人のハーフであるイケメン芸能人のプリンス・ジャッキーは、そんなホイホイこんな埼玉県の辺境の地にやってくるほど暇じゃないのだ。

 うんうんと一人で頷く俺に肯定するように、レンジがチンと音を立てる。ほかほかの炒飯に俺は少し安心する。ひとりで頬張る炒飯は少し寂しいけどそれでもうまい。テレビの中では、相も変わらずイケメンのプリンス・ジャッキーが笑っていた。

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