第二章 並木平介 2
「なんかさー、変なんだよねー」
ココアの呟きに、俺とライトは顔を上げた。
広いショッピングモールのファストフード店。狭いテーブルに広げられた、ポテト、ナゲット、シェイクとコーラ。セーラー服のままのココアは、ずー、とシェイクを飲み込むと、
「……うん、やっぱ変だ」
と自分に言い聞かせるようにして勝手に言って勝手に頷いた。
俺とライトはそれぞれポテトとナゲットをつまみ、それを口に入れ、顔を合わせた。
シェイクをズゴー、と吸い込んだまま難しい顔をするココアに、制服のままのライトが問いかける。
「何が変なんだよ」
ココアはストローを咥えたままちらりとライトに目を向けると
「……ママ」
「おばさん? おばさんの何が変なんだよ」
ココアがまた難しい顔をする。それから両手で、ぎゅう、と水滴の滴るシェイクの容器を握りしめると
「……ママ、鍋島先生のこと、のどかちゃんて呼ぶの」
と言ってポテトを摘まもうとした俺の手を止める。
「勿論、私の前では鍋島先生っていうの。でも、違うの。この間、パパとママが電話で話しているのを聞いて……ママ、『のどかちゃん』って呼んでた。『のどかちゃんが心愛の担任に』って話してた。だから知り合いなのかなって思って、だから聞いたの。そしたら、笑ってごまかされて……」
ポテトを摘まもうとした体勢のまま固まる俺。ライトはナゲットに大量のケチャップをつけて口の中に放り込むと、
「そういえばこの前加藤んちに行ったとき、のどかちゃんなんか言ってたな。お久しぶりです、とか、なんとかの妹、とか」
食べてもいないポテトが俺の喉に詰まる。
「なにそれ、どういうこと?」
「知らない。でもなんか、久しぶりに会ったみたいな感じはしたよ」
「なんとかの妹、って何の話?」
「知らない」
全く、ライトの話は知らないことばっかりだ。頑張ってポテトを頬張る俺の正面で、ココアも気難しい表情でシェイクを飲んでいる。ライトは、そんな俺達の気持ちを察することなくナゲットに大量のマスタードをつけると、
「でも、あんまりいい雰囲気ではなかったかなぁ。なぁ、テル」
なんて突然俺に話題を振るものだから、戸惑いついでにポテトを喉に詰まらせる。ごほごほと咳込む俺に、ココアがコーラを差し出してくる。
「大丈夫?」
大丈夫。
「で、でもさぁ、鍋島先生とココアの母さんが知り合いだと、なんかあるの?」
咽ながらの俺の問いかけに、ココアが、うーんと首を傾げる。
「なにかあるわけじゃないけど、なんか」
「なんか?」
「なんか、気になる」
ストローを咥えたまま腕を組み、まるで探偵のような仕草をするココア。
女の勘って怖い。
頑固なココアは、なんかやだ、なんか気になるでストローを咥えたままうんうん唸って、俺に居心地の悪い思いをさせる。ぱくぱくとポテトを食べ続ける俺。唸り続けるココア。そんな嫌な雰囲気を断ち切ったのは甲高い女の店内放送。
『ピンポーン。十八時より、プリンス・ジャッキーのサイン会を行います。整理券をお持ちのお客様は、修羅之国書店の前にお越しください』
それにいち早く反応したのはココアで、大急ぎで残りのシェイクを飲み干すと、鞄と先ほど購入した占い本を持って立ち上がった。
「ほら、テルくん、ライトくん、早く!」
はいはい。
ココアがプリンス・ジャッキーを好きなことは知らなかったが、占いとオカルトが大好きなココアがプリンス・ジャッキーに夢中になっていてもなんの不思議もなかった。
プリンス・ジャッキー初の著書『ring of fate(運命の輪)』胡散臭いことこの上ない。先ほどこの本を購入したココアにちらりと中身を見せてもらったが、「自分の生まれた場所」「魂の光」「運命の行く先」「星の道標」とか、うへぇと顔を顰めてしまうようなタイトルの羅列に俺は速攻で本を返す。
ジャッキーのサイン会場は本屋の前の大して広くもないスペースで行われているのだけれど、女が多い。9:1で女が多い。圧倒的比率だ。男は俺とライトと、あからさまに彼女の付き添いでーす、というような奴ら二、三人、列から離れてうんざりした顔で壁に張り付いて待機している。本と整理券を持ってうきうきと花を散らしながら並んでいるのは女だけ。まぁ、『ring of fate(運命の輪)』なんていういかにもな本買うような男、そういない。
ほっぺたを真っ赤にされて長蛇の列に並んでいるココアを眺める俺に、ライトが言う。
「テル、お前は行かないの?」
「行かないよ。興味ないよ、プリンス・ジャッキーなんて」
「でもお前、占い好きじゃん」
「好きじゃねーよ」
命掛かってるから見てるだけだよ、モーニングタイムは。
(それにしても)
プリンス・ジャッキーの女性人気が異常であるというのは知っていたが、まさかここまでとは。サイン会の前のちょっとしたトークショーに、サインと、握手。極めつけは「君に幸せが訪れますように」とにっこりスマイル。アイドルかっつーの。でも、あんないい男、夢中にならないはずがない。一歩列が進むたびにぴょこんと花を飛ばすココアに、ライトがぎりぎりと歯ぎしりをしている。仕方がないだろライト。相手はイケメンなんだから。
ライトの歯ぎしりをBGM代わりに、俺は今日の夕飯を考える。ただいま十八時半。真美子には七時前に帰れと言われているけど、余裕で超える。八時前に帰れればいいほうだ。夕飯どうしよう。なんて思っていると、漸く順番が回ってきたらしいココアが俺とライトを呼ぶ。
「テル君、ライトくん、早く!」
別に呼ばなくてもいいのにとか思うのだけれど、ここで行かないと気難しいココアが拗ねるので俺達は乗らない足取りでココアの元に向かう。
そしてそこで、俺は初めて生のプリンス・ジャッキーと会う。
輝く金髪とサファイヤのような青い瞳。オカルト国家イギリスとオタク国家日本のダブルとして生まれたプリンス・ジャッキーは正しく王子だ。すっと伸びた長い手足には、どんな高級な洋服も似合うだろう。
ココアは、花を飛ばしながらかなり緊張した面持ちで、すっ、と『ring of fate(運命の輪)』を差し出した。
「あっ、あのっ! ファンです! いつも応援しています!」
ジャッキーは、にこりと慣れた様子で王子スマイル(多分営業用)を浮かべると、さらさらと本の中表紙にサインを書いた。
「ありがとう」
「わぁ、すごくうれしいです! ありがとうございます!」
「君みたいな可愛い女の子にも本を買ってもらえてうれしいよ。君に沢山の幸せが訪れますよう」
なんて甘い表情で言われたもんだから、ココアの顔が一気にピンク色に染まる。あいつ、あんな顔もするのか。可愛いな。おいライト、お前さっきから歯ぎしりの音うるさいぞ。ちょっと黙れ。
なんて、俺はココアの少し後ろで傍観していたのだけれど、ココアとの握手が終わった瞬間のジャッキーと目が合う。何かとんでもないものを見たかのように見開かれる青い瞳。そしてその瞬間、俺の頭にとんでもない雷が落ちる。
それはちょっとした悪寒というか予感というか虫の知らせというかそういうものによく似ていて、『出会ってはいけないもの』『知り合ってはいけないもの』『関わってはいけないもの』と俺の第六感がぞくぞくぞくぞくと全身全霊で知らせてくる。血圧がどんどん下がり、指先がどんどん冷たくなる。血の気が引いていく。体が急激に冷えていくのが自分でもわかる。
帰らなきゃ、と俺は感じる。
早く帰ろう、帰らないと、帰らねばならない。
この場にいてはいけない。
こいつは、こいつから、プリンス・ジャッキーから早く離れなければならない!
プリンス・ジャッキーが俺を見ている。何やら一生懸命しゃべっているココアを無視して、ココアの後ろにいる俺を見ている。いや、違う。俺じゃない。
こいつは、≪俺の後ろ≫を見ている。
俺の後ろにある、何かを見ているんだ!
その、宝石みたいな透明度の高い青い瞳で≪俺≫を見るジャッキー。ジャッキーはさも驚いた、びっくりした、というような表情のまま唇を動かした。
「――君は――」
「お邪魔しましたー!」
ゾワワワワワと背中を走る悪寒。俺はココアの腕を引っ掴むと、小走り気味にその場を離れることに決めた。『ring of fate(運命の輪)』を抱きしめたままココアはなんとも不思議そうに、そして名残惜しそうにもしている。ココアの分と自分の分、二人分の鞄を持ったライトもついてくる。
「どうしたんだよ、テル」
そんなのこっちが聞きたいよ!
途中、一度だけ振り返り、プリンス・ジャッキーの様子を見た。
ジャッキーは、ネッシーでも見たかのような表情で、女の輪の中心に存在していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます