第二章 並木平介 4
「もう二度と会わない」と思っていても一度覚えていしまった拒絶反応はなかなか消えてくれなくて、俺は朝一で紅茶を吹き出す羽目になる。なんで「モーニングタイム」で「プリンス・ジャッキー」の特集なんかやってんだ、もっとあるだろ大事なことが。朝からこれではついてないなんて思っていると本日の山羊座はやっぱり十位。
『苦手な人と一緒になって気まずい思いをするはめになるかも~~ラッキーアイテムは、ベンツでーす!』
ベンツてなんだよベンツて。普通の暮らしをしているやつにベンツが用意できるのかよ。モーニングタイムは時々こんな無茶ぶりをしてくるから本当に困る。
ラッキーアイテムのない俺は牙を捥がれたライオンのように弱々しく、ライトに「お前んちベンツだったりしないな?」なんて失言をして変な顔をされる。
「何言ってんだよ。うちがトラックなの、お前んち知ってるだろ。店の名前入ってるやつ」
ですよねー。
それでも屋上から花瓶が落ちてくることも爆弾テロ犯が教室に乱入してくることもなくHRを終えた俺のことを半端ない開放感と安心感が包み込む。教室を出た俺のことを蝉達が祝福している。ありがとう蝉達。めっちゃうるさいけど今は福音みたいに聞こえるよ。普段邪険にしてごめんな。
「テル君、今日元気なかったね。どうしたの?」
昇降口にて、上履きを脱ぎながらのココアの問いかけに、ライトが得意げに答える。
「こいつ、今日のラッキーアイテム手に入れられなかったんだ。だからなにか嫌なことがあるんじゃないかってヒヤヒヤしてるの」
なんて俺の頭に肘を乗せてニヤニヤするライトは本当に腹立つので鳩尾にチョップを入れる。「痛い!」なんて飛び上がるライト。いい気味だ。
ココアは蹲って痛がるライトには特に興味を示さずに靴に履き替える。ピンクのスニーカー。派手だ。
「占い? ってモーニングタイムの?」
「そう。モーニングタイムの」
「あれ、当たるよね。私も昨日落とし物しちゃって。モーニングタイムの占いで、『落とし物に気をつけて!』って言われてたのに」
しょんぼりと肩を落とすココアと並んで昇降口を出る。後ろから慌ててライトが着いてくる。
「何を落としたんだよ」
俺の問いかけに、ココアがすごくがっかりしたような申し訳なさそうな悲しいような顔をする。
「うん、あのね……」
「キャーツ!」
ココアの言葉は、地面が割れて飛び上がったみたいな黄色い悲鳴にかき消された。
「な、なんだぁ?」
黄色い悲鳴の原因は校門。下校時刻真っ只中の校門に、沢山の女子が集まっている。この学校にこんなに女子がいたかってくらい。ていうか明らかの他校の制服を着た女もいるし、高校生も混ざってる。あと通りがかりの主婦と女子大生。そのくらい大人数の女性陣が、校門に群がって押し合いへし合い奇声を上げては喜んでいる。あるものは腕を高く高くあげて動画を撮り、またあるものはイモリのように地べたに這いつくばり、またあるものは人間をかき分けて中に入ろうと努力をし。ただ全員に言えることは、皆が皆目を真っピンクのハートに輝かせているということ。
耳を押さえて顔を顰める俺。びっくりして目を真ん丸にしているココア。状況が全く理解できずぽかんと口を開いているライト。女性たちの気迫に近寄ることもできずにただただぽかんと眺めていると、その、女性陣の山の中からぽんっと誰かが吐き出された。河辺苺だ。
「もー、やだー! いたーい!」
なんて頭の天辺にぶら下げたハイビスカスを上下に揺らす川辺に、ココアが近づいて肩を叩いた。
「ベリーちゃん、どうしたのこれ。なにがあるの?」
ベリーちゃん。ココアの「ベリーちゃん」呼びに、俺とライトの呼吸が止まる。ベリーちゃんて、ベリーちゃんて呼んでいるのかお前。確かに川辺の名前は苺だけど、ベリーちゃんなんて呼ぶほど仲良くなったのか。お前この間、そのベリーちゃんに花瓶の水ぶっかけてたよな?
なんて俺達の心の突っ込みが届くわけもなく、ココアは「ベリーちゃん」こと川辺の両手を掴んで立ち上がらせた。川辺はスカートの砂をぽんぽんと叩いて落とすと、
「ジャッキーだよ。ジャッキーが来てるの」
「ジャッキー? て、あの?」
目をぱちくりさせるココア。ぞわっと背中にミミズが走るのを感じる俺。川辺はひどく興奮した面持ちで両手を握りしめると、きらきらと輝く瞳で叫んだ。
「そう。プリンス・ジャッキーが来てるの! うちの学校に!」
川辺の丸っこい指が差す方向。途端、真っ赤に燃えるココアの頬。わかりやすく不機嫌になるライトに微笑ましさを感じつつも、俺は俺の背中を這い続けるミミズたちを一向に振り払えずにいたのだが、「ねぇねぇテルくん、ジャッキーだよ、ジャッキーがいるよ」なんて俺の制服を引っ張るココアのおねだりに勝てず、顔を上げる。
昨日と寸分違わぬ姿で、プリンス・ジャッキーがそこにいた。
絹のような金髪にサファイアを彷彿させるような青い瞳。すらりと伸びた長い手足はまるで人形みたいに見える。チェックのシャツとジーンズを穿いているだけなのに、まるで一国の王子様のようだ。
その、王子様みたいなプリンス・ジャッキーはこれだけの数の女性陣に囲まれても全く嫌そうな顔ひとつせず、写メを撮られたりサインをねだられたり握手を求められたりしていた。そして、そのサイン色紙からジャッキーが顔を上げた瞬間に俺と目が合ったような気がして、俺は反射的に目を逸らした。ジャッキーと俺が目が合うはずがない。とんでもない思い違いだと思うのだけれど、俺はどうしてもジャッキーの目が俺を探しているような気がしてならなかった。心臓が鳴る。そのまま口から飛び出てぽんと爆発してしまいそうなくらいに踊っている。そして俺のその不安とか予感は見事的中し、なぜかジャッキーが俺達に向かい声をかけてくる。
「やぁ」
なんてジャッキーが白い歯を見せるものだから、女性陣はイチコロだ。恍惚のあまりバタバタと数人がその場に倒れこみ、戦争の後みたいになる。ジャッキーはおやおやなんて全く心配なんてしていないというような声を出しながら、その長い脚で瀕死の女たちを跨いで俺達の前にやってきた。嬉しさと緊張で真っ赤な顔になるココア。臨戦態勢になるライト。青くなる俺。
ココアが喉をごくりと鳴らし、ごくごく小さな声を出した。
「あの……」
「君達、昨日の子だよね。ショッピングモールの、僕のサイン会に来てくれた」
俺達三人の顔を見渡すジャッキーに、代表をしてココアが頷く。君達っていうか、実際サインをもらったのはココアだけだけど。
「これ、君の。忘れ物だよね?」
王子様スマイルを浮かべたジャッキーが差し出したのは鍵だった。白いクラゲの赤ちゃんのキーボルダーがついている鍵。あれ? 俺があげたやつじゃんクラゲの赤ちゃんのキーホルダーって。
「これ、わたしの……!」
「君たちが帰ったすぐあと、落ちているのを見つけたんだ。探しているんじゃないかと思って。はい」
「……」
ひどく驚いたような、現実に思考が追い付いていないというような表情のココア。でもココアはやっぱりイケメンのプリンス・ジャッキーが好きなようで、頬を真っ赤に染めて受け取った。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
にっこりと笑うジャッキーはやっぱり王子だ。プリンス・ジャッキーの名前にふさわしい。
ココアは暫くそのジャッキーの美しい顔をうっとりと眺めていたのだが、ふとあることに気が付き、それを問う。
「あの」
「なんだい?」
「どうしてこれがわたしのだって……どうしてここがわかったんですか?」
ジャッキーはまたにっこりと笑顔を見せると、人差し指を、ひょいと天に向けた。
「星が教えてくれたんだ」
「……え?」
ジャッキーの細くて長い指に導かれ、俺達も空を見上げる。青い空だ。絵具をそのまま垂らし込んだみたいな真っ青な空にぴかぴかと太陽が輝いて、ちょっとした祝福みたいに見える。そこに浮かぶ白い雲はまるで大きなイルカのように自由で雄大で、地球の果てまで旅をするかのようでもあった。どこからどう見ても七月の日中だ。星なんてどこを探しても見つからない。
ココアはわかりやすく疑問符を出し、ライトの頭の上にこそ星がきらきら飛んでいる。頭を抱える俺。こいつやばい。完全な電波だ。
そんな俺達の何が面白いのか、ジャッキーはひどく機嫌の良さそうな顔をすると
「これもなにかの縁だ。もしよかったら、少しドライブでもしないかい?」
「えっ……」
突然の誘いに、ココアは驚きつつも特に嫌がった様子は見せない。新手のナンパだな、と思う。縁とか星とか運命とか女の子の好きそうな単語を並べて強引に連れていくパターン。流石テレビに出ているような男は違う。でもココア、お前少しちょろすぎないか? 山田に騙されたばかりだろう、もっと気を付けたほうがいいんじゃないか? ほら、隣でライトが歯が削れるほど歯ぎしりをしてるじゃないかと俺は冷静にその様子を眺めていたのだけれど、ドライブの誘いは俺達にもかかる。
「君達もどうだい?」
「え?」
「はぁ?」
鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔をする俺達に、ジャッキーがまた目を細める。
「彼女だけだと色々と不安だろう? ボーイフレンドなら、しっかり守ってあげないと」
ジャッキーの提案に、俺とライトは顔を見合わせて肩を抱き合いごくごく小さな声で会議を始める。
「テル、お前どうする?」
「……俺はいい」
「え、なんで」
「……なんとなく」
「なんとなくってなんで」
「……ライト、お前ひとりで行けよ」
「なんで」
「あいつにココア取られてもいいのかよ」
俺の言葉に、ライトがなぜかあわあわする。なんで、それを、どうして、とか、逆になんでバレていないと思ったのか。
「テル君、ライトくん、早くー」
すでに校門の前に止められていたらしい車に乗ったココアが窓から顔を出して俺達を呼ぶ。ジャッキーがボンネットに寄りかかり、にこにこと機嫌良さそうな顔で俺達のことを待っている。
「あっ、うん、すぐ行く!」
「おい!」
ライトが嫌がる俺の腕を引っ張り、車の前まで連れていく。嬉しそうな顔をするココア。顔を顰める俺。
「……ベンツ」
無意識のうちに出していた単語に、プリンス・ジャッキーが反応する。
「うん。そうだよ。車、好きなの?」
銀色の輝く高級車を前に固まる俺の脳裏に、今朝のモーニングタイムの占いがリフレインする。
『苦手な人と一緒になって気まずい思いをするはめになるかも~~ラッキーアイテムは、ベンツでーす!』
苦手な人。気まずい思い。ラッキーアイテムはベンツ。
「さぁ、早く乗って」
「わたし、ベンツなんて乗るの初めて!」
「俺も! うち、トラックしかないから! テルは?」
「……初めてだよ」
結局、こういうことになるんだなぁ。
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