第一章 加藤心愛 22

 のどかの軽自動車に乗り、途中でライトを拾い、ココアの家に向かう。

 俺達がココアの家についていくことを、のどかはあまりよく思っていないようだ。そりゃあそうだろう、行方不明の教え子――しかも登校拒否児――の捜索に別の教え子を巻き込みなんて、まともな教師のすることじゃない。それに無理やりついてきたのは俺だ。ライトは無理やり引き込んだ。

 雨風の強まる中、ハンドルを握るのどかの後ろで、俺とライトはのどかに色々なことを話す。ココアと最近知り合ったこと。ゲームをきっかけに仲良くなり、家に行き来するくらい仲良くなったこと。瀬の島に行ったこと。

 のどかはうぃんうぃんとワイパーで雨を蹴散らしながら、じっと俺達の話を聞いていた。橋から飛び降りようとしていた辺りの件はひどく驚いたようであったが、それくらい。あとは途中相槌を打ったり少し疑問を問いかける程度。だが、俺達の話に「山田」という単語が出てくるたびに肩をピクリと動かすので、頭にタオルを被ったライトが、問いかける。

「のどかちゃん、山田の件知ってたの?」

 のどかは答えない。鈍いライトはなんとも微妙な顔をしていたのだが、俺にはわかる。無言は肯定だ。のどかは、山田が不祥事を起こしたからこんな五月の半ばなんて変な時期にうちのクラスにやってきたんだ。

 のどかの運転する軽自動車が加藤家に到着する。車庫には何もない。

「あなた達はここにいなさい」

 というのどかの命令を無視して、俺達はさっさと車から降りて加藤家のベルを押す。

「こら!」

 と、のどかが俺達の首根っこを引っ掴むと同時に加藤家の家の玄関扉が開いて、中から清美が出てくる。疲れ切った顔の清美。泣いていたのだろう目が赤い。のどかが俺達の首根っこから手を放して、加藤心愛の母親と向き合う。

「お久しぶりです清美さん」

 そう言って頭を下げるのどかに、清美が不思議そうな顔をする。それから暫し考えて、はっ、と気が付く。

「心愛さんの担任をしております。鍋島のどかと申します。覚えていますか? 鍋島浩之の妹です」

 信じられないというようにして両手で口を押える清美。のどかは頭を下げたまま、じっと自分の靴の先を見ていた。


鍋島浩之≫が清美とのどかを会わせたのは、付き合い始めて三か月ほど経った頃だ。会わせようとして会わせたわけではない。のどかのやつがなんの連絡もなく俺のアパートにやってきて、合鍵を使い俺のアパートの扉を開けた清美と鉢合わせしたのだ。

 そして、俺の部屋でテレビを見たりゲームをしたり清美の作った料理を食べ、のどかは清美が帰ったあとの1Kでさんざん清美にケチをつけた。

「お兄ちゃん、あの人やめたほうがいいよ。絶対変だよおかしいよ」

「何が変なんだよ」

「だって、変だよ。あの人。何がってうまくは言えないけど……だって変なんだもん」

 人の彼女のことを変だおかしいやめたほうがいいって、お前のほうが何言ってるんだ、そんなに言うなら、お前ソファで寝ろ俺がベッドで寝るんだからと中二ののどかをベッドの上から蹴飛ばしたのだが、それ以降も、どうやらのどかは、清美のことを気に入ってはくれなかったらしい。

 清美が実家に来て一緒に夕食を食べるという時も

「えぇー、わたしやだー。外で友達とご飯食べてくる」

 俺が清美から誕生日プレゼントで貰った腕時計をしようものなら

「お兄ちゃんそれ変だよ。気持ち悪いよ」

 アパートの自室に二人で撮った写真を置こうものなら無言で伏せられた。

 そして俺は十四歳ののどかに言った。

「お前、失礼すぎるだろ。俺の彼女だぞ」

「だってあの人変なんだもん。お兄ちゃん騙されてるよ」

「お前の方が変なんだよ。気にしすぎだっつーの」

「気にしすぎじゃない!」

「じゃあ何が変なんだよ」

「だって変なんだもん!」

 大人ぶるくせに子供っぽさの抜けないのどかに俺は呆れて、そして清美に謝った。

「仕方がないよ。のどかちゃん、お兄ちゃんのことが大好きなんだね。お兄ちゃん取られちゃったみたいで悔しいんだよ。仕方がないって」

 あの時ののどかの「女の感」が当たったのかどうかはわからない。ただし、≪鍋島浩之≫が死んで、健一と清美が結婚し、一児を設けたのは確かだ。

 俺達は今いるのは1Kの≪鍋島浩之≫のアパートではなく、一軒家である加藤家のリビング。大きなテーブルを中心にして、緑色のソファに俺とライトとのどかが座る。向かい側に清美。真ん中に置かれたクッキーの皿と紅茶は、清美が用意してくれたものだ。

「それでは、心愛さんは四時頃に本屋に行くと言って出かけたんですね?」

 のどかの問いかけに清美が頷く。

「ええ……雨が降るよと言ったんだけど、どうしても欲しい本があるからって。なるべく早く帰るようにって伝えたのに」

「その後心愛さんから連絡は?」

「何も……普段からあまり連絡は取り合わないほうで……でも遅くなるときやどこかへ出かける時は必ず連絡をくれるから……」

 清美は細くて頼りない指先でマグカップを握り、俺とライトを見た。

「心愛は、小学校の時は活発で、友達も沢山いたの。でも、どうしてかしら……中学校になったらあまり誰とも遊ばなくなってしまって」

「その理由は?」

 これはのどか。清美は考え込むように睫毛を落とし、呼吸をした。

「……わからないわ。一度それとなく聞いたけど、つまらない、好きじゃないって。でも、最近は二人が遊んでくれるようになって、あの子の表情も少しずつ明るくなってきて……この間も一緒に出掛けたんでしょう?……だから今日も、一緒なんじゃないかと思ったの。何か聞いてる?」

 その問いかけに、俺とライトは顔を見合わせる。それから口を開こうとするのだけれど、教師の皮をかぶったのどかに「何も言うな」と視線だけで威圧されて、俺は口を閉ざす。

「……何も知らないです」

 俺の言葉に、ライトもクッキーを頬張ったままうんうんと首を振る。そして俺はわかる。清美は知らないんだ、自分の娘が国語教師と付き合っていたということを。

 のどかは軽くカップに口をつけ、それを置くと、

「加藤さん、心当たりは全て連絡をしたんですよね?」

「ええ……」

「旦那さんには?」

「健一は九州に単身赴任していて……もう二か月も帰ってないわ」

 健一。その言葉に俺の耳はぴくんと反応する。健一ね。わかってたけど、わかったさ。ただ、今の言葉で疑惑が完全に確信に変わっただけだ。

「それではもう少し待ってみて、それでも現状が変わらないようなら警察に連絡しましょう」

 のどかの提案に清美が頷く。頼りない顔だ。痩せていて、疲れていて、憔悴で今にも倒れてしまいそうだ。

「……のどかちゃん久しぶりね」

 ふと変えられた話題に、のどかが少し睫毛を揺らす。

「成績がいいのは知っていたけど、まさか先生になっているとは思わなかったわ。まさか、こんな素敵な女性になっているなんて。びっくりしたわ」

 のどかの成長に目を細める清美と対照的に、のどかの瞳はまるで降りしきる雨のように冷たくて真っ黒だった。そこに紅茶の湯気が映り込み、生気を宿す。のどかは右手でゆっくりをカップを持ち、ひどく平静な声で言った。

「……そうですね。あれからもう、十五年も経ちますから」

 十五年。

 その数字に、俺はクッキーに向けて伸ばしていた手を止める。下を向いたのどかの瞳と不安定に揺れる清美の睫毛。十五年前といえば、俺が事故で死んだ年だ。俺が事故で死んでから、決して相いれないらしい二人の間に、何かあったのか?

「なぁ――」

「なぁおばさんトイレ借りていい?」

 自分自身の立場も忘れてつい話しかけてしまいそうになった俺を食い止めたのはライトだった。その瞬間、俺は≪今≫の自分自身の名前と立ち位置を思い出す。

「いいわよ」

 という清美の声に立ち上がるライトに俺は感謝をしほっとする。ありがとうライト。お前の空気の読めなさとタイミングの良さには、本当に関心をするばかりだ。

 トイレの前に立ち、ライトの用が終了するのを待つ。あの、相性の良くないのどかと清美の間にいるよりは、ライトが用を済ます音を聞いているほうがまだ楽だというのが正直な感想。ライトの用の音をかき消すようにして外から響いてくる轟音を聞きながら、俺は考える。清美とのどかの仲がよくないのはまぁいい。とりあえず今は心愛だ。

 さて、心愛は一体どこに行ったのだろう。

 山田と一緒なのはわかった。しかし山田の家なんて俺は知らないし、山田は一年のときの国語の担当教師だったけど、ただ本当にそれだけだ。山田に関する情報なんて、俺の元には何もない。俺のスマホからココアにLINEを送ってみるのだが、何度送っても一向に連絡がつかない。既読くらいつけろよあほ。こんなの一体どうするんだよと俺が頭を抱えだしたところで、すっきりした顔のライトがトイレから出てくる。

「どうしたんだよテル」

「どうしたんだよじゃねーよ、ちゃんと手を洗ったのかよ」

「これから洗うよ」

 と洗面台で手を洗うライト。

「で、どうしたんだよ」

「どうしたのは俺じゃねーよ。ココアだよ」

「なぁ。あいつ、どこ行ったんだろうなぁ」

「知らねぇ。俺のとこに来たLINEの写真もこれ一通だけだし、他にはなんの手がかりもないし、山田と一緒にいるっつっても、あいつの家なんて知らねーだろ」

 ずるずると廊下に座り込んだままうーん、と頭を抱える俺。ライトは備え付きのタオルで手を拭きながら、ひどくきょとんとした顔でこう言った。

「Twitterは?」

「は?」

「だからTwitter。あいつ、Twitterやってるじゃん。アカウント二つあるだろ?」

 さも当然というような表情をするライトと、ぱしぱしと瞬きをする俺。そして俺はライトという存在の大切さに気が付いて、こいつの肩にパンチを入れる。

「なんだよ」

 なんてちょっと痛そうな顔をするけれど、お前が友達でよかったよ。ほんと、ライト様々だよな。


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