第一章 加藤心愛 21

『自殺旅行』が終わり、俺とライトは日常に戻る。

 衣替えをすると同時に定期テストが始まり、それが返された頃梅雨に入る。天気は雨。もしくは曇り。曇りのち雨のどれか。ココアの席は結局ずっと空席のままで、そこにクラスの誰かが勝手に座ったり蹴飛ばしたり好き勝手されていたのだが、俺もライトもココアと適当なやり取りをしていた。

『今日の給食なんだった?』

『カレーととんかつ』

『いいなー。わたしもカツカレー食べたい』

 じゃあ学校に来いよと思うのだけれど、俺もライトもそれを言わない。帰り道、しとしとと雨の降る橋の上、ココアの姿がないだけで俺もライトも安心なのだ。

 そして六月十一日。月曜日。

 その日は朝からずっと雨で、それどころか三日連続雨の日が続いていて、俺もライトも町全体がイライラしていた。『モーニングタイム』の週間天気予報も延々と雨マークが続いていて、俺のことをうんざりさせる。しかも本日の山羊座は十一位。

『友達の色恋沙汰に巻き込まれちゃうかも~ラッキーアイテムは、消火器でーす』

 消火器。消火器なんてそんな簡単に持ち運びできるようなもんじゃないだろう。

 こんな長雨、外に行けないからストレスが溜まるし洗濯物も溜まるしごみも溜まる。何でもかんでも溜まる一方で、出ていくのは金ばかり。溜まるのはいいことじゃない。ごみだってストレスだって性欲だってなんだって。帰り際、ストレスの爆発した三年生が口喧嘩からの殴り合いになり鼻血を出して教師たちに止められていた。

 雨は憂鬱だけれど、紫陽花の咲く道を歩くのはちょっと楽しい。傘を叩く水音はまるで軽快なドラムのようで、俺達を腕のいいミュージシャンに仕立ててくれる。濡れた葉の上からカタツムリが顔を出し拍手をする。いいお客さんだ。俺はショーの途中で、かつてココアと出会ったあの橋を見る。今日もいない。よしよし。

 ライトと別れて2DKに帰る。今日の真美子は夜勤だから一人きり。ホワイトボードに書置きが残されている。

『なんでもあるから自由に食べてね。宿題はすること! 美人のママより』

 はいはい。

 シャワーを浴びてコーヒーを入れて、リビングで頭を乾かしながらテレビをつける。津島花野。プリンス・ジャッキー。津島花野。プリンス・ジャッキー。他の話題ないのかよ。

 俺はテレビを消してスマホを開く。こういう時はゲームだゲーム、と思うのだけれど、そこでココアからLINEが来ていることに気が付く。


『やっほー。今日も 

 また雨だね。給食なん 

 だった?』


 俺はタオルで頭を拭きながら返信する。


『今日の給食はソフト麺とから揚げだよ』


 返信はすぐに来る。


『いいなー。わたしもソフト麺食べたいなー。そしたら』

『ルンルン気分になるのに』


『学校に来れば食べられるよ』


『たまにはお店でご飯食べたいよね。駅前にケーキ屋さんできたの知ってる?』

『すっごくかわいくておいしいんだって』

『結構お客さん入ってるらしいよ』

『👏』


 ココアの一方的かつどうでもいいLINEはいつものことだ。大体が『今日の給食何?』から始まり、ゲームのこととかコンビニの新製品とか色々。登校拒否のくせに意外とアクティブなココアは、新商品のお菓子や飲み物についてよく知っている。あんまり興味がないからちゃんと見てないけど。時々それに画像も備え付けられていて、本日は窓から見た風景。車の中にでもいるのか? 巨大な木々が風に靡き、「太平ハウス」と書かれた住宅展示場の看板にばしゃばしゃと雨が体当たりしているのが写真で見ても充分わかる。


『まるで世界の終わりみたい!』


 あー、そうね。


 俺はココアのどうでもいいLINEを適当に流してスマホをテーブルの上に伏せドライヤーで完全に髪の毛を乾かす。テレビの中では相変わらず津島花野とプリンスジャッキーが交互に出てたり一緒に出てたり、ずっとテレビを占領している。すごいなこいつら。出すぎだろ。真美子の顔なんて週の半分くらいは見ない日があるのに、真美子の顔よりも見てるぞ。

 この長雨で俺もちょっと疲れていて鍋焼きうどんも炒飯も作る気になれなくて、俺は戸棚の奥からスペシャルカップラーメンを取り出してお湯を入れる。カップラーメンはこの世で最も優れた発明の一つだ。お湯を入れて三分待つだけで世界中どこにいても楽しめる。

 プリンス・ジャッキーと津島花野は今話題の芸能人が司会をしているクイズバラエティに出演していて、今回の問題は「友人から送られてきたメール」。久しぶりに友人からメールが来た。内容は「俺にも漸く彼女ができて幸せ」という内容のものだったが、頭文字を縦読みすると「元カノに監禁されている助けて」となるという恐ろしいもの。

 出演者たちは揃って顔を強張らせていたのだが、俺は少し感心する。面白いなその話。なんて思いながらカップ麺の蓋を開けた瞬間家の電話がトゥルルルと鳴って俺のことを驚かせる。家の電話。滅多に鳴らないので忘れがちだが、うちには固定電話がある。

 俺は割り箸を持ったまま受話器を取る。

「もしもし? 辰巳ですけど」

『もしもし? テル、いるじゃん』 

 ライトだ。

「お前かよ。なんか用? ていうか、スマホにかけて来いよ」

『何回もスマホにかけたよ。でもお前全然出ないから、だから家電にかけたんじゃん』

 俺はテーブルに伏せておいたスマホを手に取る。ライトからの着信が十件。

「お前、しつこい」

『だってお前がなかなか出ないから……え? お前何か食べてる? 何食ってんの?』

「カップ麺」

 俺は受話器を持ったままテーブルに戻り、カップ麺をずるずる啜る。通話を切らなかったのは俺の優しさ。

「で、なんの用? 十回も電話かけてくるんだからよっぽど大変な用なんだろうな」

『あ! そうそう! まじやべーって、ほんと大変!』

「俺がカップ麺を食うことよりも?」

『話にならない!』

「切るぞ」

『切るなよ!』

 俺は本気で通話を切りそうになるけど、ぎりぎりのところでそれをやめる。

『加藤が家に帰ってないんだって!』

 はぁ?

「なにそれ。どういうことだよ」

『俺だってよくわかんないよ! ただ、うちの電話にココアの母さんから電話かかってきて!』

 清美から?

『出たのは母さんなんだけどさ。加藤が帰ってきてない、何か知らないかって電話来たって。ほら、うち商売してるじゃん? だからうちの電話番号も解ったみたいで。母さんにも聞かれたけど、俺何も聞いてないから、もしかしてテルんちにいるかもって』

 ライトの家は酒屋を経営しているから、家の電話番号は町中の誰もが知っているし、知らなくても調べれば一発だ。電話帳でもインターネットでも好きなだけ検索できる。

 俺はずるずるとラーメンを食いながら

「うちにも来てないし何も聞いてないよ」

『加藤に何回もLINE送ってるんだけど全然返事返ってこなくてさ』

「その辺ふらふら遊び歩いてるんじゃないの?」

『今雨めっちゃ降ってるぞ? そんな中遊び歩く女の子いる?』

 俺はカーテンを開けて外を見る。確かに雨は滅茶苦茶強いし、風もかなり吹いている。いくらココアとて、こんな天候で遊び歩いたりはしないだろう。

「いないかも」

『だろ? もう夜遅いしさ。加藤んちのおばさんも結構探してるんだけどなかなか手掛かりがないらしくて心配してるって』

 俺は時計を見る。十九時半。確かに心配かもしれない。

「でも手掛かりって言っても、俺のところにもそんな重要なLINE来てないよ」

『そうなの?』

「うん。来たのだって、給食がどうだとか駅前のケーキ屋がどうだとか……」

 俺はスマホを手に取り、ココアとのLINEの覆歴を見る。『給食はなに?』『ソフト麺食べたい』『駅前のケーキ屋が』……

「……ん?」

 俺は気が付く。何か引っかかる。これ、おかしくないか? なにかちょっとおかしくないか?

『え、何? どうかした?』

 電波の向こうでライトが動揺している。うるさいな、ちょっと黙れ。

 俺は固定電話の受話器を横に置き、スマホ画面をじっと見る。ココアからのLINE。



『やっほー。今日も 

 また雨だね。給食なん 

 だった?』


『いいなー。わたしもソフト麺食べたいなー。そしたら』

『ルンルン気分になるのに』


『たまにはお店でご飯食べたいよね。駅前にケーキ屋さんできたの知ってる?』

『すっごくかわいくておいしいんだって』

『結構お客さん入ってるらしいよ』

『👏』



 俺はテレビを見る。テレビの中では相変わらずプリンス・ジャッキーと津島花野が笑っているのだが、残念ながら俺は笑ってられない。





 ガタンッ!

『え!? どうかした!?』

 思わず立ち上がり椅子を倒す俺。電波の向こうから、ライトが驚いたような声を出す。俺だってびっくりした。鳥肌が立っている。嘘だろ嘘だろ嘘だろ!『まるで世界の終わりみたい』て、何言ってんだこいつ!

「切るぞ!」

 俺はライトの応答を待つことなく固定電話を切ってスマホから通話を掛け直す。

『なんだよ急に切って!』

「ココアが山田と一緒にいる」

『はぁ!? なんで!?』

「俺が知るか!」

 食べかけのカップ麺をそのままに、財布をワンショルダーに入れてそれを担ぐ間もライトとの会話は途切れさせない。

「今お前どこにいるんだよ!」

『家で飯食ってる』 

「早く出て来い!」

『どこまで!』

「ココアんちだよ! すぐに来れるだろ!」

 なんて玄関を開けた瞬間に突風が吹き荒れて、俺の心と開いた傘を折る。完璧にへし折る。傘なんて再生不能なくらい逆方向に折れている。握りしめているスマホからライトの声が聞こえてくるが、俺は玄関を締めることもできず、顔面に降り注ぐ雨を許容しながら途方にくれる。そして、その途方に暮れた先に誰かいることに気が付く。女だ。パンツスーツを着た背の高い女。

「辰巳くん」

 俺は女の顔を見る。のどかだ。

「……鍋島先生?」

 額に張り付いた髪の毛を指先でどかし、のどかが頷く。

「聞きたいことがあって伺ったんだけど。出かけるの? こんな時間に? ご両親は?」

 俺は壊れた傘を持ったまま、吹き込んでくる雨風を顔面に受けながら答える。

「母さんはいないよ。夜勤。センセーこそ、何の用?」

 保護者が不在、という状況に、のどかは少しばかり躊躇したように表情を強張らせた。それから少し考えて、決意した表情で言った。

「加藤さん、まだ家に帰っていないみたいなの。あなた達、最近加藤さんと連絡取っているんじゃないかと思って」

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