第一章 加藤心愛 12
あれほど死にたい自殺してやりたいと掲示板に書き込んでいたココアだが、いざ俺から提案をされると少し困った様子を見せる。『自殺志願者交流版』のおどろおどろしい画面を開いたまま右往左往に視線を漂わせ、固まっている。
そこで、ココアに風穴を空けられたまま突っ立っていたライトが動きを見せる。
「おい、お前何言ってるんだよ」
「だから、こいつが自殺自殺うるさいから、一緒に死んでやろうと思って」
「だから何言ってるんだよって。加藤が死にたいって書き込んでるからって、本当に死にたいと思ってるわけないだろ?」
「なんで本当に死にたいと思ってないやつがこんな本持ってるんだよ。死にたいと思わないやつはこんな本買わないよ」
と、ライトの鼻先に本の背表紙を突きつけてやる。どうやら、『自殺大百科』を生理的に受け付けないらしいライトは、う、と胃液を呑み込むように一歩引いて、それからまだマウスに手をかけたまま固まっているココアに話を振る。
「おい、加藤。加藤もそうだよな。別に本当に死にたいわけじゃないよな?」
ライトの訴えるような必死な問いかけに、ココアが少し俯く。それから軽く唇を噛んで、決心したように顔を上げた。
「……わたし、する! 辰巳くんと、自殺する!」
両手を握りしめ高々と宣言をしたココアと対照的に、ライトの瞳から光が消える。絶望、そして脱力。がっくりとその場に座り込んだライトの背中を、俺は軽く叩いてやる。ドンマイライト。今日、獅子座一位だったんだけどな。
そしてそれから『一体いかなる方法で自殺するのか』という話になるのだが、これがなかなかココアが細かい。『皆に迷惑を掛けるのは嫌』『痛くて苦しいのは嫌』『見苦しいのは嫌』『みっともない死に方は嫌』自殺、というか死に方なんていうものは大体どれも痛くて苦しいしみっともないし死んだら皆に迷惑が掛かる。
「だからその一番いい方法を考えてるの!」
はいはい。
俺達は丸テーブルを囲み色々意見を出し合うのだけど、これがなかなかうまく行かなくて俺とココアはすぐに口論になる。
「焼死と轢死は絶対やだ。焼死は熱くて死ぬまで時間がかかるし、轢死だって下手すれば体半分になっても意識あるって言うじゃない」
「そんなこと言ったら首吊りだって首吊った瞬間全身の筋肉が緩んで糞尿垂れ流しになるっつーじゃん」
「汚いこと言わないでよ」
「自殺に綺麗も汚いもあるかよ」
ライトは言い合う俺達を少し遠巻きに眺めていたのだが、恐る恐る挙手をして発言許可を求めてきた。
「あのぅ……」
「どうしたライト。トイレはあっちだぞ」
「廊下出て右だよ」
「トイレじゃないよ。……あのさ、自殺って本当にするの?」
「まぁ、その予定」
「……え、どこですんの? 家? 学校?」
ライトの疑問に俺とココアは首を傾げて顔を見合わす。
どこでするの? そういえば、どこでしよう。
家は絶対駄目だ。家族に迷惑がかかるし、準備の途中大きな物音を立てて家族に見つかりでもしたら、もう二度と自殺なんてさせてもらえなくなる。
学校はココアが嫌がる。
まず人が多すぎるし、見つかるリスクも高すぎる。
「ていうか、そんな最期の一瞬を学校なんて世界で一番嫌いなところで過ごすくらいなら、わたしは百歳まで健康に生きる」
なんてテーブルを叩いて熱弁するココアにじゃあ百まで生きろよと思うのだけれど、これはあくまで『どうやって自殺をするか』という話し合いなので『生きる』カードは仕舞っておく。
我儘ばかりのココアに俺は少しばかり疲れてしまい、マカロンクッションを枕代わりにカーペットの上にごろりと寝転んだ。
「じゃあお前、一体どうしたいんだよ」
「だから! 最初で最期なんだから、綺麗な夜景を見ながらとか……」
「お前死にたいんだろ? 死ぬのになんでそんな旅行に行くみたいな……」
そこではた、と気がつく。旅行。今日の山羊座のラッキーアイテム旅行雑誌。
突然ワンショルダーの中を漁り始めた俺のことをココアとライトが不思議そうに見ている。旅行雑誌「るぶぶ」ちょっと古い。だってこれ、去年の夏休み特集号だし。
ここまでラッキーアイテムを持ち歩いている俺のことをライトは呆れた目で見てくるのだが、ココアは興味深々らしく、瞳を輝かせて読んでいる。確かに女の子にとっては魅力的だろう。『輝く夏! これが噂のデートスポット』とか『水の中でセクシーアピール! 彼のハートをがっちりキャッチ!』なんてキャッチフレーズ、死にたい人間が見るものじゃないけど。
それをパラパラと見ていたココアが、とあるページで指を止める。
「……ここ」
「え?」
「ここ、ここがいい。ここに行きたい」
つんつんとやたら積極的に押すそのページを、俺とライトで覗き込んで、それからお互いの顔を見て、声を合わせて言った。
「……瀬の島ぁ?」
瀬の島は神奈川県照南海岸に浮かぶ小島だ。海が綺麗で、夏になると家族連れカップル波乗り野郎が数多く出没する。というか十五年前は≪
なんて俺達の思惑も空しく、ココアの意識はすでに瀬の島に注がれていて、「どこ行こう」とか「このご飯美味しそう」とか「イルカショー見たい」なんて呟いている。
自殺するんじゃなかったのか、というような表情でココアを見つめるライトに、俺は首を振る。仕方がないよ。清美も健一も、思い込んだらこう、だったから。
場所も決まったことだしじゃあいつ行くんだよという話になったところで、ライトの母さんから早く帰れと電話がくる。
『頼人! あんたいつまでほっつき歩いてるんだい!? え!? 今友達の家!? あんたまた輝大くんに迷惑かけて! は!? 輝大くんの家じゃない!? じゃあ誰の家なんだい!』
ライトのやつ、なぜかスピーカーにしていてライトの母親のでっかい声が丸聞こえになる。スマホを耳に当てたままココアの部屋をうろうろ歩き回りながら母親と会話するライトの姿は滑稽だ。
「だからさぁ~今日はテルだけじゃなくてぇ~」
『お生言うんじゃないよ! この末息子!』
なんてでっかい声の後ろから『ねぇねぇばぁちゃん、らいくんは? らいくんはいつかえってくるの?』『ばあちゃん、らいくんのおかずたべてもいい?』ていう甥っ子たちの声や更に『頼人帰ってこねーんだったらお前のベッド今日は俺が使うからな』っていう兄弟の誰かの声が聞こえてきて清水家は本当に騒がしい。遠くの方から聞こえてきた『ピギャー』という赤ちゃんの泣き声を合図に
『じゃあさっさと帰っておいで! 締め出すよ!』
ブチッ!
通話を終了させた音までばっちりこちらに聞こえてきた。俺はもう何度もライトの母親に会っているので、相変わらずすげぇな元気だなくらいにしか思わないのだけれど、おとなしい清美を母親に持つココアにはライトの母親の迫力だとかパワーだとかがすごい衝撃的だったらしく、目を白黒させていた。ライトは
「大げさなんだよ母さんは!」
なんて怒っているけど、時計の針はすでに十九時を回っている。中学生が出歩いていていい時間ではない。
バタバタバタと転げ落ちるように階段を降りると、夕食の支度をしていたらしい清美が台所から顔を出す。
「あら、帰るの?」
「帰ります。お邪魔しました」
「よかったら夕食を食べて行ったら?」
清美の後ろ、ガス台の上に鍋が見える。作り始めようとしていたのか、大根や人参がそのままの状態でまな板の上に乗っている。
俺は大慌てで靴を履こうとしてこけているライトを横目で見ながら、
「すいません、あいつ、早く帰ってこないと締め出されるって母親に言われたらしいんで。俺も失礼します」
と言って頭を下げる。
エプロンをかけた清美は、あらあら、と残念そうに右手を頬に当てた。
「そうなの、残念ね。でも、また遊びに来てね。あの子の友達が遊びに来るの、小学校以来だから」
ふぅん。
清美と話している俺のことを、靴を履き終わったライトが呼ぶ。その横でなぜかココアが睨みつけるような表情をしているので、俺は少々焦る。
「それじゃあ、また」
と言って一礼し、俺はライトの後を追いかける。玄関の戸を閉める途中、一度後ろを振り向くと、エプロンをした清美が笑顔で俺たちを見送ってくれている。
なぁ清美、お前、料理できるようになったんだな。俺と付き合ってたときは、卵焼きもうまく焼けなかったのにな。
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