第一章 加藤心愛 10
正直俺はココアから濃厚なオタクの香りというかかなりマニアックなものを感じていたのだが、ココアの部屋に入った瞬間その予感は確信に変わる。
ふかふかのベッドとその上に置かれたテディベア。女の子の象徴みたいなマカロンクッションとレースのカーテンはまぁいい。問題はその、女の子の部屋丸出しのそこに置かれた大きなテレビと、そのテレビ台に収納された大量のゲームソフトとゲーム機。ノートパソコンの画面はつけっぱなしで、大きな本棚には漫画、ライトノベル、ゲーム攻略本が鮨詰めだ。そのオタクっぷりに俺はちょっと引くのだけれど、慣れない「女の子の部屋」にライトは緊張しているらしく、どこを見たらいいのかわからないというようにきょろきょろしている。まぁ正直どこに座ったらいいのかわからないよななどと思っていると、「適当に座りなよ」とココアが言う。中央に置かれた丸テーブルを囲んで着席すると、ココアが持っていたコンビニの袋からジュースを三本取り出した。
「何が好きかわかんなかったから適当に買ってきたけど、どれがいい?」
俺はコーラ、ライトはカルピスソーダを選ぶ。いくらだったと俺が聞くと、
「別にいいよ。これ、マルコシで借った98円のやつだし。この間のお礼」
なんて言うから甘えておく。
「ごめんね。飲み物買ってきてた。もう少し遅いかと思ったら、意外と早かったね」
「いや、こっちこそごめん。ちゃんと連絡しておけばよかった。なぁ、加藤んちの母さんて奇麗だな。それに若いし。うちの母さんとは全然違う」
なぁ、なんてライトが言うから、俺もそれに同意しておく。正直三十九歳の清美よりも三十三歳の真美子のほうが全然若いのだけれど、友達の親はとりあえず褒める。貶さない。これは大人としてのやり取りだ。ライトの母親の年齢は知らないけれど、真美子や清美よりは十歳以上は上だろうし太っているから、そんな母親を持つライトから見れば、清美も真美子も若くて奇麗に見えるのだろう。
でもココアは炭酸グレープのペットボトルに口をつけたままひどく不機嫌そうな顔をする。ぽんっ、と勢いよく唇を尖らせると
「全然。頼りないだけだよ。わたし、清水くんちのお母さんの方が素敵だと思う」
ライトが不思議そうな顔をして俺を見る。さぁ、なんでだろうな。
それから少し話して、ココアによるゲーム教室が始まる。昨日も思ったことだが、ココアはゲームがうまい。びっくりするほどうまい。俺も決して下手なほうではなかったが、それでもココアには勝てないと感じるくらい、うまい。
大きなテレビ画面の中、ライトのアバターが一撃で地べたを舐めたことを確認し、俺はテレビ台に並べられたゲームソフトに目を向ける。数が多い。そして種類が豊富だ。スーパーファミコンなんて久しぶりに見た。
「なぁ、これ、まだ遊べるの?」
俺の問いかけに、画面から目も話さずにココアが答える。
「遊べると思うよ。もう何年も使ってないからわかんないけど」
「へぇ」
「辰巳くん遊びたい? これ終わったらやる?」
「いや、いい」
生き返ったライトがまた死んで悲鳴を上げる。本当に弱いなこいつなんて思いながら、ボックスに並べられたソフトとカセットを確認していく。
マリコカート。ドンキーホンブ。スーパーマリコシスターズなんて、何十時間遊んだかわからない。一つ一つ指先でなぞりながら思い出に浸っていたのだけれど、俺はふと、カセットの横に書かれている名前に気が付いて、指を止める。そして、その一つを取り出し、まじまじと眺め、ココアに問う。
「なぁ加藤」
「なぁに?」
「これ、お前の父さんの?」
「そう」
「お前のお父さんて、婿養子か何か?」
「違うよ」
「カセットに書いてある名前違うじゃん」
「ああ」
そこで漸く、ココアが俺の方を見る。
「それ、パパの。パパが昔、友達からもらったんだって」
昔懐かしいスーパーファミコンの、でっかいカセット。ミミズが這ったような汚い字ででっかく名前が書いてある。
『なべしまひろゆき』
それを手にしたまま固まっている俺に、ココアが追い打ちをかける。
「うちのパパ、健一、っていうの」
声が震えそうになるのを堪えながら、へぇ、と一言返す俺。
健一。加藤健一ね。
正直健一がココアの父親だろうという予想はついていた。というか、表札に書いてあった。予感が確信に変わっただけ。だけど正直、健一と清美が結婚していたという事実は俺にとってそれなりにショックでもあった。
加藤健一は、
高校一年の時に同じクラスになって、そこからつるむようになった。喧嘩もしたし一緒に授業をさぼって怒られたりもした。俺も健一も身長が高くて、一緒にいると楽しかった。大学は別だったけど、しょっちゅう連絡を取り合っては遊んだ。社会人になってからは学生の頃よりそんな頻繁ではなくなったけど、それでも他の同級生よりは密に連絡を取り合っていた。清美と付き合いだしたとき、健一には最初に報告した。三人で一緒に飯を食ったこともあるし、そこに当時の健一の彼女が加わったこともある。顔も覚えてないけど。
清美と付き合いだしたとき健一は勿論祝福してくれたし、それに関わる俺の愚痴だとか相談だとかを一番聞いてくれたのも健一だった。
俺は勝手にココアの学習机の椅子に座り、ゲーム画面に釘付けのココアの後姿をじっと見る。加藤心愛。言われてみれば似ている。眉毛や唇の形は健一そっくりだし、横顔なんて清美そのものだ。昨日俺の部屋で感じた違和感はこれだ。俺の心は、加藤心愛に健一と清美を感じていたのだ。
その、清美そっくりの後姿に、俺はしみじみと時間の流れを感じる。≪
「どうしたの辰巳くん、そんな顔して」
「べ、別に」
「トイレだったら廊下出て右だよ」
トイレじゃねーよ。
また新しい任務に取り組み始めた二人を尻目に、俺は本棚に目を走らせる。『スーパーマリコシスターズ大攻略』『ゼロダの伝説のすべて』『トロネコアドベンチャー大辞典』随分古いものもある。この濃厚なマニア臭は間違いなく健一の血だ。清美はゲームだとか機械だとかそういうものが大の苦手で、だからこそレジを扱うのに苦労していた。本の種類はゲーム以外にも多岐に渡る。漫画。ライトノベル。童話。小説。文庫。村上春樹。ハムレット。ロミオとジュリエット。へぇ、こいつシェイクスピアなんて読むのかと感心するが、そのすぐ隣に『誕生日大全』『血液型運命辞典』『オカルト大百科』が並んでいて、俺のことを真顔にさせる。DVDも阿保みたいに並んでいる。『バックトゥザフューチャー』『E.T』『ゴースト・バスターズ』なんて懐かしいな。なんて思いながらパッケージを手に取ると、その横にあった本が一緒にばさばさ落ちる。結構な音を立てて落ちたので、ゲームに夢中になっていたココアとライトも一緒に振り向く。
「ごめん!」
散らばった本を慌てて広い集める俺。そしてそれを手に取り、思わず動きを止める。
『自殺大百科』『誰でも簡単にできる自殺の本』『集団自殺~みんなで楽しくこの世を去る』
固まったまま動かない俺を不審に思ったココアが立ち上がり、落ちて散らばった本に気が付く。ライトに至っては「うわっ」なんて悲鳴を上げていた。
俺は、その本を抱えたままぎりりりりと油の切れたロボットみたいな動きでココアを見る。ひどく強張った表情で下を向くココア。おいココア、お前のその顔、隠し事がばれたときの健一そっくりだな。
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