第一章 加藤心愛

第一章 加藤心愛 1

 俺の友人の加藤健一かとうけんいちは昔から漫画とかゲームとかライトノベルとかいうのが好きで、学生が異世界へトリップをし勇者になったりお姫様と恋に落ちたりするようなものを頻繁に読んでいたそいつを俺はよく馬鹿にしていたのだが、今の俺はその行為を悔やんでならない。

 俺はどうやら転生したらしい。しかも、前世の記憶を持ったまま。

鍋島浩之なべしまひろゆき≫は二十四歳のクリスマス・イブに駅前で恋人の清美を待っている途中、トラックに跳ねられて死んだ。その一年後のクリスマス・イブ、≪鍋島浩之≫は≪辰巳輝大たつみてるひろ≫として生まれ変わった。らしい。多分、きっと、恐らく。

「あんたはねぇ、三歳の誕生日頃まで、本当に全然しゃべらない子だったのよ。それが突然、おねぇしゃん、だぁれ? なぁに? なんていうものだから、びっくりしちゃった」

 中学二年生になった≪辰巳輝大≫の背中を見ながら、真美子が言う。

 辰巳真美子たつみまみこは、二十歳で≪辰巳輝大≫を産んだシングルマザーだ。背は高くないけど胸が大きくて童顔で、笑うと八重歯がきらりと光る。地元の病院で看護師として働いているのだが、ちょっとしたジョークかコスプレみたいに見える。でも気が強くて短気だから、真美子に手を出そうとする患者の九割は股間を蹴られてコテンパンにされている。

 家賃三万五千円の2DK。そこが俺と真美子の城だ。

 毎朝冷蔵庫から冷たい食パンを取り出して、バターを塗りたくり、チーズを乗せて放り込むのは俺の仕事。保育園を卒業する辺りまでは真美子がやっていたのだが、俺に火の扱いの許可が下りると同時に、朝食の用意が俺の仕事になる。

「何? なんの話?」

 エプロンもつけることなくじゃばじゃばとトマトとレタスを洗いながら、俺。あと胡瓜。『朝食には必ず野菜とタンパク質』と言い出したのは真美子なのに、そのくせ全く手を貸さない。

 全てを俺に任せて、真美子はテーブルで新聞を読みながらテレビを見ている。飲んでいる紅茶は勿論俺が淹れたもの。

 40インチの画面では今度放送するらしいドラマの宣伝をしていて、長い髪をした俺より少し年上の女の子がインタビューを受けている。

『……津島花野つしまかのさん、このドラマに掛ける意気込みなどをお聞かせ頂けますか?』

『……そうですね、この作品は私にとって――』

 チン、と焼き立てを告げるトースター。適当に盛り付けたサラダを真美子の前に置くと、真美子はそれにマヨネーズをぐるぐるとかけた。

「知ってる? この子、五歳くらいの時からずっとテレビに出てたのよ。天才小役って言われてすごくかわいくて頭が良くてね。それがもう高校生でしょ? あんたもね、小さい頃は天才って言われてたのよ。三歳くらいまでは全くしゃべらなかったけど、そのあと急に言葉覚えて話し始めたし。漢字覚えるのも九九覚えるのも早かったし。覚えてる? 保育園の頃、四歳でちょうちょ結びできるのクラスであんただけだったのよ? 二十歳過ぎたらただの人っていうけど今は……」

 少し焦げたチーズトーストを皿に乗せ、差し出すと同時に着席する。

「俺、二十歳じゃないよ」

「わかってるわよ。ま、天才じゃなくても背が高いわけじゃなくとも大きな怪我も事故もなくここまで育ったわけですし? 母さんは大大満足です」

「よろしい」

 そう言ってチーズトーストに齧り付く俺。チーズが少し焦げるまで焼くのは俺のこだわり。わざとチーズを伸ばして食べる俺のことを行儀が悪いと咎めるけれど、真美子だって足を組んで新聞を読みながらテレビを見ているので人のこと言えない。

 かつて180センチを超える高身長を誇った≪鍋島浩之≫と違い、≪辰巳輝大≫は昔からずっと小さい。常に平均身長を下回っている。「大きくなるだろう」と見込んで購入した学生服も、未だ手足が有り余っている。

 画面いっぱいに映っていた津島花野から画面が切り替わる。数人のキャスターが椅子に座り、夏頃公開する津島花野主演の映画についてコメントをしている。

『津島花野さんと言えば5歳の頃に出演した映画“love again”が有名ですね。それ以降も様々な映画やドラマに出演してきましたが、主演作は初めてということで……』

『“love again”のときは小さく愛らしかった津島さんももう十七歳ということで、しかもあの宮塚学園高校に通っているという……』

『SNS上では、津島さんは前世の記憶があるんじゃないかなんて噂も……』

「前世の記憶だって。馬鹿じゃないの。生まれ変わりとか前世とか、そんなものあるわけないのに」

 真美子は鼻で笑うようにしてそう言うと、テレビ画面左上に表示されている時刻を見て飛び上がった。

「やだ! もうこんな時間じゃない!」

 飲みかけの紅茶をそのままに、洗面所に駆けていく真美子。もう三十路を過ぎているのに大人げない。

 真美子が洗面所で歯ブラシをしたり顔を洗ったりわーわー一人で騒いでいる音を聞きながら、俺はチーズトーストとサラダを食べきって、紅茶に舌鼓を打つ。

 真美子は俺に前世の記憶があることを知らない。

 俺は誰にも言っていないし、これから先も誰に言うつもりもない。

 テレビ画面が切り替わり、今人気の若手占い師が出てくる。『プリンス・ジャッキー』背が高くてイケメンで金髪碧眼の、女が好きそうな顔をしている。というか実際人気があって、クラスでもジャッキーの載った雑誌を開いてはきゃーきゃー黄色い声を上げていた。津島花野とプリンス・ジャッキーはほぼ毎日顔を見る。それこそ、実は知り合いなんじゃないかと錯覚してしまうくらいに。

 タロットカード占いを主流とする彼の特集が終わり、画面一体をかわいらしいデフォルメされた動物たちが占領する。俺が待っていたのはこれだ。

『モーニングタ~イム! 星座占い~』

 ぷっぷー、という笛の音を合図に一斉に走り出す星座たち。途中で魚座が転んだり双子座の足が絡まって山羊座に追い抜かされたりしながら、結局牡羊座がテープを切る。

『パッパラ~一位は牡羊座のあなた~懐かしい人と再会するかも~! ラッキーアイテムはクマさんのマスコットです~』

 俺の山羊座は途中で転び抜かれては追い抜いてまた抜かれて、六番目というなんともぱっとしない順番でゴールする。

『六位は山羊座~運命を変える出会いがあるかも! ラッキーアイテムは、傘で~す!』

 傘。折り畳み傘でもいいのかな、なんて考えていると、出かける直前の真美子が廊下から顔を出す。

「あんた、また占いなんか見てるの? 本当に好きね、それ」

「別に好きなわけじゃないよ」

「でも毎日見てるでしょう?」

「うん。だって当たるんだ、マダム・パンドラの占いって」

 俺の主張に、怪訝な顔をする真美子。嘘じゃないよ。俺、マダム・パンドラの占い馬鹿にして、一度死んでるからね。




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