第一章 加藤心愛 2

 二度目の中学生生活はだるいけれどそれでもなかなか面白い。

 昔と変わったことは、携帯電話の普及とか(例に漏れず母子家庭の俺も携帯電話を持たされている)週休二日になっていたりとか(今の子供たちは半ドンという言葉を知らないらしい)そういうこと。

 逆に変わっていないことは、制服の色と、田んぼの風景。

 俺の通う県立勅使河原てしがわら中学校は埼玉県のド田舎にある。見渡す限り広がる田園風景はいかにも風情ありますという感じではあるが、夏は暑いし冬は寒いし春はやたらと風が強いし、正直いいところはあまりない。静かだ。聞こえるのは虫の声、風が葉っぱを擦る音、水のせせらぎ。時折電車の走る音が風に乗ってやってくる。そしてはしゃぎ声。中学生達は、そんな田んぼに囲まれただだっぴろい畦道を自転車で駆け、歩き、学び舎に向かう。

 俺はまた、一度目の人生と同じ中学校に通っている。

 俺の知らない間に少しばかり改装が行われたようだが、年季の入った木製の下駄箱は相変わらずだ。簀子に乗って上履きに履き替える僕の背中を誰かが叩く。

 清水頼人しみずらいとだ。

「テル、おはよう」

 清水頼人は一年の時からのクラスメイトだ。「頼人」と書いて「ライト」と読む。最初聞いたときはよくあるタイプのキラキラネームだと思ったが、よくよく考えてみれば俺だってそんな人のことを言える名前じゃない。「輝大」なんて、いかにも光り輝いてますっていうくらいキラキラしてる。

 ライトは背が高くて手足が長くて、いかにも現代っこという風貌の少年だ。でもその実五人兄弟の末っこで毎日毎日家に帰れば兄と姉にいじめられていて、一人っ子である俺のことをいつもうらやましいと言っている。

「どうしたのそれ」

 俺の左手に握られたビニル傘を見て、ライトが不思議そうな顔をする。そりゃあそうだ。五月十五日、天気は全国的に晴れ。朝から晩までお日様マークがついている。今現在この勅使河原市を覆う空全体はため息をつくほど真っ青で、そこを時折真っ白な雲でできた鯨が泳いでいく。全く優雅なものだ。

 玄関の濁った扉ガラスから空を眺め、ほう、とひとつ息を吐き、俺はライトに言ってやる

「お守り」

「モーニングタイムの?」

「そう。山羊座、六位だった」

「よく当たるんだってな。姉貴がいつも見てるよ。聞いてもないのに教えてくる。俺獅子座。今日八位だって」

「微妙だな」

「そう。一番でもビリでもない微妙な位置。なんだっけ、確か……『頭上に気をつけて!』だったかな」

 ぼふんっ。

 ライトが教室の扉を開けた瞬間、ライトの髪の毛が真っ白に染まる。コフコフと舞い上がるチョークの粉に、俺は『マダム・パンドラ』の力を思い知る。

「ちょっと清水ー、あんた、何先に被ってくれちゃってんのよー」

「そーそー。折角用意してたのに」

 机の上に座りにやにやと笑う女の子たちのスカートは超短くて見てくれとばかりにパンツが丸見え。でも二十四歳の意識を持つ≪辰巳輝大≫はそんな子供のパンツになど興味はない。純粋な中学生として生きているライトは、丸見えのパンツたちに少しばかり躊躇したようだったが、それよりも驚きと怒りが勝ったらしい。

「なんだよこれ!」

 ライトの怒声と対照的に沸き上がったのは嘲笑だ。清水頼人は背は高いけど細身だし、優しいし、どんなに怒っても文句を言ってもいまいち迫力がないのでどうも見下される対象にある。

「いやさぁ。担任が変わるっていうから、ちょっとご挨拶してあげようと思って」

 これは川辺苺かわべいちご。九月生まれなのに苺らしい。お化けみたいに長く伸ばした前髪をハイビスカスで結っていて、話すたびに真っ白なそれがゆらゆら揺れる。

「若い女のセンセーらしいよ。私たち、センセーと仲良くしたいからさぁ」

 パンツが丸見えのことなど気にもせず机に乗ったまま足をばたつかせる西本希来里にしもときらりのほっぺたにはいつも熊のシールが貼ってある。謎だ。

 ライトは丸見えのパンツにちらちら視線を投げつつも、それ以上にチョークの粉塗れになった制服のほうが気になったらしい。

「だからってさぁ、こんなのただのいじめじゃねーか」

 なんていうライトの精いっぱいの非難は西本と川辺には届かず笑って聞き流される。

 すっかり怒る気を失くしたらしいライトは、席に到着する早々制服を脱いでジャージに着替え始めた。

「用意いいな。今日体育ないじゃん」

「ないけど。昨日持って帰るの忘れた」

「汚くね?」

「チョークの粉よりまし」

 うちの学校のジャージの色は赤、青、緑の三色で、今俺たちの色は赤。別名えんじ、もしくは芋。≪鍋島浩之≫として通っていた時もこれと全く同じものを着ていた。えんじ色で、袖と足に入った三本ラインは田舎の象徴だ。

 俺の席はライトの後ろ。廊下側の端っこ。ごそごそと乱暴に脱いでは着ているライトのことを、西本と川辺が笑って見ている。ひどいものだ。

 ライトが完全に着替えを終えて粉まみれで白くなった制服をロッカーに押し込んだ辺りで、学年主任がやってくる。

「川辺ー、西本ー、机に座るな椅子に座れー」

「はぁい」

「清水ー、お前どうして朝からいきなりジャージなんだー」

「雪に降られたからでーす」

 やけくそ気味のライトの切り返しに、教室中が沸く。ライトは馬鹿でお調子者だけどこういう返しができるから人気があるんだ。

 ふてぶてしく椅子に座るライトの姿になにを思ったのだろう、大槻学年主任はため息ついでにでっぷり太った腹を揺らし、言った。

「日直、号令」

 大槻巌おおつきいわお教諭は五十過ぎの中年の教師で、二年生の学年主任だ。背が低くてそのくせ全身にでっぷりと肉がついていて眼鏡をかけている。例えるのなら熊かパンダ。この人は、もう二十年以上前からずっとこんな風貌だ。

「あー、お前ら、担任の山田先生が休職したっていう話は知ってるな?」

「センセー、山田チャンが生徒に手を出してクビになったって本当?」

 これは川辺。大槻教諭は川辺の発言を無視すると、

「山田先生の代わりに新しい先生が来てくださった。鍋島のどか先生だ」

 鍋島のどか?

 突然飛び込んできたその名前に、あくび交じりに半分寝ながら聞いていた俺の頭は、思い切り殴られたように覚醒する。

「皆さん初めまして。鍋島のどかです。よろしくお願いします」

 今朝見たマダム・パンドラの占い。六位は山羊座。意外なところで意外な人と再会するかも。

「十五年前はこの学校に通っていました。どうかよろしくお願いします」

 そう言って笑う鍋島のどかには、俺の知っている「のどか」の面影しかなくて。

 これだから侮れないんだよ、マダム・パンドラの占いっていうのは。



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