18・電話ボックス
手順はちゃんと覚えた。
必要なものは手に入れた。
私は、手の中に握り締めた10円玉を何度も確認しつつ、その電話ボックスに向かう。
時刻は真夜中。丑三つ時……と呼ばれる時刻だ。
墓地の横にあるその電話ボックスに行き着き、私は、恐る恐るドアを開き、中に入った。
緑色の電話ボックス。ぼんやりとした明りに照らされたそれを、じっと見詰める。
噂は、本当なのだろうか。
私に噂を教えてくれた人を思い出す。
泣いてばかりの私の肩を抱いて、彼女は諭すような口調で言った。
分かる? あの墓地の入り口横にある電話ボックスよ。
そう、そこに真夜中に行くの。丑三つ時丁度が一番いいわ。
必要なものは、10円玉。相手が生まれた年の10円玉よ?
それを使って、電話するの。
私は腕時計で時間を確認する。
時報で合わせてきた時計。
丁度、十秒前。
私は受話器を取ると、10円玉をコイン投入口から入れた。
がちゃん、と、落ちる音。
私は震える指でボタンを押した。
彼の電話番号。
彼の――。
呼び出し音が鳴った。
一度、二度。
腕時計を見る。
秒針が進み、丑三つ時を示す。
がちゃり、と、電話が取られた。
『はい?』
私は呼吸が止まるかと思った。
彼の、声だ。
涙が溢れてきた。
私は震える声で彼の名を呼んだ。
「私……私だよ…」
ああ、と彼が笑った。
『元気だったか?』
生前と変わらぬ声で、彼は私を気遣ってくれた。
彼。
私の一番大好きな人。
なのに、あっさりと死んでしまった。
明日会おうね、と約束したその夜に、車に撥ねられて帰らぬ人になった。
墓地横の電話ボックス。
必要な手順を踏んだのなら、死んだ人と会話出来ると言う噂の、電話ボックス。
私は、彼ともう一度話をしたかった。
言いたい言葉は沢山あった。
伝えたい言葉を沢山考えていたのに、何も言葉にならなかった。
泣きじゃくる私の耳に、彼の言葉が伝わる。
『ゴメンな』
彼は謝罪した。
『一緒に遊びに行けなくて、ゴメンな』
「…謝らないで」
『でも、約束破ったんだよな、俺』
私は強く首を左右に振った。
そんな事はどうでもいい。
なぁ、と、呼びかけてから、彼は私の名を呼んだ。
『本当に…急でゴメンな』
「……急だよ…ホントに…」
『こうなるって分かってたら、もっとちゃんと、お前と一緒に過ごすんだったな』
「もう遅いよ…」
『…うん』
彼は哀しげに呟いた。
『ゴメンな。…もう、一緒に居られないで』
「一緒に居れないの?」
私は思わず叫ぶ。「幽霊でも何でもいいよ、傍に居てよ」
『そう……出来たらなぁ』
彼は寂しげに言った。
『でも、俺、お前の事が一番好きだから。
死んだって変わらないから』
「嫌いになってもいいから、生きてて欲しかった」
ゴメン、と彼は謝った。
『元気でやってくれよ? 俺の分まで生きるつもりで、頑張ってくれよ』
「………それが、貴方の望み?」
『うん』
私は涙ながらに頷いた。
音がする。
まもなく通話終了を伝える音。
電話は一回きり。二度と、彼と話せない。
「大好き」
私は必死に伝える。
「大好き」
私は繰り返す。
「どんな姿だって、貴方が大好きだから」
通話終了を伝える音の狭間に、彼の、本当に嬉しそうな笑い声が聞こえた。
『ありがとう』
『俺も、お前が一番、大好きだ』
電話は、その言葉を最後に、切れた。
私は受話器を握り締めたまま、馬鹿みたいにぼろぼろと泣いていた。
「大好き……大好きだよぉ……」
もう声を伝えてくれない受話器に、私は必死で言葉を向ける。
墓地横の電話ボックス。
死を迎えてしまった愛しい人と、最後の会話を交わせる場所。
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