17・棺桶職人。その参。
何月だったろうか。
真夏だと言う事は覚えている。蝉が五月蝿いぐらいに鳴いていたのだから。
ただ、何月の何日かは覚えていない。
まるで逃げ水のように、ぼくの記憶からゆらりゆらりと逃げ出す思い出だ。
夏期講習に向かう途中、ぼくは、道路で猫の死体に出会った。
車に轢かれたのだろう。
胴体部分を両断された猫。
両断された挙句に引きずられたのか、紅いロープのような腸が、ずるりと地面に伸びていた。
じりじりと焼け付くようなアスファルトの上。
ぼくは、見かけてしまった死体の前で立ち尽くす。
猫はもう死んでいる。
ぼくは何となく、この哀れな死体から目を逸らせなかった。
埋めてやりたい、と思った。
だが、この血だらけ臓物まみれの死体を抱くのは、憚られた。
近くのコンビニにビニール袋でも貰いに行こう。
ぼくがそう思い、猫の死体に背を向けた瞬間。
すっと、ぼくの横を、その少年が歩いた。
歳の頃はぼくと変わらない。
シンプルな夏服を身に付け、今時見ないような学生帽を被った少年。
彼は何の迷いも泣く、猫の死体を抱き上げた。
白いシャツにドス黒い血が染み付く。
剥き出しになった腕に腸が絡まり、少年が抱き上げきれなかった臓物たちが、ぼとぼとと地に落ちる。
少年は両手いっぱいに猫の骸を抱き上げ、そして、呆然とするぼくを見た。
何か? と、少年は尋ねてきた。
ぼくは慌てて首を左右に振る。
少年は何も言わず、歩き出した。
ぼくは、一瞬呆けてから、彼の後を追う。
少年の背中に問い掛けた。
ねぇ、その死体、どうするんだい?
弔ってやるんだ。家に行けば、棺桶があるから。
棺桶?
俺の家は、先祖代々、棺桶職人だ。
棺桶職人。
聞いた事の無い職業だが、何となく想像は出来た。
ぼくが、へぇ、と頷いているうちに、少年の家に辿り付く。
少年は家の裏手に回りこむと、古ぼけた小屋に入り込んだ。
その中はどうやら作業場になっているらしく、大小様々な棺桶が並んでいた。
少年は、台の上に猫の骸を置くと、小さな箱を取り上げた。
綺麗な細工が彫られている。
まるで、小物入れか何かのようだ。
これじゃあ、駄目だな。
少年はそう言って、別の箱を取り出した。
今度は、殆ど飾りが付いてない。
でも、横に小さな蓮が彫られていた。
これがいい。
少年は満足そうに頷くと、棺桶の中に布を敷き詰め、猫の最後の寝床を作る。
そして、哀れな猫の身体を包帯で繋ぎとめると、そっと、その最後の寝床へ、猫を、横にした。
幻だろうか。
ぼくは、猫が安心するような声を上げた幻を、聞いた。
その後で、庭の片隅に猫の棺桶を埋めた。
そして、服を着替えた少年から、冷たい麦茶を出してもらった。
猫の墓が見える縁側に座って、ぼくは少年に問う。
どうして、最初の棺桶にしなかったの?
さぁ。
少年は曖昧に答えた。
自分も縁側に座って、麦茶を飲みながら、ぽつりと。
多分、アレはあの猫に似合わないと思ったんだろうな。
そうなんだ。
でも、と、ぼくは言う。
猫、次の棺桶で満足そうだったよね。
ぼくがそう言うと、少年は驚いたようにぼくを見た。
それから。
少年はくすりと笑った。
俺も、少しは分かるようになったかな。
少年は、遠い目をして呟いた。
ねぇ、と、ぼくは問い掛ける。
名前、聞いてもいい??
少年は、すっと笑って、言った。
黒部 希人、と。
それから、ぼくたちは親友だ。
希人は、ぼくの棺桶を作ってくれると、口癖のように言っている。
それが、彼にとって、最大の親愛の感情を示す方法らしい。
ぼくは、希人の言葉を聞くたびに夢想する。
まだ見ぬ、ぼくの最期。
ぼくの最期は、あの猫のように、安堵の表情を浮かべて、希人の棺桶で眠りに付けるのだろうか?
ぼくには、まだ、分からない。
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