10・音のない僕。唄のない彼女。

まだ名も無い、未来の音楽家を夢見る人々が、空の見えるその公園で、音楽を奏でる。


ぼくは使い古したギターを片手に、その夢見る人々の群れから離れた場所で座り込んだ。



ギターの調子は良好。きっと、いい音を鳴らすだろう。

ぼくはしばしギターを愛撫するように撫で、それから、誰に向けるのでもなく、ギターを鳴らし出した。

そう。

ぼくの傍には誰も居ない。

誰かのために奏でている訳では、無いのだ。





ふと、俯かせたぼくの視線に、裸足の足が写った。

視線を上げると、白いだけのすっぽりとした手術着としか思えない衣装を着た少女が、ぼくを見ていた。

いや。実際、手術着だったのかもしれない。

少女の身体の殆どは包帯に巻かれ、包帯が覆い切れない露出した身体の部分は、醜い引きつりと火傷に覆われていた。


包帯で殆ど隠された顔で、彼女は引き攣るような笑みを浮かべた。

唇と瞼の火傷のために、彼女は巧く笑えないのだ。



ぼくはギターを止め、彼女の唇をじっと見詰める。




「もう鳴らさないの?」



彼女の唇が、そう言った。




ぼくは曖昧に頷き、彼女に言った。



「音楽が聞きたいなら、向こうに行けばいい」

 ぼくは顎で他の路上ミュージシャンが集まる方向を示した。

「音楽が聞きたい訳じゃないの」

 彼女は引き攣れた自分の皮膚を撫でた。「大きな音は肌に響くから」

「このギターだって五月蝿いだろう」

「でも、貴方が一番下手なの」

 彼女は言った。「一番、音が醜いの」



私に似合うと思うの、と彼女は言った。




それから、ぼくを見て、媚びるように笑った。

隣に行ってもいい? と、彼女の唇が綴る。

ぼくは黙って頷いた。




「私の声、醜いでしょう?」

「分からない」

 隣に座った彼女の唇から視線を逸らしつつ、ぼくはそう答えた。



 ぼくには、音が無い。

 一年程前に、両耳の聴力を失った。

 最初は絶望し、死ぬことばかりを考えた。

 だけど。

 音が無くても音楽を演奏する事が出来ると気付き、ぼくは半ば開き直った気持ちで、ギターを持った。

 楽器が生み出す音は、肌に直接ぶつかってくる。

 耳ではなく、身体で音を感じる事が出来る。

 それが、ぼくの知る、今唯一の音。




 ぼくはギターを鳴らした。

 しばらくして、突然、彼女がぼくの顔を覗き込んできた。

 出来の悪いホラー映画のような顔が、ぼくを見て、笑った。


「私の声、醜いでしょう?」

「分からない」

 そう、と彼女は頷いた。

 そして、でも、と続ける。

「醜いの、私の声」



「でもね。私、唄うのが好きなの」

 彼女はぼくの瞳から視線を逸らさない。

「お医者様は、唄うのなんて無理だって言うのよ。今、私が生きてるのが奇跡だって」

 彼女は笑う。

「病院に居なさい、って言うの。危ないから、死んでしまうからって」



でも。



「一番したい事が出来ないのに、生きてる意味があるのかしら?」



ぼくは少し笑って答えた。



「きっと、無いね」

「そう思うでしょう?」



 彼女は笑い、頷いた。




 それから、彼女はゆっくりと唇の動きで問うた。

 誰もが知っている、数年前の流行曲の名を出して。

 弾ける? と。

 ぼくが頷くと、彼女は、「弾いて」とだけ願った。




 ぼくはギターを鳴らす。

 彼女はぼくのとなりに座り直した。

 彼女の姿は、ぼくの視界に入らない。彼女の唇が見えない限り、彼女が歌っているかは分からない。

 



 曲が終わると同時に、彼女の頭が、ことん…と、ぼくの肩に凭れてきた。

 疲れ果て、それでも満足げに眠る彼女の顔に「おやすみなさい」とだけ声を掛けた。



 彼女が何のリクエストも言わないものだから、ぼくは勝手に曲を選び、演奏する。

 彼女はずっと何も言わなかった。





 気付けば、世界は夜。

 静かな静かな暗闇の中。音の無いぼくが生み出す音は、何処へ届くのだろうか?





 眠る彼女に問うても、やはり答えは返ってこなかった。


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