8・故郷
酒場で偶然隣り合った男が、私に話し掛けてきた。
男は軽く酔っているようで、明るい口調で話し掛けてくる。
自分の故郷の話を、だ。
とても貧しく、小さな村だった。
子供たちはいつも腹を空かせ、大人たちはいつも苛々していた。
畑は耕しても耕しても石だらけで、ろくな作物は育たない。
植物が育たないものだから、家畜を飼う事も出来なかった。
近くに海は勿論、川も無い。水を集めるのも一苦労だった。
それでも、税の取立てだけはきちんとやってきた。
ようやく集められた税の作物が乗せられた馬車が通り過ぎるのを、飢えた子供たちが指を咥え見詰める。
そんな、本当に貧しく、無様で最低な村だった。
それが俺の故郷だ、と男は言った。
随分と酷い所だったんですね、と私は同情を込めて男に言った。
そうだろう、と男は笑顔のまま頷いた。
そして、話を続ける。
だから、俺はその村を飛び出した。
15歳になると同時に村を飛び出し、街で必死になって働いた。
貧しいのはこりごりだった。飢えるのももう沢山だった。
必死になって働けば、少なくとも、俺は飢える事は無かった。
故郷に置いてきた家族や、友人……懐かしい人々を思い出さずに済んだ。
だけど、と男は初めて笑顔を消した。
持っていたグラスの中身をぐいっと煽り、男は呻くように続けた。
俺の故郷が、戦争で滅ぼされたと聞いた。
慌てて村に戻ってみれば、そこは荒れ果てた広場が広がるだけだった。
村の痕跡など、何ひとつ残っていなかった。
村はすっかり消え去っていた。
何処かへ、行ってしまっていた。
私が何も言えないで居ると、男は薄く笑う。
恐ろしいほど真っ直ぐな、狂気さえも感じさせる笑みだった。
村は戦争で滅ぼされたんじゃない。
戦争から逃れるため、何処かへ消えただけなんだ。
だから、俺は探しているんだ。
あの、貧しくて無様で、最低な俺の故郷。
俺が唯一、還る事が出来る場所を。
男は明るく笑い、動けない私のグラスに自分のコップを打ち鳴らした。
それから、歌うように別れを告げ、男は去って行く。
後に残されたのは、私。そして、男のグラス。
グラスに伝う雫が涙のようだった。
私は、男がすべてを理解しながらも自分の故郷を捜し求めているように思えて、少しだけ、哀しく思った。
男に故郷が現れますように。
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