第2話

 あのときが、4月の始業式で、今日は夏休み前の終業式。なんで、あんな前のことを思い出したのだろうと思いながら、窓際から自分の席へ戻った。そうだ。朝、この席に座って、彼が隣の席だということに気づいたからだ。夏休み前の最後の席替えを、昨日、大倉が実施したのだ。隣に彼がいるのは始業式以来だろう。

 あと数分で、8時23分。私が、教室の後ろの入り口に目を向けなければならない時刻だ。私はいつも、8時5分には教室に着くようにしている。この学校は8時25分着席が決められている。実際、先生が来るのはもう少し後で、遅刻までの猶予はあと少しあるのだが。私は、教室に着いたら荷物を整理して、さっきみたいに窓際に行き正門付近を眺める。この教室からは、正門がよく見えるのだ。ここは三階だから、あちら側からは分かりづらく、こちらからはよく見える。窓際からは、いつも、彼が来るのを待っている。こんな言い方をすると、まるで私が彼に思いを寄せているようだが、断じてそんなことはない。しかしここで強く否定しすぎても、何かの裏返しようだ。この辺にしておこう。無論、彼が正門に現れるまでにはまだ時間があるのだが、人も少ない教室から外をぼーっと眺めるのが、もう日課となっていた。こんなことを語ると、友達がいなくて人間観察が趣味のようだが、そんなこともない。それなりにこの中学でも友達はできた。まだ、自分の悩みを吐露したり、自分の家族の愚痴を言うほどではないものの。こんなことを言っていたら、後ろから声をかけられた。今の自分のテンションとはかけ離れた、甘ったるい声だったが、適当に「おはよう。」と答えておいた。別にここから会話が弾むわけでもない。やはり、それぐらいの仲なのだ。そのことは承知であちらも声をかけている、はずだ。

 段々と、教室が人で埋まってきた。もう、七割五分くらいだろうか。人がグループを作り、毎朝の儀式のように他愛もない話を始める。これが、かけがえのない青春というものなのだろうか。めずらしく、青春なんて自分に合わない言葉を思い浮かべた時、長針が23分を指した。もはやパブロフの犬のように、目が教室後方のドアへと向いた。彼が来た。ドアをけだるそうに開け、中途半端に閉めた。少し蛇行しながら背を丸めつつ、机の上にカバンを置いた。教科書を出したり、水筒を飲んだりすることもなく、椅子を引いて座った。落ち着いて考えれば、こんなにも同じ人をずっと見続けているなんておかしいのかもしれない。まあ、一度決めたら途中でやめられない私の性格も手伝って、4月からこの観察とやらは続いているのだろう。少しだけ自分の頭の中に思考を巡らしていると、彼が自分の机の上に肘を置き、首を前に傾けようとした。このタイミングだよ、と頭から指令が下った。自分の頭に、分かっているよ、と言葉を返し、私は彼に顔を向けた。さあ、いつものお決まりをしよう。

「波多野くん、おはよう。」私は、控えめな、それでいて彼にだけはきちんと届く声で、あいさつをした。一呼吸あった後、彼は少しだけモナ・リザのような微笑を浮かべた。そして、首を正面に戻し、前に傾け、机に伏せた。

 これも、4月からのお決まりだった。

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