幕間劇10・シルスティン最後の夜より六日



【11・シルスティン最後の夜より六日】


 月がある。

 どんどん欠けて行く月。

 闇へと向かうだけの月。


 その月の下、太い木の枝に腰掛ける人影。

 翼のある女、リンダ。


 彼女は己の肩を抱く。

 端正な白い顔に表情は無い。

 紅い唇だけが動く。


 歌っている。

 人の言葉ではない歌声。それでも歌だと分かる美しい音。

 

 表情を無くし、彼女は歌い続ける。


 

 もう彼女の傍には誰もいない。

 何も残っていない。

 


 歌声が途切れる。

 月に気付いたように顔を上げる。


「……褒めて……くれる……?」


 呟く声。


「貴方のねがい……のぞみ……いのり……かなえたら……だきしめて、くれる……?」


 月に向かって両手を伸ばす。


 救い上げてもらうのを求めるように。



 誰も取らない手。





 取らない筈の手を、握り締める手があった。



「俺様が助けてやろうか?」


 笑いを含んだ声。

 気付けば目の前に誰かが立っている。

 何も無い空中に、まるで床があるように、立っている。



 さほど大柄ではない。

 だけど顔が分からない。


 奇妙なお面を付けている。

 白と黒で塗り分けられた、笑っているのか泣いているのか分からぬ顔。

 涙の形をした宝石が、きらきらと左の頬で輝いていた。


 道化。


 そう、道化の面だ。




 ひゃはは、と、笑う声は甲高い。

 子供の声のようだ。


 リンダの手を握り締め、撫でる。



「……だれ?」

「誰? 誰って俺様に? 俺様は……あー名前なんつったかなぁー。面倒だから通称でいい? みんなそう呼ぶし、便利だし、簡単だし、って事でさぁ、楽じゃん?」


 仮面の人物が言う。


「“道化”」


 道化は芝居の掛かった仕草で頭を下げ、すぐさま上げた。

 仮面の向こうからリンダの瞳を覗き込む。



「――名前は無いよ、身体も無いよ。過去はあるけどどうでもいいし、未来はあるけど興味は無い。笑って死んで笑って生きりゃあそれでいい。死ぬまで舞台上の道化のままっーのがお似合いだろ?」


 リンダは道化の言葉は殆ど分からない。


 のろのろとリンダが考える合間も道化の言葉は続いていく。


「俺様的にはもっと早く登場とかそういうの狙っていたんだけど、アレだよね。重要役は後半登場、とか、そういう都合? でもさ、道化って言ったら物語の進行役に相応しいような気がすんだよねー。俺様だったらもっともっともっと面白く、イっちゃってるストーリー展開で希望なんだけど、頭お堅いのが上司だと大変、大変、ね?」


 さて、と、リンダの手を握ったままに道化が言う。


「さぁ、可愛い可愛いリンダちゃん。道化の俺様がいいものをあげるから、俺様の質問にひとつきちんと可愛く丁寧に答えてプリーズ」

「……?」

「ボルトラックの本体は何処にある?」


 質問は短かった。


 リンダは首を傾げる。


 道化は言葉を続ける。


「幾千、幾万、幾億、幾兆、幾京――あいつが喰らい続けた飛竜の分だけ、あの黒竜はでかくなってる。なら、本体は何処にある? 幾らサイズを変えたって限度がある。本体はその巨体を何処に隠している?」

「……ボルトラック……」

「そう、ボルトラックだ。狂っちまったあの黒竜」

「……ボルトラック……いない……傍にいてくれたのに……お腹、空いて可哀想なのに……」


 思い出す。

 いつも腹を空かせていた漆黒の竜。

 同じように、愛しい人の腕を求めていた。


「ボルトラックに……飛竜を食べさせてあげないと……可哀想……凍えてしまう……空っぽ……だから、だから……」

「なぁ、リンダちゃん、教えてくれよ。何処にあるんだ? シルスティンだと思ったが、あそこは違う。荒らし尽くして探し尽くしたけど黒竜のカスもありゃしない。――まさか、コウ国か? あそこはいまだ俺様たちには手を出せないルール適用中なんだけど、もしかしてそっち?」

「ボルトラック……何処?」


 道化を見つめるリンダの瞳。


 その瞳をまじまじ見つめて、道化は舌を打った。


「ちぇ、ちぇちぇちぇちぇってなぁ! あぁもうこりゃあ見事に壊れてるなぁ。これから情報収集しろって言う方が無理だってぇの! おとなしく男捕獲して情報集めた方が早いってぇの! デュラハだろうが攻め滅ぼせよなぁ、オイっ!」


 子どものような色は消え去り、毒づく声は成人男性のものだ。

 リンダは道化をただ見ていた。

 なんの光も浮かべぬ瞳と視線が合えば、道化は、リンダの手を引いた。


「まぁ、一緒に行こう。連れてきゃ役に立つだろ」


 それに、と、身体を起こしたリンダを上から下まで眺める。


「有翼人の身体はまだ知らないしなぁ」


 リンダは首を傾げる。

 その紅い唇が動いた。

 歌声。

 彼女はまた歌い始めた。


「おお、新たな旅立ちに伴奏付きって事ですかぁ。気が効くねぇ、さすがリンダちゃん! 完全完璧に壊れちゃってますが、まぁそれ以外は合格点?」


 手を引いて、空中へ。


「さぁさぁさぁ行こう! 俺様の宮殿に。酷く静かで賑やかで、大勢だけど誰もいない、俺様の宮殿へお招きしよう!! ――っと、その前に!」


 リンダの手を握っていない道化の手が空中が動いた。

 現れたのは、極彩色の風船がいくつも。


「歌ってくれた可愛い子ちゃんには道化からのプレゼントだよぅ」


 紐が結ばれたそれをリンダはよく分からない表情で受け取る。ただ揺れる色を見て、彼女は笑った。


 歌声はいまだ続く。



「さぁ、行こう――」


 道化の声が呪文だったのだろう。

 二人の姿は掻き消えた。



 リンダの手から逃れたのだろう。紅い風船がひとつ、夜に飛んだ。

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