幕間劇9・シルスティン最後の夜より五日


【10・シルスティン最後の夜より五日】


 ゴルティア王城竜舎。


 数匹の飛竜と、人影がひとつ。時刻は夜に近い。人間はその人影がひとつだけだ。

 足音を潜めるように一匹の飛竜へと近付いた。


 飛竜は伏せていた身体を起こす。

 一瞬だけバランスを崩すものの、立ち上がった。

 紅い体躯の飛竜――ガドルアだ。

 ガドルアが顔を寄せたのは勿論バダ。いまだゴルティアにて治療中の筈の彼は、何故か腰に剣を帯びている。服装も寝るためのものではない。私服だ。


 バダの手がガドルアの顔を撫でる。

 ガドルアは嬉しそうに目を細めた。片方の前足を失った不自由な身体で、それでもバランスを取りつつ、バダの手に顔を寄せた。


「――ガドルア」


 小さな声で片割れを呼ぶ。


「シズハが、何か妙な事に巻き込まれてるみたいなんだ」


 ガドルアは細めていた目を開き、じっとバダを見ている。


「ゴルティアの奴ら、シズハが冥王になるとか言うんだぜ。――黒竜操ってシルスティン酷い目に遭わせたとか……なぁ?」


 バダは笑うしかない。

 

「馬鹿だよな。シズハがそんな度胸ある訳ねぇだろ。あいつ、同僚一人死んだだけでパニックになるような奴だぜ? シルスティンの人間を殺すなんて出来るかよ」


 ガドルアは何も言わない。

 ただバダを見る。

 金の瞳にバダの顔が映っている。引き攣ったように笑う己の顔。


「一応、言ったんだぜ? ゴルティアの竜騎士や、人の騎士団にも。シズハはそんな事が出来る奴じゃねぇって。――でもさ、奴ら、言うんだ」


 宥めるような哀れむような、そんな顔。

 皆に、言われた。


「信じられない気持ちも分かるが事実だ、とか。諦めろみたいに言うんだぜ? ――しかも」


 そこでバダは初めて顔を歪めた。

 ガドルアの首に抱きつく。顔を埋めた。


「俺に此処の竜騎士団に入れとか言う。……シズハを探すだけならまだしも、殺すとか言ってる国の竜騎士団にだぜ?」


 ガドルアは黙って身を寄せてくれる。

 片割れの身体に触れているだけで揺れている心が安定した。

 

 おかげで滲んだ涙は零れずに澄んだ。


「……俺だって、シズハの事を全部知ってる訳じゃねぇよ。でも、あいつらよりは知ってる。シズハが悪い訳じゃねぇって分かるよ。あいつ、妙な所で不器用だから、きっと妙な巻き込まれ方してるに決まってる」


 なら。



 ガドルアの金の瞳を見る。


「友達なら、助けに行かなきゃならねぇよな?」


 同意の声が大きくて、思わずガドルアの口を塞ぐ。


「よしよし、お前は元気だな。そうだよな、腕一本無いぐらいでへこたれてちゃ火竜とは言えねぇな」


 火竜と言う単語で思い出した。

 バートラムとチェスター。


 彼らの事も聞いた。

 それに関して何か知らないかとも言われた。


 何も知らない。

 むしろ、どれだけ証拠を突きつけられても理解出来ない。

 バダにとってバートラムは上司だ。

 片づけが下手で、酒好きで、部下と一緒に馬鹿をやってくれる男。

 だけど、戦闘ならば誰よりも命を分かっている男。騎士の名誉よりも何よりも、命が一番大切だと悟っている男。



 どうして、そのバートラムが?


「――……」


 ひとつ分かっているのは、バダがゴルティアで寝ている間に何もかも終わってしまった事だ。

 もう二度と、バートラムにもチェスターにも会えない。

 二度と。


 その二度と会えない人たちの中に、シズハを加えたくなかった。



「よし!」


 ガドルアの顔を叩く。


「シズハを探すにも考えなきゃならねぇよな」


 ガドルアの横に座った。

 胡坐を掻く。


「ゴルティアも見つけられねぇみたいだ。つまり、ゴルティア、シルスティンの領土にはいない、と」


 横でガドルアがふんふんと頷いている。

 真剣にバダの話を聞いていた。


「それにゴルティアと親しい国にもいない筈だ。ゴルティアが探してるって分かれば、尾を振るのが当たり前の国ばかりだからな。――それに、フォンハードクラスの飛竜と一緒にいる人間を国に置きたい訳が無い」


 この段階でだいぶ国が絞られる。

 ゴルティアは強い。

 そのゴルティアと真っ向からぶつかる覚悟があるのは、バーンホーンぐらいだ。


 しかしさすがのバーンホーンも無理だろう。

 今は国王が死に掛けていると言う噂だ。

 その状況で他国との争いに関係する事をやる訳が無い。


 加えて、バーンホーンならば、冥王と戦いたいだろう。

 抱えていた竜騎士団も、一般の騎士団も冥王戦で痛手を負っている。


「あと……シズハは怪我をしてたって聞いたからな。治療士が必要だ。そういうのを探すには大きな街の方がいい。――だけど、フォンハードみたいに大きい死竜は目立つ。普通の街には行けない」


 バダは目を閉じる。

 頭の中で大陸の地図を広げた。

 知力に関しては自信は無いが、地理ならば竜騎士の常識として頭に叩き込まれている。

 脳内の地図に、ひとつひとつバツを加えていく。



「――あぁ」


 瞳を開いた。


「デュラハだ」


 ガドルアが首を傾げた。

 デュラハ? と問うている。


「あの国はゴルティアに完全に協力してない。敵対もしない代わりに協力もしない。街の大きさは充分だし、それに、死竜が行くならあれほど相応しい街もねぇよ」


 よし、とバダは立ち上がった。


「デュラハに行くぞ、ガドルア」


 先ほどの声で学習したらしい。ガドルアは頷くだけの返事を返した。

 どうやら片割れの調子は良いようだ。此処の竜舎の管理者、デニスの腕は確かだ。


 だが、それに反し、バダはまだ本調子ではない。


 本来なら鞍も手綱も無しでガドルアに乗るのだが、それをやったら途中で落ちてしまいそうな気がする。

 辺りを見れば、竜舎の中には誰のものか分からない鞍も手綱も用意されていた。


「……ま、運が良かったら返すって事で」


 適当なサイズを持ち出し、不思議そうに見ているガドルアに軽く謝罪して装着する。


 ……いや、装着しようとした。


「……どうやって付けるんだよ、コレ」


 鞍も手綱も付け方を知らない。

 ごだごだと動かして、何とか見た目は格好が付いた。


 ガドルアが小さく鳴いた。

 呼んだ名に思わずバダは目を伏せる。


 イルノリア、と、呼んだ名。


「……よく分からねぇんだ。ゴルティアのどっかにいるらしいけど、誰も情報持ってねぇ」


 あからさまに落ち込んだガドルアを軽く叩き、笑う。


「よし、じゃあ、軽く一飛びしてイルノリア探してみるか! もしも助け出せそうだったら助け出すのもいいかもな。そっちの方がシズハも手間が省けていいだろ……っと!」


 喜んだガドルアに体当たりを貰った。

 その衝撃で鞍がずれる。


「おい、そんなに喜ぶなよ。鞍がずれちまう。ほら、付け直してやる」


 改めて設置。

 ……何だか先ほどよりもずれている気がする。


 まぁ、気にしない。


 

「うん、まぁ、よし!」

「――何がよしだ」


 背後からの声に死ぬほど驚いた。

 びくついた身体で恐る恐る振り返る。

 入り口から数歩の場所に立っていたのは、先ほど思い出したデニスだった。


「あー……」


 拙い相手に見つかった。

 どう考えても言い訳の出来ない状況。

 誰のものか分からない鞍と手綱を身につけたガドルアを見る。


 デニスは何も言わずにガドルアに近付いた。

 器用な手付きで鞍と手綱を外す。

 そして、鞍と手綱が並べられた場所から、別の鞍と手綱を運んできた。



「竜の身体とサイズがまったく合っていない。飛んでいるうちにずれてくるぞ。――付け方も、腹帯の締めが甘い。手綱も違う。サイズはこっちで、付け方も……」


 説明を続けるデニスを呆然と見た。


 この男は何をやってるんだろう。


 見ているだけのバダの前でガドルアの竜装は終わった。

 多少の違和感はあるらしいがおとなしくされるがままだったガドルアの首筋を撫でてから、デニスは、バダを見た。


「イルノリアの事は今は諦めた方がいい」

「諦めろって言葉は聞き飽きた」

「お前たちの為だ」


 デニスの顔は険しい。

 そして辛そうに見えた。

 バダはデニスの言葉を待つ。


「魔術師たちが管理をしている。魔術による結界と、魔具による守り。立ち入ったのならお前たちも殺される」

「何をやってんだよ、この国」

「イルノリアを調べているようだ。普通の飛竜とは違う再生能力。それの調査らしい」

「銀竜なら癒しの力持っていて当たり前だろ?」

「滅竜式の弾丸からも蘇生するのが銀竜の当たり前か?」

「はぁ?」


 滅竜式弾丸は竜の肉体を殺す弾丸。

 あれを肉体に受けた飛竜は例外なく腐り果てて死ぬ。


「イルノリアは滅竜式弾丸で腐らない。あれを身体に受けても十数分程度で蘇生する」

「……」

「どんな死も乗り越える。蘇生を行う」


 どんな、死も?


 ガドルアが唸っている。

 デニスに向かって。

 

 バダはガドルアの首を撫でた。


「……おっさん、何やったんだ?」

「好きであの場所に行った訳ではないっ!!」


 叫びは悲痛なものだった。


「私の知識は竜を救うためのものだ! 竜を効率的に殺す為のものじゃないっ!」

「でも――やった訳だ」


 デニスは何も言わなかった。

 ただ唇を噛み締める。

 バダは、まだ唸り続けるガドルアを撫でて宥める。


「国の命令? ――なら仕方ねぇよなぁ、国仕えの運命だ」


 バダは笑う。


「俺、やっぱりゴルティアの竜騎士団パスするわ。フリーになる。なぁ、ガドルア」


 ガドルアの金の瞳が怒りに染まっている。

 惚れたメスが危険に晒されていると分かって落ち着けと言う方が無理だ。


 しかしバダは冷静だった。


 片割れが己の怒りを吸ってくれる。

 ガドルアが怒りを露にするたびに、バダの気持ちは不思議と落ち着く。

 怒りはある。

 だが、それを超えて動ける。


「で、おっさん。俺らに鞍と手綱を付けてくれた理由は?」

「イルノリアを助けて欲しい」

「さっきは無理だって言ったぞ?」

「シズハが……本当にフォンハードや黒竜を従えているのなら、十分に魔術師どもの魔具や結界と渡り合える」

「シズハを探せ、と」

「今の現状を伝えてくれ。そうすれば、シズハは必ずイルノリアの元に来る」

「――それは俺もする気だけど」


 デニスを見る。


「俺たちがシズハを探している間も、イルノリアは酷い目に合い続けるんだろ?」

「……」


 沈黙は同意だ。

 バダはガドルアを叩いた。


「急ぐ」

「頼む」


 外へと、向かう。


「出来るだけでいいからイルノリアを守って……っての無理だろうなぁ。そうだろ、おっさん?」

「……」

「分かった」


 外。

 ガドルアに跨る。

 慣れない手綱。


 空を、見る。


 ガドルアが鳴いた。

 イルノリアの名を呼ぶ。同時に問い掛け。

 彼女が苦しんでいるのなら、シズハも苦しいのだろうか、と。


「だろうな」


 早く、とガドルアが翼を広げた。

 早く、助けたい。

 早く。


「あぁ、急ごう」


 デュラハへ。

 毒の沼地を越えて、不死の民の国へ。


 簡単な旅ではない。

 だが、不可能ではない筈だ。



 真紅の翼が羽ばたく。

 ガドルアの身体が浮き上がる。力強く、空を叩く翼。


 夜の色を広げ始めた空へ、一対が飛び立った。

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