第16話20章


【20】




 ステンドグラスが破られる音にコーネリアが吼えた。

 逃がさない、と彼女は叫ぶ。

 闇の中、音を頼りに動く。



 その彼女に襲い掛かる存在。

 黒竜だ。



「違う、違うぞ、ボルトラック!!」


 ヒューマが地上で叫ぶ。

 暗闇の中、ボルトラックの気配も辿れず、叫び続ける。



「あの男――シズハを殺せ! そんな金竜に構うな! 私の命令が聞けないのかっ?!」



 ――我は王の命を受けた。死にたくないと、その命を受けた。


 ――ならば、その命令が最優先だ。



 黒竜が低く答える。



 ――その生命を守るのは、我に与えられるもっとも強き使命。



「王? 何を言ってるんだ、王は――」



 ――我が王はただ一人。我に名を与え、我が魂を与えた、ただ一人。




 黒竜は答え、コーネリアに牙を剥いた。

 暗闇の中、二匹の竜がぶつかりあう。

 


 僅かな光。


 僅かな光が見えた。



 真闇の呪文さえも侵していく光が、聖堂へと届く。

 黒竜が僅かに呻いた。

 苦痛の声。


 光は強くなる。

 全てを、満たす。

 黒竜は身をねじり、その光から逃げようとする。

 だが、光は彼よりも早い。

 その身を、焼き尽くす。


 黒い身体が艶を失っていく。溶け、崩れ、床に落ち、それさえも泥のように溶けていく。

 悲鳴は無かった。

 

 黒竜は最後に空を見た。

 砕けたステンドグラスを見て、口を開く。

 何かを言いかけ――完全に溶けた。






「――ふん」



 同時刻。

 シルスティン地下でドゥームは使い魔が伝えた魔法の発動を聞いた。


「黒竜は滅んだか」


 強い気配は感じない。

 何やら強い飛竜の気配が外へ向かったが、これは黒竜ではない。恐らく……あのトカゲだ。死竜の本性をあらわしたか。


 何があったかは興味は無い。


 それより興味があるのは――


 ドゥームは天井を見上げる。

 その瞳に浮かぶ、哀れみとも取れる色。


「さて、女王陛下。貴女はどうなさる?」


 問い掛けに答えは無い。






 聖堂の中に光が満ちる。

 誰も何も言わない。


 あるのは、高い金属の声。

 イルノリアの悲鳴だ。

 本来なら片割れにしか聞こえない筈の飛竜の声が、此処にいる全員に伝わる。

 シズハを呼んでいる。

 

 その傍らには誰もいない。

 人狼の姿も見えなかった。

 あの光は闇を殺す。魔物である人狼もダメージを受け、逃げたのかもしれない。



 イルノリアはただ泣いている。




 音がした。


 ヒューマが、膝を付く。

 黒竜が消滅したのが見えたのだろう。


「――ボルトラック?」


 呼びかけに誰も答えない。


「ボルトラック、出て来い! ボルトラック、ボルトラック、ボルトラックっ!!」


 既に悲鳴。

 だが黒竜は既に答えない。

 

 竜騎士たちは皆知っている。

 もう此処には黒竜の気配は無い。


 黒い飛竜は消えた。





「――あの男は捕らえた方が良いのだろう?」


 疲れ果てた声でロキが言う。

 ゼチーアは頷く事さえ出来ない。

 ロキは肩を竦め、片割れから降りた。

 ヒューマを捕らえるつもりらしい。



「……」


 ゼチーアは沈黙の中、テオドールを見る。

 いまだ怒りの吐息を吐くコーネリアを宥める動きも無い。

 ブラドは――テオドールの父の名だ。その名前に反応して、どうしてコーネリアが此処まで怒り狂ったのか。最初の片割れの名がそれほど彼女にとっての危忌なのか?


 テオドールは動かない。


 イルノリアを見ている。

 

 ただ、手綱を握る手が強く強く力が入っていた。


 殆ど表情の無いその顔と裏腹に、それだけは強く、力が入っていた。







 リンダはそれらの風景を見る。

 首を傾げて、今は血溜りだけの床を見る。

 死んだのか?

 死んでないのか?


「――ボルトラック……?」


 答えてくれる黒竜はいない。

 迷って、彼女は小さく呪文を唱えた。

 彼女の姿は掻き消える。








 光の気配は女王の間にまで至っていた。


 

 銀竜が高く鳴く。

 その顔を撫でて、女王は続けた。


「……黒竜が消えました。――もう、ヒューマは何の力も無い」


 微かに笑ってアルタットを見る。

 彼女は御伽噺の続きを語る。



「――女神の名はイルノリア。本来ならば誰も知らない名前。なのに、シズハは自らあの銀竜にこの名を付けた」


 シズハは最初から言っていた。

 イルノリアと。

 最初から、女神の名前を示していた。


「あの子に初めて出会った時から、恐らくこの子たちは恋人たちの関係者なのだろうと思っていました。だから、このシルスティンに招いた」


 女王は俯く。

 口元に、笑みと言うには薄い表情。


「――必要ならば最悪の方法を考えていました。だけど、私は何も出来なかった。あの二人はただ互いを慈しんでいました。だから私の手が届く範囲で守りました」


 でも。


「もう無理なのでしょうね。――ゴルティアが彼らに気付いた。ゴルティアは必ず二人を引き裂くでしょう」

「……」

「アルタット様」


 呼ばれる名。


「あの子たちを救って下さいませんか」

「……」

「分かっています。あの子たちが本当に恋人たちならば貴方の敵。分かっています――でも、貴方はあの子たちを殺せますか?」


 アルタットは答えない。

 ヴィーでさえも沈黙している。黒猫の気配が肩の上にあるだけだ。



 女王が笑った。

 沈黙のまま控えていた老竜騎士を見る。


「――ラインハルト、お願いがあります」

「はい」

「城の者たちの無事を確認したいのです」

「かしこまりました」

「大丈夫かしら」

「怪我は癒して貰いました」

「そう――お願いするわ、ラインハルト」


 女王が瞳を細める。


「有り難う……ラインハルト」

「……はい」


 老竜騎士はこちらに一礼して立ち去った。

 残されたのは女王とその片割れ、そしてアルタットたちだけだ。


「俺たちももう行く」


 アルタットは短く言う。


「黒竜が消えたのなら俺はもう不要だろう。シズハたちと共に帰らせて貰う」


 一瞬だけ迷って言葉を続けた。


「シズハやイルノリアの件に関しては――二人は俺の仲間だ。俺が出来うる限り、守る」

「そう。有り難う……アルタット様」

「貴女は、どうする」

「私?」

「ドゥームから依頼されている。貴女の救出だ」

「私は平気です。――あとは成すべき事をするだけ」



 ヴィーが鳴いた。

 その声を聞きとめ、アルタットは頷く。



「ひとつ、教えて貰えないか?」

「……?」

「飛竜の蘇生を、その銀竜は行えるか?」

「えぇ。可能よ」

「黒竜に喰われた飛竜を蘇生して貰いたい」

「……黒竜に?」


 女王は緩やかに頭を左右に振った。


「黒竜に飲まれた飛竜の蘇生はエルターシャでも無理です。彼らにはエルターシャの呼び声が届かない」

「呼び声?」

「銀竜は月の女神の使い。月の女神は死者の王の妹。その使いたる銀竜は、故に、半ば死を知っている。銀竜たちは呼ぶのです。死者の国へ至った者たちを声を上げて呼び戻す。果てまで通じるこの声で」


 エルターシャの顔を撫でる。


「だけど、黒竜に飲まれた飛竜たちには銀竜の呼び声が通じない。黒竜の声の方が強いのです。それ以外の死ならば、例え肉体を失ってもいくらでも呼び戻せる」

「……そうか」

「御免なさい、アルタット様」


 女王が微かに笑う。


「でも、例え黒竜に飲まれていたとしても、人にはエルターシャの声が届く。人は、蘇生が可能です」


 エルターシャが瞳を開いた。

 柔らかく、鳴く。

 微笑むような声。


「これから死者の蘇生を行います。望まぬ死を迎えた者たち全てに。死を超えてなお、生を望む者たち全てに。――エルターシャの力が続く限り」


 その言葉の意味を理解する。


「死ぬ気か?」

「恐らくエルターシャは力尽きるでしょう。ですが、銀竜の命と引き換えならばこの国を蘇らせられる。この国の民を蘇らせられる」


 ラインハルトがこの場にいたのなら止めただろう。

 それを悟って女王は彼をこの場から離した。


「肉親の暴走を止められなかった私の罪。私たちの命で贖います」



 アルタットは頷いた。

 止める理由は無い。



 女王はアルタットを見、頭を下げた。


「あの子たちを、どうか、宜しくお願いします」

「分かった」



 アルタットは出口を見る。

 動き出せばイシュターも付いてきた。

 扉を開き、閉じる。


 背後で鍵の掛かる音がした。










「エルターシャ」


 声に、銀竜は身を起こした。

 城の守りを解く。

 満ちる力に彼女は翼を広げる。


 片割れに顔を摺り寄せ、それから、銀竜は瞳を閉じる。


 闇の底。

 死者の国へ至った者たちへ呼びかけを、高く、高く、行う。



 女王はその身体を抱いている。

 許される範囲で腕を回し、銀竜を抱く。


「――ねぇ、覚えている、エルターシャ?」


 囁き声。


「シズハったら、貴女を初めて見た時にイルノリアのお母さんって聞いて来たの」


 覚えている。

 二人の事なら、幾つも。


「私……何で貴女に子供を産ませてあげなかったのだろうって、ずっと思っていた。貴女も、母になりたかったでしょう?」


 大丈夫。

 私の子供はこの国。

 今から蘇らせる、この国に生きる人々。


「でも……御免なさい。ロバートの子を産ませてあげたかった」


 何度も自分たちを守ってくれた雷竜を思い出し、エルターシャは笑う。


 それを言うなら貴女も一緒。

 私たちはふたつでひとつ。

 思う心はひとつ。

 思う心の行き先も、同じ。


 竜か竜騎士の違いはあれど、私たちの心はひとつだったでしょう?


 女王の腕の力が強まる。

 抱きしめられる。



 エルターシャは鳴く。

 高い高い金属の声。

 嘆きの声ではなく、まるで祝いのように果てまで届く銀竜の声。



 死者は帰ってくる。

 蘇る。

 

 少しずつ失われていく力を感じつつ、エルターシャは歌う。







 エルターシャの声は城に響き渡っていた。

 そして城の守りが消えうせたのも感じる。

 魔力によって形作られていた通路も消えたのを感じる。


 シルスティンの城がただの城に成り果てたのを、感じた。


「――まさか」


 ラインハルトはその想像に行き着く。

 彼は駆け出した。

 女王の間へと戻る。


「陛下! 陛下!!」


 扉を叩く。

 エルターシャの声が響く。

 扉は開かない。鍵が掛かっている。


「陛下、陛下……お止めください!!」


 女王の声が聞こえた気がした。

 歌うエルターシャへ囁き続ける声。

 優しい女王の声。



 ラインハルトは叫び続ける。

 手に血が滲もうとその扉を叩き続ける。

 少しずつ、エルターシャの声が弱まっていった。

 消えていく。

 消えていく。

 優しい女王の声も、消えていく。


「陛下……」


 ラインハルトはその場に崩れ落ちた。



 遠く遠く何処かで、多くの人の声がした。



 エルターシャの声はもう聞こえない。

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