第16話21章


【21】




 シルスティンの王城を歩けば、あちこちに人の姿が見えた。

 皆疲れ果てているようだが生きている。

 そして、銀竜の声がアルタットの耳には届いていた。


 やがてその声が途切れた頃、彼は外に至る。

 いつの間にかイシュターの姿が消えていた。彼女はきっとアギの元へ向かったのだろう。


 城門前でアルタットは金竜と――そして、見慣れた銀竜を見た。



 自分の顔が険しくなるのを感じた。

 イルノリアの首には見慣れぬ物が嵌められている。

 首輪だ。

 魔力を感じる。

 飛竜を無理やり言う事を聞かせる為の道具だ。命令を聞かなければ魔力が痛めつける。


 そしてそれ以上に感じた違和感は、その声だ。

 イルノリアが小さく鳴いている。

 その声に重なるように少女の声がする。

 ――イルノリアの声だ。

 片割れ以外に通じない筈の飛竜の声が、誰へも通じる思念となって心を叩く。



 シズハ、と、イルノリアは泣く。


 どこ?

 どこにいるの?

 ひとりはいや。

 おいていかないで、ここにいて。

 シズハ。

 わたしをひとりにしないで。


 必死の呼びかけに答えはない。

 イルノリアは嘆く。

 嘆き、更に鳴く。


 聞いているだけで切なくなる声。


 何が、あった?



 アルタットの疑問に答えるように、金竜の傍を離れ、こちらへ歩み寄ってくる姿があった。

 テオドール。


 疑問符を投げかけるよりも先に、彼は言った。

 淡々とした声で、一言。


「――冥王が蘇った」


 表情の殆ど無い顔を見つめる。

 テオドールのその表情と、イルノリアの今の様子から悟る。

 別行動の間に何があったか。


「シズハはどうなった」

「フォンハードと共に逃げた」


 死竜の名。

 あの死竜まで出てきたか。

 シズハの為に?



「アルタット殿。――冥王を倒せる人間は貴方だけだ」

「俺にシズハを殺せと?」

「……」

「お前の息子だろう? なのに、何故そうも簡単に割り切れるんだ、テオドール」

「……冥王は人の敵だ」

「……」

「人に力を貸して欲しい」

「……断る」


 答え、歩き出す。

 緑の魔剣を構える。

 イルノリアの自由を封じる首輪を断ち切るつもりだった。


「アルタット殿!」


 背後でテオドールが叫んだ。


「黒騎士を従え、黒竜さえも操った。しかもあのフォンハードまで共にいる。あの子は、成り果ててしまったんだ」


 肩越し、振り返りテオドールを見る。

 感情の発露。

 哀れな、表情。

 痛みすら覚えている表情。


 だが同情する理由は無い。


「それがどうした? シズハは、シズハだろう?」


 アルタットは答え、イルノリアに向き直った。


 イルノリアの傍にいた若い竜騎士が慌てて避けた。

 残っているのはゼチーアだ。


「避けてくれ」

「アルタット殿なのか?」


 ゼチーアは問い掛け、それから首を左右に振った。


「どちらでもいい。――国から命令が来ている。イルノリアはこのままゴルティアへ運ぶ」

「それが正しいと思っているのか?」

「私はゴルティアの竜騎士だ。国の命令に従うまで」


 言葉はそうだがゼチーアの声色に迷いが有る。


「それに――毒の治療を行わねばならない。ゴルティアの魔術師に依頼しなければ解毒は無理だ。このままではイルノリアは無駄に苦しむ羽目になる」


 イルノリアの姿を見る。

 体色が僅かに変わっていた。

 黒っぽい色が全身を覆っている。

 毒、か。

 解毒の呪文は使えるが、それがこの銀竜に効くとは思えない。アルタットが使える呪文程度ならば、とっくの昔にこの銀竜が癒しているだろう。


 ヴィーが鳴いた。



 まずはゴルティアに行こう、とそういう呼び掛け。

 肩の上の黒猫を見る。


 アルではシズハを探せない。

 ゴルティアの力に頼り、利用した方が便利だ。


 それに……アルも身体を癒した方が良い。

 傷は癒えても体力は戻っていない。

 人の身体に戻ったばかりなのだし。



 それと――それと、言いたくないが。

 本当に、本当に万が一……冥王に至ったのならば、倒さなければならない。

 その情報も、集めるべきだ。



 

 アルタットはひとつため息を落とし、剣を下げた。

 周囲から安堵の息が聞こえる。


 イルノリアを見る。

 彼女は哀しげにアルタットを見ていた。



 シズハに会いたい。

 シズハに会わせて。


 切ない声が、届いた。








「――爺さん」


 呼び掛けにドゥームは顔をそちらに向ける。

 全身傷だらけのアギが立っていた。


「悪ィ。女王の救出失敗。会えもしなかったぜ」

「救出も何も、自ら死を選んだようだぞ」


 ドゥームは面倒そうに言った。


「片割れの命を引き換えに国の復活を行った。どれだけの命を蘇らせたか分からんが……王のいない国を蘇らせてどうなるものか。――もうこのシルスティンは終わりじゃな」

「……ふぅん」

「所でお前のその傷は?」


 杖を手に立ち上がったドゥームを片手で止める。

 壁に寄りかかり、アギは笑った。


「爺の呪文だよ。光の呪文を貰っちまった。――あぁ、いい。自分で治す」

「自分で? お前、呪文は――」


 軽く瞳を閉じたアギが小さく何かを呟く。

 呪文には聞こえなかった。

 呼び掛けに聞こえた。


 だが確かに魔力は発動される。

 微かに光る銀の色。

 そして、傷は消え去る。


「何を?」

「もらい物の力」


 アギが笑った。


「爺さん――シズハが、黒竜に王と呼ばれていた」

「……」

「あいつが冥王か?」

「黒竜が従うのは冥王の魂だけだ」

「……いつからだ?」

「さてな。だがもう随分と昔からだろう」


 そうでなければあそこまで安定した魂になる訳が無い。

 

「じゃあ、俺は何なんだ?」

「予備……か、かえだま、影武者、そういうものだろうな」


 アギが笑った。

 爆笑を堪えるように肩を震わせる。


「何だ、ニセモノか。俺も」


 自分の胸を叩く。


「おい、聞いたか、イブ? 俺たちお揃いみたいだぜ。両方ニセモノ。――ニセモノ同士、お似合いじゃねぇか?」

「……お前、一体……?」


 アギの様子が違う。

 器独特の気配が消えている。


 アギの言葉を思い出す。

 黒竜に王と呼ばれた男がいる。

 その話を知らなければ、アギが冥王に至ったのかと思うほど――気配が違う。


 女神。

 堕ちた女神の名前を、ふと、思い出した。

 器が変化するのはたったふたつ。

 冥王に至るか、女神を手に入れるか。

 前者が否と言うのなら。


「お前――女神を?」

「さぁ」


 アギはただ自分の胸に視線を落とす。


「さぁ……よく分からねぇ」



 でも。


 視線をドゥームに向ける。

 紅い、色。



「もう何にも欲しくねぇのに、まだ苦しい」




 猫の鳴き声がした。

 イシュターが空中から溶けるように現れる。


 アギに擦り寄った。

 その猫を見て、アギが言う。

 

 一瞬だけ浮かぶ、子供のように頼りない色。


「……ハーブとラナのところに帰りたい。――寝たい。疲れた」


 なぅ、と猫が応じる。

 まるでお辞儀をするようにイシュターはドゥームを見て――消えた。


 アギの姿も無い。


 ドゥームは何も言わない。

 彼の使い魔が甲高く、ひとつ鳴いた。









 フォンハードは空を飛び続ける。


「何処へ向かってるの、ふーちゃん」

「ラキスだ」

「遠いよ! シズハさん、血が止まんないのに……」

「この辺りで治療士を探してみろ! ゴルティアにすぐ見つかる。治療前に捕獲されるぞ!」

「でも、でも。死んじゃうよ」


 先ほどまでうわ言のようにイルノリアの名を呼んでいた声も聞こえない。

 少しだけ迷ってフォンハードは言う。


「――血を吸ってしまえ」

「え?」

「不死の民にしてしまえ。毒など不死の民には効かない。自分で傷も癒せる。血が足りなければその辺りで2、3人狩って血を取る」

「だめ! 絶対だめ! 勝手にシズハさんをそういう事出来ない!」

「ならば生命力でも体力でも渡してやって命を繋げ!」


 フォンハードの怒鳴り声にミカが泣いている。

 泣き声がそれでも呪文になっていた。

 癒しの呪文はミカは使えない。せいぜい自分の生命力を分け与える呪文ぐらいだ。

 それを行っている。

 ミカが傷を負うが仕方ない。

 それぐらいしか、方法が無い。




「――……?」


 フォンハードはそれに気付く。

 追って来る飛竜がある。

 敵か?

 気配を辿る。

 かなり早い――風竜か?

 

 風竜ならば逃げ切れない。

 だが負けもしない。


 やがて目で確認出来るほどその飛竜は近づいた。

 鮮やかな緑の体躯。

 風竜だ。


 ブレスを叩きつけてやろうかと身構えたフォンハードはその違和感に気付く。

 慣れた気配。


 ――そういう事か。


 やがて風竜は横に並んだ。

 背には少女が乗っている。

 褐色の肌の、エルフの少女。



「……誰?」


 ミカが問う。

 動く気配で、恐らくシズハを庇うように抱いたのだと判断する。


 エルフの少女は言葉が出ない。

 傷を負ったシズハを呆然と見ている。


「誰なの、貴方」

「――お前は城のものか?」


 ミカの怯えたような声に被せ、フォンハードは問いかける。


 エルフの少女は慌てて何度も頷いた。


「うん、うん……」

「助けならば遅かったな。見てみろ、この通りだ」

「わ、私だって頑張ってたんだから! ちゃんと忠告して、ゴルティアまで動いちゃ大変だと思って、魔物の封印解いて――」

「普通に来てたが? ゴルティアの竜騎士団は」

「……あの雷竜が大暴れしちゃって……魔物が役に立たなかったんだもん……」


 全速力で飛びつつの会話。


「ふーちゃん、誰、この子? 知り合い?」

「冥王の城の守り手だ。――ダークエルフたちは居住区を約束される代わりに冥王の城を守っていた」

「……じゃあ、ええと、冥王の部下?」

「そういう事だ」


 フォンハードは横目で風竜を見る。


「風の祝福を使えるような風竜はいるか?」

「大丈夫……うん、いる」

「ならば頼む。俺の翼だけでは間に合わないかもしれない」


 エルフの少女は自分が跨る飛竜の首を撫でた。



「お願い――ボルトラック、力を貸して」



 ミカが目を丸くしている。


「ボルトラックって……黒竜? それ、風竜……」



 問い掛けに答えるより先に飛竜が変化する。

 身体のあちこちが膨らみ、盛り上がり、一回りほど大きくなる。

 瞬時の変身。

 そして、エルフの少女が跨るのは、先ほどよりも大きな風竜だ。齢は恐らく300歳は軽く超える、巨大な風竜。


 風竜が鳴いた。

 風の声。

 巻き起こる風がフォンハードの身体にまとわり付く。

 速度が上がった。


 風の祝福。

 

 凄まじい速度の中、フォンハードが言う。


「――シルスティンで滅んだボルトラックは影。トカゲが尻尾を切り落としたようなものだ。何の痛みも無い」


 そして。


「この風竜もボルトラックの影」

「で、でも、黒竜じゃ……」

「ボルトラックは喰らった飛竜のすべてを己のものにする。力も、形も、魂も、心も。――そして、すべての飛竜に成れる。ボルトラックに喰われた飛竜は、こいつの中で永遠に生きる」


 ボルトラックが滅ぶ日まで。


「非常識極まりないだろう? ――だが今は助かる」


 翼が風を受けている。

 速度が更に上がる。


「ミカ、ラキスまで一直線に飛ぶぞ!」

「間に合うの、ふーちゃん」

「お前も頑張るならな!」

「うん……頑張る……頑張るから……」


 死なないで。


 祈りに等しい言葉を背に、フォンハードは飛び続ける。






 シズハは微かに瞳を開く。


 真横を飛び続ける風竜の瞳の奥に、黒竜を見る。

 ……ボルトラックだ。

 微かな安堵。

 その安堵の中、イルノリアを探す。

 愛しい銀の運命。

 だが探してみても彼女はいない。


 自分を抱きしめる腕に縋る。

 イルノリアの名を呼んだ。


 会いたい。

 会いたい。

 いつも傍にいたのに。

 こんな苦しい時に傍にいて欲しいのに。

 イルノリア。

 会いたい。


 

 黒竜が嘆くように瞳を細めた。

 シズハは泣く。

 泣いて、瞳を閉じた。


 抱きしめてくれる腕に縋ったまま、瞳を閉じた。



 イルノリアの名をもう一度呼んで、優しくさえ感じる闇の中に意識を落とした。



                ……第一部・終……

 

 

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