第16話19章


【19】



「――な、なんでぇっ?」



 シズハを貫いたのは確かに滅竜式弾丸だ。

 術式に間違いない。

 なのに、何でこんなに苦しんでいるの?



 ミカは慌ててシズハの身体を抱き上げる。

 視線の端で黒騎士が溶けるように消えるのが見えた。それが死を連想させてぞっとした。

 上着を開き、爪を立ててシャツを破る。傷口を見た。

 思わず悲鳴が出る。

 弾丸が貫いた箇所を中心とし、身体が腐敗を始めている。

 竜よりは遅い。

 だが、竜と同じ反応。


「――その男は竜人だ。半分は竜。その半分が、弾丸に反応してる」


 フォンハードが低い声で言う。


「諦めろ、ミカ。もう逃げるぞ。お前とあの爺が仕掛けた呪が発動する」

「イヤッ!!」


 ミカはシズハの頭を胸に抱き寄せる。



「お父さん!」


 テオドールへの呼び掛け。


「お願い、シズハさんを助けて。死んじゃう、滅竜式弾丸で死んじゃうよ! お願い、早く、助けてあげて!」






 テオドールは答えない。


「――ゼチーア」

「は、はい」

「イルノリアの捕獲を優先してくれ」

「……し、シズハ殿が……」


 苦しんでいる。

 今もほら、血を吐いた。

 意識だって既に無い。


 貴方の息子だ。

 貴方が本当に可愛がっている、たった一人の息子じゃないか。


「二度は言わせるな」


 帰ってきたのは視線ではなく、ただ冷たい声。






 ミカは呆然とコーネリアの背のテオドールを見る。



「……ふーちゃん」


 呼ぶ。


「……ど、どうしよう、ふーちゃん。どんどん冷たくなっちゃうの。シズハさん、冷たくなるの。血も凄い出てるの」

「………」

「助けて、ふーちゃん、助けて……」


 シズハの身体を支えるミカの手も震えている。

 集中など出来ない。呪文も使えない。

 助けられない。


 なのに、フォンハードは動かない。

 トカゲの表情は読み取れない。

 ただ、彼が迷っているのだけは分かった。


 ミカの視界に影が差す。

 影の主は黒竜。



 ――王よ。



 呼び掛け。


 竜の呼び掛けに、シズハは目を開く。

 虚ろな視線。何かを探すように目が動く。黒竜が傍にいる事さえ認識していない。

 虚ろ。


 ――死ぬのか、王よ。


 ――我との約束を果たさぬまま、死ぬのか……我が王よ?



 シズハの唇が動く。

 言葉を綴る。





 ……死にたくない。




 ――その言葉、聞き届けた。




 黒竜はひとつ頷いた。





「――ボルトラック」


 フォンハードは黒竜に問う。


「そいつは――お前の王なのか?」



 黒竜が王と呼ぶのは冥王。遥かな昔ならば狂王。

 そう呼ばれた、人の敵。


 黒竜は一瞬の迷いもなく、ただ頷いた。



 フォンハードは再度ミカを見る。

 真紅の瞳から涙を零し、再び力を失ったシズハの身体を抱きしめている片割れの妹を。



 イルノリアが必死の様子で顔を寄せる。

 銀の光が降る。


「――やめておけ、銀竜。滅竜に竜の癒しは通じない」


 言う必要も無かった。

 イルノリアは一度上げた顔をすぐに落としてしまう。

 毒が回っている。


「……オイ」


 狼が言う。


「アト、一度グライナラ、闇ヲ呼ベル。……ドウスル?」

「……ふーちゃん……」


 ミカの声が続く。




「――あぁ、クソ」



 フォンハードは覚悟した。



「ボルトラック、人狼、手伝え! その男を此処から逃がすぞ!!」




 叫び、ミカの肩から飛び降りた。

 金竜たちと向かい合う位置。

 頼りないトカゲの四肢を地面に這わせ、フォンハードは自分に対する呪を解き放つ。


 内側からトカゲの身体が破裂する。

 そしてトカゲの身体を残骸に現れるのは、その全身が骨で構成された死竜だ。

 灰色の心臓が胸の奥に存在する。大きく、それが震え、揺れた。歓喜のように、脈打つ。一呼吸の合間に、全身へと血をいきわたらせる。

 内臓が本来の色を取り戻す。


 コーネリアとほぼ同等サイズの巨大な飛竜。

 金竜を睨み付ける瞳には、他の死竜とは異なる、底冷えするような蒼い炎が宿っていた。

 半ば千切れたような短い尾を軽く振り、死竜は翼を広げる。巨大な翼。翼膜の大半が残った、骨で構成された翼を広げ、死竜――フォンハードは天に鳴いた。


 聖堂を震わせる巨大な声。








「――フォンハード?!」


 思わずゼチーアは叫んだ。


 見間違いようが無い。

 他の死竜よりも巨大な翼、千切れたように短い尾。蒼い炎の瞳。見間違いようが無い。冥王のとの戦いで何度も人々の前に立ち塞がった死竜、フォンハードだ。


 推定年齢300歳強。

 その年齢にしては小柄ではあるが、それでもコーネリアとほぼ同等の体躯を有し、戦闘能力は同等以上。


 その死竜が何故、此処に?


 死んだのでは?

 片割れを失い、その亡骸を確認した。

 光のブレスで焼かれたのか、その亡骸は大半以上が失われていたが。



 ――心臓。



 フォンハードの骨の奥で輝く紅い宝石のようなそれを見る。

 死竜は心臓を化身させる能力を持つと言う。

 それか?

 それで、生き延びていたのか?


 だとしても、何故此処に――



 

 もう動かないシズハを見る。

 死んだように動かない。

 フォンハードはその前に守るように立っている。



 本当に――本当に。




 この男は、冥王なのか?




「ぜ、ゼチーアさんっ!!」


 ルークスの悲鳴。


「シュートが、シュートが言う事聞きませんっ!」


 シュートは動かない。

 動けない。

 身体を伏せるように低くしている。

 怯えの表情がその顔にありありと浮かんでいた。

 

 シュートどころかレジスまでもが身を竦ませる。

 ゼチーアは手綱を操り、自分が背にいる事を片割れに伝えた。表には出していないがベルグマンも怯えている。

 必死に動こうとしているが、その身体が僅かに竦んでいた。

 ベルグマンよりも倍以上の年齢。本来の飛竜の常識を思うなら、戦うべき相手ではない。


 コーネリアは……。



 テオドールの表情は見えない。

 だが、コーネリアの身体に緊張は見えない。

 ただフォンハードを見ている。


 死竜が牙を剥いた。


 笑うような表情。



「――暫くぶりだな、コーネリア」


 すらすらと死竜は人語を操った。

 そう、この死竜は人間よりも巧みに人の言葉を話した。

 

 笑い声さえも合間に挟み、嘲りの声。


「まだ命根性汚く生き残っていたか。そんなに生きたいのだったら俺のブレスをくれてやろうか? アンデットになれば永遠に生きられるだろう?」


 コーネリアが唸る。

 テオドールが手綱を繰るのが見えた。


「――なぁ、コーネリア」


 フォンハードが笑う。


「ブラドには、謝ったのか?」



 コーネリアが動いた。


「コーネリア!」


 テオドールの静止の声も届かない。背のテオドールを忘れたように翼を広げ、フォンハードに襲い掛かる。

 繰り出された大振りの爪を掻い潜り、フォンハードは叫んだ。


「人狼! 闇をくれ!」


 その言葉が終わるが早いか。

 闇が広がった。

 聖堂全体が暗闇に閉ざされる。




 フォンハードはミカの元へ降り立つ。

 鼻面でミカを突き、床に伏せた。


「早く乗れ」

「うん」


 コーネリアの唸り声が聞こえる。

 横にするりと何かの気配。

 ボルトラックだ。


 ――此処は任せろ。


「頼むぞ、ボルトラック」


 ――こちらも……頼む。



 ミカが抱き上げ、フォンハードの背に引き上げたシズハを見ているのだろう。


 コーネリアのブレス。

 こちらの気配を辿れないらしい。下手をすると仲間にも当たりかねないほどの無茶なブレスだ。

 万が一こちらに来てもボルトラックが防いでくれる。

 フォンハードは暗闇の中、翼を広げた。


 死竜としては決して大柄ではないフォンハード。だが速度ならば負けない。


「ふーちゃん、イルノリアちゃんが」

「連れて行けるか! その男を助けるだけでも危ないってのに!」


 飛び立つ。

 金属の呼び声。

 それに重なる少女の悲痛な声。

 イルノリアの悲鳴だ。

 シズハの名を呼んでいる。

 フォンハードは耳を塞ぎたくなった。



 闇が訪れる前に見た聖堂を思い出す。

 一番大きなステンドグラスの位置を確認する。真闇はどのような光も通さない。

 ただ唯一、月の光を除いて。


 月光。


 

 女神のステンドグラス。

 それを、フォンハードは頭からぶつかり、ぶち破る。

 色とりどりのガラスが散った。

 きらきらと輝いて降り注ぐ。

 背後でコーネリアの吼え声が聞こえる。

 同時に、別の飛竜の唸り声。

 コーネリアとボルトラックがぶつかっている。

 他の飛竜は追って来る気配は無い。



 外へ。

 街の外へ。


 フォンハードは全力で翼を動かす。

 久しぶりの空。

 心地良いと思う暇さえ無かった。


 シルスティンの外へは結界が邪魔をする。

 だがもう間もなく――もう間もなくだ。



 フォンハードの視界の端に光が映る。

 月光とは違う、強い光。

 闇を駆逐する光の呪文。

 アンデットや闇に属するものを打ち倒すその呪文は、ドゥームの命令でミカが設置したものだ。

 設置された術式は己で増幅し、やがて発動する。

 この町全体を包み込む。


 光が届く。


「ミカ、隠れていろ!」


 この光は不死の民も焼く。

 フォンハードにも光が届いた。骨が焼ける。内臓が悲鳴を上げる。

 それに耐えて、彼は更に翼を動かす。羽ばたく。

 


 そのフォンハードの下、シルスティンの果てが見えた。

 抜ける。



 翼に力を込める。

 遠く。

 早く。


 背後、シルスティンの街が遠くなっていく。

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