第16話13章


【13】





 金属の音が響いた。



「ぐっ……!」


 呻いてよろめくように数歩下がったのは、バートラムだった。


 アルタットは肩から胸に掛けて出血したままだ。血は身体を伝っている。

 だがアルタットの姿勢は崩れない。軽く顎を引いた姿勢。緑の両眼がバートラムを睨み付けている。

 その瞳の色は強い。

 致命傷を負った人間とは到底思えない。



 そして、その彼の両手には剣が握られていた。

 緑の燐光を放つ刃。

 アルタットが持つ、冥王を倒したと言う――名も無き魔剣。


 先ほどまでは無かった。

 振り下ろされる剣。その瞬間まで無かった。

 しかし突然現れたその剣は、確かにバートラムの渾身の一撃を受け止め、弾き返した。



「――誰だ?」



 バートラムは思わず問う。

 勇者?

 先ほどと同一人物か?

 

 違う。

 こいつは違う。

 さっきのとは違う。


 勘が伝える。


 これはもっとヤバイものだと、全身が訴える。


 緑の魔剣を構えた男はゆっくりと身体を起こした。



「――アルタットだ」



 答えは短かった。




「う――おおおおおおおっ!!!」


 勘が危険を知らせる。

 それでもバートラムは吼えた。

 吼え、斬りかかる。


 アルタットが応じた。

 刃の広い、大振りの剣。片手剣と言うよりも両手剣のサイズ。

 それを半ば片手で操る。

 重さを頼った攻撃だけではなく、刃で斬る攻撃。

 剣を知り尽くした動き。


 狙った位置にアルタットの刃がある。

 攻撃は防がれる、弾かれる、返される。

 竜と等しい筈の腕力の一撃が、アルタットの剣で一本で届かない。

 受け止める両腕の筋肉も揺るがない。


 

 斬りかかり、斬りかかり――それでもバートラムは自分が一歩ずつ下がっているのに気付いた。

 

 攻められている。


 攻めているのは自分ではなくアルタットだと、ようやく気付いた。


 半ば無理やり叩き付けた刃。

 澄んだ音が響いた。

 長剣は半ばで折れていた。


 すぐさまバートラムは背の剣を抜いた。

 そこでアルタットがようやく数歩分、下がる。

 リーチはバートラムの剣の方が長い。

 が、この相手ではリーチなど何の役にも立たない。


 案の定、アルタットは軽く身体を屈めるように切り込んできた。

 腕の力だけで剣を横殴りに振るう。

 短い息の音と共に振るわれたそれは、剣の大きさを思えば尋常ではない速さだ。

 バートラムは引いて避ける。

 剣で受け止め切れない。

 大剣まで折れてしまう。


 アルタットの連撃。

 早く、確実に狙ってくる。

 剣の見本のような連撃だ。


 ただバートラムは微かに聞く。

 息。

 僅かに乱れてきた、それ。


 アルタットは疲れ始めている。

 当たり前だ。

 この出血。普通の人間ならば既に死んでいる。これだけの動きが出来るだけ奇跡だ。

 流石勇者、と言う所か。


 連撃の切れ目。

 狙い、大剣を突きつける。

 引いたアルタットの身体を追うように、切り込んだ。


 今度はこちらが攻め込む番。


 アルタットの呼吸は誰もが分かるほど狂い始めていた。

 ダメージと出血に身体が付いていかない。

 


 勝てる。


 先ほどの勘とは違う場所で声がする。

 勇者に――勇者アルタットに勝てる。



 ただ同時に勘が叫び続けている。



 逃げろ逃げろ。

 今すぐ逃げろ。

 どれだけ無様な姿を晒しても、逃げろ逃げろ逃げてしまえ。



 その勘の声を潰す。


 大きく斬りこむ。

 アルタットの剣が防ぎ――同時に体勢が僅かに崩れた。

 ほんの少し。足が滑った程度だ。

 だが、それで十分。

 大剣はアルタットの胴を断ち切れる。


 間違いなく、勇者は死ぬ。


 崩れた体勢。

 剣を、叩き込む。


 その瞬間、バートラムは気付く。


 違和感。

 胸の奥に突然沸いた、異様な感覚。

 自分の腹の中に熱した刃を突き刺されたような苦痛――絶望。


 初めて知る痛み。

 だが、同時に多くの人が知る痛み。


「……チェスター?」


 竜騎士となった多くの人が、知る痛み。


 剣を止め、片割れの名を呼ぶ。

 答えなど無い。

 片割れは此処にはいない。

 だが、不安が膨らむ。

 痛みが増す。

 これはチェスターの痛み。彼の苦痛。彼の絶望。


「ぐっ!」


 胸を押さえて下がる。

 痛みが酷い。


 アルタットが動くのが見えた。

 緑の光が走る。

 その光から急所を逸らすのが精一杯だった。


 胸の奥ではなく、身体の上で痛みが走る。

 大きく切り裂かれた。

 自分の血の色が見えた。


 だが、まだ動ける。


 後方に飛び、そしてアルタットに背を向けた。

 走り出す。

 チェスターの元へ。


 増す痛みに煽られるように、全速力で。







 ――突然、逃げ出したバートラムの背を追う余裕は無かった。


 アルタットは大きく息を吐いて床に座り込む。

 久しぶりの人の身体での戦い。此処まで自分の身体が重いとは考えもしなかった。

 出血で眩暈がする。

 剣で身体を支えつつ、空いた手で胸に手を当てた。

 癒しの呪文を口にする。

 少しずつ収まっていく痛み。


 安堵の息を吐いた頃、にゃう、と上機嫌の猫の声がした。

 見れば黒猫が座ったアルタットに全身で擦り寄っている。

 ごろごろと喉を鳴らす音も聞こえた。

 アルタットは思わず苦笑。


「喜び過ぎだ、ヴィー」


 それほどアルタットが身体に戻ったのが嬉しいのか。


 あのままでは殺される。

 そう思ったアルタットは猫の身体で叫んだ。

 戻してくれ、と。

 

 ヴィーはすぐさま願いを叶えた。

 間一髪で間に合った。



「ヴィー、頼む。ラインハルト殿を」



 にゃう、と猫はご機嫌のままで返事を返した。

 束縛されたままの老竜騎士の元へ駆け寄ると軽く飛んだ。


 鎖が切れる音と同時に崩れ落ちる老人の身体。

 得意げな表情のヴィーの横を、イシュターが抜ける。

 老人の横に座り込むと高い声で小さく鳴いた。

 呪文だ。

 癒しの呪文。


 何とか老人が身体を起こせる範囲まで癒したようだ。

 それからイシュターはこの場の最後の一人――雷竜を見た。


 アルタットは軽く頷く。

 イシュターは瞳を閉じて呆れたような鳴き声を零した。

 仕方ありませんわ、と、返し、雷竜へ近付く。

 雷竜――ロバートの口を封じていた槍が抜け、床に転がった。ロバートが大きく吼える。


「――助かった、勇者殿」


 掠れてはいるがやはりしっかりとした声でラインハルトが口を開く。


「何が? 誰が一体このような事を」


 ラインハルトの身体に残る傷跡を見て問い掛ける。

 彼は忌々しげに顔を歪めた。


「神聖騎士団だ。――ヒューマの黒竜に恐れをなして、まるで犬のように尾を振っている」


 情けない、と吐き捨てる。


「それでも騎士を名乗るつもりか」

「……」

 

 アルタットは恐怖に人が勝てないのを知っている。

 神聖騎士団を責めるつもりは無かった。

 

 ラインハルトの言葉は続く。


「奴らは――何処から聞き出してきたのか、銀の秘宝とやらを教えろとワシを捕らえた」

「銀の秘宝?」

「女王陛下のみが知る何らかの重要事項らしい。ワシも何かは分からん。――知らんと言えば今度は女王の間に通じる道を教えろと」


 ラインハルトは瞳を伏せた。


「……教えたのか」

「………」


 老人は沈黙。

 哀れむように雷竜が鳴いた。


 竜騎士の目の前で片割れを痛めつけたのだ。

 自分自身を傷つけられるよりも辛い。


「女王の間にはエルターシャがいる。奴らの狙いはエルターシャらしい。いや……むしろ、銀の秘宝がエルターシャではないかと疑っていたらしい」

「それは違うんだな?」

「違う。銀の秘宝はもっと大昔から伝わるものだ。エルターシャがこの国に来てからまだ百年も経っていない」


 ラインハルトはゆっくり首を左右に振った。

 それから顔を止め、奥を見やる。

 鳴く片割れを見た。


 顔が歪む。


「――ワシは愚かだ」


 独白。


「あのバートラムをシルスティンに入れたのはワシだ。チェスターは良い火竜だった。竜騎士団に欲しい力だった」

「その時点で、バートラムがこの国を裏切るなど誰も予測出来なかった」

「仕方の無い事だと言うのか?」


 何を言っても慰めにしかならない。

 アルタットは老人の問いに答えず、立ち上がった。


 傷は何とか癒えている。


「女王の間に行く道を教えて欲しい」

「――何をする気だ」

「女王陛下の安全を確認した上で、この国の危機を払う」

「……アルタット殿」


 ラインハルトはまだよろめく身体で立ち上がった。


「ワシも同行させてくれ」

「……」

「女王の間までは魔力の道だ。一度で覚えられる代物ではない。道案内が必要だ」

 

 アルタットはロバートを見た。


「片割れはどうする気だ?」

「壁を壊せば此処からならロバートは脱出出来る。それに五体満足ならば黒竜にもただではやられん」

「此処は何処なんだ?」

「城の尖塔のひとつ」


 地下ではなかったのか。


 足元でイシュターが鳴いた。

 魔力の守りを残す、と彼女は言う。

 簡単に黒竜も入って来れない筈だと、そういう言葉。


 それでいい、とアルタットは頷き、次の質問を口にする。

 シズハが気にしているような事を尋ねてみた。



「他の竜騎士たちは?」

「分からん。――だが無事な筈だ」


 苦しげにラインハルトが答える。

 彼は少し迷い、言った。


「バートラムが、竜騎士とその片割れの無事を望んだ」


 それは本当なのだ。

 一瞬、アルタットは言うべきなのかと思う。

 バートラムは竜騎士なのだと。このシルスティンの竜騎士団団長なのだと。


 言っても、もう意味が無い。

 それに老人も分かっている。

 分かっているからこそ、この苦痛を味わっている。



 ヴィーの姿を捜し求めれば、肩の上に軽い感触が乗った。

 肩の上に黒猫。

 昔のままのように、喉を鳴らして擦り寄ってくる黒猫。

 黒猫が言う言葉はひとつ。


 ――アルが思うようにすればいい。


 それだけだ。



 アルタットは瞳を閉じて頷く。


「分かった。道案内をしてくれ」

「……感謝する、アルタット殿」


 ラインハルトは微かな安堵のような声を漏らした。







 魔力の道を通る。

 ラインハルトの足取りもしっかりとしたものだ。癒しの力もあるのだろうが、それ以上に彼の精神力が自身を支えている。

 大したものだ、と内心舌を巻く。

 


 やがて薄手の布の後ろに現れた。

 カーテンらしいその布地の前でラインハルトは声を出す。


「――陛下。ラインハルトです」


 カーテンが引かれた。

 上品そうな老女が立っている。

 彼女はラインハルトを見て目を丸くして驚いていた。

 傷はまだ完全に癒えていない。

 

 老女の目に微かな涙が浮かび、笑みが湧き上がるように現れる。


「生きていたのね」

「はい」

「良かった……本当に良かったわ」


 部屋の中に招かれる。


 部屋の中は広かった。

 ただ調度品は少ない。

 

 その代わり、巨大な銀竜が床に身体を伸ばしていた。

 エルターシャ。

 大陸で最高齢の銀竜。死者蘇生を唯一行える銀竜だ。

 ただその銀竜は瞳を閉じている。

 疲れ果てているように見えた。



「ラインハルト、御免なさい。エルターシャは今、癒しの力を使えないの」

「有り難うございます陛下。私は大丈夫です」


 真実とは思えない言葉。

 女王は寂しげに笑った。


 その笑みのまま、黒猫を肩に乗せたアルタットを見る。


「貴方は――」

「アルタットと申します」

「勇者が来てくれたのですね」


 笑み。


「どうか勇者アルタット様。この国を救って下さい。この国を危機に陥れているものから、どうか、この国をお救い下さい」


 こんな言葉は聴きたくなかった。

 国を救っても与えられるものなど何も無い。

 放っておいて欲しいと言う小さな願いさえも奪われる。


 肩の上でヴィーが鳴いた。

 その声でようやくアルタットは口を開く。


「俺の仲間がこの国を……この国の人間を救おうとしている。俺はその手伝いをしたい」

「仲間?」

「シズハだ」


 女王はアルタットの顔を見た。

 その表情から真意を読み取ろうと言わんばかりに真っ直ぐに。


「シズハが……此処に来ているのですか?」

「あぁ。はぐれてしまったが……」

「あの子は……全てを知って此処に来ているのですか?」

「どの事だ?」


 竜人の事か。

 器の事か。

 それとも――バートラムの裏切りの事か。


 女王は何も答えなかった。


 その代わりに言う。


「勇者様、ひとつお話させて頂いても宜しいかしら?」

「……?」

「銀の秘宝。――そう呼ばれる、このシルスティンが守ってきた秘密です」


 瞳を細める。


「ただの――えぇ、ただの、御伽噺のかけら。そういう、お話です」



 女王はゆっくりと話し出した。

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