第16話5章
【5】
足が地面に付いた。
軽く、たたらを踏む。
移動の呪文。その感覚にいまだ慣れない。シズハは何よりも先にイルノリアを探す。銀竜はこちらも少しも離れないと言うように身を寄せていた。
小さな金属の声。
安堵の吐息。
「――シズハぁ?」
平然とした様子で声を掛けてきたのはヴィー。
足元にアルタットの姿もある。
ヴィーは軽く首を傾げた。
「やっぱり調子悪いんじゃないの? 大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
答える。
答え、周囲を見回して思わずヴィーを見る。
「どうしたのー?」
「此処は……本当に王城ですか?」
「だってぇ、アギ?」
シズハと同じように周囲を見回していたアギはイシュターを見た。
アギから少し離れた位置でじっと壁を見ていた彼女は、ゆっくりとひとつ鳴いた。
アギが頷く。
「間違いねぇって」
「……」
「何だよ?」
「俺が知っている城とは全然違う……」
白の王城だった。
銀の秘宝のふたつ名の通り、白と銀を用いた美しい城だった。
しかしその壁は今は黒く染まりつつある。
触れるのさえ戸惑うほどの黒。
その黒は一瞬ごとに深みを増す。
左右に伸びる通路。
イルノリアでさえも軽く翼を広げられるその広さの通路は、シズハの記憶には残っていない場所だ。
「城は黒竜に喰われてる、って言ってたろ、そっちのオッサンが」
「オッサンって……アルはまだおじさん年齢じゃないんだけどねぇ」
「俺より年上」
アギはあっさり答えた。
「ほら、何時までも口開けて間抜け面してねぇで行こうぜ? 人の気配は殆ど感じねぇし……」
言うと同時に彼は歩き出す。
目的地があると言うよりも勘のまま歩き出している。
そのアギを追いかけようとして、イシュターが足を止めた。
振り返り、こちらを見やる。
ヴィーはシズハを一瞬だけ見て歩き出した。
アルタットは最後までシズハを見ている。
その彼に笑う。
「大丈夫です、アルタット殿」
みゃう、と小さな声の返答。
アルタットはヴィーの元へ駆けて行った。
音の無い黒猫の走る様子を見て、何となく微笑。
さぁ、と、シズハはイルノリアを促す。
何故かきょろきょろと辺りを見回し続けているイルノリアを。
「イルノリア?」
細い声。
訴える内容は短かった。
銀竜の声がする。
「……銀竜? エルターシャ?」
イルノリアはひとつ頷いた。
守ってる。
誰かと戦っている。
「……」
戦う力の無い銀竜が?
シズハの問いにイルノリアが顔を寄せた。
笑うような様子を見せる。
わたしたちはとても弱いけど、たいせつなものを守るためならいくらでもがんばれる。
シズハは笑い、頷く。
エルターシャの声は届かない。
イルノリアの耳にだけ届く声。
ならば、と、片割れの首に手を当てる。
彼女を頼りに辿る。
この周囲の竜の気配を、辿っていく。
瞳を閉じて辿る気配。
大きな気配が交じり合っている。
辿り切れない。
何だろう……これは?
そして、突然現れるイメージ。
見下ろす黒竜。
見つかった、と、シズハは身構える。
逃げようとする意識の前に、黒竜が口を開いた。
何か、言葉が向けられた。
途端、軽い痛みに意識を戻す。
イルノリアが軽く手を噛んでいる。
痛みでシズハの意識を戻したのだ。
「……有り難う」
小さく、ため息のような声が漏れた。
シズハ、とイルノリアが呼ぶ。
「あ」
そう言えば皆が既に動き出していた。
追わなければ。
向けた視線の先には壁があった。
イルノリアが翼を広げる。
壁の前に降り立った。
不思議そうに壁を突く。
首を傾げて壁を見ている彼女も、先ほどまで此処に通路があったのを覚えているのだろう。
幾ら突いても壁はそのまま。
シズハ、ともう一度呼んで、イルノリアは困ったようにこちらを見た。
念の為に壁に近付いてみるが、黒い壁は硬いままだ。
「アルタット殿、ヴィー!」
壁の向こうに声を出してみるが返答は無い。
叩いた壁の感触はかなりの厚みがあると思った。
今のシズハたちには壊せそうも無い。
イルノリアの首をひとつ撫で、後ろを見る。
長く伸びた通路。
「こっちに行くしかないな」
行こう、とイルノリアを促し歩き出す。
ゆっくりと羽ばたき。
まるで飛竜を飛ばせる為に用意した通路のようだ。
確かにシルスティンは通路を広く取ったつくりをしていたが、此処までではなかった。
もっと大型の飛竜でさえも入り込めるだろう規模。
既に此処は黒竜の腹の中。
何があるか、正直、分からない。
皆は、大丈夫なのだろうか。
――振り返って、自分の真後ろに壁があった時の衝撃はなかなか言葉にならない。
が、アギはとりあえずその壁を蹴飛ばしてみた。
足先にしっかりとしたものを蹴った感触が残っただけで、後は何も無い。
勿論、壁は壊れる様子も無い。
舌打ちし、小さな声でイシュターを呼んだ。
返答は無い。
どうやら引き離されたようだ。
一人きりなのを確認する。
一瞬だけ、持っているマジックアイテムを思い浮かべたが、此処でハーブと連絡を取った時点でやつはどんな手段を用いてもやって来るだろう。
例え、黒竜と一対一で戦う羽目になろうとも。
危険過ぎる。
「……最終手段にしとこ」
幸いにも通路は前に続いている。
そっちに向かって歩く。
不思議と恐怖感は少ない。
一人には慣れている。
それに、黒竜以外の相手はたいした事は無い。
恐れる必要は、無い。
軽く、呟いた。
「……黒竜って暗視出来んのかな……」
それで逃げられたら運が良いけど。
一方。
突然目の前に現れた黒い壁の前で、イシュターは力いっぱい鳴き続けていた。
壁に猫の手を押し当ててにゃーにゃー鳴いている様は、完全に飼い主から締め出された猫。
思わず背後でヴィーは苦笑。
すぐさまイシュターに凄い目で睨まれたが。
両手を挙げて降参を示し、笑う。
「引き離しに掛かってきたねぇ」
イシュターが鳴いた。
どうにかしろと言うらしい。
「無理だよぉ。俺、こういう状況苦手ぇ。力ずくでどうにかしちゃうか、寝て待っているタイプなんだよ」
それでも、ヴィーはアルタットを見た。
アルタットは黙って壁に近付く。
猫の爪を壁に向かって叩きつける。
傷は確かに出来る。
だが瞬時に再生。
目の前の黒い壁は黒竜と繋がっているらしい。
アルタットはヴィーに鳴いて伝える。
無理だ、と言う事を。
少なくとも実力を出し切れない猫の身体では黒竜の一部とでも戦えない。
ヴィーがにんまりと笑った。
「戻っちゃう?」
嫌だ、とだけ鳴いた。
アルタットはヴィーの横を抜けて通路に面しているドアに近付いた。
前も後ろも壁。
なら、行く場所は此処しかない。
イシュターはまだ前の壁を見て鳴いている。
アギが心配なようだ。
「イシュターぁ、行くよー」
ヴィーに声に不満そうな鳴き声がひとつ。
しかし逆らう気は無いようだ。
ヴィーが押さえているドアから、光の足りない、薄暗がりの通路へと踏み込む。
「――よくやった」
今の主の褒め言葉に、黒竜――ボルトラックはゆっくりと意識を戻す。
既にこの城の殆どは自分の身体と等しく、変化させるのには何の苦痛も無い。
ただ苦痛があるとすれば、己の腹の中に等しい場所にいる人間たちを喰らえない事だ。
この主は食わせてくれない。
飢えを満たしてくれない。
広い部屋の中。
黒竜はそれを見る。
部屋の中にはいくつかの水晶球。本来ならば他国との連絡に使っていたそれがこの部屋に集められている。
そして、城の中の様々な風景を映し出していた。
「ほら、見てみろ、ボルトラック。奴らはバラバラだ」
引き離さずとも命じてくれれば良いのに。
ただ一言喰らえ、と。
そうすれば、喰らってやろう。
なのに、命じない。
今更何を思っているのやら。
人間はよく分からない。
このヒューマと言う人間も、そのほかの人間も、よく分からない。
あぁ、腹が減った。
飢えを満たしたい。
そればかりを考える。
人間を守っている銀竜を食らう命令をくれてもいい。あれなら喰らえる。
それに人間よりも飛竜は良い。
満たされる。
水晶球には人が写っている。
銀竜と若い男。
黒竜は意識の中で目を細める。
先ほど触れてきたのはこの男か。
あぁ――そうか。
そういう、事か。
黒竜は考える。
飢えで鈍くなった思考で必死に。
その黒竜の耳の上を、ヒューマの言葉が滑っていく。
「何処にでも銀竜を連れて歩いている。――こいつはいつもそうだ。当たり前のような顔をして銀竜と共にいる。何時も、何時もだ」
微かな笑い声。
「嫌な男だ。悪意など無いと言う顔をしながら、どれだけ人に苦痛を与えるのか。――だが、もういい」
笑い声。
「此処に来てくれた。私の王城へ。――なら、終わらせてやる」
ヒューマの言葉などもう聞こえない。
偽りの王の言葉など聞きたくも無い。
ボルトラックは瞳を閉じる。
――会いに、行こう。
そう決めたボルトラックの意識に新たに触れる気配。
飛竜だ。
よく肥えた――満ちた飛竜たち。
いや……そうでもないか。
だが、確かに飢えた黒竜を満たす獲物。
喰らいに行こうか。
あぁ、でも。
会いたい。
会いに行こう。
再度、誓った。
同室。別の水晶球から風景を覗き込むのは、翼有る女、リンダだ。
映っているのはアギ。
リンダは軽く首を傾げ、それを見る。
「……ちがう……」
ヒューマの水晶球を見る。
シズハの姿。
「……ちがう……」
水晶球から離れ、部屋の隅で膝を抱く。
ヒューマの笑い声が聞こえる。
でもどうでもいい。
ちがう、ちがう。
私のあの人がいない。
あの人は。
もっと寂しそうだった。
もっと苦しそうだった。
もっと――傍にいたかった。
いつになったら来てくれるのだろう。
いつになったら褒めてくれるのだろう。
たった一人で頑張ってる、この私を。
リンダは手の中に視線を落とす。
握り締めていた弾丸。
竜を滅ぼす力。
それがもう何か分からないような表情で、リンダは掌の中の弾丸を指で突いた。
微かな金属の音。
リンダは首を傾げた。
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