第16話4章



【4】




 その銀竜は疲れ果てているように見えた。



 シルスティン王城最奥部。女王の間とも呼ばれるその部屋は、一匹の銀竜の為の部屋だった。


 普段ならば銀竜を、そして片割れである女王を守る為に何人かの近衛兵が部屋にいる。


 今はそこに銀竜――エルターシャとその片割れがいるのみ。

 床に伏せたまま動かない銀竜の顔を撫でる。

 見上げてくる黒い瞳に女王は少しだけ笑った。


「有り難う、エルターシャ」


 片割れの受ける苦痛は、痛みの無い苦痛として伝わってくる。

 何もしてやれない。

 己が恨めしくなるほどの無力さ。

 女王は今、この部屋から出る事もままならない。

 国内間のみとは言え、数日前に可能だった魔力の通話も今は無理だ。

 外部との連絡手段は絶たれた。



 片割れの受ける苦痛は、痛みの無い苦痛として伝わってくる。

 それは心の苦痛も等しく。

 女王の不安と己の無力さへの嫌悪。

 銀の片割れはそれを受け止める。

 ゆっくりと頭を上げ、女王に寄せた。

 抱きしめるように翼を広げる。


「……有り難う」


 もう一度、礼の言葉を口にする。

 銀竜は金属の声で細く鳴いた。


 その鳴き声が一瞬止まり、異なるものへ。

 女王は庇うように片割れの首を一度抱き、部屋に入ってきた人物に向き直る。

 背筋を伸ばし、向かい合う。


「――何の用ですか、ヒューマ」


 諸悪の根源。

 そう呼んでも良い存在がそこに立っている。


 ここ数日で彼はすっかりやつれた。

 整った顔立ちだからこそ、そのやつれ具合が異様に目立つ。

 苛立っているのがよく分かった。

 エルターシャが背後で身体を起こす。戦う力の無い銀竜が、片割れを守ろうと動き出す。

 それを片手で止め、再度、孫へ言葉を向ける。


「此処はエルターシャの為の間。貴方が立ち入って良い場所ではありません」

「結界を解け」

「あら」


 女王は胸に手を当てた。


「私もエルターシャもそんな力は無いわ。黒竜を封じるような結界は私たちには到底無理」

「嘘だ。その銀竜ならば出来るんだろう」


 ヒューマの手には剣がある。

 上質な剣ではあるがただの剣。

 齢を重ねた銀竜を切り裂ける訳が無い剣。

 そんな無力なものにしか今は頼れない孫を、哀れに思う。


 ヒューマは剣で床を叩いた。


「城の中の人間を守っているのはその銀竜だろう、女王」

「えぇ。それはエルターシャの力」

「黒竜が飢えている」


 笑う。「既に城下の人間は食い尽くした」



 エルターシャが細く鳴く。

 嘆きの声。

 女王は瞳を閉じた。


「結界が出来ないなら城の守りを解け」

「お断りします」


 守りを解けば城の人間も食い殺される。

 エルターシャの力の有効範囲はせいぜいこの城全体。城から一歩でも出たなら守りの力は消えうせる。

 城から逃げようとして喰われた人間もいる。


 エルターシャは嘆く。

 自分の無力さに。

 先ほどの女王のように。

 嘆く。


「――ヒューマ、もうお止めなさい。貴方に黒竜を制御するなど無理なのです」

「無理ではない。現に――」

「この城を変化させたのも貴方の命令? 違うのでしょう? 黒竜が勝手に行っているのではありませんか?」


 返って来た沈黙。

 ヒューマは視線を逸らす。


「人を喰らい続けているのも貴方の命令ではないのでしょう? 貴方は支配を望むけれど破壊を望んでいる訳ではない。――その時点で黒竜と貴方は相容れない存在なのです」

「――なら、どうすればいいと?」


 戻ったヒューマの視線は暗い。

 暗い炎を秘めている。

 憎悪。

 真っ向からぶつけられるそれに、女王は痛みを覚える。


「竜にも選ばれない、何の力も無い出来損ないの跡継ぎだと――そう言われ続けた私は、どうすれば良かったのだ? 貴方の保護下で玉座を継いで、ゴルティアにこの国を食わせてやれば良かったのか? それとも神聖騎士団の傀儡になれば良かったのか?」

「ヒューマ」

「嫌だ」


 吐き出すような声。


「私は嫌だ。そんなのは嫌だ。私は王になる。皆に認められる王になる」


 例え、それが恐怖によるものだとしても。

 王として、認められる存在になる。


「力を」


 搾り出す声は続く。

 剣を持っていない手が差し出された。


「力を貸してくれ」

「何を?」

「銀の秘宝とは、何だ?」


 問い掛けに女王は目を細める。


「貴方もよく知っているでしょう? この城の別名です。遥かな昔から守られた、もっとも美しいと言われた白の王宮。それがこのシルスティンの誇り、銀の秘宝です」

「違う。――別の、銀の秘宝があるだろう?」

「……」

「聞いた。シルスティンには守っている秘密がある。それが銀の秘宝だと、聞いたぞ」

「誰がそんな事を」

「あるんだな?」


 ヒューマの瞳に少しだけ色が浮かぶ。

 期待の色。


「どんなものでもいい。その秘密を教えてくれ。――何か、きっと、力に……」

「いいえ」


 女王はゆっくりと首を振る。


「銀の秘宝なんて大それた名前が付いてますが……これは何の力も持たない言葉。ただの……」


 そう、ただの――


「御伽噺のかけらです」

「……?」


 疑問符を浮かべるヒューマを見る。


「銀の秘宝は何の力もありません。諦めなさい、ヒューマ。そして、黒竜との契約を破棄なさい。まだ間に合うとは言いません。貴方もこの国の王族ならば、己の犯した罪を認め、法の裁きを受けなさい」

「死ねと? 私が死ねばこの国の王家は途絶える」

「それでも良いでしょう。――今の貴方に国を継がせるぐらいならば」



 ヒューマは剣を腰に戻した。

 そのまま女王に背を向ける。



「ヒューマ!」

「もう遅い。黒竜には私の魂を喰らわせてやると契約した。その力を得て、私が満ちた暁には、と」

「……愚かな」

「あぁ、愚かだ。――だが、愚かなのが何が悪い。愚かなりに足掻いてやる。力が無いのなら冥王にだって魂を売ってやる」


 こちらを見る、ヒューマの瞳。


「私が得た結論はこれだよ、お婆様。――力が欲しいのなら何でもしろ。どうせ私には何も無いんだ。私に与えられる評価は最低だ。今更狂っていると言われても、何とも無い」


 ヒューマはもう女王を見ない。



「銀の秘宝とやらを教える気になったら呼べ」

「……何の力も無い言葉です」

「それでもだ」


 人の気配。

 誰かがこの部屋にやってくる。


「――ヒューマ様」


 微かな声。

 人の声だ。

 ヒューマが出した許可の声に応え、部屋に入ってきたのは若い男。神聖騎士団の騎士だ。

 彼らは今、ヒューマに従っている。

 黒竜と言う絶対の恐怖。

 従うより、無い。


「数箇所、結界に乱れが発生しています」

「侵入者か?」

「恐らく」

「確認する」


 ヒューマは言うなり歩き出す。

 足早に去っていく足音を耳に、女王はこちらを見ようともしない神聖騎士団の若き騎士に問う。


「神聖騎士団の皆は、無事ですか」

「な、何名か死亡者が出ています。が、その……8割がたは……生きています」

「そう、良かった」

「じ、女王陛下」


 騎士がこちらを見る。

 ヒューマと同年代ぐらいだろう。

 若い、騎士だ。

 目に涙がある。


「も――申し訳ありません」

「いいのよ、謝らないで。私が怒るとすれば、貴方たちが命を無駄にした時。だから大丈夫。泣かないで」

「……女王陛下……」

「今はまだ……戦う時ではないのでしょう。必ず、戦う時が来ます。ですから、無駄な死を迎えぬように、と。そう、皆に伝えて下さい」

「はい、必ず」


 青年の言葉に頷き、笑う。


「もう行きなさい。気を付けて」

「有り難うございます。女王陛下も、どうか」

「えぇ、私は大丈夫」


 背後、銀の片割れを見やる。


「エルターシャもいるのだもの」


 




 騎士が立ち去り、女王と飛竜二人きり。

 顔を寄せてきた片割れに微笑み、その顔を撫でてやる。


「エルターシャ」


 呼び掛け。


 優しい、声。



「貴方に辛いお願いをする事になるかもしれないわね」


 でも、良いのでしょう?



 銀の片割れは優しく鳴いた。



「エルターシャ、侵入者について分かるかしら? 誰が、来ているの? ゴルティアの竜騎士団?」


 エルターシャは瞳を伏せる。

 迷うように伏せられた瞳が揺れた。

 彼女も分からないらしい。


「私たちの敵ではないのなら、エルターシャ、出来うる範囲で力を貸してあげて」


 細い金属の声。

 女王は微笑む。


 銀竜は微笑む片割れに見つめた。

 そして翼を広げる。


 

 いまだ黒竜に喰らわれ続ける城と意識を繋げ、苦痛の中、片割れと、片割れの愛しきものを守ろうと、銀の翼を、ゆっくりと広げた。

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