第16話3章


【3】




 ゴルティア王城の上には月が出ていた。

 明るい月だ。

 

 竜騎士団本部。騎士団内部の会議に用いられるその部屋には今、四人の男がいた。

 何か考え込むような表情を見せているテオドール。

 不機嫌そうに何度も手元の書類――持ち込む装備の確認用らしい――を見ているロキ。

 先ほど出て行った事務官から渡された書類に目を通しているのはゼチーア。


 そして、一人わくわくと椅子に座っているのも我慢出来ないと言う様子なのはルークスだ。


 シルスティンへの出陣の際は共に、とゼチーアに願ったのは事実だ。

 だが本当に連れて行って貰えるとは思っても見なかった。

 運が良い。

 本当に運が良い。

 それだけでルークスはただご機嫌だ。

 自然に笑いが出てくる。


 あまりにやにやしていると不機嫌そうなロキから文句が飛んでくる。出来うる限り顔を引き締めようとするが、なかなか難しい。

 



「――失礼」



 話し出したのはゼチーアだ。


「シルスティン側は特に変化は無し。結界強度に関しても何の変化も無いと報告が来ています」

「……そうか」


 答えたテオドールの顔色が悪い。

 何年もその下で仕えたゼチーアには分かる。テオドールは今回の件は乗り気ではない。もっと別の――何かを気にしている。

 だがそれが何かまではゼチーアには分からない。


 テオドールは腕を組み、目を閉じる。


「今晩中に出陣は可能か」

「――可能です」


 答えたのはロキ。

 ゼチーアはそれに頷き、言葉を続ける。


「既に日が経ち過ぎている。一刻も早く動いた方が良いかと」

「……そうだろうな」


 テオドールの言葉にはやはり何らかの迷いの色がある。

 何だ?

 違和感。酷く、気持ち悪い。ゼチーアは襟元に軽く手を当てた。息まで苦しいような気がしている。


「支援の為の竜騎士たちへの伝達も済んでいます。――今すぐにでも出陣は可能な状態にあります」


 ゼチーアはその不快感を振り払うように言葉を続ける。

 テオドールの顔を真っ直ぐに見たまま。



 何故瞳を閉じたままなのだろう?

 そのものの本質を見ると言う竜眼を、何故、閉じたままなのだ?

 テオドールは何を見たくない?



「――分かった」


 待ちわびた瞳が開く。

 金に似た茶色の瞳。


「確認するが――我々の目的は生存者の救出だ。黒竜との戦闘は出来うる限り避けた方が良い。光の属性の攻撃である程度の動きは封じられるようだが、それも完全ではない」


 ただ、とテオドールはロキを見た。


「黒竜を倒せる可能性もある」

「何を?」

「滅竜式弾丸だ」


 ゼチーアの問いにロキが答えた。

 ロキの顔は嫌悪に歪んでいた。当たり前だ。竜を滅ぼすその力を、竜騎士が好んで用いる訳が無い。


「あれは竜の身体のみを腐らせる。実体がある以上、そして黒竜が飛竜である以上、必ず利く」

「用意したのか?」

「五発」


 短い答え。


「弾丸式のだ。少々旧型らしいが、十分使いこなせる自信はある。全弾、黒竜に喰らわせてやる」


 指先ほどの小さな弾丸。

 それは飛竜に食い込み、その身体のすべてを腐らせる。一瞬で病のように増殖する。

 逃れられる飛竜はいない。

 喰らった箇所を切り落としても間に合わないのだ。


「ゼチーア、そんな顔をするな。――私だって嫌だ。こんなものを持ってレジスに乗りたくも無い」

「……いや、すまん」


 ロキが微かに笑い、頷く。

 テオドールを見る。


 テオドールはもう一度瞳を閉じた。

 口が開く。



「救出の最優先は女王陛下」

「生きているんでしょうか?」

「ルークスっ!」

「す、スイマセン!!」


 ロキに怒鳴られてルークスが縮こまる。


「で、でも、今シルスティンで悪さしているヤツが王様になりたがってるなら、女王陛下は邪魔じゃないんですか?」

「それはない」


 テオドールは言う。


「エルターシャが鳴いている」


 嘆きの声で歌う銀竜。


「結界の外まで微かに聞こえてくる。あの金属の声はエルターシャだ。――片割れを失った飛竜が何日間も生きられるとは思えない。女王は生きている」


 エルターシャ。

 大陸でもっとも歳を重ねた銀竜。

 そして、唯一死者蘇生を行える銀竜だ。


 ゼチーアは無意識に手を握り締めた。

 何としてでも女王とエルターシャを救わなければならない。


「――城内がどうなっているかはまったく分からない。ただ、外側の変化を思えば内部の変化も激しいものだろう。シルスティンの地図は頭に入っているな?」


 全員が頷く。


「参考程度にしかならないだろう」

「……あの、テオドール様……」


 ルークスが恐る恐る手を上げた。


「城内に、飛竜を連れて入れますか?」

「本来のシルスティン王城は飛竜を最奥部に運べるように作られている。その道の周辺ならば十分だ。――それに」

「それに?」

「黒竜が城を喰らっている。ならば、生み出した影を自由に動ける程度の広さは作っている筈だ」

「じゃあ、ロキさんと一緒にいれば安全ですね。黒竜が出てきても、滅竜式弾丸で何とかなるんですよね?」

「引き離される可能性もある。ヤツの腹の中にこれから入る」



 ルークスは軽く俯く。

 今更になって怖気づいたのかもしれない。



「では――」



 テオドールが何かを続けようとした矢先、それに気付く。

 足音。

 随分と騒がしい。

 重い体重の主――鎧を着ているのか?――がこちらへ向かって駆けて来る。


 皆も気付いたようだ。


 扉の方へと視線を向ける。

 ノックもせずに飛び込んできたのは若い兵士だ。

 息を切らし、枯れそうな声で兵士が叫ぶ。


「ま――魔物が!」

「魔物?」

「ゴルティア郊外に魔物が出現しています。魔術師の調査によれば、なにやら召還の陣がそこに元からあったとの事です」

「元から? まさか」

「古いもので――お、恐らく、冥王戦争時代のものかと」


 兵士は叫び続ける。


「魔物の大きさ上、騎士団では戦い切れません。竜騎士団の出陣を!」


 何故にこの時に。

 思わず視線が合う。

 純粋に戦う能力を比べるのならば、テオドール、ロキ、ゼチーアの誰かが出陣すべきだ。

 だが、そうなればシルスティンへ向ける戦力が減る。

 他の竜騎士を連れて行く?

 それも難しい。ゴルティアの竜騎士団も人数は少ない。シルスティンへ連れて行ける範囲の飛竜は二匹。他はまだ足りない。ルークスの方がまだまともなぐらいだ。


 冥王戦で多くの飛竜を失ったのが、今更ながら悔やまれる。



「――テオドール殿、申し訳ない、出陣を急いで頂けませんか」

 


 開いたままの扉から魔術士風の男が入ってくる。

 品の良い顔立ちに眼鏡がよく似合う男だ。年齢は40歳前後ぐらいに見える。

 身体の線を隠す、魔術士の長いローブを着ていても、その体躯は貧弱と言っていいものなのがよく分かった。

 

 男に見覚えがあった。

 ウォルフ。

 魔術士協会の会長を務める男。まだ若いが実力は確かだと聞いていた。


 ウォルフの笑み。片頬に笑窪が浮いている。

 何となく、誰かを思い出した。


「他にも二箇所、ゴルティア近郊にて陣らしい場所が認められています」


 計三箇所。


「此処からすべて魔物が出現すれば、さすがの竜騎士団も苦戦必須でしょう」

「現在出現中の魔物は」

「炎に包まれた巨大な人間、と言う所でしょうか。よくある巨人タイプです――が、大き過ぎる」


 ゼチーアはテオドールを見た。

 テオドールは瞳を閉じた。

 小さく、何かを呟いたように見えた。


「――分かった」

「テオドール様」

「他国よりも自国の守りだ」

「………」


 頭では分かっていた。

 分かっていたが、テオドールの口からその言葉が出るのが信じられなかった。


 ウォルフが満足そうに笑う。


「宜しくお願い致します、竜騎士団殿」


 それから、と、彼はルークスを見た。


「愚息が足手纏いになっておりませんでしょうか」


 ルークスは酷く不機嫌そうだ。

 じっと、ウォルフを睨み付けている。


 親子、か。


「ルークスはよく頑張っています」

「そうですか」


 それは良かった。

 


 ウォルフが笑う。

 笑い、動き出す。


「もう少し調査を行います。――いまだ完全に活動していない二つの陣を封じる方法も調査中です」


 ご報告致します。


 その言葉を最後にウォルフは立ち去った。


 ルークスはいまだ沈黙している。怒っているような顔にも見えた。

 皆の視線が集まっているのに気付き、彼はようやく慌てたように笑って見せた。

 笑窪。


「えーと、その……何て言うか」


 困ったように。


「……息子が全部父親大好きって訳じゃない、って、そういう事、ですね」


 言わなくてもいい事を口にしたと分かったらしい。

 スイマセン、と、消え入りそうな声が続いた。




 まだ此処に残っている兵士をテオドールが呼んだ。


「すぐに出陣する。――デニスに伝えてくれ、飛竜たちの用意を」

「は! かしこまりました!」


 すぐに駆け出す兵士。


 が、吹っ飛んで戻ってきた。


 文字通り吹っ飛ばされた。



 兵士を吹っ飛ばした原因は、扉の所に立つ若い男。


「ライデンさん、ライデンさん、本当にお願いですからちょっと自粛して下さいって!」


 若い男――ライデンは、シヴァに腕を引かれ、下がるように懇願されながらも平然とそこに立っていた。


「失礼。取り込み中だったか」

「……」


 何と言うか。

 変な男だ。


「街の外が随分と賑やかだな。――あれはどうする?」

「ゴルティア竜騎士団が向かう」

「ふむ」


 ライデンは腕を組む。

 シヴァはもう諦めたようだ。ぜぃぜぃと荒い呼吸で床に座り込んでいる。どうやら城に突っ込んできたライデンを止めようと頑張ったらしい。無駄な努力ではあったが。



「――ゼチーア殿」


 ライデンの呼び掛け。


「今度こそ手伝わせて貰えないか」

「何を」

「魔物退治だ。――断られても勝手に行くつもりだが、一応許可は取って置こうと思って来た」


 見ればライデンは軽装ではあるが鎧を纏っている。

 竜騎士が好む革鎧。金属パーツが所々に付けられている。その金属が独特の光を放っていた。どうやら魔法金属のようだ。


「勝手に行くなど――」

「だから許可を取りに来てやっただろう」


 ライデンは腕を組んだまま言う。

 紫色の瞳を細める。


「こう言っては何だが――ゴルティアの竜騎士団にそこまで戦力があるのか? 人の力を借りぬと言ってられるほど、余裕があるのか?」

「ら、ライデンさん」

「すまん、シヴァ。――だがこの近距離に魔物だ。市民の安全に関わる」



 どうせ、とライデンは続けた。


「私の身元の確認は済んだのだろう」


 ゼチーアの沈黙にライデンが笑う。


「安心してくれ。此処で死ぬ気は無い。――自由騎士団は常に人材不足だ。……万が一、私が異国で死ぬような事があれば、自由騎士団は大幅な戦力低下となる」


 ゼチーアはテオドールを見た。


 テオドールは微かに目を細めている。

 瞳が金に見える。

 竜眼。


 そして閉じられる瞳。

 小さく、テオドールが頷いた。


 ゼチーアは再度ライデンを見る。


「勝ち目は」

「十分ある」

「一人でもか」

「……そうだな」


 ライデンは初めて少し迷った。

 己の背後を見る。

 まだ床に座りっぱなしのシヴァ。


「シヴァを貸してくれ。風竜のサポートがあると安定する」

「へ?」

「――分かった」

「ふん、許可は降りたな。――そちらの竜騎士もまぁ、礼を言おう」


 テオドールに対しての言葉。


 さて、と、ライデンはシヴァに向き直る。


「さぁ行くぞシヴァ。すぐに出発だ」

「ほ――本当に僕とココを連れて行く気ですか? 僕たち、戦闘向けじゃないのですが……」

「期待していない」

「だと思いましたけどね、実際言われると――って、あ、あの引きずらないで下さいって自分の足で歩けますって!!」


 シヴァの言葉が終わらないうちにライデンが彼を引きずり歩き出す。


 シヴァの声は暫く聞こえていた。






 竜舎の前。

 念の為にライデンのサポートへ金竜を三匹ほど回した。

 黒竜の攻撃から生き残った雷竜ならばだいたいの魔物には負けないと思うが、それでも念の為だ。


 そして、四匹の金竜が竜舎前にいた。

 年長の金竜にすくんでいる様に見えるシュート。

 ロキが持ち込んだ武器から僅かに身を引いているレジス。

 瞳を閉じ、じっと何かを探っているような表情のベルグマン。


 そして、緩やかに翼を広げ、前に立ったテオドールに顔を寄せるコーネリア。

 

 デニスがやってきた竜騎士たちに笑う。


「準備はすべて完了。いつでも出発出来る」

「いつも助かります、デニス」

「いいやいいや、これが私の仕事だからね」


 デニスは笑う。


 ふと――そのデニスが顔を動かした。


「誰かな、あれは?」

「……?」


 振り返る視線の先、何処かで見た記憶のある少女が駆け寄ってくる。

 上着の下は女中服だ。

 

 少女は真っ直ぐにゼチーアの前に立った。

 息を切らし、それでも笑う。

 笑顔に見覚えがあった。


「間に合いました」


 少女が笑いながら、両手で差し出すもの。

 布に包まれた細長い形状。


 それを受け取りつつ、ゼチーアは少女に問いかける。


「ジュディの家の使用人だったな」

「はい」


 少女が頷く。

 そっと、手渡された布。中の硬い感触。


「お嬢様からです」


 布を開く。

 中には一振りの短剣。

 鈍く光るような魔力の光。小型のものではあるが、間違いなく魔力がこもった金属で出来ている。

 飾られた柄を指でなぞる。

 刻まれた聖印。ゴルティアの守り神と言われる聖帝の印。


「……無事に戻れば、会いに行くと伝えてくれ」

「はい。――お嬢様は何も仰いませんが、その、きっと待ってらっしゃいます」

「あぁ。……有り難う」

「はい」


 少女はもう一度笑うと、此処にいる一同に頭を下げてバタバタと走り去った。

 ゼチーアは手の中の短剣をなぞる。

 柄の部分に削り取られたような箇所がある。


 短剣はどう見ても古いものだ。

 もしかすると、と考える。

 名を刻んであったのかもしれない。


 神の名を既に呪文であり、軽々しく口にしてはならないもの。

 そう言われ続け、ごく一部の人間しか神の名を知らない。

 聖帝のように、通称で呼ぶのが一般的だ。

 ただ、古い魔法道具の中には神の名を刻んだものもあった。

 それは現代に伝わる間、削り取られるなどの対処をされるのも多い。


「――綺麗な短剣ですね」


 手元を覗き込んだルークスが言う。

 目を細め見やる。


「魔法の短剣です。お守りなんでしょうね」

「だろうな」


 軽く、短剣の鞘に口付けた。


「有難い事だ」

「………」

「どうした?」

「下手すると凄いキザな動作だなぁ、と思って、ってす、スイマセン……!!」



「――お前ら、もういいなら動くぞ」


 ロキの呆れ切った声に慌てる。

 ルークスも裏返った声で返事を返してきた。

 短剣をベルトに差し込み、ベルグマンに近付く。


 ゆっくりと瞳を開いたベルグマンの顔を撫でる。


「行くぞ」


 片割れは低く答えた。






 金竜が空に舞う。

 四匹。

 夜空に鮮やかな色彩。


 デニスはそれを見上げる。


 飛んでいく飛竜たちを眺める。

 彼らが無事に帰ってくる事を、ただ、ただ、祈りながら。

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