第16話2章
【2】
顔を何かがなぞっている。
……舐められている?
シズハはようやく目を開いた。
目の前にイルノリアの銀の顔。見慣れた顔にシズハは思わず微笑み、腕を伸ばした。摺り寄せられた顔を両腕で思い切り抱きしめる。
「……イルノリア」
小さく呼んだ名に金属の甘い声が返ってきた。
「――ようやく目覚めたか」
文句を塗れさせた声でドゥームが言う。
机に向かったままこちらを見ようともせずに言う。
「勝手に気絶しおって。お前が下敷きにしている本は現在、一冊しか現存しておらん貴重書じゃぞ」
「し、失礼しました」
「まったく。本を奪おうとすればその銀竜が威嚇しおる」
倒れたシズハを守ろうと、イルノリアは一歩も動かなかったらしい。
今もぴったりと身体を寄せている。
ドゥームを見るイルノリアの瞳は険しい。
警戒している。
「――あの、皆は……」
「奥の部屋で調べ物をしている」
指差す先にドアがあった。
「此処は女王陛下がワシの為に用意してくれた部屋だ。あやつらにとって必要な情報もあるようだ。――まぁ、ろくでもない輩が幾ら知識を求めても、使いこなせるとは思ってないがな」
シズハはゆっくりと立ち上がった。
少しふらつく。イルノリアが寄り添ってくれた。
顔を上げるとドゥームが本を読むのを止めてこちらを見ていた。
「――それほどショックを受けるものか?」
「……」
イルノリアが片割れではないと言われた事か。
それとも、黒竜が人を喰らったと言う話か。
どちらの事を示しているのだろう。
「お前は……自分が竜人と気付いてなかったのか?」
「竜人と言う言葉自体、殆ど知りません」
バーンホーンの外れに住む竜と共存している集落の人々をそう呼ぶ事がある。バダもそこの出身だ。
あとは、母であるキリコの出身地で竜騎士をそう呼ぶ習慣もある。
だが、片割れがいないとは……聞いたことも無い。
「――源人。竜と人を併せ持った最強の種族。彼らは神の怒りを買い、引き裂かれた」
よく聞く昔話。
シズハもその物語を信じている。
「だが、ほんの一部の源人だけは引き裂かれるのを逃れた。彼らは神の追っ手を恐れ、己の力を隠し、一生を終えた。引き裂かれる苦痛に耐えるぐらいならば、隠れて生きた方が良いと、そう判断した」
「わざわざ一族はバラバラに生活し、普通の人間と婚姻を繰り返した。力は薄れ、何の効力も無い。竜を従える力を竜騎士の力と誤解し、竜騎士となっている者さえいる。――だが、奇跡かな。何百年に一人単位だが、原始の竜人の力を持って生まれる輩がいる」
顎でシズハを示す。
「どの竜も従える、お前のような、者がな」
「イルノリアは、俺が好きで傍にいてくれるんです」
「思うのは勝手だ。何度も言うが竜人は竜を従える」
「だから!」
「――だが、お前が意識を失っても守ろうとするのは、少々、珍しいな」
「……」
「好きにするといい。ワシには銀竜もお前も関係ない。その銀竜の片割れが何処かにいたとしてもワシはどうでもいい。その時にお前たちがどれだけ苦労しようとも、ワシはまったく興味は無い」
ドゥームは本に視線を戻してしまった。
「あの――」
「お前の力は幾らでも悪用出来る。せいぜいその銀竜で誤魔化して、竜騎士のふりをしておくんだな」
何だか忠告のように聞こえた。
「本当に訳の分からん男だ。竜人と言うだけで珍しいのに加えて器か。しかも黒竜が人を食い殺したと聞いて卒倒するような人間が器とは、な。訳が分からん」
「俺は本当に、その、冥王の器なのですか」
「間違いは無いだろう」
瞳を上げる。
「魂の色が違う。見る人間が見れば一目瞭然だ。――ただし、お前はどうも弱いがな」
「弱い?」
「決意と言うものが欠けている。アギを見れば分かるだろう。女神を求めて、それだけの為に動いている」
他の冥王の器たちもそうだった。
女神への渇望。
人への憎悪。
己への疑問。
様々な感情を抱えて、彼らは動かずにおれなかった。
「お前はそれが無い。――なので、どうも器とは言い切れん。もしかすると失敗作か予備なのかもな」
「予備とかあるのですか?」
「ニセモノとアギは言っていたな。何らかの事故で器が壊れる事もある。ならば予備を用意しておく。それぐらいは学習したようだ」
何度も何度も恋人たちは繰り返した。
「――この件が終わったら、お前はもう女神やら何やらに関わらない方が良いと思うぞ」
「はい」
シズハは軽く胸元を掴む。
胸が苦しい。
不安が、ある。
話し声に顔を上げる。
戻ってきたのは、ヴィーとアギ、それと猫たちだ。
みゃう、とアルタットが鳴く。安堵の声に聞こえた。
シズハは軽く頭を下げる。
「ご迷惑をお掛けしました」
「もう大丈夫ー、シズハぁ」
「はい、平気です」
「ふぅん、ならいいやぁ」
ヴィーはあっさり引く。
アギは何も言わない。シズハを見てひとつ頷き、手に持っていた本をドゥームに見せた。
「コレ、借りてく」
「シルスティン王城の見取り図か。役に立つとは思えんぞ」
「参考ぐらいにはなるだろ。俺はこの城初めてだっての。イシュターの魔法も通じるとは限らねぇし」
イシュターからの反論は無かった。
それどころかしょんぼり俯いている。
「その役立たずの猫か」
「役に立つぞ、イシュターは」
「器も女神の化身も探し出せなかったようだがなぁ」
そうなのだろうか?
シズハはイシュターを見、それからドゥームを見る。
「噂を頼りに女神の化身を見つけ出そうとしたら、見失ったのがその猫じゃ。そこでワシに助けを求めに来た。――何が神の下僕だか」
「爺さん、あんまりイシュターを苛めるなよ」
アギはしょんぼりしたままの猫を抱き上げる。
「十分、俺の役に立ってる」
「獣は獣に優しいようだな」
「うるせぇ爺。斬るぞ」
「貴様のようなナマクラ腕前に殺されるワシではないぞ」
「はいはい」
アギは呆れたように肩を竦めた。
そのアギをちらりと見やり、ドゥームが杖を頼りに立ち上がる。
さて、と彼は口を開いた。
「では、そろそろ準備はいいか?」
「準備?」
「おじーさんが城の中まで送ってくれるって」
「交換条件は女王陛下の救出。忘れるなよ」
当たり前のような会話にシズハは目を丸くする。
「入れるのですか?」
「ワシならば。――黒竜には気付かれると思え。が、どうせ侵入するより道はない。諦めて突っ込め」
にやりとドゥームが笑った。
「骨は拾ってやらんぞ。黒竜の腹の中になど行く気はない」
それが彼流のジョークだと言うのに、肩を竦めたアギの表情でようやく分かった。
「この部屋の守りもいつまで持つか分からん。早く片付けて戻って来い」
「分かった分かった」
ドゥームが持つ杖が光を集める。
産毛が逆立つような不快感。魔力が集まっている。
既に光の固まりになった杖が地面を打った。
こちらの用意などまったく聞かずに、ドゥームは自分以外の全員を城へと飛ばした。
さて、とドゥームは再度呟いた。
微かな気配が近付く。
移動の呪文の気配。
それに気付いて彼は周囲の魔力の守りを緩める。
とん、と。
途端、軽い音を立ててその人物は現れた。
ほんの少し高い位置から飛び降りたような様子で、床に立つ。
黒い厚手のコートの裾をばさりと払い、ドゥームに向き直るのは――武器商人のミカだった。
不機嫌そうなふくれっつらで彼女は言う。
「やってきましたよ、お爺さん」
「ふん、魔力はそこそこまともなようだな」
「そこそこ、って。これでも魔法に関しては才能あるって褒められたんですから」
唇を尖らせる。
「まぁいいです。これでいいですよね? 結界解いて私たちを出して下さい。一瞬で大丈夫ですよ。すぐに出て行きますから」
「また変な場所に迷い込むなよ」
「もうこんな場所に迷い込みませんよーだ。出られなくなっちゃって、変なお爺さんにこき使われるのもう懲り懲り!」
それに、とミカは軽く肩を抱いた。
「あんなモノを不死の民に扱わせるなんて正気疑いますよ」
「安全なようにしてあったじゃろうが」
「安全だからって人喰い虎の首輪紐渡されて、はいそうですかって元気に笑えますか。笑えないでしょう? 普通」
ミカの肩口からするりとトカゲが現れる。
「……ミカ」
トカゲの口から人語が漏れる。
ドゥームは平然としている。既にこのトカゲが普通のトカゲではない事に気付いていた。
「ああ、ふーちゃん、気にしなくていいよ。ふーちゃんの力が強過ぎて此処の結界出られなかったのは仕方ないしね? 私が最初に呪文間違えて突っ込んじゃったのが悪いの。――ううん、もっと悪いのはそこの性悪爺だったりする。いーだ」
トカゲ――フォンハードは周囲に頭を巡らせる。
「……においがする」
「におい? 臭いよね、やっぱり」
「いや……あの男のにおいだ」
ミカはドゥームを見た。
「今まで、此処に誰がいましたか?」
「お前に何の関係がある?」
「シズハさんがいたんでしょう?」
「知り合いか」
驚いた。
ドゥームの言葉を聞いてミカはフォンハードを見る。
「ふーちゃん、御免ね」
「御免、と?」
「もう一回、会っちゃうね」
「馬鹿が。此処を出るぞ。――お前とその爺が仕掛けた呪が発動してみろ。俺もお前もお陀仏だ」
「まだ時間あるもん」
ドゥームに向き直る。
「シズハさんはお城ですか?」
「女王陛下の救出に向かった。――まぁそれ以外に助けたい人間もいるようだが」
「分かりました」
上を見る。
此処は地図上、城の真下。
あとは呪文。
「じゃあ、お爺さん、私行きますね」
「あの男とはどういう関係だ?」
「どういうって……どういうんだろう」
ミカは困ったように笑った。
「不死の民まで従えているのか?」
「部下とかそういうのじゃありませんよ」
ミカ、と、フォンハードが呼ぶ。
そちらにちらりと視線を送って――
「よく分かりません」
指先の小さな動きと呪文の構築。
そしてミカの姿は霞み――消えた。
残されたドゥームは顎を掻きつつ、言った。
「……ワシの守りの壁で移動呪文は妨害されて目標地点に出られないのは知っているだろうが……呪文で移動してどうするつもりなんだ、あの小娘」
シルスティン城内。
「……こ、此処、何処だろう、ふーちゃん」
「知らん。――少なくとも、あの竜人のにおいは微塵もしないぞ」
「う、ぅう……ど、どうしよう……」
「探すしか無いだろう」
フォンハードはげんなりとした声で答えた。
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