第16話 現在、シルスティン編 後編

第16話1章


【1】




 幼い子供が白い廊下を走っている。

 子供の右手側の壁には等間隔で窓があった。優しい光が子供を照らしている。

 光の当たった箇所だけを踏む。そういうルールで子供は走っているようだ。

 

 その幼い少年を追うように、随分と小さな飛竜が飛ぶ。

 大きな犬程度の大きさの飛竜。まだ20歳前後だろう。

 幼い翼を広げても廊下の左右まで届かない。

 本当に幼い飛竜だ。


 少年が追う飛竜を振り返る。


「イルノリア、早くおいで!」


 弾んだ声と呼ばれた名に、ようやくそれが過去の自分たちだと気付く。

 勿論、イルノリアの名を呼んだのはシズハだ。

 幼い――小さな自分。



 此処は見覚えがある。

 銀の秘宝。そう呼ばれるシルスティン王城。勿論無事な姿。美しい白の宮殿。


 初めてこの場所へ来た日。

 もっと幼い頃かと思っていたが、はしゃぐ子供の姿は自分が覚えている時よりも幾分年上だ。

 六歳ぐらいに見えた。



「――シズハ」


 背後から声を掛けられる。

 振り返れば、そこにはまだ若い父がいる。



「あまりはしゃぐんじゃない。迷子になるぞ」

「はぁい」


 そう言ってもシズハの足は止まらない。

 こんな広い建物に来るなんて初めてで、城に入った途端、走り出した。

 ようやく追いついたイルノリアと身体を絡めるように笑い合う。



 無邪気な笑い声に背後の男たちも笑う。



「随分と仲が良い」


 目を細め、眩しそうにそう言ったのは老騎士、ラインハルトだ。


「いつもあんな調子だ」


 テオドールも笑う。「家の中でもああやってじゃれあっている」


「微笑ましい」

「そうだろう」


 じゃれあうシズハとイルノリアを見る二人の視線は優しい。


 その更に背後。

 少々退屈そうに付いて来ているのはバートラムだ。頭の後ろで手を組み、二人の会話には加わらない。

 視線を窓の外へ向けている。

 シルスティンの街並みを細めた目で見る。



「――しかし突然申し訳ない、テオドール殿」

「何、女王陛下から会いたいと言って頂けるなど光栄な事だ」

「そう言って頂けると有難い」


 ラインハルトが軽く息を吐く。


「どうやら女王陛下はご子息の片割れを気にしていらっしゃるようだ」

「銀竜乗りは珍しいからな」

「あぁ、そうだ」


 頷き、言葉を続けるラインハルト。


「……此処二十年ほど、シルスティン竜騎士団に銀竜が加わった事は無い」

「……」

「銀竜は数が少な過ぎる。――密猟から守れなかった、我等の力不足もあるのだがな」

「仕方ない。飛竜の生息区域は広過ぎる。すべてを守る事など人の力では不可能だ。――特に銀竜はオスに合わせて巣の場所を決定する。範囲が広過ぎる」



 銀竜のメスは卵を抱いている間、決して巣から離れない。

 そのタイミングを狙われ、乱獲された。

 美しい銀の鱗や、不老不死の薬になると言う肉や角、牙を求められて。


 乱獲された時期は長くは無い。

 それでも元々数の少ない銀竜を絶滅寸前まで減らすには十分だった。




「――なぁ、オッサンたち?」



 バートラムがまだ何か話し続けているラインハルトとテオドールに声を掛ける。

 二人の視線が集まる中、退屈そうな彼は口を開いた。


「長話もいいけどよ――シズハはどうした?」

「「は?!」」



 慌てて前を向いた二人の目の前。

 そこには銀竜も子供の姿も無かった。




「ど、何処へっ!?」

「知らねぇよ。俺は窓の外見てたし」

「シズハ、シズハ、何処だ! イルノリア、返事をしなさいっ!」

「テオドール殿、ワシは城の兵士たちに連絡を取って参る」

「あ、あぁ、頼みます、ラインハルト殿」

「放って置いてもそのうち出てくるんじゃねぇの?」

「シズハ、シズハっ!」

「……まったく聞いてねぇの。この親父」







 その頃、シズハはイルノリアを追いかけていた。



「ねぇ、待ってよ、ねぇ、イルノリア!」



 狭い通路を器用に飛ぶ。

 窓の無い廊下。魔法の明かりが所々を照らすものの、殆どは闇の中。

 だからシズハは必死にイルノリアを追いかける。


 見失ったら迷子だと、うっすらと頭のどこかで考える。

 振り返るまでも無い。此処はもう知らない場所。



 ぴたり、とイルノリアが止まった。

 シズハは両腕で銀竜の首を抱きしめる。


「イルノリア、勝手に行っちゃだめだよ」


 高い金属の鳴き声。謝罪の声に聞こえた。

 シズハはイルノリアと額をくっつけ、笑いあった。



「怒ってないよ。だいじょうぶ。――でも、イルノリア、どうしたの? このお城の中、知ってるの?」


 迷っている動きではなかった。

 突然、廊下を折れて動き出したのだから。


 イルノリアは可愛らしく首を傾げている。

 彼女もよく分からないらしい。



 シズハはイルノリアの首を抱いたまま周囲を見回す。

 薄い布地が目の前に見えた。

 カーテン?


 そっと、片手だけ伸ばしてカーテンを開く。

 すぐ近くに大きな飛竜の顔があった。


「わ」


 小さな驚きの声。

 目の前にいたのは、大きな銀竜だった。


 シズハとイルノリアはカーテンの陰から飛び出す。


「凄い! 大人の銀竜だ!」


 シズハの声に応えたのは銀竜の鳴き声ではなく、いつの間にか横に立っていた全身鎧の騎士たちからの剣。


 突きつけられた剣に声も出なかった。

 フルフェイスタイプのヘルメットから覗く瞳は険しい。

 誰何の声も無く、ただ剣を突きつけられ、シズハはイルノリアを庇うように抱く。



 大きな銀竜が細く鳴いた。



「――何があったの?」



 声にも騎士たちは動かない。

 銀竜の陰から現れたのは、見事な銀髪を綺麗に結い上げた老女だった。

 彼女はシズハとイルノリアに突きつけられた剣を見て、整った眉を軽く寄せた。


「子供に剣を向けるものではないわ。怯えています。お止め」


 騎士たちは無言で剣を引いた。


 老女はシズハたちの前に立つ。

 視線を合わせ、やさしい笑顔。


「貴方たち、何処から入ってきたの?」

「……カーテンの後ろから」

「あら、そこは秘密の道なのよ? 誰から聞いたの?」

「……」

「怒ってないわ。不思議なだけよ」


 シズハは無言。

 老女は怒ってないと言っているが、後ろの騎士たちはまだ腰に剣を帯びたまま。

 イルノリアが道を教えてくれたと言ったら、イルノリアを斬ってしまうかもしれない。

 守らなきゃならない。


 だから、シズハは無言。


 老女はもう一度笑う。



「いいわ。聞かない事にしましょう」


 手を、差し出す。

 白い綺麗な手だった。


「いらっしゃい。お菓子と紅茶を用意してあげましょう」

「……イルノリアの分も用意してくれる?」

「……」


 老女はイルノリアを見た。

 少しだけ、伺うような表情。


「その銀竜はイルノリアと言うの?」

「そうだよ」

「可愛らしいお名前だけど、誰が付けたのかしら」

「ぼく」

「貴方が?」

「だって、イルノリアはぼくの片割れだもの」


 イルノリアが鳴いた。

 同意の声。


「……そう」


 老女は一度、瞳を閉じる。

 開いた瞳は優しい色。


 笑う瞳に誘われたように、シズハは老女の手を掴んだ。

 淡い青が掛かったような綺麗な銀の瞳を、見上げる。

 銀色の、おばあちゃん。


「ねぇ、おばあちゃん。おばあちゃんも竜騎士なの?」


 大きな銀竜を見て尋ねる。

 何故か少しだけ空気が変わった気がした。

 原因は騎士たちだ。

 老女はころころと笑った。


「えぇ、そうよ。――この子はエルターシャ。この大陸で一番大きな銀竜でしょうね」

「きれいだねぇ」

「有り難う。貴方のイルノリアもとても可愛いわよ」

「うん!」


 手を引かれて歩き出す。

 イルノリアもおとなしく付いてきた。



 老女は小さなテーブルの上に乗った鈴を鳴らした。

 すぐにメイドたちがやってくる。彼女たちに命じて、老女はこの場所にテーブルと椅子を用意させた。


「この場所にお客様をお招きするなんて滅多にしないの。此処はエルターシャの部屋ですもの。――でも、この子は貴方たちを気に入ったようね」


 だから特別よ、と片目を閉じた。


 メイドたちを下がらせ、紅茶を用意してくれた。

 甘いお菓子の匂い。

 ケーキにつられたイルノリアが、早く早くとシズハの袖を引く。


 シズハは老女を見る。

 老女は微笑んだ。


「今日は特別。いいわよ、好きになさい」

「ありがとう!」


 切り分けられたケーキを一口分、イルノリアの開いた口の中へ。

 嬉しそうな彼女の様子にシズハも嬉しくなる。


 顔を合わせてにこにこ笑う幼い二人の上で、老女と銀竜の視線が合った。

 何事かを、目で会話する。



「ねぇ、貴方」

「ぼく?」

「えぇ、そう。お名前を聞いてなかったわね」

「シズハ」

「やっぱり」


 老女は笑う。


「やっぱり貴方だったのね」

「ぼくを知ってるの?」

「貴方たちに会いたいって、テオドール様にお願いしたのは私ですから」

「……」


 考える。

 父は言っていた。

 今日はシルスティンで一番偉い人に会いに行く。

 失礼の無いように、良い子にしているように、とそう言われた。


 一番えらい人。



「おばあちゃんが、一番えらい人なの?」

「そうなっちゃうわねぇ」

「すごいねぇ」

「そうかしら?」


 エルターシャを見る。


「よく分からないわ」

「……???」


 シズハもエルターシャを見る。

 大きな銀竜は優しい目でシズハを見ていた。

 そっと顔を寄せてくれる。

 イルノリアよりもずっと大きいが、何となくその雰囲気が似ていた。


 もしかして。


「ねぇ、おばあちゃん。この子、イルノリアのお母さん?」

「え?」

「だって同じ銀竜だよ。イルノリアのお母さんなんでしょ?」


 イルノリアを目をぱちくりさせてエルターシャを見上げている。

 エルターシャは軽く目を細めた。

 優しい苦笑に見えた。


 老女も笑う。

 同じ笑み。


「いいえ、違うわ。エルターシャは一度も卵を産んでないもの」

「なぁんだ、ちがうんだ」

「……イルノリアのお母さんはどうしたの? 傍にいないの?」

「知らない。イルノリア、ひとりぼっちでぼくの所にきたから。――お父さんは悪い人たちから逃げてきたんだろう、って言ってたよ」

「………そう」



 イルノリアが再度袖引く。

 ケーキケーキと強請る仕草。

 シズハは切り分けたケーキをもう一口分、イルノリアの口に入れてあげた。

 生クリームを口の横に付けてまで夢中で口を動かしているイルノリアに笑う。


 老女も笑った。


「本当に仲が良いのね」

「うん!」

「ずっと仲良しでいなさい。――素敵な事よ、竜と人の関係は」

「だいじょうぶだよ」


 シズハは笑う。

 首を伸ばしたイルノリアを軽く抱いて。


「ぼく、ずっとイルノリアがだいすき。ずっと守ってあげるんだ」

「素敵なナイト様がいてよかったわね、イルノリア」


 イルノリアは金属の声で柔らかく鳴いた。



 その声に混じって聞き慣れた声が聞こえた。



「お父さんの声だ」



 シズハは椅子から降りる。

 声の方向。

 扉に向けて走る。



「シズハ!」

 

 慌てたように名を呼ぶテオドールに、シズハは飛びつく。

 息子を抱きとめ、安堵の表情を一瞬浮かべた後、テオドールは息子をすぐに床におろした。


「シズハ、勝手にいなくなっては駄目だろう。皆に迷惑を掛けたのが分かるか?」

「……ごめんなさい」

「私ではなく、探して下さったラインハルト殿に謝りなさい」


 ラインハルトを見上げると、彼は苦笑。


「良い。――無事ならば良かった」

「雷親父がお優しい事だねぇ」

「バートラム」


 バートラムはシズハを見て笑い、軽く口笛を吹いた。

 まるでシズハのやんちゃっぷりを褒めるような表情に見えた。



 テオドールは老女を見た。


「シズハが大変失礼を」

「いいえ、楽しかったわ」

「あのね、お父さん、その銀色のおばあちゃんからね、ケーキもらったんだよ。美味しかったよ」



 シズハは何も考えずに報告。

 ただ、本当に空気が凍りついた。


 笑ったのは、ただ老女。



「おばあちゃんなんて呼ばれるのは初めてよ。――なかなか良いものね」

「じ――女王陛下、た、大変失礼を……」

「いいのよ、気にしないで。素敵だわ、おばあちゃん、なんて。可愛らしい」



 よく分からない。

 分からないけど、大変な事を言ったようだ。


 父の青ざめた顔を見て思う。



 だけど老女は優しい。

 シズハの前にゆっくりと屈みこみ、笑った。



「いつでも此処へいらっしゃい、シズハ」

「イルノリアも一緒でいい?」

「えぇ、いいわよ。一緒にいらっしゃい」


 笑う老女の背後に銀竜の姿が見えた。

 部屋の入り口の大きさを考えるのならば、この銀竜はこの部屋に閉じこもったままなのだろう。


 それでも優しい、穏やかな雰囲気を纏う銀竜だった。


 優しい黒い瞳がシズハとイルノリアを見ている。



 ――その瞳は何処か哀れむ色を持っているように、過去を振り返る今、思った。

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