第16話6章
【6】
眼下にシルスティン王城が見える。
空に舞うのは四匹の金竜。
「――ぜ、ゼチーアさん」
上ずった声のルークスが話しかけてくる。
彼を乗せた金竜のヒューマも落ち着きが無い。まったく似たもの同士過ぎる一対だ。
ルークスは手に持った大荷物――武器らしいが――を抱えなおしつつ、言った。
「魔法的な軸がずれているらしいです」
手首に結わえ付けている小さな水晶を示す。出発時は透明だったそれが様々な色を浮かべていた。さすが父親が魔術協会の代表となればマジックアイテムぐらいは持っているようだ。
そう言えば出発前に一瞥しただけでジュディからの短剣の魔力を見抜いたなと、ふと、思い出した。
「分かった」
「ゼチーアさんも何か武器を持ちますか?」
「ランスは持っている」
愛用の武器を見せるがそれでもルークスの顔から不安の色が消えない。
「ゼチーアさんも滅竜式の弾丸を持てないんですか?」
「飛び道具が苦手なだけだ。なんだ、その、持てない、と言うのは?」
「団長、布越しでも滅竜式弾丸持てないらしいです。痛いって」
弾丸を持った事はある。
が、痛みなど覚えなかった。
不快感ですぐに離してしまったが。
それを痛みと感じる竜騎士もいるのかもしれない。
コーネリアが鳴いた。
それでルークスとの話は終わる。
テオドールがこちらを見た。
小さな頷き。
ロキも、頷く。
金竜の鳴き声。羽ばたき。身体に光が宿る。
魔力を打ち破る力。
コーネリアが天を向く。
口元に金の光。
ブレス。
ブレスは真っ直ぐに王城へと叩きつけられる。
黒い壁が溶ける――が、すぐさま戻っていく。
黒竜の回復能力を思わせるその様子に、ゼチーアは顔を顰める。
動き出したコーネリアを見て、ベルグマンの手綱を操った。力強い羽ばたきひとつ。閉じかけつつある穴へと。
冷たくない水を潜るような不快感があった。
降り立ったのは広い空間だった。
大柄なベルグマンが翼を広げ、降り立ってもまだ余裕がある。
「――ゼチーア」
呼びかけは上空。
上も高いその空間からゆっくりと巨体を床に下ろしたのはコーネリアだ。
テオドールは周囲を見る。
「ロキとルークスはどうした?」
「ベルグマン」
呼び掛けに片割れは目を閉じる。
すぐさま返答が返って来た。
金竜は群れを作る。
群れに属した仲間の事ならば多少の距離があっても悟る。
レイチェルが死んだ事をベルグマンがすぐに悟ったように。
「城の中には侵入しています。ただ距離があるようです」
「無事か」
「はい」
ベルグマンが何の反応もしていない。
まだ大丈夫だ。
テオドールは軽く顎を撫でた。
「しまったな……黒竜を倒せる武器がこちらにはない」
「出来うる限り早く合流しましょう」
「あぁ」
壁を見る。
「壁を破壊し、直線で動いた方が早いかと思います」
「コーネリア、どうだ?」
呼び掛け、首を撫でる。
ゆっくりとした竜の答え。
「人の気配は無い。――ならばその方法で行くか。簡単に壊れるような城ではあるまい」
「分かりました」
ゼチーアの応じる声と共にベルグマンの身体に力が入るのが分かる。
大きく吸った呼吸。
吐き出されると同時に、それは光のブレスとなる。
壁が溶ける。
竜が余裕で潜り抜けられるほどの巨大な穴。
光の雫、魔力のかけらがベルグマンの口元から零れ落ちた。
まだ余力がある。
静かにその身体を撫でた。
片割れと空を飛ぶのも久しぶりだった。
ブレスなど戦争以来見ていない。
だから、驚いた。
自分の片割れが、予想以上に力を付けている事に。
竜は歳を取れば取るほど強くなる。老いの無い彼らはただ成長のみを続ける。
その言葉を今更ながら思い出した。
「進みましょう、テオドール様」
「……あぁ」
答えながら、テオドールは動かない。
コーネリアが鳴いた。
宥めるような優しい声に聞こえた。
「――ゼチーア」
「はい」
「頼みがある」
「何でしょうか」
横目で穴を確認。
まだ塞がってはいない。外側よりも内側の方が修復能力は低いのか。それとも――こちらに来いと誘っているのか。
「私に万が一の事があれば、後を頼みたい」
別の事を一瞬でも考えていたからだ。
テオドールのその言葉に咄嗟に反応出来なかった。
意味さえ分からなかった。
コーネリアの軽く伏せられた瞳を見て――それはまるで嘆きの表情――ようやく言葉の意味を悟る。
死。
「と――突然何を仰られるのですか」
「すまん」
「この場所でそのような不吉な事を言わないで頂きたい」
「だが言う機会もなかなか無くてな」
苦笑。
普段のテオドールよりもずっと弱い笑み。
「約束してくれないか。――私に万が一の事があったならば、ゴルティア竜騎士団を任せたい」
「私では力不足です」
「お前以上の適任はいない」
「有難いお言葉ですが――何があったのですか、テオドール様」
「……」
「最近の貴方の様子は変です。何か……いえ、何をなさろうとしているのですか?」
テオドールが何か悩んでいる様子は分かった。
だが、それが死に通じるようなものとは考えてなかった。
いや。
テオドールが死ぬと言う事を、考えた事も無かった。
自分自身の死は考えた事もある。
だが――テオドールは。
彼だけは別だ。
「――冥王が蘇っているとしたら」
テオドールの言葉にベルグマンが身体を揺らした。
動けぬゼチーアよりもその片割れが反応する。
彼は覚えている。あの戦いを。
「そんな馬鹿な事が」
「有り得るんだ、ゼチーア。――冥王は何度でも蘇る。そういう風に出来ている。今も、復活の日が近付きつつある」
テオドール乗せるコーネリア。
何故か瞳を伏せたまま動かない。
嘆きの表情。
そんな顔はしないで欲しい。
死と言う言葉が近付く気がする。
「冥王が蘇るとしたら、我々はまた戦うだけです」
今度は勝てないかもしれない。
勇者が――そう、勇者は猫なのだ。
冥王に勝てる存在だとは思えない。
テオドールは笑う。
彼も分かっている。
今の人間では勝てない。
10年前とは違う。あの時よりも戦力が落ちている。10年間の戦争。人同士の戦いは、人を削った。力も、心も、命も。
まるで10年の戦争も冥王復活の準備のようだ。
次の復活の際の準備。
もっと効率よく人を殺せるように、と。
「――まだ冥王は蘇っていない。眠ったままだ。ただ、準備は着実に進んでいる」
魔物が動き。
以前、彼に仕えていたものたちが目覚めだす。
例えば黒竜。
そして、翼有る女。
「私は冥王を倒す。今度こそ、勇者さえも果たせなかった完全な滅びを齎す」
「テオドール様」
「守らねばならないものがある。その為ならば命を賭けるのも惜しくない」
コーネリアが顔を上げた。
背のテオドールを気遣うように振り返る。
テオドールの手がコーネリアの首を撫でた。
その手に答えるように、彼女は小さく鳴く。
頼りない。こんな竜妃の声は初めて聞いた。
「滅ぼすと……何か策があるのですか」
「器を壊す」
「……器……?」
入れ物。
受け入れる、もの。
「冥王と言う存在は魂だけだ。それを受け入れる側の肉体がある。他者の肉体を利用し、何度でも蘇っている」
説明に軽い眩暈を感じた。
何の冗談だろう、これは。
だが、魂が肉体を変える?
何処かで聞いた話だ。
あぁ――そうか。
勇者と、猫だ。
彼らは魂と身体を入れ替えた。
「つまり――冥王が入る為の肉体を壊す、と?」
「あぁ」
「可能なのですか」
まず探せるのか。
そして――壊せるのか。
「可能だ」
テオドールの答えは短く、早い。
「もう、何度か行っている」
ベルグマンが軽く身じろぎする。
戸惑っている片割れの気配が伝わってきた。
あぁ、そうだろう。ゼチーアも混乱している。
「ど――どうして今此処でその話を? 申し訳ありませんが、私にはよくいまだ……理解出来ません」
「器が此処に来ている」
テオドールが笑う。
「私はその器を破壊したい。冥王の魂がそれに宿る前に」
「ひとつ、伺わせて下さい」
ゼチーアは問いかける。
「壊す……と仰られてますが――その器とやらは、人なのでしょう?」
「そうだ」
壊すと言う言葉で飾られようとも結論は同じ。
人を殺す。
何か心を決める際、自分自身に問いかけるように鏡を見る癖がある。
此処には何も無い。
ただベルグマンが僅かにこちらを見た。
その瞳に自分自身を見る。
困惑。
だが、それでも。
「――テオドール様が必要と判断された事なのでしょう、それは」
私はゴルティアの竜騎士だ。
「私に出来る事はありますでしょうか」
ベルグマンがゼチーアから視線を逸らし、瞳を閉じた。
鏡は閉ざされる。
姿を映すものは無い。
テオドールは何故か困ったように笑った。
「お前に頼みたいことはひとつだ。――私に何かがあれば、ゴルティア竜騎士団を任せたい。お前はまだ――戦う必要は無い」
「かしこまりました」
ゼチーアは言葉と同時に頭を垂れた。
それが望みならば受け入れる。
「有り難う」
笑いの混じる声。恐らくテオドールは笑っているのだろう。
だが頭を垂れたまま、ゼチーアは動けなかった。
ぐる、と、小さくベルグマンが唸る。
「どうした?」
問い掛ける。
片割れの戸惑いが伝わってくる。
二度目の問い掛けの前にベルグマンからの答えが返って来た。
多い、と短い言葉。
「多い? 何がだ?」
飛竜が、いる。
複数――何十……いや、何百、何千? もっと?
「まさか」
だがいる――存在する。
此処に。
「ベルグマン!」
手綱を繰る。
空中に浮かび上がったベルグマンの足下を牙が鳴る。
同じく空中に逃げたコーネリアの上でテオドールは無言でランスを構えた。
床の上。
ほぼ円形の模様が刻まれたその中央。
黒い飛竜の頭部だけが生えている。
がちがちと牙を鳴らす。
闇よりも深い紅の瞳が二匹の金竜を捕らえる。
「――黒竜」
ずるり……と。
黒竜が床から生えてくる。
巨大な前足が床を穿った。爪の一撃で床が簡単にひびが入るのを見た。
腕力だけなら火竜さえも上回る。
ドラゴンランスを構えた。
黒竜は金竜たちを前にゆっくりと周囲を見回している。
獲物を選ぶ動き。
ベルグマンが唸り続けている。
片割れの心が伝わってくる。
繰り返しているのは、喰われた金竜の名。怒りが滲むその声に己の心まで紅くなる。
それを抑える。
我々はふたつでひとつ。
だが、ひとつでふたつ。
片方が狂うならば、もう片方は静かに。
宥めるのも片割れの役目だ。
「ベルグマン」
名を呼び、手綱を引く事で存在を伝える。
唸る声が少しだけ変わる。
迷いの色。
ゼチーアが冷静なのが納得行かないようだ。
敵がいる。
仇がいる。
命に代えても復讐しようと誓った相手が目の前にいる。
なのに、どうして?
「無駄死にする気か」
金竜が狂ってどうする。
飛竜の王とも呼ばれる金竜。どのような状況でも我を忘れてはならない。
狂った金竜など黒竜は簡単に組み伏せられる。
仇の腹の中で愛しい恋人と再会する気か?
ベルグマンはひとつ口内で吼えた。
口の端から金の光がこぼれ、落ちる。ブレスの名残。まるでため息のように見えた。
テオドールと視線が合う。
ひとつ頷いた。
黒竜は既に半身を床の上に出している。
その巨体の下半身はいまだ床の下。そこから身体を伸ばしている。
かなりの大きさだ。
コーネリアの構え。
羽ばたきと――そして、ブレス。
叩きつけられる光。
黒竜は獲物を決める。
真っ向から光のブレスを突き進む。
身体が光によって焼け、崩れ、落ちる。
そして瞬時に復活する。
次に現れる身体は先ほどよりも光に強い。
無傷で、コーネリアの元へ行き着く。
牙を剥き、襲い掛かる。
きん、と。
高い音、ひとつ。
羽ばたきにより生み出された防御壁が黒竜の牙を防ぐ。
「――ベルグマン」
囁く。
翼が動く。
距離は短い。
だが、迷うことは無い。
構えるドラゴンランスに光が宿る。
羽ばたきを利用した呪文。
ベルグマンは攻撃の呪文を覚える事はしなかった。守る為の呪文。そして、ゼチーアを助ける呪文。そればかりを覚えた。
武器に宿る光。
これも、守るもの。敵を倒し、仲間を守るためのもの。
短い距離を飛ぶ。
いまだにコーネリアに喰らい付こうと牙を剥く黒竜へと。
こちらを見る瞳。
その瞳目掛けて、ランスを突き出す。
柔らかい感触。眼球を突き破り、その奥にある器官まで破壊する感触。
それを超えて、更に突き出す。
突き、抜ける。
背後に黒竜を見る。
頭部の半ばが崩れ落ちている。
黒竜はゆっくりとその場に崩れていく。
雷竜に出来た事が金竜に出来ない訳が無い。
魔力の乗った一撃。ならば十分にダメージを与えられる。
そして、頭部を失った黒竜は、一度、雷竜を取り逃がしている。
床に崩れた黒竜の身体に闇が集まっていく。肉体の再構築。
「テオドール様!」
「分かった」
答え、コーネリアは再度ブレス。
壁に穴が空く。
頷くテオドールに答え、その穴を目指す。
ベルグマンの翼が軽く引っかかる。穴が縮んでいる。
水を潜るような不快感。
これは……城に突入した時と同じ。
超えた空間は何処かの部屋。
此処も広い。
ゼチーアは振り返り、背後を見る。
テオドールを呼ぼうと、振り返る。
しかし、そこにあったのは壁。
穴の無い、無傷の壁だ。
ベルグマンが吼える。
吼え声と共にブレスが叩きつけられる。
壁の破壊。
しかし見える風景は細い通路。
先ほどの風景とは違う。
「ベルグマン、コーネリアは何処にいる?」
瞳を閉じたベルグマンからの回答はすぐ来た。
城の中にはいる。
無事だと。
それぐらいしか伝わらなかった。
「……飛ばされたか」
まずは合流しなければならない。
「一番近いのは何処だ?」
しばしの迷い。
戸惑いながら帰ってきたのはレジスの名。
ロキの片割れ。
滅竜式弾丸を持っている。
「分かった。そこへ向かおう。どちらだ?」
ベルグマンは顔で右手側の壁を示した。
「人の気配は?」
答えは壁に叩きつけられるブレス。
ゼチーアは思わず苦笑。
片割れの首を撫でる。
「もう少し落ち着け、いつものお前らしくも無い」
――ゼチーアが妙なのだ。普段よりも、静かだ。
「お前が暴れているのに私も暴れては仕方あるまい」
行くぞ、と、その身体を叩く。
ベルグマンは言葉もなく翼を広げた。
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