第14話11章・現在、シルスティン編 前編


【11】




 デニスの手が器具を持つ。

 飛竜の鱗さえも貫ける大きな針。指先で一回転、その短い時間で場所を決め、針は彼が左手に持つ鱗に打ち込まれた。


 竜の身体から自然に抜け落ちた鱗。

 それに穴を開けて紐を通す。

 鱗は銀色。他の飛竜と比べても小さい。

 勿論、イルノリアのものだ。


 竜の身体は全身に魔力を持っている。

 鱗にも、各飛竜らしい能力を持っていた。

 

 シズハは少し顔を上げて、こちらをじっと見ているガドルアを見た。

 彼の鱗を以前、バダから貰った。

 炎による小規模な爆発を引き起こす、火竜の鱗。



 鱗の使い方は簡単だ。

 大きく傷付ければいい。

 真っ二つになるほど傷付けてやれば、鱗に残った魔力が発動する。


 銀竜ならば癒しの力だ。



「――まぁ、こんな所だろう」


 デニスは持ち易いように紐を付けた銀の鱗を幾つか、シズハに差し出した。

 両手で受け取る。


「有り難うございます」

「いやいや、器具でやった方が早いし安全だ。銀竜の鱗は脆いから、下手に剣で穴を開けようとしたら割れてしまう」


 竜舎の端。

 作業用の机に向かっていたデニスが笑う。


「こんなに銀竜の鱗のお守り作ってどうするんだ?」

「……」

「イルノリアの能力を思えば、結構な怪我は治せると思うが――」

「……その」


 迷って、視線を落とした。


「……申し訳ありませんが」

「あぁいい、いい。言いたくないなら、それでいい」


 デニスはもうひとつ笑って椅子から立ち上がる。

 身体をぐぅっと伸ばす。


「すっかりいい時間になったな。朝飯にするか」

「俺は宿舎に戻ります」

「分かった」


 そこでデニスは小さく声を出す。

 迷う声。


「――昨夜はすまなかったな」

「……いえ」



 謎の風竜の姿を見、デニスはすっかり混乱していた。

 デニスは、シグマの威嚇の声を聞きつけて何かあったのかと竜舎へやってきて、そしてあの風竜を見たのだ。


 シズハに怒鳴り、哀願し――やがてデニスは諦めた。

 いや、自分で納得した。


 既に暗かった。距離もあった。

 あれがトリーナとは限らない、と、自分に言い聞かせるように納得した。


 あの風竜が何者かと問われ、シズハは答えられなかった。

 

 ジニーと名乗る子供が乗っていた事。

 それだけは、伝えた。

 ――シルスティンに関する、ジニーの忠告も、彼女がダークエルフだった事も、言えなかった。


 言ってはいけない、と、何故か口が動かなかった。



 デニスはそれを上に報告したらしいが、ゴルティアは特に何も動く様子は無かった。

 何の被害も無い。

 その状況で動く気は無いようだ。



 イルノリアが顔を摺り寄せてくる。

 その彼女に笑って、デニスに視線を戻した。


「デニスさん、有り難うございました」

「いやいや」


 笑う。

 丸顔がとても人懐こい。


「――なぁ、シズハ」

「はい?」

「今回の事が落ち着いたら、ゴルティアに来ないか」

「……」


 誘いの言葉に思わず沈黙。

 イルノリアはシズハの顔をじっと見ている。軽く首を傾げている様子は不思議そうな表情に見えた。


「そんな困った顔をしないでくれ」


 デニスは慌てた声で付け足す。


「竜騎士として仕えろって言うんじゃないんだ。――飛竜の医者にならないか?」

「……医者?」

「私みたいな仕事だよ」


 少しだけ誇らしげな色がデニスの声と顔に現れる。


「飛竜だって傷を負う。数は少ないが病気になる飛竜もいる。そういう竜を癒す仕事だ。――イルノリアは癒しの力が強い。彼女の力に人の知識が加われば、不幸な事になる飛竜はもっと減る」

「……」

「それに、よく分からないが、お前がいると飛竜が安定する。余程飛竜に好かれているんだな」


 そう言って笑ったデニスに何も返せなかった。

 顔を摺り寄せてくるイルノリアの首を黙って撫でた。

 

 シズハの表情を見て、デニスは口を開く。


「い――いや、すまん。変な話をしたな。だが、忘れてくれとは言わない。私の本心だ」


 真っ直ぐにデニスは笑う。


「私の後継者も欲しい。本に残せるような学も無くてね。私が死ねば終わりなんて知識は勿体無い」

「……デニスさんは、飛竜が死んだのを見た事がありますか」

「……ん」


 軽く、困ったような顔。


「そりゃあ……何度かな」

「どう思いましたか」

「どうって――それは哀しいに決まってる。助けられなかったんだ。申し訳なく思う。自分の力が足りなかったのも悔しい。だがそれ以上に、次は、と思う。次の子の命は助けると」

「俺は……それが出来る自信がありません」

「……」

「どんな飛竜の死も哀しいです」


 戦場で体験した、救えなかった仲間とその片割れの死を思い出す。

 一言も会話をしなかった緑竜――アメリアを思い出す。

 名前さも知らずに死んでいった死竜を思い出す。


 彼らの死は、思い出せば、やはり、辛い。


 

 シズハは寄り添うような銀竜を、見る。


「イルノリアがいなかったら、崩れてしまいそうなほど、辛いです」


 デニスは暫くシズハの顔を見て、やがて柔らかく笑った。


「……銀竜乗りは優し過ぎる、と言うのは本当だな」

「俺は弱いんです」

「優しいんだよ」


 優しいんだよ、とデニスはもう一度繰り返した。

 シズハはただその言葉に首を左右に振り続けた。

 泣きそうな気持ちになりながら。





 デニスと別れて宿舎へと戻る。

 何人か竜騎士と擦れ違った。



「――あれ」



 まだ若い声が背後から聞こえた。

 擦れ違ったその人物は、振り返ったシズハの前に短い距離を大股で走り、立った。

 十代半ばぐらいの少年。


「テオドール様の息子さんでしたよね?」

「ええと……」


 少年はぴしっと敬礼をした。

 まるで見本のように良い動きだ。


 にこにこと笑う少年は子供っぽい顔をしている。あと数年もすればもっと大人びた顔になるだろうが、これぐらいの年齢ではまだまだ。

 少し癖のある明るい茶色の髪が更に子供っぽく見せている。


「俺はルークスと申します。ゴルティア竜騎士団所属、金竜乗りです」

「俺は――」

「顔も名前も片割れも存じています!」


 笑顔。


「綺麗な銀竜ですね」

「有り難うございます」


 イルノリアを褒められて悪い気がしない。


「シズハさんもシルスティンへ行く際はご一緒に?」

「いえ、俺は部外者ですから」

「え? ゴルティアに来ないんですか?」


 今日はよく勧誘される日だ。


「今は何処の竜騎士団に入るつもりはありません」

「……そうですか」


 何となく、考えるような表情。


「やっぱりお父さんと一緒の騎士団だと色々アレですか?」

「アレ?」

「いえ、俺もそういうの分かりますから! だから俺も親父と違う道を選んだんです」


 そこでルークスはひとつ苦笑。

 少しだけ、大人びた顔。


「でも、まぁ……何て言うか、結局同じ道になっちゃうみたいです」

「……」



 同じ道。



「意外と親の影響って強いものですよね。色々と」

「……」

「なんで、ゴルティアに来ちゃうといいと思いますよ?」


 話は結局それに戻るか、と思わず苦笑。


「あれ? すいません、もう時間だ! すいません、失礼します!」


 微かに響く鐘の音に、ルークスと名乗った少年は駆け出した。

 その後姿を見送る。


 明るい子だと、小さく笑った。







 宿舎内のあてがわれた部屋には、ヴィーと、そして二匹の猫がいた。



 柔らかい毛並みの長毛の猫。

 イシュターだ。


 彼女はシズハを見て不満げに鳴く。

 椅子に深く腰掛けているヴィーが笑った。


「お帰りぃ、シズハー。――イシュターが待ちくたびれた、って、さ」

「申し訳ありません」


 手に持っていた紐の付いたイルノリアの鱗を、ヴィーに差し出す。


「宜しければ」

「なぁに、これ?」

「イルノリアの鱗です。穴の開いた場所に力を入れるとふたつに割れます。傷を負った時に使ってください。致命傷で無ければ癒せると思います」

「……へぇ、回復アイテム?」


 ヴィーがシズハを見る。


「どうしたの? すごい念の入れよう」

「……いえ」


 地獄だと。

 ジニーの忠告を思い出す。

 

 あの忠告故、シズハなりに何らかの用意をしておこうと思い、考えたのがこれだった。

 傷を癒す手段。


 だが言えなかった。

 シズハの口は動かなかった。


 ヴィーはシズハの沈黙に何を考えたのだろう。

 ただ笑った。


「まぁシルスティンは何があるか分からないからねぇ」

 

 貰っておくよ、と、ヴィーはズボンのポケットに鱗を片付けた。


 小さく鳴いてアルタットが動く。

 またよろめくかと不安に思ってみれば、その四足はかなりしっかりしたもの。


 イシュターを見る。


「癒してもらったよー。イシュターは魔法が得意だからねぇ」

「そうですか。――有り難う、イシュター」


 床に屈み込んで、ふわふわの毛並みを撫でる。

 黒猫とはまったく違う手触り。


 イシュターは一瞬だけ目を細め、それから何かに驚いたようにするりとシズハの手から逃れた。

 少し離れた位置で半眼。

 何だか怒られている気がした。


 助けを求めるようにヴィーを見る。


「シズハに撫でられた気持ち良かったから恥ずかしがってるんだよー」


 けたけた笑うヴィーに、イシュターからの威嚇の声。

 ヴィーは更に笑った。


 その笑みのまま、さて、と立ち上がる。



「さぁ、行こうか、シズハ」

「はい」


 何処へ行く、と問わなかった。

 行く場所はもう、決まっている。






 イルノリアを迎えに行く為に竜舎へと戻る。

 何だか此処数日、宿舎と竜舎を行ったり来たりしているような気がした。



 竜舎の前に先ほどまで見かけなかった姿を見る。

 見覚えのある風竜と、その片割れ――シヴァの姿。

 それから。


「あ、ゼチーアだぁ」


 へらり、と笑ってヴィーが名を呼ぶ。

 こちらに気付いたゼチーアがあからさまに戸惑う。

 その戸惑いの表情は、近付いたこちらの足元にイシュターの姿を見かけて更に強くなった。


「……この猫も?」

「この子は……考えてるのとは違うけど、似たようなものだよー」

「……………」


 会話の意味を考える。

 シズハはよく分からない。

 ゼチーアの横でシヴァも首を傾げていた。

 

 シズハは首を伸ばしてきた人懐こい風竜の首を撫でる。

 ココは気持ちよさそうに小さく鳴いた。

 それに笑い返し、イルノリアを連れて来る為に竜舎へと入る。





 イルノリアは喜んで迎えてくれた。

 その彼女に鞍を手綱を付ける。

 ガドルアがそわそわと動き出す。


 手を止め、ガドルアに顔を向ける。

 笑い掛ける。


「大丈夫。――バダに会ったら、シズハがそう言っていたって伝えてくれ」


 ガドルアはそれでも落ち着かない。

 珍しい状態だ。

 この火竜は他の火竜よりもだいぶ穏やかな性格ではあるが、臆病な性格ではない。


 何かあるのだろうか。


 イルノリアから離れ、ガドルアの前に立つ。

 寄せられた顔に手を当てた。

 黙って目を閉じるガドルアにゆっくりと囁く。


「心配しないで欲しい。大丈夫」


 ガドルアが低く鳴く。

 鳴いて、瞳を開いた。

 金の瞳はシズハを見ている。

 それから、イルノリアを。


 軽く、ガドルアの顔を叩いた。


「行って来る」



 ちなみに、シグマは床に首を伸ばして眠っている。

 まるで何も気にしていない。

 かなり大胆な性格だ。



 一口に飛竜と言っても色々な子がいる。

 シズハは軽く笑った。








 ――イルノリアを連れてシズハが戻り、そして、彼らは軽い調子で出かけていった。


 それをゼチーアは見送りながら、思わず、いまだ首を傾げているシヴァに問うた。



「――人が猫になる、もしくはその逆があると思うか?」

「へ? 猫? ――人狼とかじゃなくて、ですか?」


 人狼。獣人は特定の条件化で獣に変身する人間だ。

 変身後は、本来の獣よりも強力な能力を有し、銀の武器、もしくは魔法の武器でしか傷付かない習性もあり、恐るべき敵とされる。


 その変身は血によって受け継がれ、ある種の呪いとされる。


 殆ど見掛けなくなっている種族である。

 もしも発見されたとしても、神聖騎士団のような存在に倒されるだけだろう。


 そういう命だ。


「人狼ではなく、猫だ」

「いえ、聞いた事もありません」


 アルタットたちが立ち去った方向を見る。


「彼らの事、ですか?」

「………」

「分かりました、聞きません」


 軽く、肩を竦める。


「ただ調べてみます。気になりますから」

「……いや、その必要は無いだろう」

「分かりました」


 シヴァは笑ってココの首を撫でた。


「何だか彼らもかなり複雑みたいですね」


 でも、とシヴァは言う。


「悪い人ではないと思いますよ」

「何故だ?」

「ココがシズハさんを好いてます。そのシズハさんが選んだ人たちなら、悪い人じゃないですよ」

「……」


 単純過ぎる言葉だ。


「……そうだな」


 だが、信じてみたくなった。


 言ったシヴァの方が目を丸くしているのを横目に、ゼチーアは歩き出す。


「さて、シヴァ、行くぞ」

「は――はい! ――ココ、イイ子ですから待機。ね?」


 片割れとの会話を終えて駆けてくる足音を耳に、ゼチーアは考える。


 シルスティン。

 その、国を。

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