第14話10章・現在、シルスティン編 前編


【10】


 例えば肉体の衰弱は何とかなる。

 食べ物を受け付けないのならば、魔法によって生かす方法もある。生命力を延々と渡し続けると言う方法もある。


 が――魂が衰弱していく人間を救う方法はあるのだろうか。



 ゼチーアはそんな事ばかりを考えている。



 ゴルティアの王城は静かに騒がしいままだ。

 不思議な言葉ではあるが、誰もが声を潜めて話し合っている。ひそひそと囁く声が空気を震わせ続けていた。


 誰もが言う。

 シルスティンは既に壊滅したのだと。

 誰も生き残ってないのだと。

 黒竜は狂王ボルトス、そして冥王の復活の証であり、これから世界は10年前のように冥王との戦いの日々になるのだと。


 そういう噂ばかりだ。


 同時にもうひとつの噂も流れる。

 ゴルティアに勇者がいる、と。

 勇者アルタットが既にゴルティアにおり、シルスティンへと向かう準備をしている、と言うのだ。



 馬鹿な、ゼチーアは思う。



 勇者アルタット。

 初めて会うその男は、猫背のへらへらと間抜けに笑っているだけの人間だった。

 ふらふらと昼間は何処かに出かけ、夜は宿舎で眠っている。

 傷付いた飛竜に治療を施しているイルノリアやシズハと違い、ただふらふらと存在しているだけだ。


 ゼチーアも剣を使う人間。

 幾ら扱う剣の種類が違うとは言え、武器を扱う者はそれなりの動きをする。

 勇者にはそれが見えない。

 剣士と言うよりも盗賊だ。足音がしない歩き方を当たり前のように行っている。


 頼りになど、ならない。



 ノックの音が執務室に響く。


「……誰だ?」

「ルークスです」


 高い少年の声。


 こんな時間まで残っていたのかと考えた。

 壁の時計を見れば、既に真夜中。

 未成年であるルークスを、いくら騎士とは言え、長時間拘束し続けるのはあまり良い事ではないだろう。


「入れ」

「はいっ!」


 緊張の面持ちで入ってきた少年は、ゼチーアの前で背筋を伸ばし、一礼した。

 何度も注意してきたその行動は見本のように完成しているが、ルークスの緊張した顔が何だか酷く不自然なものに見せている。


 ただ、ルークスの顔色は思ったより良い。

 疲れの色は見えない。

 若さ故か、と思った。


 ルークスが口を開く。


「夜分遅く申し訳ありません!」

「いや、大丈夫だ」


 何の用だ、と椅子から立ち上がりつつ、問い掛ける。


「シルスティンの結界強度の件、報告が上がって来ましたのでお持ちしました」

「あぁ。早いな」

「ゴルティアだって優秀な魔術師はいます」


 ルークスは少しだけ得意げに笑った。

 子供っぽい色が更に強くなる。

 思わず笑みを浮かべ、ルークスから書類を受け取った。


 書類の文字を眺めていたゼチーアの顔が少しずつ強張っていく。


 読み終え、目の前に立ったルークスを見る。


「どういう事だ?」

「え?」

「……あぁ、お前は中身を読んではいないか」

「ちらっとは読んだんですが……って、あ、読んでません!! 他人宛の報告書読むとか、そういうのはしちゃ駄目って、その、はい、読んでないです……」


 しどろもどろの言い訳を繰り返す少年に「分かった」とだけ答え、書類を丸める。


「少し出かける。フォビア殿が来たら軽くあしらってくれ」


 人の騎士団団長のフォビアは、どうやら本音はシルスティンに行きたくないようだ。

 彼の頭の中では、まず竜騎士団に先行させ、その後で自分たちが進軍する、のが目標のようだが、そう簡単には行かない。

 竜騎士たちも入り込めない。

 あの結界は訳が分からない。

 魔術に詳しいものでさえも首を傾げている。


「あ、あの、ゼチーアさん」



 ルークスが呼び止める。

 彼の横で足を止め、その顔を見た。

 此処最近で少し背が伸びたようだ。それでも、まだゼチーアよりは幾分低い。


「一度……お休みになられた方がよくありませんか?」



 恐る恐るの口調。



「俺、ゼチーアさんが休んでるの最近見てないような気がして……。顔色も悪いし……その、心配で」

「何、ちゃんと睡眠は取っている」


 軽く、笑う。


「人間は不便なものだ。放っておいても眠くなる」

「それってどっちかって言うと、睡眠って言うより気絶っぽいんじゃ……」


 ぶつぶつとルークスが言う。

 目はまだゼチーアを見ていた。

 不安そうな、色。


「このままじゃ、ゼチーアさんが病気になっちゃうんじゃないかと……俺、心配で――スイマセン……」


 口うるさい注意ばかりする上司だと、そう思われていると考えていた。

 だが、どうやらそれよりは良く思われていたようだ。

 これぐらい、心配される程度には。



「身体には気を付ける。――有り難う、ルークス」

「は、はいっ!」


 背筋を伸ばし、少年は歯を見せて笑う。



「シルスティンへ向かう際は、俺とシュートも是非お連れ下さいっ! お供させて下さい!」

「分かった」

「あ、有り難うございます!」


 裏返った声に苦笑。


「出かけてくる」

「はい。どちらまで?」

「何。……宿舎までだ」







「――どぉぞー」



 ノックに返ってきたのは間延びした男の声。

 ゼチーアは眉を寄せた。それでも扉を開く際にはその表情を消していた。


 竜騎士の宿舎――シズハたちに割り当てられた部屋には、アルタットが一人いるだけだ。

 いや、ベッドの端に座る彼の膝上に丸くなった黒猫がいるが、それを一人と数えるのならば二人。


 二人の緑の瞳が、入り口のゼチーアへと向かっている。


「あれぇ」


 アルタットがへらりと笑った。


「珍しいお客様だねぇ」

「遅くに申し訳ありません」

「いいよー、俺たち夜行性だからぁ」


 それに、と、アルタットは瞳を細める。


「シルスティンの件かな? 何か面白い事でも分かったぁ?」

「どうしてシルスティンの件だと?」

「貴方は俺たちを嫌っている。その貴方が、しかも真夜中に尋ねてくるって事は、何か重要な用事、って事じゃないー?」

「……もしかすると」

「シズハに用? ならシズハの行き先を聞くでしょ? ――それに聞いてるんじゃない? シズハはずっと竜舎で寝てるよ」


 確かにデニスから聞いてた。

 シズハはイルノリアにべったりだ。

 彼女のいる場所に、常にいる。


 恋人同士のようだ、と、デニスが笑っていた言葉を思い出した。


 沈黙するゼチーアの目の前で、アルタットが笑った。


「嫌っている、って所は否定しないんだねぇ」


 笑うアルタットにひとつ咳払い。

 このままでは彼のペースに持ち込まれる。

 丸めた書類を意識した。


「雑談をしに来た訳ではないので、本題に入っても宜しいですか」

「いいよ。なぁに?」

「シルスティンの結界、貴方が用意したものなのですか」

「……」


 アルタットは酷く不思議そうな顔をした。


「どういう意味?」

「結界の強度、魔法のパターンを解析しました。――その結果、とある場所に用いられている結界とほぼ同じと言う解析結果が出ています」

「勿体ぶらないでよー、何処ぉ?」

「冥王の城です」



 北の果て。

 冥王が住んだと言う王城。

 今もなお、強力な封印の魔術によって誰も立ち入れない場所となっている。


 そして、その封印を施したのは勇者だと言う。



「――……」


 アルタットは少し考え込む。



「アルタット殿――」

「待って」


 手で止める。

 ゼチーアは沈黙。

 差し出された手の向こう、アルタットの緑の瞳を見る。


 彼の膝の上で黒猫がひとつ、鳴いた。

 弱々しい声だった。

 アルタットがそれに応じる。


「俺たちじゃないよ」

「では、誰が?」

「正しく言うね。冥王の城を封印したのは、アルタットじゃない。――シンシアなんだ」

「……シンシア?」


 女性の名前だ。

 聞き覚えがある。

 微かに視線を右上に向け、記憶の中から引っ張り出す。


「貴方の仲間の魔術師か」

「そう、アルタットと一緒に戦ってくれた、魔術師だよ」

「……待って下さい。彼女は死んだ筈だ」


 アルタットの仲間たちは全員が謎の死を遂げた。

 仲間割れとも、冥王の残党に殺されたとも、様々な噂が流れた。

 真実は、分からない。


 ただアルタットは視線を伏せた。

 黒猫に視線を向ける。

 その毛並みを撫でる。


「そう、シンシアは死んだ。人間と言う存在の、尊厳を壊されて、ね」

「……」

「御免」


 小さく謝罪を口にし、アルタットが顔を上げる。


「彼女は死んだ。本当に、これ以上無いってぐらい、死んだよ」

「なら――」

「でも、彼女の肉親が生きている」



 何故かアルタットは小さく息を吐く。

 ためいきに聞こえた。


「大魔導士ドゥーム。彼が、シルスティンにいる筈だよ」

「……生きているのか」

「かなりの高齢だけどね」


 話には聞いた事があった。

 魔術を志す者ならば、常に名前を聞くであろう、魔術の先駆者たち。

 例えば、ウィンダムにその身を置く死霊術師マクドネルや、旅の中で人を癒し続けた聖女グレース、音楽と魔術の融合を果たしたタタル=シンの名である。

 ドゥームは、それらと同等に名を連ねられる魔導士である。



「参ったなぁ、本当、冥王の城と同じ結界?」

「細部は違うようだが、ほぼ同じだと――」

「書類、見せて」


 本来ならば見せはしない。

 だが、差し出された手に思わず書類を渡してしまった。


 アルタットは膝の上に書類を置く。

 黒猫が首を伸ばして書類を読んでいるような仕草をした。


「……シンシアの結界よりも構成が綺麗だね。職人芸みたい。こりゃあ、本当にドゥームのものみたいだねぇ」


 黒猫が同意するように鳴いた。

 続けて、もう一声。


「冥王の城と同じ結界パターンだと……そうだねぇ」

「何が、そう、なんだ?」

「んとねぇ」


 アルタットは書類の文字を撫でた。


「外からの侵入よりも、内側から出るのを防ぐ目的の結界パターンなんだよねぇ、これ」


 内側から?


「言ってたよねぇ、シズハの友達――ええと」


 黒猫が鳴いた。


「そう、バダ。彼の記憶から抜き出した映像。シルスティンの王子が、黒竜の力があれば世界の王になれるって言うの」

「あぁ」

「だけど彼は何もしてない。どうして? 一晩でシルスティンの竜騎士団をどうにかして得意げだった彼が、十日間も我慢出来る?」

「……」

「言っちゃ悪いけど、ああいうタイプって手に入れた力は振るいたい放題だと思うよ。きっと他国に攻め入りたい。自分の力を示したい、って、そればかりだと思う」


 だが、ヒューマは沈黙を守る。


「――シルスティンから、出られないのか?」

「そうだと思う」


 書類を指先で叩き、アルタットが頷いた。


「ドゥームか、彼に依頼した人間がいる。結界を作って、少なくとも黒竜が外に出られないようにしている」

「……」

「で、どうするの、ゴルティア竜騎士団副団長さん?」

「……え?」


 突然の言葉に間抜けな声だけが出た。


「ドゥームだったら自分が死んでも結界が解けないように出来ると思う。むしろ、もうしているかもしれない」


 アルタットの緑の瞳は深い。


「このままシルスティンを放置しておけば、特に問題無いと思うよ」

「出来る訳が無い」

「そう?」

「当たり前だ! 助けを求めてこの国にやってきた竜騎士がいるんだぞっ。その求めを無視する事が出来るかっ!!」

「ふぅん」


 アルタットが笑う。

 瞳を細めるその笑みが、嫌だった。


「お前は、どうなんだ」

「どう、って? ――あぁ、勇者アルタットが人を救う、って?」

 

 彼は軽く肩を竦める。


「俺はもう本当はどうでもいいよー」

「それが勇者と呼ばれた人間の台詞か」

「だって面倒なんだもの」


 ゼチーアが怒鳴るより先に、アルタットはゼチーアの瞳を見上げる。

 笑う。

 何故か優しい笑みだった。


「でも、シズハは我慢出来ないみたいだよ。シルスティンに行きたがっている。あそこにいる人たちを、助けたいと思っている」

「……」

「勇者アルタットの願いは、シズハの手伝い。シズハが望む以上は、俺たちはシルスティンに行って、人を助けるよ」



「良かったねぇ、シズハみたいな良い子がいて」



 アルタットは無邪気とも取れる笑みで笑った。

 その笑みにすっかり毒気を抜かれ、ゼチーアは言葉を失う。


 アルタットが書類を差し出してきた。


「――この結界パターンだと、外から入り込むのは比較的楽だよ。強い魔力を持っている飛竜……金竜とか、雷竜なら入り込める。だけど、抜け出すのは大変かも」

「……雷竜が侵入し、脱出に成功してる」

「なら、飛竜一匹程度の魔力ならば見逃すように出来てるのかもしれない」


 小さく呟いて、頷く。


「侵入するなら飛竜を用いて。あまり大人数で動いても無理かもしれない。黒竜に見つかる可能性もあるし。――本当は、黙って待っていて貰いたいんだけど、それも無理でしょ?」

「あぁ」


 人々は動かない国に対しての不満をつのらせている。

 それは近いうちに爆発するだろう。

 いや、フォビア辺りがせっついてくるかもしれない。

 どちらにしても、長くは、ない。


「なら十分に気を付けて」

「……分かった」



「それから」

「……?」

「俺、個人の話。貴方、個人に」

「何だ?」


 アルタットはいまだ笑みで言う。

 優しい、笑みだ。


「諦めないで」

「……何を」

「今はまだ、どうとは言えないけど、諦めないで欲しいんだよ」

「だから、何をだ」

「復讐するのは勝手だけど、貴方が死ぬのは止めた方がいいよ」

「………」


 ゼチーアはアルタットを見る。

 その瞳を、真っ向から、見た。



「……私が何をすると言うのだ?」

「ずっと、金竜の声が聞こえてる。哀しい声だよ、怖い声だよ。貴方の片割れの声でしょう、これ」


 ほら、と、アルタットが言う。


「今も鳴いてる」

「……」


 ゼチーアの耳には何も届かない。

 ベルグマンは復讐を誓って以来、鳴いていない。


「……探してるよ。この金竜。自分の恋人を。――分かってるみたいだけどね、もう何処にもいないって言うの」


 でも探している。

 意識の腕を伸ばして、必死に、捜し求めている。


「そのベルグマンに、諦めるな、と言うのは酷ではないか?」

「うん、酷い事だよ。とっても酷い事を、言う。――でも、諦めないで。死のうなんて考えないで」


 諦めるな、と、アルタットは繰り返す。


「それに――貴方と片割れの命を持ってしても、黒竜には勝てないんだよ。貴方たちは無駄死にするだけだ」

「――……」

「黒竜には誰も勝てないんだよ。アルタットだって、黒竜には勝ってないんだ」

「冥王の城を守っていたと――」

「一瞬、怯ませただけ。怯ませて、その隙に冥王を倒した。冥王が死ぬと同時に、黒竜は大人しくなったよ。でも、大人しくなっただけ。眠っただけだった」

「……」

「お願いだから、無茶はしないで。黒竜は飢えのまま、喰らい続ける。それだけ。それだけの存在なんだ。――貴方の片割れも黒竜の腹に収まっておわり、だよ」


 ゼチーアは迷う。


 迷いのまま、口を開いた。


「どうして、そんな事を言うのだ?」

「……んーとぉ」


 アルタットはへらりと笑った。


「大切な存在を失って、暴走する人を何人も見てきたからねぇ。そして、だいたいがそういうのは哀しい結末。――俺はこれ以上、哀しい御伽噺を増やしたくない」

「御伽噺?」

「あぁ……例え話。御免ね」


 ゼチーアは笑うアルタットを見る。


「ご忠告には感謝する。――が、不要な忠告だ」

「要らない?」

「そうだ。――私とベルグマンは死ぬ気は無い。命に代えてもやるべき事はあるが、無駄死にしようとは思っていない」


 片割れを失った竜騎士は長くは持たない。

 竜騎士の常識。

 当たり前の事。


 分かっているのに。


「私はまだ、彼女との未来を考えている」

「……そっか」


 アルタットは少しだけ笑った。

 笑うアルタットは何も問わない。

 彼女、の言葉の意味を問わない。

 彼は知っているのだろう。

 ジュディたちに訪れた悲劇を。

 知った上で、ゼチーアに言った。


 その彼に、軽く頭を下げる。


「夜分遅くに失礼をした」

「ううん、大丈夫」


 気の抜けた笑みと、気をつけてね、の言葉が、ゼチーアを見送るものだった。





「――……」



 退出し、扉の前。

 ゼチーアは少し迷う。


 迷って、扉を叩いた。

 許可の台詞に部屋に入る。


 アルタットは目を丸くしていた。



「あれぇ。何?」

「……妙な質問をするが」


 黒猫を見る。


「その黒猫は、一体?」

「何か気になるぅ?」

「その、先ほどから何となく違和感が」


 アルタットが黒猫を見た。

 黒猫がアルタットを見上げ、小さく鳴いた。


 うん、と、ひとつ、アルタットが頷いた。



「そうだねぇ、話してあげてもいいかなぁ」

「……?」

「ゼチーア、まぁ、長い話になるから座ってよ。時間、あるでしょう」

「まぁ、時間は――」


 示された椅子に座る。

 木製のシンプルなだけな椅子は正直、座り心地は良くない。



「ええとね……これはずっと前の話。10年前から語るべきかな……」



 アルタット――いや、そう呼ぶべきではない青年が話し出した物語に、椅子の座り心地など、すぐさま忘れたが。


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