第13話13章・現在、異端宗教編


【13】






 空は既に暗くなっている。


 先にゴルティアへ戻ったゼチーアとは違い、残されたこちらは残務処理だ。

 何とか必要な分の調査を終え、ジュディは一息吐く。後はロキに任せても大丈夫だろう。


「もう、折角の休暇が台無し」

「あははは」


 ジュディの手から書類を受け取りながらシヴァが笑う。


「でもこれから休暇取り直し、なんですよね」

「当たり前よ。こんな変な宗教団体に構った数日、休暇扱いなんて言われたら怒るわよ」

「どうぞごゆっくり休まれて下さい。――どちらに?」

「家でのんびりするわ」

「ゼチーアさんの休暇は明後日でしたっけ?」

「知ってるわ。その日はゼチーアの家に行く」

「ですよねー」


 シヴァの満面の笑み。


 二人は歩き出す。


 レイチェルの横にココの姿があった。

 ゼチーアと入れ違いにこの場所を訪れたシヴァは、手に持った書類を軽く振る。


「それじゃあ、僕はこれを城に届けに行って来ます」

「これで追い詰められそう?」

「とりあえず、神聖騎士団の動きは暫く止められそうですね。ナンバー2がこんな厄介な事してたって分かったら」

「ずっと大人しくなってくれればいいのに」

「ある程度は元気なままでいてくれた方がいいですよ」

「そうかしら?」

「女王陛下が押さえ込めるぐらいのレベルにまで大人しく出来れば、それでいいって判断らしいです」

「こんな大きな借り……作っちゃっていいのかしら、女王も」


 ジュディの呟き。


「……ゴルティアはシルスティンが欲しいみたいよ」

「それは国同士の話ですからねぇ。騎士の僕らには、どうも」


 シヴァは大げさに肩を竦めた。


「ただ、出来損ないの跡取りに国を継がせるぐらいなら、ゴルティアに管理を任せるのも英断だとは思いますけどね」

「こういう話は嫌い。騎士なんて辞めちゃいたいわ」

「結婚退職されては如何ですか?」

「素敵ね。農家の奥さんも悪くないわ」


 飛竜の元へ辿り着く。

 早速寄ってきたココの顔を撫でる。


 レイチェルはジュディの顔を覗きこむように身を任せている。



「そう言えば、シヴァ、十分気を付けてね」

「冥王の部下だった女――ですか?」

「えぇ。私が見かけてから発見されてないけど、この近くに潜んでいる可能性は十分にあるわ」

「いざとなったら全力で逃げますよ。逃げ足は僕もココも自信ありますから」

「でも気を付けて」


 レイチェルの首筋を撫でる。


「金竜の防御魔法でも打ち破られた事があるから」

「分かりました。気を付けます。ジュディさんも気を付けて」

「有り難う」


 優しい顔で、ジュディは片割れを見た。


「レイチェルに無茶はさせないわ。一人の身体じゃないんだもの」

「――……」



 シヴァが軽く視線を動かした。

 考える。


「って、アレ?」

「どうしたの?」

「あの、その発言、凄く気になるんですが――」

「あら、何か気になる?」

「一人の身体じゃない?」

「先越されちゃったわ」


 シヴァはレイチェルを見る。

 銀竜のように性格の良い、綺麗な金竜。


「ゼチーアの家に行った時、何だかベルグマンにべったりだとは思ったんだけど、発情期が来てたみたいで」

「あ、あれ、人の片割れになった飛竜は発情期が来ないって」

「人間だってその気になる時あるじゃない? 特に、好きな相手だと」

「……ご馳走様です」


 のろけられている。

 絶対にのろけられている。


 しかも片割れの口を通じて、竜ののろけ話を聞かされている。


「発情期だなって思ってたら翌日には静かになっていたから気になって調べたの。そんなに短い発情期なんて無いでしょう? そうしたら、お腹に」

「……卵?」

「えぇ。もうすぐ卵に逢えるわ。今年中には、赤ちゃんにも逢える」

「ええと――相手は?」

「ゼチーアの家に行った時、って言わなかった?」

「……そ、そうですよね」


 何と言うか、微妙に信じられない。



「シヴァも喜んでくれないのね。ゼチーアも変な顔をしていたわ」

「……い、いえ、嬉しいですよ。元気で可愛い子が生まれると良いですね」

「有り難う」


 ジュディは笑う。

 笑って、レイチェルの背に跨った。


 シヴァはココを見た。

 服を引っ張り、早く空へ行こうと強請る片割れ。

 ……まぁ、こっちは精神的に幼いから仕方ない。

 ココがいつか父親になる。

 生まれる仔竜。可愛いだろうなと思う。

 が、きっと本当に遠い未来の話だろう。



「それじゃあ、お先に」



 レイチェルが翼を大きく動かす。

 シヴァはいつも通りの敬礼をして見送った。



「じゃあ、僕らも行きますか」


 ココが元気良く答える。










 暗い森。


 翼有る女、リンダの腕の中、黒い竜は抱かれている。

 竜は唸り続けていた。

 気になってしょうがない。

 先ほどから、頭上を飛竜が飛び交う。

 気になってしょうがない。


 それに――それに。



「――ぁ」


 ぽつん、とリンダが呟く。

 夜空を飛ぶ金の色。

 どうやらリンダが見覚えのある飛竜らしい。


 リンダが笑う。紅い口元が、笑みを刻む。


「ほしい……?」


 問われた。


 黒竜は頷く。


 欲しくて欲しくてたまらない。

 虚な腹が唸り続ける。

 身体も心も涸れて久しい。

 


 リンダが笑う。


 腕が解けた。

 弱い戒め。だが、確実な戒めが、解けた。



 黒竜は、空中へを身を躍らせた。







 夜に飛ぶのも気持ちの良いものだ。

 レイチェルは上機嫌。勿論、ジュディだって嬉しくなる。


「今夜はもうゆっくり休みましょう。――明日は身体を洗ってあげるわ」


 レイチェルが小さく鳴いて答えた。

 ジュディは笑う。


「綺麗になったら、ベルグマンに会いに行きましょうね?」


 これも嬉しそうな声が返ってきた。


 風が吹いた。


「――……?」



 違和感に身を引く。



 何が――?



 下に視線を向けた。



 闇がいた。




 闇が、巨大なあぎとを開き、レイチェルの喉に牙を立てた。



 何かが断ち切られる音が響いた。

 レイチェルの悲鳴は聞こえなかった。

 何か高い音がした。


 レイチェルの名を叫んだ自分の声だと、一瞬の後に気付く。



 瞳。

 レイチェルの瞳。


 確かにジュディを見た。

 見て――そして、瞼が落ちた。

 光が、消える。


 片割れの身体から何かが抜けていく。



 堅い竜の鱗を貫く牙。貫通している。闇色の竜の口は、閉ざされている。

 闇の竜が頭を振る。


 振るままに揺れる。

 

 このままでは首が――首が――



 繋ぎとめようとする。

 伸ばす手。

 


 可哀相。

 首が、痛い。

 これでは、千切れてしまう。


 首が――


 首が――

 千切られ――


 伸ばした両手はやはり届かず、何処にも届かず。


 ジュディの身体は空へと放り投げられる。




 そして、落下。









 ジュディたちよりも少し遅れて空中に上がったシヴァが見たものは、今まさにレイチェルに喰らい付く漆黒の竜の姿だった。


 抗う余裕も無かった。

 鋭い牙が、レイチェルの喉を貫通している。

 レイチェルの身体が揺れる。

 抗う動きではない。

 断末魔の、痙攣。


 黒い竜は頭を振った。レイチェルの喉に牙を立てたまま、肉を千切り取る為に。


 背中のジュディが揺れる。



 このままでは、落ちる。




「ココ!!」



 びくり、とココが震えた。

 怯えている。

 当たり前だ。あれは怖い。シヴァも怖い。あの黒い竜は何だ。

 手綱を握る手も震えている。

 このまま回れ右して逃げ出したい。


 だけど。


「ココ、早くっ!」



 四枚の翼が動いた。

 同時に、ジュディがレイチェルの背から放り出される。



 最高速度。

 風竜の最高速度で、落ちるジュディへと向かう。

 風がぶち当たる。痛いとさえ感じる、速度。


 ジュディの下へと回り込む。

 ココの腹を木々が摺る。落ちてきたジュディを受け止める。幾ら女性とは言え落下の重みがあった。抱きとめた腕が軋む。それでも何とか受けとめられた。



 抱きとめ、シヴァが命じるよりも先にココは黒い竜を背に最高速度を維持したまま飛び始めた。

 逃げる動き。


 シヴァは背後を振り返った。


 黒い竜が、僅かに夕方の色を残した空に浮かんでいる。

 その口元には、既に力を失った金竜の身体がぶらぶらと揺れていた。




 悪夢の風景だ。




 恐怖に叫び出したい衝動に駆られる。

 ジュディの身体を抱き締めた。

 意識を失っているのが幸いだ。此処で片割れの様子を見られ、暴れられてはシヴァでは押さえ込めない。



 ただ、意識を失っても通じるのか。

 ジュディは喉を掻き毟っている。

 

 丁度、レイチェルがその牙を立てられた場所を、己の喉を裂かんと言わんばかりに、爪を、立てていた。








 紅い雨が降る。



 リンダが笑う。



 両手を広げ、血の紅に翼を染めながら。



 咀嚼の音が響く。

 黒竜が金竜を貪っている。

 骨まで残さず、魂ごと、その身に喰らい込む。



 飢えた黒竜。

 世界に一匹だけの、闇色の飛竜。


 彼がたった一匹なのは理由がある。

 黒竜は他の飛竜を喰らう。

 初めは同族。黒竜同士で喰らいあった。

 やがて最強の一匹だけが生き残る。


 それでも満たされぬ黒竜は、他の飛竜を喰らい始めた。



「うふ、ふ、ふふ、ふふふ」



 竜の血が落ちる。

 落ちてくる。

 紅い雨。


 既に金の鱗は判断出来ない。

 飛竜とさえも判断出来ない。

 既にかけら。

 骸のかけら。


「おなかいっぱい? いっぱい?」



 それでも黒竜は満たされない。

 彼を満たすのはただひとつ。

 彼を抱き締めてくれる人の腕。

 冥王と呼ばれた、その人だけだ。


 私もそう。

 欲しいのは抱き締めてくれる腕。

 


「行きましょう、はやく、ねぇ、行きましょう?」



「おひめさま、いなかった。だから、はやく、次の場所」



 数多の屍を集めて重ねて血を流し。

 紅い雨に紅い川、紅い大地に紅い空。

 人の命を屠りに屠って、その果てにあの人は帰ってくる。


 血に塗れた姿で黒い竜が戻ってくる。

 紅い姿をリンダは愛しげに抱き締めた。



「戦争――戦争」


 歌う。


「人を殺すの、殺すの、全部」


 可哀相な冥王様。

 その魂は今何処。

 貴方が泣かずに済むように、我らは貴方の敵を喰らい続ける。

 人と、それに味方する愚者たちを、喰らい続ける。


 その果てを、待ち続ける。



「次の戦場へ――行きましょう」



 リンダの声に黒竜が吼えた。

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