第13話14章・現在、異端宗教編
【14】
眠るように目を閉じていたベルグマンは、ゆっくりとその瞳を開いた。
唸る。
誰もいない闇の中。ベルグマンは見えぬ敵へと牙を剥く。
レイチェルの気配が消えた。
何かの間違いかと意識を更に伸ばし、手繰ってみたが何処にもいない。
この世に、もうレイチェルは存在しない。
死んだのだ。
魂も残らぬほど、滅ぼされた。
身体を起こす。
地面に爪を立てた。大きく抉り取られる。
首を伸ばし、吼えた。
身体の中に暴れるものがある。
故にベルグマンは吼える。吼え続ける。
まだ名前さえも分からぬその暴れるものに任せて。
――そう、怒りに、吼え続けるしか無かった。
シヴァの帰還と彼が齎した報告は、普段は静かな夜のゴルティア王城を騒がせるに十分なものだった。
「――……」
ゼチーアは頭を抱える。
執務室の椅子の中、身を沈めて頭を抱えていた。
何が起きたのか、いまだ、整理しきれない。
落ち着けと己に言い聞かせる。
シヴァの報告は聞いた。
レイチェルが死んだ。
食い殺された。
黒竜に。
黒竜――500年前、狂王ボルトスが従えた、たった一匹で多くの竜騎士を倒した伝説の飛竜。
まさか。
まさかだと、思いたい。
ノックの音。
頭を抱える腕を解いた。
「……誰だ」
「シヴァです」
「入れ」
扉を開けて入って来たシヴァは、普段の明るさが無い。
いつもの砕けた敬礼も忘れたように、ゼチーアの前に立った。
「そろそろ会議の時間だそうですよ」
「分かった」
「……大丈夫ですか、ゼチーアさん」
「大丈夫な訳があるか」
声に怒気が混じる。
シヴァに怒りを向けても仕方ない。
分かっていても、止められなかった。
「レイチェルが死んだ。ジュディの――レイチェルが。竜騎士が竜を喪った。それを知って、大丈夫な訳があるかっ。レイチェルだ、ジュディの――」
「……」
気付けば立ち上がっていた身体を椅子に沈める。
両手で顔を覆った。
「すまん」
「いえ」
しばし、沈黙。
「ジュディに会って来た」
「意識は戻ったんですね」
「戻らない方が良かったかもしれない」
顔から手を外せない。
自分がどんな顔をしているかなど、考えたくも無かった。
「殺してくれ、だと」
「……」
「自害し兼ねない様子だ。――医者に拘束を頼んできた」
「どうなるんですか」
「恐らく死ぬだろう。自害は防げても衰弱死までは防げん」
「……」
「それが竜と竜騎士だ」
手を外す。
「会議だったな。すぐに行こう」
「その前に、ゼチーアさん」
「何だ?」
「涙は拭いていった方がいいと思いますよ」
「……」
もう一度、顔を手で覆った。
確かに濡れている。
「……無様だな」
「いえ」
ゼチーアの言葉にシヴァが言う。
「冷静ですよ、ゼチーアさんは」
シヴァは笑うと言うには曖昧な表情を見せる。
「ゼチーアさんが冷静なのは助かります。――こんな時に頼ってしまってスイマセン」
「冷静なものか」
椅子から立ち上がった。
「ベルグマンが吼え続けているそうだ」
「……」
「あいつもレイチェルが死んだのが分かるらしい」
「……ベルグマン……」
「いますぐ、その黒竜とやらを食い殺してやりたい。本音はそういう気分だ」
「ゼチーアさん」
「会議だろう。――行くぞ」
部屋を出て廊下を歩く。
夜は静かな王城が、やはり、騒がしい。
「シヴァ」
「はい」
「思い出させてすまん。――黒竜の事を詳しく聞きたい」
シヴァは軽く自分の身体を抱いた。
「怖かったです」
「それほどの大きさか」
「いえ――例えば……子供って、夜を怖がりますよね」
「……? あぁ」
「そんな、原始的な怖さです。ただ、怖いんです。今思い出しても、あの時によく動けたと思います」
緩く、頭を振る。
「見た時には、牙がレイチェルの喉に食い込んでいました。ほぼすべて。金竜の鱗を牙の一撃で貫けるとなると、凄まじい攻撃力です」
「レイチェルは金竜にしては細身ではあったが――それでも」
「はい」
シヴァは目を伏せる。
顔が歪んだ。
必死の様子で言葉を繋ぐ。
「黒竜はレイチェルを喰らってました」
「――……」
「もっと詳しいお話は会議でもいいですか」
シヴァは自分の手を見せた。
震えている。
「スイマセン、まだ、怖くて」
「会議で話せるのか」
「話すよりもいい方法を思いつきましたので」
そこで会議室に着いた。
左右を守る兵士に挨拶をし、部屋の中へと入る。
部屋の中央には円卓。会議用の円卓の席は半分ほど埋まっていた。
既にテオドールは来ていた。
彼も険しい顔をしている。
他にも古参の竜騎士が二人、既に席に付いている。
会議を記録するための人物も既に着席していた。
空席なのは、人の騎士団の席だ。
ゼチーアはテオドールの横の席に腰掛ける。
シヴァは少し離れた席に腰掛けた。
「――ジュディの家族とは連絡が取れたか」
「はい」
テオドールからの問い掛けに頷く。
「今晩にでも引き取りたいとのお申し出でしたが、明日と言う事になりました。――今のままで彼女を家に戻すのは、危険と判断しました」
「そうか」
テオドールは瞳を閉じる。
「……何度経験しても、竜を喪った竜騎士に掛ける言葉が見当たらない」
「……」
ジュディは言った。
辛い、と。
私がいない。私が死んだ。なのに私は生きている。
その理由を、ゼチーアに求めた。
ゼチーアは答えられない。
彼が竜騎士でないのなら言えたかもしれない。死んだのは竜であって、ジュディは死んでないと言えたかもしれない。
だがゼチーアは竜騎士だ。
そのような事は、考えもしなかった。
何も言えなかった。
暴れるようなジュディの身体を抱き締めるしか出来なかった。
腕の中で、力を失った身体が殺してと繰り返すのを、聞くしか出来なかった。
扉が開く。
入ってきたのは人の騎士団団長フォビアとその部下たちだ。
ゼチーアは時計を見る。
会議の開始時間は既に過ぎていた。
彼らは謝罪も無く椅子に座ると、会議の記録係りを指で示した。
「話は何だ?」
その第一声に、怒りの声が喉から飛び出そうになる。
テオドールの手が視界に入った。
落ち着け、と言うのだ。
ゼチーアは何とか声を飲み込む。
テオドールが静かな声でフォビアを見たまま、話し出す。
「竜騎士団所属の竜騎士、ジュディ・カズマレックの竜、レイチェルが殺された。殺害したのは漆黒の竜だと思われる」
「まさか昔話の竜だと言うのか」
フォビアの横の騎士が言う。
呆れの混じった色だ。
「同一の竜とは言い切れないが、漆黒の竜など聞いた事も無い」
「――冥王」
呟いたのは、古参の竜騎士。
彼は淡々とした声で言う。
「冥王も黒い竜を従えていたと噂が流れた」
「冥王の復活と言うのか。馬鹿馬鹿しい」
笑う声。
人の騎士団が互い、顔を見合わせ、笑う。
「たった10年だ。10年毎に復活するなんぞ随分とまめな悪人もあったものだ」
「大体――」
フォビアが口を開く。
「その女騎士が見間違えたんじゃないのか? 騎士とは言え女性だ。恐怖で黒くも無い竜を黒だと言っているのかもしれない。黒は恐怖の象徴だからな」
「他の竜騎士も目撃しています」
「あぁ――戦えもしないヤツか。竜騎士? 荷物運びじゃなかったのか」
シヴァに向かう視線。
彼は僅かに瞳を細めただけだ。
「それこそ見間違えたに決まってる」
なぁ、と同意の言葉を求めたフォビアの顔面に、子供の拳ほどもある水晶球がめりこんだ。
投げたのは――シヴァだ。
椅子から転げ落ち、床でのたうつフォビアに向かうシヴァの視線は冷たい。
珍しい、見下ろすもの。
「ご覧下さい。僕の記憶を抜き出して封印した水晶です」
「こ、このっ!!」
「いいから早く見て下さいよ。あんたたちがトロトロやるのはいいんですけどね、あんたたちの許可がないと竜騎士団も自由に動けないんですよ。どうせ竜相手には役に立たないんだから、許可ぐらいとっとと出す。遅いのはあんたの足だけにして下さい」
シヴァにまくしたてられ、フォビアの顔面が真っ赤に染まる。
ゼチーアの横で古参の騎士が微かに笑った。
彼は立ち上がると、床に転がった水晶を拾い上げる。
「どうすれば?」
「キーワードは“はじめ”です」
「分かった」
流暢な発音で古代語を口にする。
同時に、会議室の壁に映像が結ばれた。
レイチェルの喉に牙を立てる、黒い竜。
シヴァの言葉を思い出した。
怖い、と。
あぁ、確かに怖い。
大きさはレイチェルよりも二周りほど大きいだけだ。
なのに、怖い。
全身黒。瞳は紅を秘めた暗い黒。
金竜の鮮やかな身体に牙を立てるその口元から、紅い雨のように血が落ちている。
僅かに赤みを帯びた背後の空。
悪夢のような風景だ。
流石の人の騎士団も言葉を失っている。
記憶から抜き出した映像。壁一杯に結ばれたそれは、見るものの心を揺らす。
恐怖によって。
最初に動いたのはテオドールだ。
水晶を掲げたまま動けない古参の騎士の横を抜け、壁に近付く。
まじまじと映像の黒竜を見た。
「――薄い」
彼の表情に怯えは見えない。
「薄い?」
「下半身に向かうにつれて、身体が透けている」
指摘されるまで気付かなかった。
テオドールの指が示した箇所は確かに背後の空が透けていた。
「な――なんだ」
フォビアが笑い出す。
「やはりニセモノか。おおかた何らかの魔術で――」
「本物です」
テオドールの声。
フォビアが黙る。
黒竜の映像を背後に、テオドールが腕を組んだ。
表情は硬い。
「これは恐らく影だ」
「……影?」
「魔力によって自分の魂の一部を切り離す。自由自在に使いこなせる使い魔のようなものだ」
使い魔?
「テオドール様」
ゼチーアは思わず問い掛ける。
「これが、影なら――本体は?」
「……」
「影がレイチェルを食い殺せるほどの存在なら――」
そしてこれほどまでに人に恐怖を抱かせる存在ならば。
「本体は、どれほどまでに?」
「分からない」
ただ。
「この影を見ても年齢は100歳は軽く越えている。ならば、本体はその数倍は軽く越えている筈だ」
最低でも数百歳。
コーネリアを上回るかもしれない、飛竜。
「そのような飛竜が存在するとしたら――厄介だな」
「ど、ど、どうする気だ、テオドール殿」
フォビアはすっかり飲み込まれたような顔をしていた。
ちらちらと映像の黒竜を見る。
想像しているに違いない。
これよりも恐ろしい、巨大な竜の姿を。
「フォビア殿には許可を頂きたい。ゴルティア竜騎士団はこれから、この黒竜を追う。それに関しての独断の権利を」
「竜の事は専門に任せる。それが一番だろう」
「有り難い事だ」
これで少なくとも、この件に関しては自由に動ける。
下手に動けばプライドだけは高い人の騎士団だ。何かと文句を言ってくる。面倒でも先に知らせておくのが手だった。
「ならば後はこちらに任せて頂こう。――夜遅くに来て頂いて申し訳なかった、フォビア殿」
「あ――あぁ」
人の騎士団が立ち上がる。
「任せたぞ、テオドール殿」
彼らの後姿に、シヴァが大きく舌を出した。
扉が閉じられる。
「シヴァ」
古参の竜騎士が呆れたように名を呼ぶ。
シヴァは軽く頭を掻いた。
「スイマセン、いらっと来ちゃって」
「水晶を投げた時はどうなるかと思った」
「傑作だったがな」
褒めたのは――テオドールだった。
いまだ黒竜に視線を向けたままの一言ではあるが、竜騎士たちは顔を見合わせる。
微かな笑いが、浮かんだ。
「――まずはどうなさいますか」
ゼチーアはテオドールの後姿に問い掛ける。
「そうだな――」
「情報収集ですか?」
シヴァが立ち上がる。
「なら、僕が」
「シヴァ、気が早いぞ」
「いや、それでいい。頼むぞ、シヴァ」
「はい! いつも通り、適当に色々集めてきます」
普段の、砕けた敬礼をひとつ。
「では、早速!」
「おい、もう行くのか」
「動いていた方が気が楽なんです」
シヴァは部屋からあっと言う間に出て行った。
かと思ったら、戻ってきた。
「あ、その水晶、僕のプライバシーも入っているので竜以外の場所は見ないで下さいね。時間無くて部分じゃなくて全体抜き出したんです。此処三日ぐらいの秘密までぜーんぶ入っちゃったんですよ」
「………」
「お願いします」
では、と、シヴァは普段に近い笑みを室内の人々に向け、改めて出て行った。
何となく空気が違う。
軽くなった気が、した。
「私は少し調べてみたい場所がある。悪いが単独行動をさせてくれ」
「はい」
テオドールの言葉に頷く。
「ゼチーア――お前は、自宅に戻れ」
「……?」
「ベルグマンを宥めてやれ」
「……有り難うございます」
「皆も今の段階では待機だ。私かシヴァ、何らかの情報を得た時点で再度指示を与える。単独で騎竜にて現場付近を巡るのは避けてくれ。その場に留まっているとは思えんが、十分注意して欲しい」
「はい」
「では、明日」
それが終了の言葉となった。
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