第13話12章・現在、異端宗教編



【12】





「物語の調整役。それが、俺とイシュターの仕事」

「物語、って」

「勇者が冥王を倒す。そういう物語の」


 目の前にはレイチェルが横たわっている。

 イルノリアは大人しくシズハの横にいた。ぴったりと寄り添い、一歩も離れない。



 周囲は騒がしい。

 ゴルティアの竜騎士団は、騎士では無い兵士たちも連れてきていたようだ。

 信者たちが集められている。

 それでも首謀者が見つからないと、まだ動きは止まらない。

 せいぜい来ている竜騎士は数名なのだろう。竜騎士の姿は、先ほど分かれたジュディ以外、誰も見ていない。


 騒がしい周囲から切り離されたように、シズハたちの周囲は音が沈む。

 ただヴィーが語る言葉を、聞く。



「冥王が弱過ぎても駄目。それじゃあ物語は中途半端。だから、冥王が弱いうちは守ってあげる。勇者が力不足なら勇者に力を貸す。それが、俺とイシュターのやってきた事」

「……」

「分からないでしょう? でも、英雄譚ってそういうものなんだよー。強い敵がいなきゃ、強い英雄がいなきゃ、決まらないでしょう」

「で、ですが、それは物語。架空の話で――」

「勇者アルタットの英雄譚は?」

「…………」

「あれは本当の話。でも、理想的な英雄譚でしょ? 大陸最強って言われていたゴルティア竜騎士団さえ勝てなかった相手に、人の身の勇者が勝利する。どぉ?」



 シズハは自分の胸元を掴む。

 息が苦しい。

 何故か背中まで痛い。傷跡が痛む。


 奇妙な不安感。



「どうして、そんな事をする必要が?」

「人が恐れるから」

「……?」

「奇跡の物語があれば、人は絶対の存在を思う。例えば、神と呼ばれる存在を、ね」

「……ヴィーは――その」

「まぁ、一言で言えば、神様のお使い?」

「……………」

「あー、何、その一気に胡散臭そうになる顔はぁ」

「宗教画で天使って見た事ありますが、だいたいは飛竜か、背中に翼を持った人間です」

「そりゃあ大昔にいたよ、翼持っている人間。確かに神に近い能力持ってたけど滅んじゃったしぃ」


 ヴィーは唇を尖らせる。


「何ぃ? 猫が神様のお使いじゃあ不満足?」

「………想像出来ません。猫にする理由が、分かりません。人型の方が良いのではありませんか」

「猫好きだったんじゃない? この世の神様?」


 そんな適当な。



「まぁ、シズハが信じてくれなくてもいいとして、話を元に戻すねぇー」


 ヴィーはそう言った。


「俺は真面目にやってきたんだよ。ちゃーんと勇者と冥王を物語の都合の良い所まで育て上げて、最後には勇者が勝つように手伝う。――でもイシュターはそれが嫌になっちゃったみたい。とんでもない事を考えた」

「何をしたんですか?」

「これからしようとしてる」



 イシュターは。



「最後の勇者対冥王の戦い、冥王側を勝たせようと思ってる」

「……冥王が勝てば、どうなるのですか?」

「冥王は人間が嫌いなんだよ。彼が勝ったら徹底的に滅ぼしに掛かる。人間なんてゼロにされるよ、本当。――冥王って言うよりも、狂王の再来だね」

「……狂王ボルトスも冥王なのですか」

「同じ存在。時代が違うだけ」


 生まれ変わったのか。それとも肉体的にも同一人物なのか。

 

 そこまで考えて、気付く。



「なら――あの猫が一緒にいた人物が、冥王なのですか」

「多分ね」



 アギ。



「……19歳と言ってました。そんな、アルタット殿が倒した冥王がいた頃には、もう生まれてるんじゃ」

「シズハは、冥王って存在を何だと思う?」

「……冥王は、冥王なのではありませんか?」

「具体的に」

「人を滅ぼそうとする悪」


 ヴィーは何故か寂しそうに笑った。


「うん、悪だよ。人を滅ぼそうとするって観点から見るなら。冥王って存在は、ただ人に対する敵意を持って生まれる。人と言う命が許せない」


 だけど。


「冥王は――シズハが思っているような存在じゃない」

「……?」

「肉体は無いんだ」

「………???」


 シズハの後ろでイルノリアも首をかしげている。


「冥王は人への敵意と知識で出来ている魂。その魂は、冥王と同じ血肉を受け継いだ子孫に受け継がれる」



 胸が苦しい。

 不安が、迫る。


 シズハは手を伸ばす。

 ヴィーの服を掴んだ。



「なぁに? シズハ」



 ヴィーは分かっている。



「俺は」

「うん」

「俺は――大丈夫なのですか」




 御伽噺の主人公。

 どちらがそれに相応しいのか。

 それを決めようと、アギは言った。



 御伽噺。

 その御伽噺の内容が、勇者と冥王の物語ならば。



 服を掴む手が震えている。

 怖い。

 怖い。



「アギが――どっちの可能性が勝つか、勝負だと」

「アギってのが、イシュターが一緒にいた人?」


 頷く。


 ヴィーの腕の中、アルタットが緑の目でシズハを見ている。

 その瞳さえ、怖い。


「俺は――ヴィー、俺は」

「大丈夫だよぉ」


 へらり、とヴィーが笑う。

 片方の手でシズハの頭を撫でる。


「冥王の子孫じゃないかって疑ってる訳でしょ?」

「……はい」

「それは正解。間違いないけどねぇ」

「………」


 苦しい。


「冥王はひとつの時代に一人きり。血を受け継いだ同じ子孫でも、同年代が二人って今まで無かったなぁ」


 それにね、と、ヴィーは笑う。


「何でか冥王を受け継ぐ人って若い人だけなんだよねぇ。あと一、二年でシズハが冥王の魂を受け継がなきゃ、候補者から外れる」

「………」

「後はなぁんにも問題ないよ。怖いことなんて何も無い」

「……本当……ですか?」

「うん」



 でも。



「あの、黒い騎士も、冥王の何かですか?」


 シズハの言葉のヴィーは笑みを消した。

 何か信じられない事を聞いたように、シズハを見る。


「……どういう事?」

「黒い全身鎧の騎士が、俺を助けてくれました」

「アギが命じて守らせたんじゃないのぉ?」

「違います。アギはその黒騎士が欲しかったって、俺から奪おうと――」

「待って」


 ヴィーはシズハの言葉を封じる。


「冥王ってね、知識は豊富なんだ。だけど身体は人間と殆ど変わらない。なんで、彼を守る存在を常に従えてる」


 漆黒の騎士もその一人。


「――今も、呼び出せる?」

「どうやったのかも分かりません。突然、地面から出てきて」


 イルノリアがシズハの足元を見た。

 首を傾げている。

 足の下にある影。そこから出てきたと言うのか。


 今は、何も無い。



 イルノリアが顔を寄せてくる。

 余程不安そうな顔をしていたのだろう。擦り寄って来る動きが優しい。

 シズハは両腕でイルノリアを抱いた。



「俺は――倒された方が良いのですか?」

「シズハは冥王じゃないって」


 笑う。


「シズハは人が憎い? 殺したい? 全部、滅ぼしたい?」

「いいえ、いいえっ」

「なら大丈夫」

「でも、もしも、俺がその魂とかを――」

「その時は俺と勇者アルタットがいるよ」


 黒猫は緑の瞳を細めた。


「責任持って、殺してあげる」

「……」


 ヴィーはすぐさま笑った。

 気の抜けた、普段の笑み。



「でも、大丈夫だよぉー。シズハは冥王になんてならないよ。その黒い騎士も何かの間違いだって。もしかしたら、俺の知っている黒騎士とは違うかもしれないしぃ」

「――……」

「俺たちを信じて」


 ヴィーは自分を示した。


「もう何百年も冥王と勇者を見てきたんだ。冥王になる人間ぐらい、すぐに分かるってぇ。でもシズハはそういう感じしないものー。大丈夫、大丈夫ぅー」

「……はい」

「ほらほら、哀しい顔をしないの。イルノリアも哀しんでるよ」


 言葉に反応したイルノリアが擦り寄って来る。

 大丈夫、とそう囁くように舌を軽く出してシズハを舐めた。


「御免……イルノリア……」





 ヴィーの腕の中でアルタットが小さく鳴いた。


 嘘吐き、と。



「何がぁ?」


 神の使いだなんて、勇者と冥王を育て上げる存在だなんて――一言も言わなかっただろう。


「御免ねぇ」


 今はいい。

 体調が良くなったら、とことん追求してやる。

 俺はまだ納得していない。


「どうぞどうぞ」


 ヴィーは笑う。


「イシュターも暴走しちゃったしぃ、俺もう、隠し事するの面倒になっちゃったから、何でも話すよ。――でも、もう隠してる事殆ど無いかも」


 まだ聞いてない事は沢山ある。


 例えば――神とは、何だ?


「神は神」


 本当に、そんな存在がいるのか?


「冥王や勇者が存在している程度ぐらいには、存在してるよ」



 ヴィーが顔を上げる。

 誰からこちらに近付いてくる。

 三十歳過ぎぐらいの男。明るい金髪の長身。

 真っ直ぐにこちらに歩み寄って来る。


「シズハ、誰か知ってる?」

「……はい」


 頷く。


「ゴルティアの竜騎士団の人です」


 男はすぐ近くで足を止めた。

 手に剣を持っている。

 見覚えがあった。

 シズハのショートソード。確かに気が付いてからずっと見失っていた。

 男は、それをシズハに差し出す。

 

 シズハは笑顔で受け取った。


「有難うございます」

「いいえ」


 男が答える。冷徹そうな線の細い顔に僅かな笑み。


「やはり貴方のもので間違いありませんでしたか」

「はい! 有り難うございます」


 笑顔。


「でも、珍しいですね。ゼチーアさんがゴルティアの外に出るなんて」

「少々大切な問題でしたので」


 私としては、と、ゼチーアと呼ばれた男がシズハを見る。


「貴方が此処にいる事の方が驚きでした」

「色々と事情がありまして……話すと長くなりますが」

「その事情はゆっくりとゴルティアで聞きましょう」

「……?」

「事情を伺いたい。ゴルティアへと来て頂きます」

「えー、ちょっと待ってよ、ゴルティアって遠いんじゃない?」


 不満そうに口を挟んだヴィーへ、ゼチーアは瞳を向ける。

 冷たい色。


「私の片割れに乗って頂きます。ならばゴルティアまで一時間も掛からない」

「でもシルスティンも近いのに――」

「御希望なら話が済み次第、シルスティンにお送りします。如何ですか」

「……一緒が嫌なんだけどねぇ」


 ヴィーの呟きは無視された。



「私はこれからゴルティアに戻ります。シズハ殿は共に」

「はい、分かりました」

「アルタット殿も」

「はぁい。――参考までにあんたの竜、イイコ?」

「貴方を振り落とす事は無い」

「ならいいかぁ」



「あの、ゼチーアさん」

「何か」

「ゲオルグ殿は――」

「死体で発見されました。自殺のようです」

「……女の子は?」

「ゲオルグの死体が少女の死体を抱き締めていました」



 二人とも、死んだのか。



「色々とご存知の様子で助かります」


 ゼチーアの言葉。


「信者からも情報を得ますが、それだけでは心もとなかった」

「此処は、何をしていたのですか」

「人身売買組織から子供を買い上げ、何らかの魔術的実験に使っていた痕跡が発見されています。――元々、この近隣で子供が行方不明になると言う報告があり、それの調査が目的でしたから」


 ヴィーが笑った。


「調査って言うには大げさだねぇ」

「こちらに子供を売った証言は取れています。そして、この団体は武装をしているとの報告もありました。万が一の事があってはならない。供えは必要です」

「これだけ大げさなら、他国にも知れ渡るねぇ」

「そうでしょうね」


 そこでシズハは思わず口を挟む。


「ならば――ゲオルグ殿を生きたまま捕らえられなかったのは、失敗でしたね」

「――……」


 ゼチーアがシズハを見た。

 伺う、色。


「何を仰られているのか分かりかねます」

「……いえ」


 シルスティンの竜騎士団の一部が、他国の竜騎士団と手を結んで神聖騎士団を滅ぼそうとしている。

 アギの言葉を思い出す。


 そんな事はしないと思っていた。

 いや、いまだに思っている。

 思っているのに、何故か――苦しい。


 背中が痛い。


 痛みから逃れるように思考し続ける。


 ゴルティア竜騎士団。

 冥王やその部下と戦い続けた、竜騎士団。

 冥王を憎む気持ちも強い。


 もしも、シズハが冥王になりうる存在だと知れば、どうするのだろう。


 言ってみたいような気がした。



「――いいえ、何でもありません」


 だがシズハの口から漏れたのはそんな言葉だ。



「では、ゴルティアに参りましょう。――レイチェル、お前はそのまま待機だ。ジュディたちは夕方まで残る」


 金竜はおとなしくうなずいた。



「こちらに」



 ゼチーアはシズハたちに背を向け、歩き出した。

 

「行こぅ?」

「はい」


 ヴィーが軽く背を叩いてくれて、シズハはようやく歩き出した。

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