第13話3章・現在、異端宗教編



【3】





 一匹の金竜が空を舞っている。

 その背には人の姿。女の姿だ。髪が流れる風に遊ばれている。それさえも心地良さそうに女は目を細めた。


「――気持ちいいわね、レイチェル」


 ジュディの声に片割れの金竜は高い声を返した。

 

 眼下に広がる風景は森とその間を縫うような街道。珍しい風景ではないが、久しぶりの遠乗り。それだけで心地良い。


 レイチェルの翼が空を叩く。力強い羽ばたき。彼女もとても気持ち良さそうだ。



「最近、忙しかったものね」



 愛竜の首を撫でた。



「――ゼチーアも休みの日があったら、彼の家に行きましょうか?」


 答える声は高い音。

 ジュディは笑う。


「貴方もベルグマンに会いたいの?」


 竜は素直。望みを隠さない。レイチェルはこちらに顔を曲げてまで肯定の意志を表した。

 素直な片割れに自分の心まで素直になるのが分かる。


「私も、会いたいわ」


 口にしてしまうとその気持ちが更に強いものになる。

 我侭を言ってしまおうかと、そういう気持ちにすらなった。


 そんな事を考えていて、一瞬、動きが遅れた。


 しかし考えもしなかったのは事実。



 目の前に、人の姿があるなんて。





「レイチェル!」


 片割れの名を叫んで手綱を引く。翼を大きく一度動かし、レイチェルはその場で滞空。


 そのレイチェルの前に立つのは、背に翼を持つ若い女だった。

 黒い皮製の、拘束具と間違えそうな衣類。長い金髪。

 その見事な金髪の間にあるのは、整ってはいるが、何処か呆けたような雰囲気の顔立ちだ。紅い唇だけが妙に目立つ。


 そして女の背には白い翼があった。



 低く、レイチェルが唸る。

 威嚇の声。

 愛竜が見覚えがあるように、女の姿には見覚えがあった。

 10年前。冥王との戦い。たった一人の女の身でありながら、何人もの騎士や戦士たちを魔法で無力化した女魔導士。

 背に翼を持つ、異種族の女。


 10年前に見たそのもの。

 老けていないのは疑問だったが、異種族である。老化が遅い種族なのかもしれない。




「――リンダとか言ったわね」



 ジュディの声に女――リンダが首を傾げる。



「だれ?」

「覚えていない? ゴルティア竜騎士団の一員よ」

「あぁ」



 リンダが笑う。

 童女のように無邪気な、それでいてぞっとするような気持ちの悪い笑み。



「あの、弱い、竜騎士団」

「……」


 ジュディは無言で武器を構えた。ドラゴンランス。レイチェルも羽ばたきに合わせて呪文を構築している。精神を守る呪文。

 この女魔導士の魔力で、何人もの人間が廃人になった。

 

 恐らく、ジュディ一人ではこの女には勝てない。

 勝てぬなら、此処を切り抜けてゴルティアへと戻らねばならない。

 弱い竜騎士団と言われた侮辱に紅く染まった頭を必死に鎮め、何度も自分に言い聞かせる。



「冥王のペットが何でこんな所にいるのかしら? ご主人様はどうしたの?」

「まだ、いない」


 リンダが笑う。

 胸元に両手を当てて、恋する乙女のような仕草。


「でも、帰って、来る」

「冥王は勇者が倒したわ」

「う、ふ、ふふふふふ」


 笑う。

 何が楽しいのか、身体を曲げての爆笑。


「冥王様は、死からも、甦る。人間たちに、そう、言った、でしょう?」



 冥王の名前の由来。

 己を『冥府から甦った者』と称した事にある。それを聞き、人々が付けた冥王と言う名を気に入り、自称し出した。

 冥府から甦る。

 その言葉を信じ、冥王を500年前に大陸全土を血と争いを持って統一したボルトスだと言う者もいたのを思い出す。


 狂王ボルトス。

 黒き飛竜を従えて、何万人もの人間を処刑した狂った王。まだ少年と言っても良い年齢だったらしいが、その残虐さと戦闘能力は500年が過ぎた今も人々の間に恐怖と共に伝えられている。


 もしも500年前の狂った王と冥王が同一人物ならば――


 何度でも冥府より甦ると言うのならば――


 それが真実ならば――何度倒してもキリが無い。


 真実ならば。




 しかし真実とは思えない。

 もしも真実だとしても、500年の月日があった。

 冥王が倒れてまだ10年。

 復活には早過ぎる。




「500年間独りで待つ気なのかしら? 忠実な子」

「そう、私、忠実」


 だから。


「邪魔、しないで」

「何をする気」

「冥王様、敵、倒す」


 冥王の敵?

 それは、例えるなら人間全て。


「何をする気なのか伺いたいわ。もっと具体的にお話してくれないかしら」

「……」


 リンダの翼が動いた。

 レイチェルに背を向け、飛ぶ。


 下へと、降りていく。


「待ちなさい!」



 勝てないのは分かっている。

 だが此処で見過ごすのも納得行かない。


 リンダが振り返る。

 黒い皮手袋に包まれた指先が、空中に文様を描く。


 文様の中心から現れたのは巨大な氷柱。

 一本、二本、三本、そして、四本。


 リンダがそれに息を吹きかけるような仕草をした。

 真っ直ぐに、貫く速度で先の尖った氷柱が走る。


「護って!」


 叫びに、レイチェルが呪文を組み直す。

 目前に光の盾。一本目の氷柱はそれに当たって砕け散る。二本目も同様。ただし、光の盾にヒビが入る。

 


 三本目は盾を破壊し、ジュディへと進む。しかし威力の弱まったそれはランスで弾けた。

 四本目。

 レイチェルの手綱を操り、動く。

 ジュディの身体ではなく、レイチェルの翼を薄く切り裂き、氷柱は背後へと走り抜けた。


 リンダの姿を探す。


 降りていく翼を持つ姿。

 その降りていく先に、建物があった。



「……?」


 白い建物。

 竜騎士としての常識で、この辺りの地形ならば地図として全て頭に入っている。

 しかしその建物に覚えは無い。


 侵入すべきか。


 一瞬迷ったものの、出血するレイチェルの翼を見た。


「……帰って、上の指示を仰ぎましょう」


 それがいい、と、意外に猪突猛進な所がある片割れを見やり、レイチェルは安堵のような声を漏らした。



 翼の傷は薄い。元々こちらを殺すつもりは無かったのだろう。殺すつもりならば、精神に影響を与える呪文を使った筈だ。

 この傷ならゴルティアまでなら飛べるだろう。


 建物の位置をもう一度覚え、ジュディは動き出す。





 冥王の部下。

 思い出す。


 ジュディが実際会ったのは二人。

 先ほどの翼持つ魔導士、リンダと、後は死竜乗りの不死の民だ。

 彼らがどういう目的を持って冥王に従っているのかは分からない。分かりたくも無い、と思う。


 人を滅ぼすと宣言している相手に、どうして忠誠を誓えるのだろうか?

 


 他の部下もいた筈だ。

 黒騎士がいた。全身鎧の2メートルを越える長身の大剣使い。勇者の一行に倒されたと言うが、ジュディは見ていない。

 冥王の部下には飛竜もいたと言う。これもジュディは知らない。

 ……この飛竜に会っていたとしたら、ジュディは生きていないだろうが。



 冥王の部下。行方が知れないものもいるのは事実。有名な所はこの四人だが、ほかにも冥王につき従ったものは多くいた。


 彼らが何処へ行ったのか。調べようも無かった。


 10年の月日を経て、何故――動き出す?

 何があった?


 何が起こっているのだろう。

 嫌な予感がする。


「レイチェル」


 何の理由も無く不安に襲われ、ジュディは片割れの身体に触れた。


 それでも不安は治まらず、いっそう強くなるばかりだった。

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