第13話2章・現在、異端宗教編
【2】
シズハの故郷の村を旅立って早二日。
「明日の夜にはシルスティンの城下には入れますね」
「でもそこから山登りだよー。ドゥーム、山の上側に住んでるからー」
ドゥームと言うのが前に話していた隠居した魔導士なのだろう。
嫌そうなヴィーの顔にシズハは笑った。
「山を登るには装備が足りません。まずは城下で装備を整えたほうが良いと思います。なので、一日は余裕を」
「だねぇ」
頷き、何故かヴィーは空を見上げた。
シズハも真似るように見上げる。
陽光を浴びて光る銀。
イルノリアが上空を旋回している。
それを見ながらヴィーが呟くような声で言う。
「――シズハぁ、おかーさんとちゃんとお別れしてきたんだよねぇ」
「はい」
ちゃんと見送ってもらった。
殆ど泣き出す一歩手前の表情の母は、やはり出発直前に大泣きを始めた。
「泣いてません!」と頑張る彼女を宥めて、落ち着かせてから出発するのに、結構な時間が掛かってしまったが。
「あれでいいの?」
「はい」
何故か心配するヴィーと、そして旅立ち直前から急に無口になったアルタットを見る。
「一生帰らない訳でもありませんし――別れはシンプルな方が良いと思っています」
「まぁシズハの場合それがいいよねぇ。シズハとおかーさんが二人揃って泣いたんじゃあ、別れも出来なくなるしぃ」
「俺は泣きません」
「うんうん、あの時は泣いてなかったねぇ」
他の時も泣かないと言い張りたい所だがそれは嘘だ。
自分が涙脆いのはよく知っている。
誤魔化すように周囲を見回す。
街道沿い。左右に森はあるものの、大規模なものではない。
何の危険も無い街道だ。
時間を考え、今日の夜には次の街に付くだろうと考える。そこで宿を決めて明日の早朝に出発。そして、明日の夜にはシルスティン首都、と。
少々山登りがあるが、これぐらいなら大丈夫だろう。
冥王復活について情報を持っているかもしれない魔術師――ドゥームとやらに会う為に、シルスティンにも長居出来ないとは思う。
しかし、内心、期待している。
シズハに取ってシルスティンは第二の故郷だ。
「嬉しそうだねぇ、シズハ」
「そ、そうですか」
「いいんだよ? 会いたい人がいるんだったら、会って来ても」
「え……あ、いえ、大丈夫です」
「ふぅん」
期待はしているが無理はしたくない。
みゃん、と。
猫の鳴き声がしたのはそんな時。
思わずヴィーの肩の上にいるアルタットを見た。
アルタット自身も周囲を見回している。
「今、猫の声がしませんでしたか?」
シズハの問い掛けに皆が答えるより先に、答えが目の前にいた。
街道。徒歩をメインとしたその場所に、猫が一匹立っていた。
長い毛を持つ、若い猫だ。揺れる尻尾も非常に毛が長く、ふっさふっさと音を立てているようだ。
全身の毛色は白だが所々に茶色と黒が混じっている。
「――何で、猫が」
長毛の猫は珍しい。
貴族が愛玩用に飼育している事はよくあるらしいが、こんな人里離れた街道で見かけるとは思わなかった。
みゃう、と。
猫が鳴く。
可愛らしい鳴き声に思わず微笑みかけた時。
「シズハ、離れて!」
ヴィーが叫んだ。
「え?」
どういう意味かと問おうとヴィーの方を見たシズハは――
上から殴られた。
「……っ?!」
地面に手を付く。
いや、両手で身体を支えようとしても上から何かが押し付けられる。
まるで巨人の手に押し潰されようとしているかのように。
無様に地面に張り付く羽目になる。
許される範囲で顔を動かせば、すぐ近くでヴィーとアルタットも同じ状況になっているのが見えた。
そして、視線の先。
猫の長い毛が緩やかに逆立っている。
羽音がした。
イルノリアが異変に気付いて降りてきたのだ。
危ない、と声を出そうと思ったが、喉を動かすのさえ苦痛だ。
地面に近付いたイルノリアが落下。
そのまま地面に縫いとめられるように動かなくなる。
猫がゆっくりと歩き出す。
何の影響もなく歩くその姿を見て、この猫が今の状況を作り出しているのだろうと推測。
猫はヴィーの前に立った。
座る。
ヴィーと目を合わせる。
ヴィーと猫。
ふと――テオドールの話を思い出した。
ヴィーが以前共にいた人間を倒す為、力を貸してくれた猫。ヴィーよりも幾分大柄な長毛の猫。
まさか。
少しだけ、押し付ける力が弱まった。
呼吸は出来る。だが立ち上がる事は出来なかった。
「――イシュター?」
ヴィーの呼びかけ。
苦しげな呼吸の合間、ようやくと言う様子でその名を呼ぶ。
猫が応じるように鳴いた。
「何やってんの……イシュター? 俺だよ、ヴィーだよ? ちょっとこれきっついんだけど……止めてくれない?」
猫が鳴いた。
威嚇の声。
止める気は無いようだ。
「何怒ってるの? イシュター、ねぇ――」
猫の毛がゆっくりと逆立つ。
「待って、イシュター、人間がいるんだよ! 人間の身体が持たな――」
押し付ける力が増えた。
骨が軋む。
イルノリア。
飛竜の身体は人間の身体よりも丈夫だ。
シズハがまだ意識を保っていられるのなら、イルノリアは大丈夫だろう。
そう安堵した途端、更なる力が掛けられる。
目に見えない力の場。
何の魔力だ。
身体が地面に減り込む。
悲鳴のような奇妙な声が漏れた。
それとほぼ同時に、胸の奥で嫌な音が響き――痛みの余りにシズハは意識を手放した。
最後まで頑張っていた飛竜が動かなくなったのを確認し、猫――イシュターはふん、と鼻を鳴らした。
もう少しだけ力を持続させ、それからようやく力を止める。
人間がいる、と、ヴィーが叫んでいたのを思い出す。
近付いてみる。
骨か内臓ぐらい破損している筈だ。
軽く前足で突いてみるが完全に意識が無い。
顔を覗き込む。
黒髪の若い男。多分瞳の色も黒だ。
なかなかに整った顔立ちをしている。
人間の美醜などイシュターには関係ないが、それでも、これは必要条件だ。
御伽噺にとって、は。
瞳を細め、少し、探る。
すぐに望む答えを得、イシュターはもう一度鼻を鳴らした。
何が人間なものか。
ヴィーの嘘吐きめ。
このイシュターの目を誤魔化そうたってそうはいかない。
小さく、イシュターが鳴いた。
森の中から人間が出てくる。
複数人。
先頭の男は、黒髪を短く刈った若い男。獣の雰囲気を持った男である。
男――アギは倒れている人間と飛竜、そして猫を見、口元に笑みを浮かべる。鋭い犬歯が覗いた。
「毎度見事だな、お前の魔法は」
これぐらい簡単な事。
得意な気持ちになってアギに駆け寄る。
その片腕に抱き上げて貰って、思わず喉が鳴りそうになる。必死に自粛した。
アギはゆっくりと歩を進める。
彼の背後。鎧を纏った男たちが続く。彼らの鎧には、大陸では一般的ではない紋章が刻まれていた。円を四つに分かつ十字。
その男たちが従えてアギが立ったのは、シズハの横だ。
軽く頭を蹴ってみるが動かない。
完全に意識を失っている。
「……」
アギは無言のまま腰の剣を抜いた。
揺らめく炎の形を刃に宿した剣。
その剣を、動かぬシズハの首元に当てる。
後は引くだけ、その状況で、背後の鎧姿の男から声が掛けられる。
「殺人は我らには認められていない」
「……あぁ?」
アギが男を睨み付ける。
男は一瞬たじろいだが、それでも言葉を続けた。
「姫に許可を得なければ例え悪魔でも我らは殺せない」
「………」
アギは乱暴に舌を打った。
剣を戻す。
剣を片付けた手でイシュターの首元を撫でる。
「てめぇらなんて連れてこなきゃあ良かったぜ」
「ゲオルグ様の命令だ」
「はいはい」
猫を撫でていた手をひらひらさせる。
「なら運べよ。俺は一切手伝わねぇからな」
言うなりアギは歩き出す。
イシュターはその肩に顎を乗せて目を細めていた。
気持ち良さそうな猫の顔、そのもので。
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