第10話13章・現在、死竜編。
【13】
「――じゃあ、死竜退治にしゅっぱーつ」
弓を手にヴィーは相変わらず軽い口調で言う。
「今夜のうちに倒しちゃおうよ。手負いの竜は危ないからねぇ」
「はい。――目的地は何処になりますか?」
「テオから地図借りたよ」
渡された地図を見る。
頭の中で地図を展開し、場所を確認する。
「さっき、テオたちが戦った場所。――そんなに遠くには行けないと思う。コーネリアのブレスを喰らって無傷で元気、なんて死竜は想像したくないよねー」
「はい」
返事の後、シズハは「あの――」と切り出した。
「ヴィーはどうやって移動する気ですか」
「……」
「イルノリアは二人は乗せられませんし……」
「あー……そうだった」
忘れていたらしい。
「イルノリア、コーネリアの様子はどうだったぁ? 飛べそう?」
竜舎前の開けた空間。
既に鞍も手綱も付けられ、後は飛び立つだけと言う状況のイルノリアは軽く首を傾げた。
瞳が伏せられている。
よく、分からないらしい。
「うーん……自力移動かぁ」
ヴィーが自分の腰にぶら下げた小さな袋を漁る。
「なぁにか無いかなー無いかなー」
「何かありそうですか……?」
「移動用のマジックアイテムがあれば良いんだけどねぇ。無さそう」
諦めた。
「馬なら乗れるけどねぇ……そんなのじゃ飛竜の移動速度に到底付いて行けないし」
シズハも考え込む。
村には他の竜騎士は居ない。
頼めるような人は居ない。
くぃくぃ、と。
イルノリアがシズハの服を引いた。
見ると、不思議そうなイルノリアの瞳と目が合った。
乗らないの、と、そう尋ねる瞳。
「イルノリアでは二人乗せられない」
イルノリアは首を傾げる。
「……大人二人は重いぞ?」
まだ首を傾げて見てる。
ヴィーは腕を組んでイルノリアを見ていた。
「……乗せてくれる気みたいだねぇ、イルノリア」
「俺以外の人間を乗せた事なんて一度も無いんですが……」
「二人乗り、大丈夫かなぁ?」
「体格的には難しい筈です」
「でも本人がヤル気満々だよー」
「…………」
イルノリアはじっとシズハを見上げている。
「……試してみますか?」
「しっかり掴まって下さい」
「りょーかい」
大人二人を乗せた事など一度も無い。
イルノリアはゆっくりと翼を動かす。
その身体が、浮いた。
「飛べそうです」
「やったぁ」
シズハの身体に掴まったヴィーが嬉しそうに声を上げる。
自分たちの間。アルタットは黙って動かない。怯えている訳では無さそうだ。
普段よりも幾分低い位置でイルノリアは空を飛ぶ。
やはり重いのは辛いらしい。
大きく体勢が崩れる。
村を越えて森を抜けて、街道を下に見る。
そして今は新たな森を下に飛んでいた。
イルノリアの高度が下がっている。
「イルノリア、もう少し頑張って」
「今、どの辺り?」
「地図の目的地まで後五分、と言う所です」
「じゃあ、そろそろ降りていいやぁ」
「はい」
森へと降りる。
イルノリアの小柄の身体なら少しのスペースにも十分降りられた。
ぺたり、とイルノリアは突っ伏す。
地上に降り、イルノリアの様子を見た。
口を開いて呼吸している。シズハは申し訳ない気持ちになった。
「イルノリア……」
ヴィーが横から手を出してイルノリアの頭を撫でる。
「有難うねー、イルノリア」
金属の声がひとつ鳴いた。
「さて、死竜探ししますかぁ」
「どうやって探すんですか?」
「シズハ、手を貸してぇ」
「はい、何をすれば」
「手」
「………?」
文字通り、手を差し出して欲しいらしい。
右手を差し出す。
ヴィーの左手がシズハの手首を捕らえる。
その時、ようやく気付いた。
ヴィーが右手にナイフを持っている。
掌に、ナイフの刃が滑った。
「ヴィーっ!!」
シズハの叫びとイルノリアの鳴き声が重なった。
甲高い音でヴィーに威嚇するイルノリア。長い首を間に差し込み、必死に牙を剥き出して威嚇する。
シズハは掌を見る。
ナイフで切られた傷は深い。
左手で抑えているものの、抑えた隙間から紅い血が零れ落ち続けている。
「な――何を?」
「囮」
「……」
ヴィーは当たり前のような顔で言う。
「血の囮。アルの身体じゃあ多分無理だからさぁ、シズハは飛竜に好かれるみたいだから、丁度いいなぁ、って」
「……最初に言って貰えれば、自分で斬りました」
「そういうのって深くは切れないからさぁ――って痛たたた、イルノリア、噛み付かないで、痛いって!!」
ヴィーの頭をイルノリアが噛んでいる。
怒っている。
「イルノリア、大丈夫」
シズハの声に反応してイルノリアが寄って来る。
銀の光が右手に近付いた。
「今は癒さなくてもいい。必要だから、これも」
銀の光が空間に散る。
地面に落ち続ける血。
血に対しての恐怖は無い。
「ヴィー、囮は良いのですが――これで反応しますか?」
「ちょっと、飛んで来れるぅ?」
「大丈夫です」
片手があれば手綱は操れる。
「死竜を見かけたら……ひとつお願いしたい事があるんだ」
「はい、何でしょうか」
ヴィーは笑った。
「確認、して欲しい事があるんだよ」
傷を癒したがるイルノリアを宥めて再び空へ。
右手で手綱を握るのは無理だった。
しかし慣れた行為。片手でも十分に飛べる。
「気を付けてね、シズハ、イルノリア」
ヴィーがこちらを見上げて話しかけて来た。
まだ会話は通じる高さ。
ヴィーの肩に乗るアルタットの姿もよく見える。
「確認が終わったら全速力で逃げてきてね」
「はい」
頷きながらもいまだ不安が残る。
先ほどの確認作業だって――正直、不安だ。
「ですが――死竜の速度は遅いものですが……イルノリアでは逃げ切れないかもしれません。それに、確認も難しいかもしれません。襲われたら、俺たちでは一撃で終わりです」
「大丈夫。死竜はシズハを襲わないと思うよ」
ただ、と続く言葉。
「さっきの約束は守ってね。――なら、大丈夫」
「……分かりました」
信じます。
その言葉を最後に、空へと向かった。
まだ空は暗い。
いまだ夜。
死竜。
アンデットに属すると言われる飛竜の一種。
不死の民とのみ契約を行う飛竜であり、生きながら腐り果てて行く身体を持つ。
毒のブレスを吐き、ブレスによって生み出したアンデットの下僕を引き連れて現れる事もある。
死竜を滅ぼすには、光の属性の攻撃――たとえば金竜のブレス――で破壊し尽すか、心臓を破壊しなければならない。
心臓ひとつさえ残っていれば、死竜はそれから再生出来るのだ。
こういう話もある。
死竜を倒した後に、研究の為と抉り出した心臓を箱に入れて運んだ。
箱を開いた途端、中からカラスが飛び出し、逃げていった。
中を覗いて見れば、箱は空。
先ほどのカラスが死竜の心臓の化身だと分かった時には、既に手遅れだった。
真実かどうかも分からないその物語を思い出しながらシズハは周囲を見る。
シズハは死竜を見た事が無い。
腐り果てた腐肉を汚れた骨に纏わせた、異形の飛竜。
月は既に上空に無く、ただ、闇。
「――……」
微かににおいを感じた。
甘ったるいとさえ思える、強い腐臭。
においに誘われて視線を巡らせば、そこにあったのは紅い炎。
一抱え程もある炎。
いや、と、否定。
炎ではなく、鼓動する、心臓。
脈打ち、血を走らせる心臓。
幻が真実になるように、心臓を中心にその姿が浮かび上がる。
巨大な飛竜。
骨。向こうが見える骨の身体に、所々肉が残っている。その肉も腐り、竜が身を動かすたびに地へと落ちた。
既に死んでいる肉体に反し、骨が守る内臓は生き生きと動いている。
中でも心臓。真紅の宝石のようなその臓器は、いまだ全身へと血を巡らせ続けていた。
骨と僅かに残る腐肉のみで構成された頭部。
落ち窪んだ眼窩に、紅い炎。
死竜の瞳。
それが、シズハとイルノリアを見ている。
「――イルノリア」
死竜を刺激しないように小さな声で囁く。
イルノリアは静かに羽ばたく。
距離を取って、死竜の動きを探った。
死竜はじっとシズハを見ていた。
唸る声が聞こえる。
低く身構え、ガチガチを歯を鳴らすものの、それ以上近寄ってこない。
戸惑っているようにも見えた。
見つめ合う間にも右手からは血が滴り落ちる。
――武器を構えないで。
ヴィーの忠告を思い出す。
――敵意が無いと判断したのなら、死竜はきっとシズハを襲わない。
ゆっくりと位置を変える。
死竜は首を巡らせ、シズハを追う。
死竜の背が見えた。
古いながらも立派な作りの鞍。その背に跨る、人物。ローブを纏っているので性別も年齢も分からない。体格からして、大人だろう、とは思えるのだが。
太い手綱がローブの手の辺りから伸びている。
あれで操っているのか。
死竜の瞳、紅い炎がシズハを見る。
揺らめくだけのそれが、やはり何故か戸惑っているように見えた。
「イルノリア」
寄ってくれ、と願う。
イルノリアは従った。
死竜。
間際まで、寄る。
死竜が首を伸ばし、牙を剥き出せば、一撃で食い殺せる距離。
その距離でも、死竜は動かない。
紅い瞳が揺らめく。
揺らめく瞳が、微かに暗くなった。
まるで瞳を閉じたようだと思う。
死竜は首を伸ばす。
恐る恐る、顔を寄せる。
巨大な顔。
コーネリアぐらいだ、と、思った。
右手を差し出す。
血に濡れた右手。
死竜はまるでそれに口付けるように、顔を寄せた。
右手を濡らしていた血が消える。
死竜が血を啜っている。
紅い瞳が、シズハを見た。
口が開く。
飛竜の口が、動く。
人のように、言葉を放つ。
ホシイ、と。
身体が急激に落ちた。
イルノリアが翼を緩め、一気に高度を下げたのに気付いた。
頭上を見れば死竜の顎。
先ほどまでシズハの居た位置に牙を立てていた。
噛み締めた牙からだらだらと赤黒い液体が垂れている。
それを避けながらイルノリアは距離を取った。
ホシイ、と、声がする。
顔の位置が変わり、シズハを見る。
紅い瞳が強い。
先ほどまでの戸惑いは消え、今はその瞳に敵意しか感じられない。
捕食者の瞳。
ホシイ、と、声がする。
耳を塞ぎたくなるほどの声だ。
シズハは顔を顰め、手綱を握る。
イルノリアは距離を取る。
確認――確認を。
死竜が開いた距離を詰め、飛び掛る。
その肩を抜けるように、背後へと飛んだ。
イルノリアの小柄な身体だから出来た芸当。背後で死竜が吼えるのを聞く。
振り返り、そのまま、死竜へと向かう。
狙うはその背。
死竜の、騎士。
いまだ動かぬ、その片割れ。
死竜の牙と爪を掻い潜り、その片割れを、見る。
間際。
ローブの隙間の、その顔を見える位置。
イルノリアが鳴いた。
シズハは慌てて動く。
死竜が吼えた。
身体を捻り、己の上を飛び回る銀竜へと牙を立てる。
イルノリアは身を縮めるように避け、そのまま下へ。
落下の速度で降りていく。
「――ヴィー!!」
「おかえりぃ」
弓の弦を引き、様子を見ながらヴィーが笑顔で出迎える。
アルタットもその足元、シズハを見上げていた。
「確認――完了しました」
「そう、どうだった?」
「……どういう、意味なのですか?」
「そのままの意味だよー」
ぴん、と、弦を弾く。
矢を、手に持つ。
「見たままの、意味」
ヴィーは矢を構える。
空中。こちらを見下ろす巨大な死竜へと向けて、頼り無い矢を、向けた。
一瞬、ヴィーの視線が足元のアルタットへ向かう。
黒い猫は頷いた。
矢に緑の光が宿る。
アルタットの魔剣と同じ、鮮やかな緑。
それを確認し、ヴィーは再度、空中へと視線を向ける。
死竜。
ぐるぐると唸る、死竜を見る。
微かに、笑う。
「どういう意味って言われてもねぇ」
「見たままの――物語しか、無いんだよ」
ヴィーは淡々とした声で呟いた。
「ですが――あれは」
シズハは言う。
「見たままの意味だって」
それだけの事、だよ。
そして、ヴィーは矢を、放った。
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