第10話11章・現在、死竜編。
【11】
竜舎前。
入り口の所に寄りかかり、ヴィーは内部を覗き込む。
見えるのは巨大な金竜――コーネリアの姿。鮮やかだった金の鱗が、今は半ば赤黒く染まっている。
その身体の表面を銀の光が滑っていく。
すぐ横に居る、イルノリアの癒しの力だ。
テオドールはずっとコーネリアの首を撫でている。
表情はよく見えない。
代わりに見えるのはシズハの姿。
腕を伸ばし、コーネリアの頭を抱いている。
イルノリアの方を見ながら、大丈夫だと宥めるように、コーネリアの頭を抱いていた。
時刻は真夜中。
少々、眠い。
人間の身体は夜行性ではないから困る。
ヴィーの足元、アルタットは元気そうだ。
長い尾っぽを身体に巻いて、闇に紛れるように座っている。
そして、もう一人。
「――おかーさんは竜舎に入らないのー?」
キリコはヴィーの後ろ、竜舎から一番距離のある場所に居た。
昼とは違うが、夜の服装とは思えぬきちんとした衣類を纏った彼女は、相変わらず姿勢良くそこに立っていた。
「飛竜が居る際は竜舎に立ち入らないようにしています」
「どうして?」
「……お笑いになりませんか?」
「話による」
睨まれた。
両手を軽く上げて降参のポーズ。
「笑わないよー」
「……その」
シズハと同じような言い淀みの後に、キリコは竜舎内を見て言った。
「夫が私以外の女性を愛しく思っている様を見ていられません」
「……コーネリアは飛竜だよ?」
「夫とコーネリアの結び付きは、夫婦のそれよりも強いものです」
「……うーん」
それは間違いないだろう。
竜と竜騎士の結び付きは、とても強い。
だが、飛竜には出来ない事もある。
「少なくとも、コーネリアはテオの子供を産めないよ?」
「ですが、産んだ子供はコーネリアの娘に奪われました」
「………」
まぁ、そういう言い方も出来る。
キリコは視線を落とし、自分の下腹部を撫でた。
「たった二年です。お腹の中に居た時も含めても、三年に満たない月日。その月日だけです。私があの子を育てられたのは」
「いや――でも、イルノリアが教育したんじゃないでしょー?」
「私も夫も教えた筈の無い知識を有しているのです。誰に教わったかと聞けば、笑顔で言うのですよ? イルノリアが教えてくれた、と」
シズハは、と、吐息。
「シズハは――イルノリアの理想の騎士に育ったでしょう」
「おかーさん、あのねぇ」
キリコは人形のような表情をしている。
無表情。
馬車の中で見た顔。
ならば、これが泣き出す寸前の顔。
「シズハのおかーさんは、おかーさんだけでしょう? イルノリアとは別格だよ。それは絶対変わらない。――イルノリアはシズハのおかーさんにはなれないよ」
「……」
キリコの黒い瞳がヴィーを見る。
じっと、伺う。
思わず、一歩引いた。
キリコが、口元に笑みを浮かべる。
「有難うございます」
「……う、うん」
素直に礼を言われると思ってなかった。
キリコはもう一度ヴィーに笑顔を向け、再び、竜舎内を見る。
「あの子は生まれながらの竜人でしたから――いつか竜に奪われると覚悟していました。でも、それがたった二歳の時だなんて……正直、神を恨みました」
キリコの言葉に引っかかりを覚える。
「え?」
「あ――失礼を」
謝罪の言葉の後に彼女は言う。
「竜人と言うのは、私の国の言葉で竜騎士を示すものです。竜に選ばれた人間は既に人ではなく、竜と人の間の存在だと……そうい言う意味の言葉です。――故郷の言葉が抜け切れず、失礼致しました」
「いや、そっちじゃなくて」
引っ掛かりを、口にする。
「生まれながら?」
「シズハは生まれた時から証……と言うのですか? 竜人……いえ、竜騎士の徴がありましたので」
「………」
ヴィーはキリコを見る。
嘘を言っているようには見えない。
「……何処に?」
「翼です」
微かに笑う。
両手の人差し指でほんの小さな距離を作る。
「生まれた時からこんな可愛い翼が生えていて。本当に小さな翼なのに、竜の翼と同じ形をしてるのです」
可愛かった、とキリコは笑う。
「ですが――」
「ですが?」
キリコは俯く。
表情が消える。
「おかーさん、泣くのはちょっと待って、話の続き、お願い出来るぅ?」
「泣きません!」
泣きそうになってる。
「……切り取られました」
「……誰に?」
「犯人は分かりません」
ぐっと唇を噛む。
「犯人が分かったのならば――私が罰します」
「おかーさんが切り取った訳じゃあ、ないんだよね?」
「……ヴィー殿」
本気で殺されるかと思った。
「ご、御免、ごめんなさい!! 本当に謝るからそんな怖い目で睨まないで!!」
「なら冗談でもそんな事を仰らないで下さい」
キリコの声は低い。瞳の怒りも――強い。
本気で怒っている。
「私がどうしてシズハに傷を負わせなければならないのですか。あの子に傷を負わせるぐらいなら、私が死んだ方がましです」
「うんうん、信じる、信じる!」
キリコを拝みながら、「で」と恐る恐る問う。
「参考までに……いつ?」
「……イルノリアがシズハの元へやって来た時です。私が目を離した隙に……あの子が消えて」
村人総出で探した結果、森の奥で幼い銀竜を抱きしめて眠っているシズハを発見した。
「夫が、森にコーネリア以外の竜の気配を感じると。それで発見出来たのです。ただ――見つけた時には」
「翼は無かった、と」
「はい。――既に掌ぐらいにまで翼が成長していたので、服も、背が出るようなものを選んでましたし……」
「誰でも知ってた訳だぁ」
「えぇ……」
ふぅん、と頷く。
「おかーさん」
「はい」
「シズハの翼、可愛かったの?」
「それは、もう」
笑顔。
「笑うと、動くのです。寝ている時も機嫌が良いと小さく動いて。良い夢を見ているのだろうと、私まで嬉しくなりました」
「うん」
ヴィーは笑う。
「うん――そうなんだろう、ねぇ」
うん、ともうひとつ頷いて。
「やっぱりおかーさんは良いおかーさんだよ」
「……?」
きょとんとした顔をするキリコ。
その顔はやはりシズハに似ている。こうすると、特に。
そのキリコに笑い掛けて、竜舎を見る。
「シズハ……そういう生まれだからかなぁ。コーネリアにも触れるんだね」
「……他の方はそうではないのですか?」
「普通はねー。余程人懐こい竜でも無い限り、自分の片割れ以外は拒否するんだよー。――命令ならまだしも、好き好んで仲良くしないよー」
「……」
キリコは考え込むような表情。
「あの子が竜に嫌がられたのを見た事がありません」
「さっきの風竜もだいぶ懐いてたし……前にも緑竜に平気で触ってたしねぇ。竜に余程好かれる体質なんだろうねぇ」
「……前に、ラインハルト様が同じ事を言って驚かれていました」
「その人の竜は?」
「雷竜です」
「……雷竜まで仲良しかぁ」
たいしたものだ。
同時に考える。
竜人と言う呼び方。本来の、その意味。
生まれながらの翼。
どの飛竜とも心を通わせる才能。
それは、まるで――
みゃう、と声。その声でヴィーの思考は中断する。
足元でアルタットが鳴いた。
「――あの、ヴィー、アルタット殿」
シズハだ。
「父が話があるそうなのです。……宜しいですか?」
「りょーかい、行くよー」
キリコはそこから動かなかった。
ただ顔を上げて、いまだコーネリアの首を撫でているテオドールの姿に視線を向けた。
その顔に何の表情も浮かんでなく――ヴィーは、何故だか少しばかり寂しく思えた。
――疲労してるなぁ。
ヴィーを迎えたテオドールの表情を間近に見て、そう考える。
片割れが毒を喰らえば、肉体的に何の影響はなくとも竜騎士も辛い。それは分かるのだが、見て分かるほどテオドールの顔に疲労の色が濃い。
それでもちらりと脳内にキリコの顔が浮かぶ。
竜騎士と竜の結び付き。
まぁ――考えても仕方ない。
「話ってなぁに、テオ?」
「アルタット殿に頼みたい事がある」
「ふん?」
両手を地面に向ける。
アルタットが飛びついてきた。
それを抱き上げ、肩に乗せた。
アルタットはじっとテオドールの顔を見ている。
「死竜を倒す為、力を貸して頂けないだろうか」
「嘘は駄目だよ、テオ」
「……」
「力を貸す、じゃなくて、死竜を倒してきてくれ、でしょうー?」
コーネリアを見る。
「竜妃がこの調子じゃ、他の金竜だって駄目だよ。違うの?」
「間違いない」
テオドールは愛竜に視線を落としつつ答える。
コーネリアが金の瞳でテオドールを見た。その瞳には苦痛の色はない。毒が全身に回っているだろうが、コーネリアは決してその様子を見せなかった。
「言葉を直そう。――死竜を、倒して貰いたい」
「アル、どぅ?」
黒猫は小さく鳴いた。
迷っているような声。
緑の瞳が動く。
テオドールと、その横で床に伏せているコーネリア。
コーネリアを癒し続けるイルノリアと、心配そうな顔のシズハ。
そこまでぐるりと見回して、みゃう、と、幾分強い声で、鳴いた。
「ふぅん」
ヴィーは頷く。
やれやれ、と、内心、ため息。
勇者アルタット様は随分とシズハに甘い。
まぁそれも仕方ない。
悪くない事なのだ。
勇者が勇者である為に。
「まず、話を聞きたい、って。その死竜との戦い、テオの覚えている範囲でいいから全部話して」
「分かった」
テオは瞳を閉じる。
一瞬の沈黙。
過去を振り返る、間。
話は思ったより早く始まった。一度始まってしまうと後は流れるようだ。
ヴィーは耳を澄ます。
死竜――。
不死の民の片割れ。
その物語を思い浮かべる。
彼、もしくは彼女は、どうして――
長い長い話を終えて、テオドールが息を吐いた。
それを話の終了と、ヴィーは肩の上のアルタットを見た。
「――話はよく分かったよ。ねぇ?」
アルタットが暫しの後に鳴いた。
その言葉を聞きとめ、ヴィーは頷き、テオドールを見る。
「――引き受けてもいいけど、ふたつ、条件があるよ」
「……条件?」
ヴィーの発言に一番驚いたのはアルタットだ。大きな猫の瞳を見開いてヴィーの横顔を見ているのが分かる。
アルタットはただ「了解した」と答えただけなのだ。
条件など言ってない。
「ひとつは飛び道具を用意して欲しい。アルと俺じゃあ、空飛んでいる飛竜に攻撃なんて加えられないよ」
「……竜の鱗を貫けるような武器か? それとも神聖属性の武器か?」
「そんな大したものじゃなくていい。ちょっと強力なボウガンか弓で十分だよ」
「……分かった。手配しよう」
「もうひとつは」
シズハを見る。
「シズハを連れて行くよ」
「………」
テオドールと真っ向から目が合う。
彼はあからさまに戸惑っていた。
「……イルノリアは銀竜だ。死竜の相手は無理だ」
「シズハが必要になると思う」
「………」
「このふたつの条件を満たして貰わないと、俺たちは協力しないよー」
「俺は行きます」
シズハは簡単に答える。
「シズハ」
「どうして父さんが迷っているのか分からないぐらいです」
笑み。
「ヴィー、アルタット殿。俺でお役に立てるのならば、どうかお供させて下さい」
「しかし、シズハ――」
「大丈夫です」
ヴィーは手を打った。
「じゃあ、話は決まったねー。武器が用意出来次第、出発しようかぁ。何かないの、テオ?」
「………」
「テオぉ、過保護なのも大概にしないとー。シズハが行くって言ってるんだから、見送らなきゃ」
「……あぁ」
まだ納得し切れていない声だ。
それでも何とか同意の言葉を搾り出す。
「くれぐれも無理はするな」
「はい」
「婿入り前の大切な息子さんをキズモノにはしないよー」
「……」
「どーしてそういう微妙な顔をするのかなぁ、テオは」
本当に過保護過ぎる。
どれだけシズハが大切なのか。
「で、武器、何かある?」
「……剣や槍ならば一通り揃っているが……飛び道具になると、たいしたものは――」
顎を撫でながら思い出す表情。
「すまん、小型のものしかない」
「小型でも届けばいいんだけどねー」
まぁ見てみようかー、と振り返った矢先。
キリコが一歩、竜舎の中に踏み込んでいた。
彼女は困っている様子だった。
「あの……お客様が……シズハに」
「俺に?」
駆け寄る。
駆け出したシズハを追って、テオドールとヴィーもそちらへ向かった。
「コーネリア、すぐ戻る。……イルノリア、頼んだぞ」
テオドールは振り返り、足を止めて愛竜への言葉を忘れない。
竜舎の入り口間際、困ったように立っているキリコの横。
黒いマントの少女が、両手を勢い良くぶんぶんと振っていた。
「やっほー! シズハさーん! 迷ったら此処に着いちゃいましたー!!」
何処をどう迷ったら此処に行き着くのだ。
「……誰だ?」
テオの戸惑いの声。
「……噂の、不死の民の子。ミカって」
「……………」
腕を勢い良く振り過ぎて、ドアに腕を激突させ、悶絶しているミカを見た。
「……危険性は無さそうだな」
「でしょー?」
ヴィーは得意げに胸を張った。
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