第10話10章・現在、死竜編。



【10】





 ――少々時間は遡る。




 夜空に浮かぶ月を見上げ、ジュディは軽く微笑んだ。


「綺麗な月ね、レイチェル」


 彼女の背後には一匹の金竜が蹲っている。

 金竜にしては細身だ。そして優しい顔立ちをしている。

 

 レイチェルと呼ばれた金竜は、片割れを真似るように空を見上げた。

 空には半月。

 あまり人には好まれない月だ。

 

 首を傾げてジュディに問う。


「あら、私は半月も好きよ。綺麗なお月様なのは間違いないし」


 彼女は視線を背後に向けた。

 そこにも金竜が一匹蹲っている。こちらの金竜はレイチェルよりも一回り大きい。恐らくオスだ。


 その金竜の鞍をチェックしているのは、30代半ばの気難しそうな顔をした男だ。


「ロキ、貴方は?」

「月を気にした事は無い」

「そう」


 ロキはそのまま飛竜用のランスのチェックに入ってしまった。

 此処に待機を始めてからその動作は三度目。

 次は特殊な弾丸を込めたボウガンのチェックに入るだろう。


 弾丸は神聖呪文を込めたものだ。

 アンデットに属されるとする死竜に確実にダメージを与えられる武器。

 万が一、呪文に耐え切れるような死竜であったとしても、一瞬でも動きは止められる。


 ジュディは愛竜に立てかけてあるランスを見た。

 出かけに知り合いの神官に祝福を施してもらった。アンデットには更なるダメージを与えるだろう。


 それを確認し――ジュディはこの場にいる最後の竜騎士に目を向けた。


 少しばかり離れた位置。


 まだ若い……いや、幼い少年が俯いている。

 彼の背後に控える金竜も幼い。せいぜい50歳に差し掛かったばかりだ。体格もまだ筋肉が十分に育ってないのがよく分かる。


 レイチェルは今年で70歳と少し。ロキの愛竜、レジスは80歳を迎えた年齢だろう。

 それを比べると、50歳前後の金竜は、まるで子供のようだ。


 俯いている己の片割れの様子で、なにやらまずい事になっているのは判断出来るらしい。

 若い金竜――シュートは落ち着かない。

 何度も片割れの身体を突き、羽根を軽く動かす。


 それでも少年は俯いたままだ。


 少年の名前はルークス。

 本来ならば此処には居てはならない人間だ。


 ジュディ、そしてロキは死竜討伐の為に此処に居る。

 竜騎士団団長のテオドールと合流次第、血の餌を仕掛けた場所に向かい、人を喰らう死竜と戦う予定だ。


 この新米竜騎士のルークスは、勝手に付いて来た。

 厳罰もの行為だ。

 

 ルークスが竜騎士団に加入したのは数ヶ月前。既に戦争は収まった後だ。

 しかもルークスは殆ど冥王の脅威を覚えていないらしい。

 十代半ば。10年前と言えば一桁年齢。「何か怖い事があった」と言う記憶程度のようだ。


 強い魔物とも戦った事の無いこの少年は、早く戦いたくて我慢出来なかった。

 今回の作戦を小耳に挟み――そして、やってきた。


 こうやって俯いているのは、ロキに散々怒鳴られたからだ。

 それでも残っているのは、テオドールの指示を仰ぐまでは動くなと命じられているからだ。


 帰すべきなのだろう、とは思うが――此処でジュディなり、ロキが消えてしまっては話にならない。

 対する死竜の強さはまだ確実に判断出来ないのだ。


 しかし――ルークスが居るのは正直足手まとい。


 ルークスが顔を上げる。

 上目遣いの視線がジュディを見た。


 ジュディは笑う。


 笑いかけられ、ルークスの表情が少しだけ解ける。

 安堵の表情が浮かんだ顔に、ジュディは言った。


「覚悟だけはしておいてね」

「か、覚悟?」

「殉職」

「…………」

「死ぬ覚悟が無い坊やが戦場に来ちゃ駄目よ?」


 ルークスは既に泣きそうだ。

 彼の愛竜、シュートもおろおろとしている。


「しっかりしなさい。――貴方の心に反応して、片割れだって困ってるわ」

「……はい」


 手を伸ばし、片割れの頭を撫でる。

 シュートはそのルークスの手に頭を摺り寄せた。



 ジュディは空を見上げる。

 無意識の動作。もしかしたら月を見上げたのかもしれない。

 それでも、月を覆うような影が見えた。


 巨大な翼。

 月光に輝く身体は、金だ。


 コーネリア。


 ゆっくりと降りてくる姿が徐々にはっきりしていく。

 隻腕の金竜。

 間違いようも無い。


 降り立つコーネリアとテオドールを迎える為、三人の竜騎士が立つ。



 鎧を纏ったテオドールが愛竜の背から降りるのを、ジュディは笑顔で迎えた。


 テオドールも微かな笑顔で応じる。


「――待たせた」

「いいえ。定刻通りです」


 テオドールの視線が動き、ルークスの姿を確認する。


「ルークス」

「はいっ!」


 完全に裏返った声で少年騎士が返事を返す。

 テオドールは背後にコーネリアを従えたまま、彼にしては珍しい表情を浮かべていた。

 険しい表情。

 怒り。


 背後のコーネリアも、薄く開いた金の瞳を片方だけルークスとシュートに向けていた。

 淡々と見下ろすようなその瞳にも怒りの感情があるように、ジュディには見えた。


 ルークスの身体は見て分かるほど震えている。

 片割れが居なければ彼はこの場に卒倒していたかもしれない。


 震えながらも、必死に、ルークスは叫んだ。


「も、申し訳ありませんっ!! 俺――俺」


 謝罪の言葉はテオドールの視線で尻すぼみになった。

 ルークスが口の中でもごもごと言葉を呟くだけになった頃、ゆっくりとテオドールが話し出した。


「――死竜の推定年齢は100歳強。その年齢の死竜が全力でブレスを吐けば、コーネリアと言えどもブレスを防ぐだけで手一杯になる。お前とシュートを守る事など不可能だ」


 死竜のブレスは毒のブレス。

 喰らえば、その身は腐り果てる。

 唯一、死竜のブレスを無効化出来る金竜と言え、実力が足りなければ、ブレス同士の打ち合いで負ける。

 負ければ――毒を喰らう。


「己の身は基本、己で守る事になる。残念ながら、シュートでは100歳強の死竜のブレスは防ぎきれん。――学んだな、死竜のブレスを喰らった者の末路を」

「は、い」


 ルークスの声は硬い。


 思い出しているのだろう。


 生きながら腐り果てる。

 もしくはアンデットとして永遠に苦しむ事となる。


「お前は自分の片割れにそのような末路を辿らせるつもりなのか」

「そ、それは、違――」

「違わない」


 テオドールの声は静かだ。


「お前が個人で無謀な戦いを挑み、死ぬのは構わん。それは愚者には当たり前の結果だ。――だが、竜騎士となった以上、お前は片割れの命をも預かっている」


 見ろ、と、テオドールの声に促され、震える身体を支えてくれる片割れに目を向けるルークス。


「お前の望みでその金竜は死ぬ。例え負けると分かる戦いでも挑み、戦い、死ぬ」


 全ての竜がそうであるように。


「――お前の為ならば、迷わず、死ぬ」


 ルークスの喉が鳴る。

 既にその表情は泣き出す寸前。


 不安そうに、シュートがルークスの顔に口元を寄せた。

 涙を拭ってやろうとしているように、見えた。


「竜騎士が竜を忘れるな。常に思え。常に共に在れ」


 ルークスの表情。



「――ぅ、うぅ、ぁう……」



 嗚咽。

 ルークスは両腕を伸ばし、己の片割れの首を抱き締めた。

 大粒の涙が頬を伝っている。


「ごめ――ごめん、シュート、ごめ……」


 擦れた、途切れ途切れの声が謝罪を繰り返している。



 

 ジュディは微かに微笑む。

 テオドールは軽く息を吐いた。

 ロキだけが不満そうだった。


「――竜騎士団としての罰はどうするつもりですか」

「そうだな」


 テオドールが顎に手を当てる。


「……三ヶ月ほど、ゼチーアの下で働いてもらうか」

「分かりました」


 ロキは満足そうな表情になる。

 まるで事務官のような仕事まで引き受けているゼチーアの下となれば、戦いとは一番遠い場所になる。

 それと同時に、徹底的に竜騎士としての条件を叩き込まれるだろう。



「――ジュディ」

「はい」

「囮までの案内を頼む」

「はい」


 まだ泣き続けているルークスを見る。


「連れて行きますか」

「此処に置いていくのもまずい」

「分かりました。――ルークス」


 泣き顔の少年が顔を上げる。


「用意を」

「……は、はい」


 嗚咽交じりでも意外なほどしっかりとした声が返ってきた。





 そして、四匹の金竜が空を飛んだ。






 囮の数は全部で四つ。

 ふたつ目までははずれ。

 荒らされた形跡も無かった。


 みっつめに近付く際、僅かにコーネリアが唸った。

 コーネリアの声に反応したように、三匹の金竜が緊張する。

 何かが居る。


 眼下の風景。

 夜の森。

 街道から外れた、人が滅多に足を踏み入れぬだろう森。

 エルフさえも住まぬ森だ。


 闇が蠢く。


 その闇が、翼を広げた。


「――来るぞ」


 テオドールの声。


 翼有る闇――いや、飛竜が羽ばたく。

 音。

 コーネリアの羽音にも等しい、重いものが空気を叩く音。


 巨体が空に浮かんだ。



 大きい、と。

 その巨体を前に、ジュディは思う。


 コーネリアは250歳。金竜は他の飛竜と比べても大柄だ。メスだと言う事を差し引いても、彼女が大柄なのは間違い無い。

 そのコーネリアと、殆ど変わらない大きさを有している、飛竜。



 死竜の身体には殆ど肉が残っていなかった。

 骨に腐肉が纏わり付いているだけ。

 だが、汚れた骨の中、魔法のように紅、黒、紫、桃――様々な色の何かが蠢いている。

 内臓だ。

 肋骨の中では心臓が、紅玉のように鼓動していた。


 そして、半ば以上腐り果てた頭部。

 本当の屍ならば虚ろな眼窩になるべきその場所には、真紅の炎がひとつずつ、計ふたつ宿っていた。

 死竜の瞳。

 それは、真っ直ぐにこちらを見ていた。


 唸る口元の剥き出しの牙。それが赤黒く染まっている。

 本来の色か――それとも血か。


 背にある翼にはぼろぼろの皮膜が残っていた。

 この程度の皮膜でどうやってこの巨体を空に浮かせているのか。



「――人が居る」


 テオドールの呟きが耳に届く。

 

 人?


 死竜の背に視線を向ける。

 背骨の上。鞍が乗っている。古いながらも立派なものだ。

 そこのローブを深々と被り、顔を隠している人間が低く身構えていた。

 いや、人間なのだろうか?

 死竜乗りならば恐らくは不死の民。吸血鬼だ。


 金竜四匹に囲まれ、死竜は今にも襲い掛かりそうな様子だ。

 その背の人物は何も言わない。

 何も死竜に命じない。

 様子を伺っているのだろうか。


「竜騎士ならば言葉が通じるだろう」


 テオドールが動く。


 死竜へ向かってブレスの恐れも無く、コーネリアを飛ばす。


「テオドール様!」


 流石のロキも困惑したような声を出した。



 死竜の前、コーネリアが停止する。

 向かい合う、巨大な二匹の飛竜。

 

 御伽噺のようだ。


 何故か、ジュディは一瞬、そんな事を考えた。

 確かに昔話のワンシーンのようだ。


「――聞こえるか、死竜の乗り手殿」


 テオドールの声。

 低い声はよく通る。


「私はゴルティア竜騎士団所属テオドール!! 貴方と話をしたい。何が目的でこのような非道な行いをするのか伺いたい!」



 真っ向からの言葉。

 ジュディは無言で頭を抱えた。


 11人もの人間――中には女子供も居たのだ――を食い殺すような飛竜と竜騎士に言葉が通じるか。


 此処は御伽噺の世界ではない。


 案の定、竜騎士は沈黙。

 身じろぎひとつしない。


 代わりに死竜が吼えた。


 首を伸ばし、コーネリアに噛み付こうと牙を剥く。

 コーネリアが吼えた。

 がちっ! と死竜の牙が空中を噛む。金の光が散った。

 吼え声を呪文に簡単な防御壁を張ったようだ。


 死竜が喉の奥で唸る。

 呪文ひとつでも相手が一筋縄では行かない相手と判断したのだろう。


「死竜の乗り手殿!」

「テオドール様、諦めて下さい!」


 レイチェルを寄せて叫ぶ。


「無理です! 人を何人も殺した竜騎士と今更話してどうすると言うのですか!」

「しかし――」

「しっかりして下さい!」


 テオドールは沈黙した。

 しばしの沈黙の後、分かった、とだけ答えが帰って来た。


 死竜の動きを見つつ、ゆっくりと距離を開く。

 ブレスの一撃を貰っても避けられるように、距離を取る。


「――レイチェル」


 片割れに囁く。


「男っていつもこうよ。――女の私たちがしっかりしなきゃ、ねぇ?」


 愛竜は低く吼えた。

 同意の声だ。


 ガチガチと死竜が歯を鳴らす。

 威嚇の音。

 紅い炎の瞳で四匹の金竜を見る。

 死竜にも分かっている筈だ。

 金竜は死竜にとって恐ろしい敵であり、そしてこの数を相手にするのは難しい事を。


 死竜の背の人物も動かない。

 


 ジュディはランスを構える。

 僅かに光を放つそれ。


 テオドールも武器を構えるのが見えた。

 彼の武器も同じく飛竜用の槍。持ち手に装飾が施されたそのランスは、彼の家に伝わる魔槍だと言う。


 ロキは片手で手綱を操り、もう片方の手でボウガンを構えている。


 そして、ルークス。

 遠目で見ても分かるぐらい震えた手でランスを構え終わった所だ。


 ジュディは思考。

 ……ルークスを守らねばならないかもしれない。

 戦いのメインはテオドールに任せ、サポートを。

 

 死竜の翼が広がった。

 動く。


 真正面、コーネリアに向かって動く。

 腐った身体とは到底思えぬ速さ。

 筋も残らぬほど腐り果てた前足も、やはり、早い。

 骨の先に伸びた爪が金の鱗に掛かった。押さえ込み、その喉元を牙を突きたてようと言うのか。


 死竜の前足が弾かれた。


 金の光が散る。


 触れるな、と言わんばかりにコーネリアが唸る。

 

 唸るその口元から光が溢れる。

 長い首を軽く捻るように、構え、コーネリアは口を開く。

 ブレス。

 真正面から戦いを挑んだ死竜へと、真っ向から叩き付けられる光のブレス。


 ぐぅ、と、死竜が背を丸めた。

 コーネリアに負けず、巨大な口が開く。向こう側が見える、虚ろな口元。

 その中に、赤黒い闇が出現する。


 ブレス。


 光のブレスと黒のブレスがぶつかり合う。


 じりじりと――光が死竜へと寄る。


 紅い炎。瞳のそれが、揺らめく。

 怒りで、炎が、一層強く、揺らめく。


 骨で構成された顎が既に外れんばかりに開かれる。

 黒のブレスが、太く――強くなる。


「――コーネリア!」


 テオドールの声。

 コーネリアはそれに応じるように翼を大きく動かす。

 風。

 羽ばたきの音。

 それを呪文とし、彼女の前に光の壁。


 光のブレスは中断。

 吼え声ひとつ。

 黒のブレスを防ぐ壁が補強された。


 がふ、と、死竜はブレスを止めて口元から毒液を垂らしつつ、コーネリアを見る。

 紅い瞳。

 怒りと――



「……コーネリアを喰らう気か」



 まさか、と、その呟きを否定する。

 だが死竜が垂らす毒液はまるで唾液のように見える。とっておきのご馳走を前に、その食欲を抑えきれないと言わんばかりの様子にも、見えた。


 ジュディは気付く。

 己の片割れ、レイチェルが僅かにたじろいでいる。

 怯えているのだ。


 片割れが示す行動は己の心。

 ならば自分が怯えているのだろう、と、ジュディは強く死竜を睨み付ける。


 死竜が改めて四匹の金竜を見回した。

 垂れる毒液は顎だけでなく、その胸まで塗らしている。

 月明かりの下、まるで血のようにも見えた。


 死竜の目にはどう見えているのだろう。

 人を食い殺し続けた死竜の目には。

 もしかすると、四匹の金竜は……食欲の対象にしか、見えてないのかもしれない。


 ぞっとした。

 改めて、ぞっとした。

 捕食される恐怖。

 


 ガチガチ。

 死竜の牙が鳴る。

 ゆっくりと動く。

 己の四方を囲む金竜を見回し――獲物を選ぶように。

 

 骨だらけの無表情の顔が――笑ったように見えた。


 ジュディを、見て。




 来る!



 ジュディは構える。

 死竜は首を伸ばして突撃を行う。

 ランスを構え、その突撃を上空へ飛び、かわす。

 真下に死竜を見た。

 やはり大きい。

 

 死竜は方向を変える。

 ジュディとレイチェルを狙ったのを忘れたかのように、方向を変えた。


 ロキへ。


「――くっ!」



 ロキが呻いた。

 普段は無表情に近いその顔が強張っている。

 それでも指先は間違いなく動く。


 手綱を放し、正面から突っ込んでくる死竜へ、ボウガンの弾丸を放つ。


 光を纏い、弾丸が走る。

 死竜の鼻面に、光の弾丸がぶち当たった。


 弾ける。

 と同時に、爆発。

 光はさほど強くない。

 それでも目前で強い光を食らったのだ。


 死竜が吼えた。

 首を振り、何かを振り払うように、悶える。


「――レイチェル、行くわよ」


 呼ぶ。

 まだ高い位置。

 ランスを脇に構えるように、その位置から死竜を狙う。

 骨だらけの身体。

 胴体を狙っても骨の隙間を縫うだけのような気がした。


 ならば、頭部か。



 速度は既に十分。

 降りる。


 死竜はまだ暴れている。

 その背の人物は動かない。

 随分と死竜に任せっきりの戦いを行う。


 死竜が上を見た。

 ジュディを、見た。


 口が開く。


 巨大なあぎとの中、赤黒い闇が蹲る。


「護りを!」


 叫ぶ。

 レイチェルが吼えた。呪文構成。護りの呪文。

 死竜がブレスを吐いた。

 叩き付けられるブレスを金の光が割る。


 高い音が響く。


 無理だ、と悟る。

 死竜に一撃を加えるより先に、護りの呪文の効果が途切れる。


 ブレスの直撃を喰らう。


 光の弾丸が走る。

 死竜のわき腹へと当たる。

 しかし骨を何本か折っただけだ。死竜はブレスを止めない。


 光の弾丸を追うように――光のブレス。


 コーネリアのブレスが、死竜の胴体へと直撃した。

 流石にこれは効いたようだ。

 ブレスの代わりに悲鳴を吐き出し、死竜の身体が大きく吹き飛ぶ。


 それと同時に、ジュディたちを守っていた金の光が弾けた。

 限界だった。


 息を吐く。



 空中で翼を広げ、停止。


 死竜はまだ頭をゆるく振っている。

 目が見えないようだ。

 頭部に紅い炎が見えない。


 唸る声。

 

 大きく、死竜が上を向く。

 牙が並ぶ骨の口。

 その口が、再び、こちらへ向いた。


 ブレス。


 黒と紅。先ほどのブレスより太く、強い。


 ただ目潰しされたままに放ったブレスだ。方向は適当。

 簡単に避けられる。


 簡単に――



「ルークスっ?!」


 悲鳴が漏れた。


 ブレスの進む方向。

 まだ若い金竜の姿。


 動かない。

 動けない。


 目を見開いて、死竜を見つめる少年の顔が見えた気がした。


 ルークスの事を失念していた。

 この戦いの場で動けなかった少年の事を。


 助けねば。


 だが、間に合わない。


 呪文も間に合わない。距離が遠過ぎる。


 間に合ったのは――金の光。



 コーネリア。



 シュートに体当たりを食らわすように、ブレスの正面に立つ。

 金の鱗を、金の翼を、赤黒い毒液が襲う。

 鮮やかな金が、おぞましい色に染まるのが見えた。


 死竜の毒はほんの一呼吸で身体に回る。

 神経を焼く痛みとなって全身を駆け巡る。


 しかし、コーネリアの姿は揺らがない。

 口を開き、金のブレスを死竜へと叩き付ける。


 死竜のブレスを一瞬で飲み込み、光が死竜の骨を焼く。


 何重にも聞こえる吼え声。死竜の悲鳴。


 死竜は翼を動かした。

 逃げる、動き。


 誰も追おうとはしなかった。

 ゆっくりとコーネリアが地面へと向かう。

 比較的開けた場所へと、緩やかに、落下のように、降り立つ。


 ルークスはいまだ動かない。

 ジュディとロキは、コーネリアを追って地面に降りた。


 地面。

 コーネリアは片翼を地面に落とし、顎を地に付けていた。

 じっと瞳を閉じている。

 苦痛の表情は無い。

 だが金の鱗は徐々にではあるが赤黒く染まりつつある。


 テオドールは愛竜の身体に手を当てていた。


「テオドール様!」


 ロキの声に振り返らず、答える。


「大丈夫だ。既に解毒を開始している。一時間もあればとりあえずは動けるようになる」

「……あ」


 思わず安堵の息が漏れた。


 羽音。


 シュートだ。

 着地の音に続き、ルークスが地面に降り立つ軽い音。


 彼は何も言わない。

 言えない。


 赤黒く染まったコーネリアの半身を見、喉の奥で奇妙な声を漏らす。


「――ルークス」

「……はい」


 声と同時に嗚咽が始まる。


「て、テオドール様……コーネリア……すいません……俺、すいません……」


 涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして泣く少年を、ロキは何処か冷めた目で見ている。

 ジュディはそこまで冷たくなれなかった。

 一歩間違うと、ジュディも――そしてロキもこの少年のように動けなかった筈だ。


 ジュディの片割れは怯えていた。

 その怯えに対し、勝てた。戦う事が出来た。

 だが、自分とルークス。それほど違うように思えなかった。


 ジュディは、ルークスを守ろうと思った戦い前の誓いを、すっかり忘れていたのだ。

 恐怖故に我を忘れていたと言うのならば、ジュディも、だ。


 テオドールはルークスを見た。


 明るい茶色の瞳――見ようによっては金に見える瞳が、微かに笑う。


「無事だな」

「あ――あぃ」


 既にはいとも答えられない。

 何度もしゃくり上げ、ようやくの様子で言葉を続けた。


「ルークス、シュートとも、ぶ、ぶじです……」

「そうか」

「コーネリア、コーネリアが――」

「この程度で死ぬような竜妃ではない。安心しろ」

「で、でも俺、庇って――」

「お前が直撃を喰らっていたら間違いなく死んでいた。コーネリアならば死なない。――悪くは無い選択だ」


 ロキが横で舌を打ったのが聞こえた。

 ジュディは軽く横目で睨み付ける。

 それに気付いてか、ロキは何も言わなかった。


「コーネリアが動けるようになり次第、私は一度帰宅する」

「……ご自宅へ?」

「息子が帰ってきている」

 それと、と、笑み。「イルノリアもな」


 銀竜。

 癒しの力を持つ銀竜。

 まだ幼いとは言え、解毒の手伝いならば可能かもしれない。


 テオドールは目を瞑ったままのコーネリアの顔を撫でた。

 金色の瞳が薄く開く。

 ぐるりと動いた瞳がテオドールを見た。

 不思議とその瞳の色は優しい。

 大丈夫だと、そう言っているように思えた。


「しかし――思った以上の強さの死竜だな。コーネリアのブレスを貰っても逃げる余裕があるとはな……」

「……勝てるのでしょうか」

「………」


 テオドールは迷っている。


 コーネリアは数日は動かせない。

 毒が身体から抜けきるまでは戦えないと判断した方が良いだろう。


「……助太刀を、頼むか」

「誰に?」


 足手まといの存在があったとは言え、コーネリアのブレスでも倒せなかった死竜を、誰が倒せると言うのだろうか。


 テオドールは苦笑のような笑みを浮かべた。


「勇者を」

「……え?」

「勇者アルタットに、頼んでみるとする」


「馬鹿なっ!!」


 叫んだのはロキだ。


「そんな――ゴルティア竜騎士団が勇者に頼ると仰られるのですか!」

「彼ならば倒せる」

「そんな無様な――」

「次の被害が出るまでに倒す。コーネリアの回復を待っている余裕は無い」


 再びルークスがしゃくり上げ始める。

 ロキが忌々しげにそれを睨んだ。

 ジュディは軽く息を吐いた。


「それしか選択肢が無いのなら……仕方ないでしょう」

「ジュディ!! お前まで……!」

「私はもう幼い子供が死ぬなんて嫌よ」


 あの死竜は襲えるならば子供でも襲う。

 それは既に分かっている。


「ロキ」

「……」


 テオドールの呼びかけに無言で答える。


「私が示す方法はこれだ。……他に何か策があるのならば、教えてくれ」

「………」


 ロキは視線を逸らした。

 策など無い。


「……では、勇者アルタット殿に依頼を出す」

「分かりました」


 答えたのはジュディだけで、ロキは沈黙、ルークスは泣き続けていた。




 ジュディは少しだけ視線を上に向ける。

 金の月。



 引き分けとは言えない。

 こちらの最大の戦力が戦えなくなった。


 敗北したのだと――今更ながら、思った。

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