第10話9章・現在、死竜編



【9】





 ――コーネリアの羽ばたきを聞く。

 翼の大きさが違う。

 大きな――大きな羽音だ。



 シズハは自室のベッドに転がっていた。

 ヴィーとアルタットには客間に入ってもらった。

 今は、一人、部屋に居る。


「………」


 そっと、ベッドから起き上がる。毛布を小脇に抱え込んだ。

 今の季節ならばこれで十分と判断。

 足音を忍ばせ、外へと向かう。

 廊下を歩き、玄関を抜け――そして竜舎へ。


 本来ならばコーネリアの眠る場所に、イルノリアは蹲っていた。

 母親の体温を求めるように、飛竜にしては小さな身体を更に縮めている。


「――イルノリア」


 呼びかけに弾かれたように顔を上げる。

 高い声がひとつ。

 慌てて、指を一本立てて静かにするようにと伝える。

 イルノリアはすぐさま黙った。


 その彼女に近付き、腰を下ろす。

 イルノリアが首を寄せてきた。

 シズハも答えるように顔を寄せる。


「今夜は此処に居る」


 イルノリアは止めなかった。

 竜舎ならば屋根もある。部屋から持ち出した毛布もある。

 大丈夫。

 

 毛布に包まり、イルノリアの腹に身体を預ける。

 とても、落ち着く。


「なぁ――イルノリア」


 呟くような声。


「俺たちが出会って、何年になるのだろう」


 シズハはイルノリアとの出会いを覚えていない。

 テオドールが言うには、まだふたつみっつの幼子の時、シズハは唐突に姿を消した。

 村人総出で探し出せば、シズハは魔物が出ると言う森の奥で眠りこけていた。

 小さな銀色の飛竜を抱きしめるように、幼い両腕を精一杯、回して。


 それがイルノリア。

 幼い銀竜。

 この辺りに銀竜の親など見かけた事は無かった。

 母親に当たるだろう銀竜を、テオドールも探したようだが一切発見されなかった。


 恐らく――別の場所に住んでいた銀竜の親子を、誰かが捕獲し、運んだのだろう。

 運良く逃げた赤子。もしかすると、母親が必死になって幼い子供を逃したのかもしれない。

 そうすると、恐らく、イルノリアの母親は――



 幾ら母親代わりのコーネリアが傍に居るとしても、最終的にイルノリアが頼るのはシズハだ。

 片割れ。自分自身。魂の半身。


 護りたいと思う。

 何があっても、護りたいと思う。


 イルノリアの顔を見る。

 シズハにじっと視線を注いでいる。


「……もう、17年? それぐらいかな」


 顔を寄せた。

 イルノリアが甘えるように金属の声を漏らす。

 笑う。


「イルノリアは……俺が片割れで、本当に、良かったのか?」


 イルノリアは首を傾げた。

 何故? と、そう言わんばかりに。


「今日、ヴィーに証を見せてくれって言われて、断った」


 本来なら誇るべきものだ。

 竜が与えてくれた肉体の変化。

 契約の証明。


 他の竜騎士たちのように誇らしげに見せてやりたい。

 当たり前に露にしたい。


 完全な、姿ならば。


 

「イルノリアが与えてくれたものなのに」


 俯く。


「すまない、イルノリア」


 顔が擦り寄る。

 ごめんなさい、と、イルノリアがそう囁いた気がする。


「……イルノリアが謝る事は無い」


 でも、と。


 苦しめて、ごめんなさい。


「俺が勝手に難しく考えているだけだ」


 でも、ごめんなさい。


「俺が悪いんだ」


 シズハは何も悪くない。

 だからシズハは何も苦しまなくていい。

 

 だから――泣かないで。


「……泣く?」


 シズハは苦笑する。


「俺、また泣いてるのか」


 泣かないで、シズハ。

 貴方は何も悪くない。

 貴方が苦しむ必要はない。

 だから泣かないで。


「……ごめん、イルノリア」


 毛布から手を出して、濡れた顔を撫でる。

 

「……ごめん」


 謝らないで。

 泣かないで。


 シズハ、ねぇ、シズハ。


 嬉しい。

 私は、嬉しい。

 貴方の傍にいられて、嬉しい。

 嬉しいしか、ない。


 シズハ、だいすき。


 シズハ、ねぇ、シズハ、だいすき。


 貴方はひとつも醜くない。

 私がだいすきな貴方のまま。

 

「イルノリアに大好きって言って貰える人間なのかな、俺は」


 シズハは何ひとつ変わっていない。


 出会ったころのまま。


 だいすきな、貴方のまま。


 だいすき。


 シズハ、だいすき。


 ずっと、ずっと、うまれるまえから、だいすき。


「有難う」


 笑う。

 笑って、すぐ間近のイルノリアの顔に軽く口付ける。


「俺も、生まれる前からずっと好きだ」


 シズハの言葉に、イルノリアは嬉しそうに瞳を細めた。






 ――夜。


 シズハは既に眠っている。

 

 不意に、イルノリアは瞳を開く。



 闇。


 彼らの前に闇が蹲る。

 大きな犬が身体を丸め、シズハの前に傅くように。


 それが一瞬膨らむ。

 馬ほどの大きさまで一息に大きくなった。


 が――次の瞬間、弾けた。


 イルノリアはそれを見つめ、首を傾げた。

 敵意は感じない。

 何だろう、これは。



「――イルノリア……?」


 寝惚けた声が彼女を呼ぶ。

 どうしよう、シズハに報告すべきか。

 闇を見る。

 其処には、既に何も無い。

 ならば、大丈夫だろう。


 なんでもない、と囁き、シズハに眠るように促す。

 母の胸に抱かれた幼子のようにシズハが頷き、すぐさま寝息を立て始める。



 おやすみなさい、だいすきなシズハ。






 シズハとイルノリアが慌てたキリコに起こされるまで、あと一時間。




 泣きそうなほど慌てたキリコが伝えた事は――死竜討伐に向かったテオドールの敗北の知らせだった。

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