第10話8章・現在、死竜編
【8】
「シズハの部屋にごほうもーん!」
ご機嫌な声を上げて、シズハ自身も数年間足を踏み入れてなかった自室へとヴィーは遠慮なく踏み込む。
部屋は掃除をされていた。
シズハは他人の部屋を見る気持ちで室内を見回す。
何ひとつ変わっていないのだろが、あまり覚えていない。
ヴィーはベッドの端に腰掛けた。
「いやぁ、もぅおなかいっぱい。――おかーさん、料理上手だねぇ。こういう敗北ならいくらでも味わっていいやぁ」
嬉しそうなヴィーにシズハは笑いかける。
確かに夕食は立派なものだった。
あれに勝つのはプロの料理人でも難しい。
「かなり張り切ってましたから」
「そう言えば、シズハもお手伝いしたんだっけ? シズハも料理上手なんだぁ」
「いえ、俺は力仕事を手伝っただけで」
「………料理に力仕事って、どんなの?」
「………」
沈黙。
視線を天井に向ける。
「………ん」
迷って。
「……秘密にします」
「え、シズハ、それって凄く気になるんだけどー」
「ご飯は美味しいままにしておきましょう」
「………材料、何使ってるの?」
「いえ、ごく普通ですよ」
きっと。
ヴィーが唇を尖らせてシズハを見る。
が、すぐさまその表情も変わる。
「まぁいいやぁ。美味しかったしぃ」
ねぇ、と、いまだ部屋の入り口で周囲を見回していたアルタットに話を振る。
黒猫はゆっくりとした足取りでベッドへと近付いた。
とん、と。
床を蹴って、ベッドに上がる。
猫の足が布に沈んだ。
「――部屋を見ると結構人間が分かるんだけど」
ヴィーが辺りを見回しつつ、口を開く。
「何だか……この部屋、変な感じがするよー。……本当にシズハの部屋?」
「俺の部屋です」
「……何だろう、この違和感」
「さぁ」
違和感、と言われても。
ヴィーは少しだけ首を傾げる。
アルタットに視線を向けた。
アルタットはベッドの上に丸くなっている。
瞳だけを上げて、ヴィーを見た。
そのままの姿勢で小さく鳴く。
「あぁ――そうか」
ねぇ、と、今度はシズハを呼ぶ声。
「この部屋にあるもので、シズハの一番大切なものってなぁに?」
「……特にありませんが」
「そういう事か」
「……??」
ヴィーが笑い、シズハを見上げる。
「この部屋にあるものは全部……もうシズハにとって要らないものなんだねぇ」
「……不要と言えば、そうです」
少しだけ、笑い――言葉を返す。
「あまり物には執着しない方なので」
「本当に大切なものを知らないのかなぁ」
「大切なものはあります」
視線を、窓へ。
屋根が見える。
竜舎の、屋根。
「イルノリアは、俺にとって大切な片割れです」
「片割れが居るから、もうこれ以上のモノは要らないって事かぁ」
「あ、でも」
食事の前に机に上げていたショートソードを示す。
「父さんから貰った剣も大切にしています」
「役に立つからでしょう」
「……」
どうなのだろうか。
「シズハって本当に面白いよ」
「……」
よく分からない。
「――ねぇ」
「はい」
「竜との契約の証って何処にあるの、シズハは?」
「え?」
戸惑う。
ヴィーが興味を持つとは思ってなかった。
「翼です」
「……翼ぁ?」
首を伸ばし、シズハの背を見やる。
「無いよ?」
「小さな、ものですから」
軽く、笑った。
「見たい」
「……は?」
「どんな風なのか見たいー」
「み、見たいって――脱げって言うんですか、此処で?」
「うん」
「……嫌です」
幾ら同性とは言え、人前で服を脱ぐのはどうも生理的に受け付けない。
それに――
「だいじょーぶだいじょーぶ、ほら、ちょっと上を脱ぐだけだから、ほら――」
「く、首元を引っ張らないで下さいっ!! ヴィー、本当に止めて下さいって!!」
「女の子じゃないんだからさっさと脱ぐ」
「本気で怒りますよっ!!」
何とかヴィーから一歩離れる。
「竜騎士は結構みんな見せてくれるのになぁ」
「場所にも寄るでしょう!」
乱れた衣類を直しつつ、もう一歩、ヴィーから離れた。
「隠す事無いと思うよー」
「……ヴィーだって俺に隠し事をしているでしょう。おあいこです」
拗ねたような声になってしまったのを一瞬後に後悔した。
が、ヴィーは不思議そうに「おあいこ?」と繰り返す。
「え? 俺、シズハにバレるような隠し事、したぁ?」
「ヴィーが剣で戦えるなんて知りませんでした」
「……戦った?」
「さっき、母さんの攻撃を避けきったでしょう」
「あぁ、アレ」
ヴィーは改めてベッドに腰を下ろす。
丸くなっているアルタットを、指で指した。
「アルの身体だから、武器持ったら反射的に避けないかなぁと思っただけ」
「……え?」
「俺が10年間使って鈍らせちゃったけどぉ、勇者様の身体だよぉ。身体が動き覚えてないかなぁと期待したの」
「………え、ええと」
思わず、頭に手を当てる。
「も――もしかしたら、負けていた、かもしれない、と」
「かもねー」
笑顔。
「だからお願いしたでしょう? イルノリア待機させておいて、って。アルの身体に傷を付けちゃあ嫌だもの」
「………」
ヴィーは軽く足をばたつかせながら笑う。
「俺が戦える訳ないでしょー。俺はただの猫だもの」
「……本当にただの猫なのですか?」
「うん。ただの飼い猫だよ」
「………」
「そんなに疑わないでよぉ。シズハみたいなイイコに疑われちゃあ、俺、哀しいよー」
「……申し訳ありません」
でも。
「翼の件は申し訳ありませんが――お願いです。俺に話せる事ならば、何でも話して下さい」
「どうして?」
「……どうして、って」
ヴィーの言葉を、キリコに向けて言ってくれた言葉を思い出す。
「……仲間、って……言ってくれたじゃないですか」
その言葉に。
……ヴィーは軽く瞳を閉じた。
あぁ、と、声。
それから、口元に微笑。
開かれる、瞳。
「そうだねぇ……言ったよ。仲間って、うん――アルの仲間だって、言ったよねぇ」
そうだねぇ、と呟いて。
「そうだねぇ……」
ひとつ、ヴィーは頷いた。
「色々と、少しずつ、教えるのも良いかもね」
「はい!」
思わず声が明るくなる。
「だからー。今度でいいから翼を見せてね」
「……これぐらいしか、生えてませんよ」
親指と人差し指で幅を作って示す。
「それだけぇ?」
「本当に小さいものなんです。……事情が、あって」
「……ふぅん」
ヴィーは何か考え込むような顔だ。
「うん、でもやっぱり、今度見せて」
「……はい」
シズハは無意識に己の肩を抱くように片手を回した。
自分でも分かるほど、己の表情が強張っているのを理解する。
ヴィーは何も気付かぬようにただ笑った。
――鳴き声。
アルタットが鳴いた。
思わずそちらを見るシズハとヴィー。
アルタットはもう一度、鳴いた。
「……お客さんだって」
「客?」
誰だろう、とシズハは考える。
村の人が尋ねてきたのだろうか。
「見てきます」
「あー、俺も行くー」
アルタットもベッドから飛び降りた。
「アルも気になるって」
「……?」
「飛竜が外に来てるよ」
言われて、耳を澄ます。
コーネリアと言う巨大な飛竜の気配が大きくて、その他の飛竜の気配を巧く読み取れない。
「まぁ行ってみれば分かるよー」
ヴィーはそう言ってアルタットを肩に乗せて歩き出した。
玄関に両親の姿を見かけた。
テオドールは食事中とは違い、鎧を纏っている。
死竜。
夜に、出陣すると言っていた。
シズハたちに気付いたのはテオドールではなく、玄関の扉の向こうに立っていた若い男だった。
首を曲げて、テオドール越しにこちらを見、「あれ?」と不思議そうな声を上げる。
「――ひょっとして、息子さんですよね? 団長、紹介して下さいよ」
こちらを見るテオドールが苦笑のような表情を浮かべている。
その表情のまま、身体を引いた。
玄関先に立つ男の姿がよく見えた。
若い男。少し癖のある長髪を緩くひとつに編んでいる髪型に、かなりラフな服装。そして、右目を隠す黒いモノクル。
村人には見えない。
そして、父を尋ねてくるような人間にも、正直、見えなかった。
シズハ、と、テオドールが呼んだ。
ひとつ返事を返し、父の横に立つ。玄関先の男の方が背が高い。見上げた。
テオドールは片手で男を示し、続ける。
「この男は、ゴルティア竜騎士団所属竜騎士、シヴァだ」
「初めまして」
人懐こい、笑顔。
「直接お会いするのは初めてですけど、お噂はかねがね」
ふぅん、と、顎に手を当て、シヴァはシズハの顔をまじまじと眺めた。
「噂どおり、団長に似ずなかなかの美少年ですねぇ」
「は、はぁ」
どう答えていいものか。シズハは思わず言葉に詰まる。
「そ、その――シズハです。宜しくお願い致します」
「こちらこそ」
笑うシヴァ。
本当に人懐こい笑顔で笑う。
そして、やはり――竜騎士には見えない。
ゴルティアの竜騎士団に所属している人は殆ど知っているつもりだったが、戦場で一度も見かけてない気がする。
後方支援の人なのだろうか。
ならば、水竜、風竜……その辺りの片割れか。
「団長、宜しければそちらの男性の方も紹介して頂けませんか? ほら、猫連れた人」
「……アルタット殿だ」
「……へぇ」
シヴァの顔に浮かんだのは僅かな驚きの表情。
それも一瞬。本当に一瞬だけで、彼は笑みを浮かべた。
「初めまして。アルタットさんの噂は僕もよく聞きますよ。直接お会い出来るなんて思ってもみませんでした」
「……珍しい竜騎士さんだねぇ」
「ごく普通の竜騎士ですよ」
玄関のドアを見る。
隙間から、竜が目を覗かせていた。
シズハは思わずドアへ近付き、開く。
びっくりした顔の風竜が居た。
「僕の片割れです」
びっくりしたままの顔の風竜。
何とも可愛らしい。
シズハは思わず笑って、手を伸ばした。
手に風竜が鼻を触れさせる。
片割れに似て人懐こい風竜だ。
「――団長」
片割れとシズハの交流を微笑ましい表情で見ていたシヴァが、テオドールに向き直り、呼びかける。
「既にジュディさんたちは目標地点に居ます。団長と合流次第、動く予定は現段階では変更無しと言う事です」
「分かった」
「……あの、ルークスが同行しているみたいなんですが……許可、出しました?」
「いや」
テオドールの表情が変わる。
シヴァが小さく息を吐く。
「ルークス、勝手に付いて来ちゃったんですか? うわぁ、まだ学生気分が抜けてないんでしょうか」
腕を組み、首を傾げる。
「うーん……ちょっと先行して帰るように伝えますか? シュートにはちょっときついでしょう、死竜相手は」
「……いや、もう遅いだろう。日も暮れた。下手に動けば目立つ。単独で死竜に襲われたのならルークスでは対処しきれない」
「ジュディさんとロキさん、どっちかと同行させるってのは……戦力が足りなくなっちゃいますね」
「ルークスも同行させる。――仕方あるまい」
対処する。
テオドールは短く答える。
「はい、分かりました。――では、僕はゴルティアに戻ります」
「強行軍だな。すまん」
「いえいえ。風竜の翼ならこれぐらいの距離は簡単ですよ」
「それでも十分に気を付けてくれ」
「はい、有難うございます。もしも死竜と出会ったら、全速力で逃げますよ」
軽い口調でシヴァは笑う。
そして、いつの間にか手に持っていた筒状に丸めた紙をテオドールに手渡した。
「御武運を」
「あぁ」
シズハに顔を摺り寄せていた風竜が、シヴァが動き出したのに気付く。
微かに鳴く。
「ココ」
シヴァから、風竜への呼びかけ。
「さぁ、帰りますよ。――ゼチーアさんも報告を待ってますし」
「あぁ、ゼチーアに伝えてくれ。伝言、助かったと」
「了解しました」
砕けた敬礼をひとつ。
「それでは」
シズハとヴィーを見る。
「また、お会いしましょう」
「はい」
シヴァは人懐こい笑みのまま別れを告げた。
風竜が空へ飛び上がるのを見送る。
四枚翼が動き、空で一周、旋回。
そして、ゴルティアの方角へ向けて、真っ直ぐ飛び立った。
風竜の速度は飛竜の中で最速。
すぐさまその姿は見えなくなった。
「――ゴルティアに風竜が居たなんて知りませんでした」
「数年前に加入したばかりだ。主に情報収集が専門だからな。表にあまり名前を出していない」
「何だか楽しそうな人ですね」
「面白い男だぞ。機会があれば色々と話してみるといい」
テオドールは笑い、動き出す。
「キリコ」
「はい」
「出かけてくる」
「いってらっしゃいませ」
キリコは深々と頭を下げる。
シズハには見慣れた風景。
父が出かける際――特に戦場へ赴く際は、必ず母は見送る。
テオドールの目を見て、キリコが微笑む。
「お気を付けて」
「分かった」
テオドールは妻の身体を引き寄せ掛けて――シズハとヴィーに気付く。
「……」
「……」
何となく居心地悪そうなテオドールの視線と、恨みがましいキリコの視線を受けた。
「……ヴィー、行きましょう」
「えー?」
「その、何と言うか、我が家の定例行事で」
「えー、でもー」
「お願いですから!!」
ずるずるとヴィーを引きずって歩き出す。
それから。
玄関先で何があったか。
それはもう、分からなかった。
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