第10話7章・現在、死竜編
【7】
キリコを落ち着かせるために別室へ引っ込んでいたテオドールが戻ってきた時には、かなりの時間が過ぎていた。
少なくとも、シズハが用意した紅茶も既に冷めている。
応接間に差し込む陽光も、夕焼けのものだ。
「――色々と失礼をしたな」
苦笑交じりにそう笑って、テオドールはヴィーの向かいに腰掛ける。
嫌がるアルタットの顎を撫でて暇つぶしをしていたヴィーは笑う。
「別にー。これぐらいの失礼なら気にしないよ。慣れてるから」
「本当に申し訳ない」
テオドールは軽く頭を下げる。
それをヴィーは何となく嬉しそうに見ていた。
「相変わらずな感じだねぇ。腰が低いって言うか――頭が低い?」
「必要があるならば謝罪する。当たり前の事だ」
「そうだけどね。偉くなるとそれが出来なくなる人も多いんだよー」
「そういう人間にだけはなりたくないものだ」
「大丈夫だよ、テオは」
父の名前を略称で呼ぶヴィーに、シズハは驚く。
冷めた紅茶に気付き、新しいのを用意しようと腰を上げた時にテオドールは戻ってきた。
なので、シズハは立ったまま、二人を見る。
ソファは三人掛けの大き目のもの。
テーブルを挟み、向かい合わせに腰掛ける二人。どちらの横に腰掛けるべきか、迷った。
「シズハぁ?」
「はい」
ヴィーに呼ばれた。
彼は自分の横をぺしぺしと叩いた。
座らないのか、と言うのだ。
「はい」
頷いて、その横に腰掛けた。
「――で、テオ。おかーさん落ち着いた?」
「何とかな」
苦笑。
「まだ奥の部屋で泣いているが、そのうち泣き止むだろう」
「シズハと同じぐらい泣き虫だねぇ、おかーさん」
「……俺よりも、母さんの方が泣き虫ですよ」
みたいだねぇ、と、ヴィーが笑う。
「最初、凄い冷たそうに見えたんだけどねぇ」
「あれが泣き出す寸前の顔です」
「……珍しいね」
「我慢していると無表情になるので」
「ひょっとして……それで、おかーさんの顔をじっと見ていたワケ?」
「人前で泣き出されたら、俺一人では対処出来ません」
再会した瞬間から、キリコの様子が違うのは分かった。
シズハに会えて喜んでくれているのは分かる。
しかし、街中で大泣きされては、どうしようもない。
何か話しかけたのならそこで決壊しそうな雰囲気もあった。
話す言葉を正直、かなり迷った。
「……ホント、おかーさん泣き虫なんだねぇ」
「そこも可愛いのだがな」
笑顔でテオドールが続ける。
呆れたような半眼のヴィー。
「まぁ、いいけどねー」
ヴィーは肩を竦めた。
「――あの」
シズハは口を開く。
「父さんとヴィーは、知り合いなのですか?」
「……」
男二人が顔を見合わせる。
「まぁ、知り合い、か?」
「そうだろう、ねぇ」
その曖昧な言い方は何だろう。
黙って二人を見る。
視線に負けたようにテオドールが微かに笑って言った。
「昔――そうだな、ちょっとした事件で知り合った」
「何年前だっけ?」
「あの頃は騎士団長などしてなかったからな……」
「おかーさんとも知り合ってないでしょー?」
「そうだ。なら、少なくとも20年以上前になる」
「24、5年って所かなぁ」
シズハは二人の会話を曖昧なままで聞く。
二人は具体的な内容を話さない。
聞かせたくないのだろうか。
無言のまま、ヴィーの膝上からアルタットを奪い去った。
軽く抱き締める。
ふみゃああ、と不満げな声を出されたが、あえて無視をした。
猫の体温は暖かい。
少しだけ、落ち着く。
テオドールとヴィーが目で何かを合図するように頷きあい、それから、苦笑。
「――まぁ、テオ、良い所に来てくれたよー、おかーさんとホンキでぶつかるのは遠慮したかったしぃ」
「間に合って良かったと思うぞ。運良くこの近くに居たとは言え、ゴルティア経由の伝言だ。間に合わず、家の前に屍体が転がっているのを内心覚悟していた」
「大げさだよぉ」
「そうか?」
この近く、と言う単語に反応する。
キリコに対する言い訳では無かったようだ。
確かに風竜の翼でも、ゴルティア本国からこの村に来るまで数時間掛かる。
テオドールの立場を思えば、今、此処に彼が居るのも凄い事なのかもしれない。
「近く……とは、何かあったのですか、父さん」
「……あ」
しまった、と。
そういう顔をする。
「あー……その」
「……父さん?」
「いや、そんなに重要な事ではない」
「へぇ」
ヴィーが冷めた紅茶を口に運ぶ。
「そんな重要じゃない事に竜騎士団団長さんが動くんだぁ。ゴルティアも暇だねぇ」
「……挑発には乗らんぞ」
「落ち着いたねぇ。昔はがんがん乗ってたのに」
「昔と一緒にしてくれるな」
「だよねぇ」
笑う。
「で、死竜絡み?」
「………」
テオドールが此処まで呆然とした顔をするのを初めて見た。
目をまん丸に見開いて、ヴィーの顔をただ見ている。
ヴィーは笑顔。
「あれぇ、正解?」
「な、何故?」
「俺って凄いねー」
「だから、何故、死竜と――」
「さっき、不死の民を見かけてねぇ。此処ら、シルスティンの土地でしょ? シルスティンが徹底的に不死の民狩りをしたのは有名だし、なんでこんな所に居るのかなぁって」
それに、と付け加える。
「シルスティンだって竜騎士団も神聖騎士団も居るでしょ? なのにわざわざゴルティア竜騎士団をシルスティン領土で動かすなんてさぁ、死竜絡みかなぁ、と」
猫のように目を細める。
「不死の民と、ゴルティア竜騎士団が動いている。このふたつの言葉だけで、死竜想像するのは難しくないよぉ」
テオドールはしばし沈黙。
やがて、ため息混じりに頷いた。
「正しくは、スタッドとシルスティンの境界線上だ」
「死竜が出たと?」
「そういう事だ」
「被害はぁ?」
「11人」
「……人?」
ヴィーの表情が僅かに変わる。
器用に眉を片方だけ上げ、テオドールを見た。
シズハも、思わず腕の中のアルタットを強く抱き締める。
「死人、出てるの?」
「食い殺されている」
テオドールの表情は硬い。
「今夜、竜騎士団の金竜数体で出陣予定だ。死竜の被害位置を調べ、大体の出現範囲は予測出来ている。血の囮を使えば、やつは出てくるだろう」
「……勝てるの?」
「コーネリアが出る」
「過信はしちゃ駄目だよぉ」
「分かっている」
「父さん」
シズハは思わず声を出す。
「父さん、俺も――」
「銀竜は死竜のブレスを防ぎきれない」
「……」
「それに竜騎士団に所属していないものを同行させる訳にはいかない」
「……はい」
俯いたシズハにテオドールは視線を向ける。
その視線は優しいものだ。
「お前の気持ちだけは受け取ろう。有難う、シズハ」
「……いえ」
「シズハ、良い子で待ってようよー。明日の朝には結果が分かるでしょう? 出発はテオの勝利報告聞いてからでも悪くないよぉ」
「はい」
頷いた。
落した視線の先。腕の中ではアルタットが緑の瞳をシズハの顔に向けていた。
心配されているような気分になる。
「――ヴィー、所で不死の民を何処で見かけた? 実は死竜の背には人が乗っていたと言う話もあり、野生の死竜ではなく、竜騎士の存在も疑われている」
「さっきの街で見たよ。――ねぇ、シズハ?」
話を振られて目を丸くする。
「え? 不死の民……とは吸血鬼ですよね」
シズハが首を左右に振った。
「俺は見ていません」
「……シズハぁ、ふざけてる?」
「いえ、本当に」
「だってシズハの知り合いでしょ? ええと――」
アルタットが鳴いた。
「そう、ミカとか言ってた子」
「……………ぇ?」
ミカ?
紅い瞳の、武器商人の女を思い出す。
「え……か、彼女が?」
「影なかったでしょ? 足元見なかったの?」
「……まったく見てませんでした」
違和感さえ感じてなかった。
「ラキスの民とも言ってたし――ほぼ間違いないと思うよ」
「ラキス……デュラハの同盟国か」
ラキス。
デュラハの隣国に位置し、同盟国である。
小国ではあるが、デュラハの援助と、独特の道具の開発により、恐ろしい存在である。
ラキスの民は、僅かな吸血鬼と多数の人間により構成される。
吸血鬼たちは所謂裕福層であり、人間たちは奴隷と同等の扱いだと言われていた。
勿論、デュラハもラキスも『奴隷』の存在を全否定しているが、確かめた人間は居ない。
故に、体液を奪われる為だけに飼育されている奴隷がデュラハ、そしてラキスには存在すると、人々は噂していた。
「その不死の民は竜騎士か?」
「テオの目じゃあるまいし、竜騎士かそうじゃないかなんて分からないよ。――ただ、血の匂いはしなかったなぁ。そんな11人も食い殺している死竜の傍に居るなら、どれだけ洗っても血の匂いは付きまとうでしょー?」
だから、違うと思う。
ヴィーが出した結論はそれだった。
「恐らく……血を吸わないって誓いを立てて、ラキスを堂々と出てきた不死の民だと思うよ。――居るんだよね、自分の作った武器や防具の威力を試したいって冒険者になる不死の民」
不死の民の力の源は、知的種族の体液。
それを得られなければ、彼らはどんどん力を失っていく。
永遠と言われる寿命さえも失うのだ。
代わりに、彼らは新たな力を得る。
日の光を弱点とする不死の民が、その光を浴びても活動出来るようになる。
少なくとも、先ほどの不死の民は陽光の下、普通に動いていた。
血をかなりの長期間、摂取していない筈だ。
「……危険は無いか?」
「テオが今言うような危険は無いね」
「……そうか」
呟きつつ、テオドールもヴィーと同意見に収まったようだ。
「ならば――このシルスティン領内に二人の不死の民か」
「珍しいねぇ。あれだけ徹底的に殺しまくったのに」
小さく、アルタットが鳴いた。
それが僅かな怒りの声に聞こえて、シズハは驚く。
宥めるように、強張ったアルタットの背を撫でた。
「大丈夫だよ、アルー。テオはその件に関しては一切関与してないよぉ。――してるのは、別の人」
「………」
テオドールは何も言わない。
曖昧に、口元を引きつらせるように、笑った。
笑うと言うには弱い、苦しげな笑みに見えた。
扉の開く音。
視線の集まる中、そこに立っていたのは思いつめたような表情のキリコだ。
「――アルタット様……いいえ、ヴィー様」
「な、なに?」
「お料理は、出来ますか」
「り、料理?」
唐突な質問に、ソファの上で身を引かせながら、戸惑っている。
シズハに助けを求めるような視線を送ってくるが、シズハ自身も母の質問の意味が分からない。
「ヴィー様、料理です。お上手ですか?」
「……ええと、食べるのは好きだけど、料理なんてした事無いなぁ」
「結構です」
キリコは満足そうに頷いた。
「夕食の支度をして参ります。それまでどうぞお寛ぎ下さい」
「あ――ありがとう」
「剣では負けましたが、料理では負けません」
凄まじい、ある意味、殺気とも言える、視線。
「必ず……勝ちます」
「り、料理の勝ち負けってどう判定するの?」
「負けた気にさせます」
「………は、はい」
キリコの瞳がシズハを見る。
「シズハ、帰宅してすぐに申し訳ないですけど……手伝いをして貰えませんか?」
「はい」
「有難う」
抱いていたアルタットをソファの上に下ろす。
そしてシズハは立ち上がった。
父と、ヴぃー、そしてアルタットに頭を下げる。
「失礼します」
そのまま背を向けようとして――
「シズハ」
テオドールの声に呼び止められた。
見れば、真っ直ぐに向けられる父の視線。
「今更だが――」
少しだけ照れ臭そうに。
「おかえり、シズハ」
「……ただいまです、父さん」
何だか、改めて言われると照れ臭い。
もう一度、応接間に残る人々に笑い掛けて、シズハは慌てて母の後を追った。
――残されて。
「――イイコだよねぇ、シズハ」
「そう言って貰えると嬉しいな」
テオドールの嬉しそうな笑み。
「キリコに似て素直な良い子だ」
「………おかーさんに似ているのは外見だけにして欲しいなぁ」
「中身もよく似ているぞ?」
「……いえ、遠慮します。ホンキで」
ヴィーはその背をソファに預ける。
肘掛に肘を付く。
「テオが家族作ってるなんて正直意外ー」
「キリコで無ければ結婚などしなかった」
「だろうねぇ」
向かい合い、笑う。
「――可笑しな話だよねぇ」
「――全くだ」
アルタットが行儀良くソファの上に座る。
じっと、二人の会話に耳を澄ます。
「アル、あのねぇ」
テオドールを瞳で示す。
「俺さぁ。アルの前にも一人、傍にずーっと居た人が居たの。アルの前に、誰かの猫だったの」
その人を。
「殺したのがテオなんだよー」
「……否定はしまい」
テオの笑み。
苦笑に近い。
それに答えるのは、ヴィーの笑み。
こちらは、どちらかと言えば穏やかなものだ。
「悪人だったからねぇ、前の人。まぁ殺されても文句言えないようなことを沢山してたからさぁ。――でもぉ、俺の守りを抜けて、攻撃貰ったの生まれて初めてでさぁ。驚いた」
「私も、コーネリアの一撃で生きている生物など初めて見た」
「死ぬかと思ったよぉ。猫に金竜で攻撃なんて非常識」
「……猫には見えなかった」
テオドールは瞳を細める。
「相変わらず――猫にも、人にも見えないぞ、ヴィー」
ヴィーは笑って肩を竦めた。
おどけたような、大げさな仕草。
「全部見えちゃう目って嫌だねぇ」
ヴィーは片方だけ目を開き、手を上げる。
「じゃあ、その全部見えちゃうテオの竜眼にしつもーん」
「……?」
気楽な調子で、ヴィーは疑問符を浮かべるテオドールに言葉をぶつける。
「シズハの証は何処? イルノリアとの契約の証は、何処にあるの?」
「……どういう意味だ?」
「じゃあ、別の言い方する。――その竜眼では、魂が見える。存在の本質が見える。竜騎士の魂を見れば、それに連なる竜の魂が見える。魂を見ただけで、竜騎士かどうか分かる」
なら。
「シズハの魂は、どう見えてる?」
テオドールは沈黙。
その表情は硬い。
「――質問の意味がよく分からないが……」
ソファに身を沈める。
「シズハは私の息子だ。あの子の事ならよく分かっている。だから、シズハの本質を改めて見る必要も無い。――見た事も無い」
「へぇ」
なら、いいやぁ。
そう呟いて、ヴィーはソファにごろんと寝転ぶ。
「ご飯出来たら起こしてー」
目を閉じた。
ヴィーは本気で眠ったらしい。
アルタットはテオドールを見る。
視線に答え、テオドールもアルタットを見た。
笑み。
「久しぶりだな、アルタット殿」
みゃう、と鳴く。
「流石にその姿は驚いたよ。――貴方も、色々とあったのだな」
以前会ったテオドールを思い出す。
戦いの場所。
竜騎士たちは、アルタットに対して良い感情を向けてこなかった。
その中で数少ない友好的な感情を向けてきた男。
忘れる訳が無い。
「アルタット殿」
テオドールはゆっくりと頭を下げた。
深く、深く。
「シズハの事を宜しく頼む」
アルタットは言葉もなく頷いた。
真似るように。
ゆっくりと、深く、深く。
シズハを頼む、と。
その言葉を、アルタットは後に、ずっと後に、改めて思い出す事となる。
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