第10話6章・現在、死竜編



【6】





 屋敷の一室。

 壁には骨董品めいた様々な武器が掛けられている。それらは既に武器としては使用できない。シズハが幼い頃から壁に飾られているものばかりだ。

 だが、キリコが「ご自由に」と台の上に並べていった武器は手入れがされたものだ。

 問題なく使用出来る。


「――申し訳ありません」


 シズハは本当に泣きたくなっていた。


 ヴィーは手に取ったロングソードを光に翳しながら、少し離れた場所に立つシズハを見た。


「こっちこそ御免ねー。言葉で逃げられなかったよ」

「……ヴィー」


 不安だけが混じる声。


「母は……強いです」

「だろうねぇ。俺も分かるぐらい隙が無い動きしてるもの。武器は剣かな?」

「はい」

「じゃあ、こっちも剣で行かないと不利かなー」


 ロングソードを持ち、台の上に乗っているアルタットに見せる。


「どぉ? アル、この武器でいいと思う?」


 みゃう、とアルタットが鳴いた。

 ヴィーが笑う。


「心配してくれるのー? 有難うー」


 でも。


「本当に心配なら入れ替わってよぉ。俺、武器の扱い苦手だって知ってるでしょー?」


 みゃん、と短い声。

 否定、のようだ。


「はいはい、頑張りますよー、だ」


 軽い声。

 シズハは更に不安になったようだ。


「勝算はあるのですか?」

「シズハぁ」

「はい」

「殺しちゃ駄目でしょ?」

「……」


 絶句。


 ロングソードを鞘に片付けつつ、ヴィーは言う。

 そのまま台に寄りかかる。


「殺してもいいんだったら、勝算は十分あるよー。そういうの、得意だから」

「それは!」

「駄目でしょ?」

「はい」

「なら、まぁ、やってみないと、ねぇ」


 ヴィーはアルタットを見た。

 アルタットは鳴かない。長い尻尾をゆらりと動かしただけだ。


 ヴィーが少しだけ、笑った。


「ホンキの喧嘩をしないように、頑張るよー」


 あぁ、と、ヴィーが思い出したように付け加えた。


「イルノリアの待機だけはお願いするねぇ。念のため」


 イルノリアの力が必要となるのは間違いなく誰かが傷を負った時だ。

 それが必要になる状況。

 誰に対して必要になるのか。

 ……何となく、シズハがそれが問えなかった。







 屋敷の前。

 先ほどとの違いは手に持つ、独特の片刃の長剣だけと言うキリコと、同じようにロングソードを持つヴィーが向かい合う。


 イルノリアがおろおろと二人を見ていた。

 シズハに視線が向く。

 どういう事なのか彼女は分からないらしい。

 動揺するイルノリアの首を抱いて、軽く撫でた。


 アルタットはその横、大人しく座ってキリコとヴィーを見ていた。



「預かっててー」


 ヴィーが鞘をこちらに放り投げてきた。

 イルノリアの首を抱いていて手を離し、足元に落ちた鞘を拾い上げる。


 剣を持つ構え。

 ヴィーの構えはまったくなってない。

 剣ならば母に基本は一通り叩き込まれた。様々な流派の構えは頭の中に入っている。

 しかし、ヴィーは右手に持った剣をだらりと下げているだけだった。


 構えではない。

 剣を持っているだけだ。


 右手に剣――いや、刀を構えたキリコは目を細める。

 不審の表情。


「アルタット様」

「なぁに」

「剣は苦手ですか」

「苦手、って言われたら、まぁ、苦手だねぇ」

「得意な武器をお持ち頂いても結構です。飛び道具でも、槍でも」

「そっちも苦手だから、別にいいよぉ」


 キリコは何も言わず、ただ刀を構えた。

 脇に。

 刃を隠すように、構えた。



「――宜しいのですか?」

「いいよー」

「では」


 失礼致します。


 声と同時にキリコの姿が消える。

 踏み込み、と気付くのは、消えたその姿がヴィーの間際に現れた時。


「――と」


 ヴィーが軽く仰け反った。

 その顔のすぐ先に、光が散り、消える。


 踏み込んだそのまま、刃を大きく振り上げたのだ。

 顔を、喉を狙う一撃。


 何の構えもなく、ヴィーは刃を横に振るう。

 姿勢が悪い。

 キリコは後方に引き、避ける。

 ヴィーが姿勢を戻す前に、踏み込む。

 切りかかる。

 

 当たる。


 切り裂かれる。


 しかし、ヴィーには当たらない。

 ほんの少し。

 ほんの、紙一重。

 その距離を、避けたのだ。


 キリコの踏み込み、斬り――連撃。


 当たらない。

 髪の毛一筋。

 それぐらいの距離とすら思える。


 ヴィーは避ける。

 一歩、引く。横に、ずらす。時には剣を振るい、距離を開く。




 キリコは引いた。

 刀を脇に構えた母の表情を、今更ながら、シズハは見た。


 顔が赤く染まっている。

 その顔に浮かんでいるのは、怒りの、表情。

 今にも感情の高ぶりで泣き出しそうな顔で、キリコが叫んだ。


「本気で戦う気は無いのですかっ!!」


 ヴィーは足元に視線を落としたまま、左手で頭を掻いた。

 参ったなぁ、の呟きが此処まで聞こえた。


 息は切れてない。

 息が切れているのは、キリコの方だ。


 荒れた呼吸でキリコが叫ぶ。


「貴方は私に攻撃を一度も仕掛けていません。それで勝てると思っているのですか!」

「体力は有限だしぃ。倒れてくれたら、俺の勝ちぃーでいいかなぁーと思ってぇ」

「ふざけないで下さいっ!」

「ふざけてないよぉ。――シズハに、おかーさんを殺さないで欲しいって言われてるから、頑張ってるんだよ、コレでも」


 キリコはもう言葉にならない。

 睨み付ける瞳。怒りに染まったその瞳から、堪えきれなかった涙が零れる。


「このような侮辱、初めて受けました」

「侮辱しているつもりは無いんだけどねぇ」

「なら、どうして一度も私を見ないのですか!」

「うーんと」


 ヴィーはキリコに視線を向けない。

 キリコの足元。ぎりぎりぐらいを、見ている。


「猫って出会い頭、目を合わせないの、知ってる? 本気の喧嘩になっちゃうから、目は絶対に合わせないの。――それが、ルール」

「喧嘩……?」



 低く呟いて、キリコが構えた。

 目が、本気だ。


 本気で、ヴィーを殺す気だ。


「――おかーさん」


 ヴィーが宥める声で言う。

 その瞳はようやく、キリコを見ていた。


「ホンキは嫌だよー。ホンキで来られたら、ホンキで返さないと駄目になっちゃうから」

「本気でどうぞ」


 低い声だ。


 恐らく。

 今のキリコの脳内にはシズハの事は無い。

 目の前の相手を倒す。

 それだけしか脳内に無い。


「か――」


 母さん、と。

 呼んで、その動きを止めようとした。


 しかし、シズハの声は途中で止まる。

 イルノリアが空を見上げた。

 高い、金属の声で鳴く。

 甘えるような声だった。

 シズハ以外の相手に対し、イルノリアがこんな声を出すのは珍しい。



 羽音。

 巨大な、空気を叩く音。



「――……」


 誰もが空を見上げた。

 見上げるまでもなく、足元に巨大な陰が既に落ちていたのだが。


 空には一匹の飛竜。

 巨大な翼をゆっくりと羽ばたかせ、この場に舞い降りようとする飛竜。


 金色の体躯を持つその飛竜は、片腕が存在しなかった。


「――コーネリア……」



 シズハは思わず呟く。

 イルノリアは母代わりの金竜を前に嬉しそうに鳴いていた。



 金竜――いや、コーネリアが降り立つ。

 金色の翼を一度大きく広げ、それから畳んだ。身体を軽く地面に伏せる。


 背から、シズハにとって懐かしい人物が飛び降りる。


 父さん、と呼びかけて――口を閉ざした。



 テオドールは周囲を見回す。

 キリコとヴィーの姿を認め、少しだけ表情を険しくしたが、それでも二人に怪我が無いのに気付いたのだろう。

 表情を緩める。


「間に合ったか」


 呟きが此処まで聞こえた。



「……随分早いご到着ですこと」


 キリコが恨みがましい目で夫に向かって声を放つ。


「私が幾らお願い申し上げても、忙しければ帰宅が一週間も二週間も遅れますのに――シズハが帰って来た、の一言でこのお早いお帰りなのですか?」

「い、いや」


 妻の視線に慌てたようにテオドールが弁解を始める。


「丁度、この近くに来ていてだな。伝言を貰って、そちらから此処に寄っただけであって――」


 伝言、の言葉に思い出す。

 先ほどの街。

 魔術によって伝言を飛ばすサービスをしている店があった。

 キリコの用事とはこれだったのだろうか。


「まぁ、宜しいです。――丁度良い所にいらっしゃいました。この勝負の見届人になって下さい」

「キリコ」


 宥めるように、ゆっくりとテオドールは妻の名を呼ぶ。


「私は、だな。お前の事だからまたそういう力ずくの解決方法を選ぶのではないかと思って来たのだぞ」



 キリコ、と名を呼んで、テオドールは手を差し出す。


「刀を寄越しなさい」

「……嫌です」

「キリコ」

「このような侮辱を受けて、私は生きていられません」

「――おかーさん、ごめーん。これが俺の戦い方って事で、お願いだから許してよー」


 ヴィーが口を挟む。

 その軽い口調に、テオドールは苦笑。


 キリコは夫の顔を見上げた。


「私は本気で挑みました。手加減などしておりません。なのに、それを喧嘩と……本気ではないと……」


 キリコの顔が歪む。

 涙は止まらない。頬を伝っていく。


 嗚咽。


「キリコ」


 力が入って白くなった指を一本ずつ解き、手から刀を外す。

 キリコは抗わなかった。

 ただ、駄々を捏ねるように首を左右に緩く振った。

 それも、テオドールの片手に頭を撫でられ、そして抱き寄せられ、止まった。


「――シズハ」

「はい!」


 父に呼ばれて、返事を返す。

 テオドールはキリコの刀を差し出した。


「持っていてくれ」

「はい」


 刀を受け取る。


 ようやく両手が自由になったテオドールは、子供のように泣き続ける妻をあやすように抱き締めた。


「わたし……くやしい、です」

「そうか」

「負けるどころか……相手にも……ならなかったなんて……」


 テオドールは少しだけ笑ってキリコの黒髪を撫で梳いた。


 キリコが泣き止むまで誰も動けなさそうだった。



「――で?」



 いや、一人、例外が居た。

 ヴィーは軽く首を傾げて、テオドールとキリコに話しかける。


「勝負は俺の勝ちでいい?」

「……いいだろう、キリコ?」


 キリコはテオドールの腕の中、黙って首を縦に振った。


「と、言う事だ。――所で、この勝負の勝利者は何を得る?」

「シズハ」

「……………」

「ち、違います、父さん! 何でそんな複雑そうな顔をしてるんですか!」


 久しぶりの再会だと言うのに、感動も何も無い。


 シズハは言葉を続ける。

 説明。

 キリコとの再会。

 アルタットとの旅を止められた事。

 そして、この勝負。


「――話はよく分かった」


 キリコの肩を軽く叩いて、腕を離す。

 目元を真っ赤にしたキリコは、いまだ目元を指で擦っていた。

 テオドールの横に居る彼女は、まるで子供のように見える。


「おとーさんも、止める?」

「いや。シズハの決断に任せよう」

「良かったぁ。もう一試合って言ったら、俺ぇ、バテバテだよ」



「しかし」


 テオドールが瞳を細める。

 明るい茶色の瞳が、まるで金色に見えた。

 彼の背後に従う、コーネリアの瞳と同じ色。


「……アルタット殿、その姿は、一体?」



 テオドールが真っ直ぐに視線を向けているのはシズハの横、黒猫のアルタットだった。

 みゃう、とアルタットが鳴く。

 人間だったら肩を竦めていたかもしれない。

 そういう、鳴き方だった。


 猫の言葉でしか答えられないアルタットに代わり、ヴィーが笑って言葉を返した。


「まぁ、色々あってねぇ」

「……」


 テオドールがヴィーを見る。

 口元。顎を撫でるように手を置いた。

 細められた瞳。

 ヴィーが笑った。


「竜眼でもよく見えないでしょー?」

「……あぁ。貴方は――」

「ヴィー。そう、名乗ってるよ」

「了解した」



 キリコがそっとテオドールの袖を引いた。



「あの……?」

「ん?」

「アルタット様は、こちらでしょう?」


 ヴィーを示す。


 シズハとテオドールは思わず顔を見合わせる。


「その、だなぁ」

「その、ですね」


 男二人、迷う。


「この青年は、アルタット殿ではない」

「この黒猫が、アルタット殿です」


 キリコは沈黙。

 黒猫をまじまじと見て、それから、今度はヴィーを見る。


 ヴィーは満面の笑み。


「中身入れ替わってるんだよー」



 キリコが見て分かるほどよろめいた。

 テオドールに支えられ、彼の腕の中、頭を抱えている。


「わ、私は勇者ではなく、猫に負けたのですか。猫に、ねこに、ねこ――」

「キリコ落ち着け、落ち着くんだ」

「う、ぅうう……」


 ――コーネリアは人から視線を逸らし、高い声を上げて自己主張する銀竜に目を向ける。


 おいで、と、小さく鳴く。

 呼び声に反応して、まだまだ幼い銀竜はすぐに寄ってきた。

 顔を寄せてその体調に変わりが無いのに安堵する。


 人間たちはまだまだ騒がしい。

 それを他所に、二匹の飛竜は意外と平和そうな顔をして、再会を喜んでいた。


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