第10話3章・現在、死竜編



【3】





 途中、ミカを追い越し、走り続ける。

 泥棒の足は思ったより早い。

 アルタットが一番先頭を走っているが、その彼でも僅かに追いつけない。

 むしろ、追いつかないようにしているのかもしれない。

 猫が人間を倒す。そんな目立つ結果を迎えないように、と。


 シズハは速度を上げる。


 泥棒が乱暴に人を押しのけて走り続ける。

 小柄な老女が押され、地面に倒れた。


 その男の前に、食料品店から出てきた男女の二人連れが現れた。


「退け!!!」


 怒声に小太りの男はすぐさま背後に引いた。むしろ、地面に転がっている。

 女は動かない。驚いたのか、手に持っていた食料品の入った紙袋を地面に落す。


 それでも、動かない。


 細身の若い女だ。

 長身ではあるが、戦えるとは到底思えない体躯。先ほどの老女と同じように簡単に押し倒されるだろう。


「――……」


 シズハの足が止まる。


 泥棒が女を押しのける。


 いや、押しのける為に伸ばした泥棒の腕を取り、女は身を引いた。

 泥棒の体勢が崩れる。


 無様に背を向けた泥棒の首筋に、女は肘を入れた。


 急所への一撃。

 足を止めたシズハの位置まで聞こえる程の悲鳴をひとつ。泥棒はずるずると崩れ落ちる。


「――はぁ、はぁ、わたし、の、ほうせ……」


 ようやく追いついたミカの前で、女は地面に落ちた布袋を拾い上げた。

 真っ直ぐにこちらを見て、何かを確認したかのような表情を浮かべる。


 そして、ゆっくりと歩き出した。

 こちらへ向かってくる。


「貴方の物ですか」

「は、はい、そうです」

「ご確認下さい」


 ミカの手に、女は袋を渡す。


「あ、有難うございますぅ。良かったぁ、前の稼ぎがすっからかんになるとこだったよぉ」


 宝石の入った袋を胸に抱いてミカはぼろぼろと泣いている。


 ミカに少しだけ微笑み掛け、女はシズハに向き直った。


 長い黒髪を馬の尾のように結い上げた髪型。異国の花を象った髪飾りをひとつ、結び目に結わえ付けている。

 それ以外の装飾品は見当たらない。

 それでも女は十分に美しい。

 作り物にすら思えるほど端正な白い顔は、今、少しだけ、笑っている。


 が、うっすらと笑みを浮かべる口元に反し、切れ長の黒い瞳は微塵も笑っていない。


 女は静かに口を開いた。


「珍しい所で会いますね」

「……」


「――あれぇ?」


 ようやく追いついてきたヴィーが、女、そしてシズハの顔を交互に見る。

 とりあえず足元に寄ってきたアルタットの身体を抱き上げ――問い掛けた。


 女を、指で示す。


「シズハのおねーさん?」

「……母です」


 ようやく聞き取れるほどの小さな声に、ヴィーは改めて女を上から下まで見た。

 無遠慮な視線。


「……シズハを2倍ぐらい綺麗にして、5倍ぐらいキツくした感じだねぇ」

「お褒め頂いているのかよく分かりませんが」


 女が笑う。


「容姿を褒めて頂いたと判断致します。――初めまして、息子がお世話になっております」


 緩やかに頭を下げる。


「キリコ、と申します」

「キリコさん、ね。俺は――」

「存じ上げております」


 顔を上げ、ヴィーを見る。


「勇者アルタット様」

「………」


 キリコがもう一度笑った。


「息子がとてもお世話になっているようで。――お会い出来て嬉しいです」


 キリコの瞳は、やはり微塵も笑っていなかった。



「――シズハ」

「はい」

「ワグナーさんの馬車で此処まで来ています。一度、家に帰ってきなさい」

「……」

「アルタット様、宜しいですか?」

「……えーと、うん、いいよー」

「シズハ、許可はおりました」

「……はい」


 息子の答えに満足そうに頷く。


「少し、用事があります。あと30分ほどお待ち下さい」

「はぁい」

「では。後ほど、街の北門で」


 キリコは小太りの男の方へと歩き出した。

 その男には見覚えがあった。先ほど名前が出たワグナーだ。

 彼は村には少ない大型の馬車を持つ人間で、よく頼まれて街まで馬車を出していた。

 


「――シズハぁ」

「……はい」

「おかーさん、幾つ?」

「え?」


 質問が来るとは予測していたが、この質問とは思わなかった。


「どー見てもシズハのおねーさんぐらいにしか見えない。……人間?」

「人間です」


 年齢。


「……40歳には成ってないと思います」

「でも少なくともアルより年上かぁ」


 見えない。

 断言。



「しかも、なにー、あの隙の無さ過ぎる動き」


 アルタットが鳴く。


「アルも頷いてるよ。――どういう人?」

「どういう人と言われても……」


 迷う。


「……少なくとも、俺は一本も取れません」

「一本、って」

「剣です」

「……………シズハって騎士団に普通に試験パスして入ったんだよね?」

「はい」

「武術試験も受けた?」

「はい。合格しました」

「……入団試験合格者に一本も取らせない主婦ってどうかと思う」

「ですが、父も三本に一本ぐらいしか取れませんし」

「…………………御免、竜騎士団団長に勝ち越す主婦って本当にどうかと思うんだけどー」


 困ったなぁ、とヴィーは頭を掻いた。


「しかも凄い敵意感じたよー。やだなー、面倒の予感がするー」

「申し訳ありません……」

「シズハは悪くない……とは言い切れないけど、まぁ、悪くないよ、きっと」

「………」

「泣かない泣かないー」



「――あのー、取り込み中悪いんですけど」


 横からひょっこりとミカが顔を出す。

 どうやら泣き止んだようだ。


「何だか泥棒さんの件で書類書くらしいんで、騎士団の分署まで行って来ます」


 見れば、この街の警備を行っている騎士らしい人間が泥棒に縄を掛けている所だ。

 ちなみに泥棒はまだ悶絶中。


「シズハさんにも、シズハさんのおかーさんにもお世話になっちゃましたね。今度、何かお礼します」

「お礼なんて」

「今度、素敵な武器でもお贈りしますねー!」


 騎士がこちらに歩いてくる。

 鎧の紋章はゴルティアのものだ。この辺りはシルスティンの領土だが、人員不足の為、ゴルティアが管理をしている。


「それじゃあ、また会いましょう! シズハさん」

「はい」

「さようなら」


 ミカは笑顔で手を振って騎士の場所へと小走りで向かっていく。


 こけた。


 顔から。


 騎士に助け起こされているが、距離の離れている此処まで、ミカの泣き声が聞こえてくる。


 騎士に宥められながら歩いてくミカの後姿を眺める。


「……俺たち、先に北門行ってようかぁ」

「……はい」


 何となく、力が抜けた。

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