第10話4章・現在、死竜編




【4】




 街の北側に付いた頃既に馬車もキリコもそこに居た。

 30分と、言うが、そこまで時間が掛からなかったらしい。

 一方、ヴィーたちは不慣れな街で多少、手間取ったのは事実。

 シズハの記憶もかなり曖昧だった。



 シズハの合図でイルノリアが舞い降りる。

 キリコの姿を見かけ、イルノリアも少しばかり不思議そうな顔をしていた。


 シズハがイルノリアに命じている声を聞く。

 家に帰るから空を付いてくるように、との指示だ。

 イルノリアは高い金属の声で鳴く。

 恐らく、同意の声だろう。



 ワグナーの馬車は大型のもので、乗り心地自体は悪くなかった。

 馬は二頭立て。


「昔はどっかのお貴族さんが使っていたみたいだよ」


 と、赤ら顔をにこにこさせて、ワグナーは装飾がすっかり古ぼけてしまった馬車を撫でた。

 繋がれている馬は普段は農作業に使っているらしい。それが一目で分かる手足の太さ。


 ワグナーは何よりもシズハに会えた事を喜んでいた。

 大きくなった、と何度も繰り返す。


「もう、五年ぐらいお会いしてませんでした」


 説明するように、ヴィーに向けてそう口にするシズハも、何とはなしに懐かしそうである。


 で。



 その人の良さそうなワグナーが御者台に座ってしまうと、中は恐ろしいほどの沈黙に満たされた。


 座席がふたつ向かい合うタイプの馬車。

 キリコは背筋を伸ばし、真っ直ぐにこちらを見ている。

 ひたすらにヴィーは居心地が悪い。


 しかもキリコは何も言わない。

 

 シズハも母の顔を見るものの何も言わなかった。


 どういう親子なのだろう。


 ヴィーは思わずキリコを観察する。

 綺麗な女だ。

 綺麗、と。その言葉がよく似合う。

 ただし、冷た過ぎる。

 表情が表に出ていない。


 シズハと血縁だと言うのはよく分かる。

 二人はよく似ているが――此処まで印象が違うと、少々。


「……面白いなぁ」

「……何がでしょうか」


 キリコが口を開く。

 黒い瞳は細い。


 ヴィーは慌てて首を左右に振った。


「何でもないよ、おかーさん」

「そうですか」


 キリコは口を閉ざす。

 

 ヴィーは曖昧に笑って横へ――馬車の窓へと視線を向ける。


 小さな窓から覗く景色。

 思ったより早く流れている。

 馬車で2時間と言っていたが、もう少し、早く到着するかもしれない。


 そんな事を考えながら、もう一度、キリコを思い出す。


 癖の無い黒髪に黒い瞳。そして、その名前の響きから、恐らく東のコウ国の出身だと推測出来る。

 

 ――だからなのかな。


 今度こそ、心の中で呟いた。



「――母さん」



 シズハがゆっくりと声を出す。

 母を呼ぶと言うには、恐る恐るの声だった。


「何か」

「手紙は、届きましたか」

「えぇ」


 頷く。


「先日、お父さんもご覧になりました」

「………」

「このお話は後で」


 そちらを見なくとも、キリコの視線がヴィーに向かったのが分かる。


「家族の話ですので」



 後はもう、終わりまで沈黙だった。





 シズハの生まれ故郷の村は驚くほど小さな村だった。

 時間的にはまだ昼間。この規模の村ならば、殆どの村人は仕事中だろう。それにしても、村の中、歩く人々の数も想像よりずっと少ない。


 ワグナーとは村の入り口で別れた。


「――家は村の奥になります」


 ご案内致します、と、キリコは背筋を伸ばして歩き出す。

 普段から良い姿勢が身についているのだろう、と、揺れる黒髪を見つつ思う。


 歩く一歩。それでさえ隙が無いと言うのは、本当にどういう女なのだろうか。


 たまに通りかかる村人たちと挨拶を交わす。

 シズハに対しての言葉は久しぶりと大きくなったと、そんな内容ばかり。


「――ずっと、帰ってきてなかったんです」


 苦笑交じりにシズハが言う。


「そうですね」


 キリコが応じる。


「シルスティンに行ってから一度も里帰りしないなんて」

「……御免なさい」

「いいえ」


 シズハを見ずにキリコが言う。


「もういいのです」


 淡々とした声だった。





 村の最奥。

 こんな小さな村に建っているとは思えぬ規模の家――いや、屋敷が現れる。


 古い建物だ。


 羽音。


 家の前、開けた場所にゆっくりとイルノリアが舞い降りる。

 翼を畳み、シズハに向けて首を傾げた。

 何処へ行けばいい、と問うているように見えた。


「竜舎へ」


 キリコの声。


「いつでも使えるように手入れしてあります」


 勿論、イルノリアの場所も。

 その言葉に、シズハは少し驚いたようにキリコを見る。

 彼女は既にシズハを見ていない。

 屋敷の入り口へと歩き出している。


 入り口でキリコはこちらを向き直る。


「勇者様をお招きする準備が何も出来ておりません。そのような家ではございますが、どうぞごゆっくりお寛ぎ下さいませ」


 どうぞ、の声と共に厚みのある扉を開く。

 キリコは家の中へと入っていく。


 シズハはイルノリアの耳に何事か囁いた。

 恐らく、待っているように、との指示だろう。

 そして、彼はキリコの後を追う事を選んだ。



 キリコの案内に従って家を歩く。

 部屋数は多いようだが、どうやら使ってない部屋もあるようだ。

 通されたのは応接間らしい一室。


「少々こちらでお待ち下さい」


 キリコは一礼し、奥へと引っ込む。

 シズハは入り口間際で立ったまま、母とヴィーを交互に見る。

 みゃあ、と、アルタットが一声鳴いた。


「申し訳ありません、失礼します」


 頭を下げて、シズハはキリコの後を追った。


「……」


 置いていかれて。


 ソファに腰掛けようか迷い――アルタットの動きに気付いた。

 キリコの消えた側のドアを、爪を出さぬようにかりかりと引っかいている。


「……行きたいの?」


 にゃー、と素直な返事。

 


「………」


 ちょっとだけ考えて、そっとドアを開き、足音を忍ばせ、歩き出した。

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