第10話 現在、死竜編

第10話1章・現在、死竜編。


【1】




「――一応ねぇ」


 前を歩くヴィーは相変わらずのんびりとした口調で口を開く。


「前の街で情報屋に話聞いたんだけど、冥王復活なんて寝耳に水だったみたい。そんな情報、なーんも入ってないって」


 肩の上に器用に座っているアルタットを横目で見る。

 みゃあん、と、長い尾っぽを軽く振って猫の声で返事。


 通りかかった幼い少女が、男の肩の上に乗っている黒猫を見て、目をまん丸にしている。

 横を通り過ぎても振り返りつつ、まじまじと見ていた。

 母親らしい女性が手を引いて、少女を前に向かせる。


 アルタットがもう一度、みゃん、と鳴いた。


「魔物の動きは確かに活発化してるけど、毎度の事の範囲だって言うしねぇ。あのお化けサソリが例外って可能性もあるけどー、やっぱりさぁ、アルの傍で魔物が活性化、って何か関係あるような気がしない?」


 だから、と、ヴィーはこちらを見て言葉を続けた。


「知り合いに、隠居しちゃってるけど凄腕の魔導士がいるんだよ。結構なおじいちゃんだけど、死んじゃったって話も聞かないしー、彼に会いに行ってみようと思ってさー」


「魔力的な動きがあったら、そのおじいちゃんなら絶対分かる筈だからさ」


 そこでヴィーは目を細めた。

 少々呆れ気味な顔。


「ねぇ、シズハぁ。……俺の話、聞いてる?」

「え?」


 名を呼ばれてようやく気付いたように、きょろきょろと辺りを見回してシズハが顔を上げる。

 その動きは心底驚いたように見えた。


「え、ええと――な、何のお話だったでしょうか」

「シズハぁ」

 

 ヴィーは足を止める。人の流れはあるものの、邪魔になる程度ではない。


 片手を腰に当て、ヴィーは呆れたような表情を浮かべる。


「どーしたのぉ? ぼーっとしちゃって」


 いいや、と、自分の言葉を否定。


「ううん、きょろきょろしちゃって。……何かお探し?」

「い、いえ」


 シズハは俯く。

 あからさまにいつもと違う。

 怯えている……と言うか、不安そうな。


「……?」


 ヴィーとアルタットは顔を見合わせる。



「どうしたの?」

「………」

「はいはい、黙ってても分からないよー? 説明は?」

「……そ、その」


 小さな声。


「こ、この街、何度か来た事があって」


 しかし懐かしくて見回していた様子ではない。

 

 シズハもこの説明程度ではヴィーが納得するとは思ってないようだ。暫し不明瞭な声を出し、やがて、相変わらず小さな声で、言った。


「……実家が、近く、なんです。な、なので、少し思い出していて――」

「じゃあ、今晩はシズハの家に泊まっちゃおうかー」

「だ、駄目です!!」


 シズハには珍しい大声。

 周囲の人間が振り返り、何事かと見るほどの声だ。

 シズハは真っ赤になって、誰ともなしに「すいません」と謝っていた。

 ヴィーは平然と首を傾げる。


「どうして?」

「俺の家、此処から馬車で二時間ぐらい掛かってしまうのです。ですので、ちょっと……」

「徒歩だと今日中には行き着けないねぇ。真夜中にお邪魔ーってのも厄介だし」

「そ、そうですよ」


 あからさまにほっとした顔。


 ふん、と、ヴィーは何か納得したような声を出した。


「ねぇ、シズハ」

「はい」


 恐る恐るの声。

 だが、ヴィーはそれに遠慮などしない。


「何隠し事してるの?」

「……っ」


 言い当てられたからと言って、誰が見たって分かるほど動揺しなくとも良いのに。

 シズハの感情が手に取るように分かる。


 肩の上でアルタットが小さく鳴いた。

 あまり苛めるな、と言うらしい。

 そうは言うものの積極的に止めようとしない。

 アルタット自身も気になっているようだ。

 シズハの、この動揺の意味。


 シズハの片割れ、イルノリアの姿は無い。

 街に入る際に隠れているようにと指示してある。

 

 しかし、竜が傍に居ない竜騎士ほど不安定なものはない。

 竜と竜騎士を引き離すと、三日で発狂すると言うが、本当の事なのだろうか。

 ヴィーの記憶の中には正解は無い。

 まぁ、試そうとも思わないが。



 考えるヴィーの前で、シズハはまだ暫く迷った。

 それでも、覚悟を決めたような表情で、俯かせていた顔を上げる。

 

 真っ直ぐにヴィーを見る。


「母がよくこの街に買い物に来ていたのです」


 もしかして街の中に居るのではと周囲を見回していたらしい。


「……母に、まだ、会う覚悟が付いてなくて」

「おかーさんに会うのに覚悟がいるの?」

「俺……」


 視線、俯く。


「竜騎士団を、親に何の相談もなく、辞めてきたのです」

「竜騎士団辞めたら怒られるの?」

「怒りはしないと思います」


 ただ。


「……哀しむと思います」

「ふぅん」


 ヴィーは手を伸ばす。

 俯いたままのシズハの頭に手を置いた。


 驚いて顔を上げるシズハの頭を、ぽんぽん、と叩いた。

 見上げてくる黒い瞳が少しだけ泣きそうな色をしているのに、笑う。


「ほらほら、すぐに泣く癖はもう止めるー」

「は、はい」


 目元を押さえるシズハに満足そうに頷き、撫でていた頭を離す。


「なーんもお話してないの?」

「手紙は書きました。……俺が、もう竜騎士団に居られない理由も含めて、全部、書きました」

「あの話を聞いて、騎士団辞めたの怒ったり哀しんだりする親は居ないと思うけどなぁ」

「……そうでしょうか」

「シズハ、騎士団とか向かないタイプだと思うしねぇ。親御さんも分かっていたと思うよ、きっと」

「………」

「竜騎士としては良い竜騎士だと思うよ」


 ヴィーが口元に笑みを与えて言った台詞に、シズハは小さな声を上げた。

 その顔には、不安と期待の入り混じった、不思議な表情が浮かぶ。


「そ、そうでしょうか」

「竜の心を知る竜騎士が良い竜騎士だよ」


 もう一度笑って、ヴィーはシズハに背を向ける。


「騎士団なんかに居なくとも竜騎士にはじゅーぶん成れるんだから、いいんじゃない?」


 歩き出したヴィーの背後を、シズハが追ってくる気配。

 それを感じて少しだけ笑みを強める。


 肩の上でアルタットが鳴いた。

 何だか微妙な声。


「……俺は正直だから、本当の事しか言わないよぉ」


 ホントにシズハは良い竜騎士だと思ってる。


 みゃん、と声。

 ならいい、と、そういう事か。


 シズハが横に並んだ。

 そちらを見ずにヴィーは口を開く。


「時間、無い訳じゃないから、シズハの家に行こうよ」

「……は、はい」

「おとーさんとおかーさんに、お話しておいで?」


 そちらを見る。


「俺たちも一緒に行ってあげるからさぁ」

「……」


 シズハが見上げる。


 その顔が、笑う。


「はい!」

「イイ返事」


 あ、と、シズハが声を上げた。


「母は多分家に居ると思いますが、父は恐らく……居ないと思います」

「ふん?」

「普段はゴルティアに居るので」

「ゴルティア国内?」

「いえ、首都に」

「単身赴任?」

「そんな感じです」


 シズハが曖昧に笑った。


 何だか説明が難しそうなので一言で纏めた、と言う感じだった。

 特に隠している様子は無い。

 ならば後でゆっくり聞けば良いか。


 そう思ったヴィーの目の前。


 真横の店のドアが勢い良く開き、人が転がり出てきた。


「――いったぁーい!!」


 黒コートの女は、どうやら店から叩き出されたようだ。

 道に座り込んだまま、打った身体を撫でつつ、入り口に立つ店の主人に向けて怒鳴りかかる。


「私は本当の事を言っただけじゃないですか!! あんな粗悪品をラキス製品と言われちゃあ、ラキス国民として頭に来ただけですよ――って、きゃああっ!!」


 女は頭から水を掛けられた。


「ひ――ひっどぉおおおおいい!!! 何するんですかぁ!!」

「これ以上騒ぐなら次は熱湯を掛ける」

「……う」


 店主にそう宣言されて、女が黙る。


 女はよろよろと立ち上がった。

 それを認め、店主はドアを乱暴に閉めた。


「いーだ!」


 女はあかんべぇと舌を出している。

 年齢はシズハよりも少し上程度だろう。白いと言うよりも青ざめた肌と、灰色の髪。

 そして、何よりも目立つのは、真紅の瞳だ。


「……」


 女の先ほどの台詞を思い出す。


 ラキス国民。女はそう言った。

 魔術都市の別名を持つ、西方に位置する小国だ。

 国民の殆どが魔術の才能を持って生まれるが、その殆どが魔導士にならない国。


 彼らは主に魔化士になる。

 魔力を用いて、道具や武器、防具を作成する者たちだ。


 そして、ラキスの民は――



「……あれ」



 思考するヴィーの横で、シズハがきょとんとした声を上げた。


 シズハの声に反応して女も顔を上げる。

 びしょびしょのマントの裾を絞っていた女は、シズハと同じようにきょとんとした顔をしていた。


 しかし、次の瞬間、破顔。


「うわー!!!!! この前の素敵な剣を持っていたおにーさんだぁあ!!!!」


 女は凄い勢いでシズハの首に抱きついた。


「会いたかったですよぉ、会いたかったんですよ!!」


 このままシズハにキスでもしそうな勢いで頬ずりしている。

 シズハはとりあえずは抱きとめたものの、激しく困惑していた。


「あ、あの」

「はい?」

「……びしょ濡れのままで抱き付かないで頂けますか?」


 シズハがようやくと言う様子で声を出した。


 ヴィーは横目でアルタットを見た。

 アルタットは尻尾をゆっくりと動かしている。

 彼女の正体に気付いたようだ。


 警戒はしていない。

 敵意は無い、と言う事か。


 女は「えへへへへ」と笑いながらシズハから離れ、水が滴るマントを搾り出した。



「……シズハぁ、変わった知り合い、居るんだねぇ」


 女を示す。


「紹介、してくれない?」

「……ええと」


 女とシズハが顔を見合わせる。


「名前、知りません」

「私も知りません」

「…………」


 どういう知り合いだ。

 突っ込みたい気持ちをぐっと抑え、ヴィーはとりあえずの提案をしてみる。


「じゃあ、まず自己紹介からはじめようか?」

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