第9話5章・現在。それぞれの物語。
■現在編2■
【1・ヴィーとシズハ】
「…………」
宿屋の一室。
随分と日の高い時間からこの部屋に入った。
次の街まで移動するには少々距離が有り過ぎる。移動中に野営と言う事になるだろう。
ベッドで寝たいと言うヴィーの言葉もあり、この街で一時休止となったのだ。
明日の朝出発。
それまで随分と時間がある。
そして――
日当たりの良いベッドの上。
黒猫が丸くなって寝ている。
シズハは黙ってベッドを見下ろしている。
やがて彼は恐る恐るの様子でベッドの端に腰掛けた。
ふみゃん、と、曖昧な声で鳴いて、黒猫がごろんと腹を見せた。
「……こうして見ると、中身がアルタット殿は思えません……」
「だって身体の本能には抗えないんだよー」
同室のベッドに寝転んで、にこにこ顔のヴィー。
「幾ら頑張って行動しても、アルの今の身体は猫だからぁ。一日の半分ぐらいは寝て過ごすんだよ。それを我慢してるんだから、本当は大変なんだよー」
「……そうなのですか」
シズハは迷いの表情を見せる。
うずうずしているらしい。
こっちも本能に逆らえない。
「あ、あの!」
「触ってもいいと思うよ」
ヴィーは悪魔の笑みで答える。
彼の言葉にシズハは笑顔。
嬉しそうに手を伸ばした。
猫の喉の下。
撫でると言うよりも少しだけ強い力で、そこを掻く。
ごろごろ。
「……あ」
嬉しそうなシズハ。
アルタットも気持ち良さそうだ。
半分寝惚けているらしいが、ごろごろ言っている。
猫の身体は正直だ。
気持ち良ければ反応する。
ヴィーはにやにやと笑った。
「もっとしても大丈夫だよー」
「……もっと?」
「抱っこしちゃえ」
シズハは一瞬迷ったようだ。
が、迷いは一瞬。
黒猫――いや、アルタットの小さな身体を抱き上げ、ぎゅ、と胸に抱いた。
ふみゃん? と、アルタットが目を覚ます。
咄嗟に自分の状況に気付けなかったようだ。
酷く狼狽した様子でシズハの顔を見上げる。
シズハは笑顔だ。
「柔らかい」
ふみゃあああああ、と、アルタットが凄い声を上げる。
半眼。
その半眼は、ヴィーに向けられている。
何で止めてくれなかった、と視線が言っている。
シズハが勝手にこんな行動を行う訳が無い。ヴィーが絶対に一枚噛んでいると判断したらしい。
ヴィーはベッドの上で足をばたばたさせて爆笑していた。
「アルー、凄い顔してるよぉ」
「……あ、申し訳ありません、アルタット殿」
みゃみゃみゃん!
慌てて鳴く声。
シズハには大丈夫だと訴えているらしい。
ただ、下ろして欲しいのは事実らしいが。
「喉を撫でてって言ってるよー」
「こ、こうですか」
みゃみゃみゃー!!!
ヴィーに対して怒ってる――が、その声は霧散。
喉を撫でられたのだ。
ごろごろろごろごろ。
物凄い複雑な顔をしているが、気持ちよいのには逆らえないらしい。
「……可愛いな」
シズハが感動したような声で呟いた。
アルタットは非常に不満そうな声で鳴いた。
既にヴィーは爆笑を堪えきれない。
腹を抱えて二人に背を向けた。
「あー、もう、お腹痛いよぉ」
背を向けたまま、手をひらひらと。
「笑い過ぎて疲れちゃったから寝るー。オヤスミー」
「はい、おやすみなさい」
シャア! と甲高い悲鳴。
ヴィー! と怒鳴っているらしいが、無視。
どんな敵にも負けず屈せずの無敵の勇者が、たった一人の人間の手に好きにされている図なんて滅多に無い。
これも良い経験だよ、と、ヴィーは頭から毛布を被って目を閉じた。
【2・アルタットとシズハ】
ヴィーは本気で眠ってしまったらしい。
アルタットは本気で困っていた。
シズハの抱き方は慣れている。猫にとって非常に居心地の良い抱き方。
悪くないのだが――いや、悪くないと思っている事態が、非常に悪い。
もう死ぬまで人には戻らないつもりではあるが、こうやって猫の心地良さを理解するのは少々、戸惑う。
低く小さく鳴いたまま、どうすればいいのか、本気で困る。
シズハが笑う気配。
そっと、身体がベッドの上に解放された。
アルタットはシズハの顔を見上げる。
シズハは笑っていた。
「有難うございます」
何の礼だろう。
自分の両手を見せて、再度笑う、シズハ。
「本当に猫なのですね」
抱かせてもらったお礼か。
こういう時はどんな言葉を返すべきなのだろう。
分からず、黙って座った。
くるりと長い尻尾を身体に巻く。
「あの――」
シズハは僅かに瞳を伏せた後にそう切り出した。
「突然なのですが――ひとつ、言わせて頂いて宜しいですか」
何だろう?
シズハは少しだけ笑う。
恥ずかしそうな表情だ。
「貴方に会えて、嬉しいです」
突然の言葉に戸惑う。
「そ、その――子供の時も、今も、アルタット殿に会えて、嬉しいです」
「いつか機会があったらちゃんと言おうと思っていて――その、今お伝えするのは少し変ですが……言わせて下さい」
シズハは自分の言葉に照れているようだ。
「貴方は俺にとって一番の憧れの人です」
アルタットは小さく鳴いた。
思わず漏れてしまった声だった。
面と向かってこんな事を言われるのは、正直、初めてだったりする。
猫でなければこちらも照れていただろう。
にゃう、と小さく鳴いて、尻尾でベッドをぱたぱた叩く。
「そ――その、あの、イルノリアの様子を見てきます。し、失礼します!」
シズハは突然立ち上がる。
そのまま部屋の外へと駆け出してしまった。
彼の愛竜、イルノリアは宿に入れないので、少し離れた場所に隠れているように伝えてある。
そこへ向かったらしい。
むしろ、照れて此処に居られなかったのだろう。
――くくく、と、押し殺した笑い声。
声は、ヴィーが眠るベッドから聞こえた。
【3・アルタットとヴィー】
アルタットは低く鳴いた。
ヴィー、と呼び掛け。
「――御免、ごめん」
ゆっくりと身体を起こす。
ベッドの上に座り、こちらを見る。
昔は自分の身体だったその顔は、猫よりも猫らしく笑っていた。
「何だか可愛らしい告白してるからさぁ、邪魔しちゃ悪いと思って」
告白とは何だ。
「だって、シズハにとっちゃ告白みたいなもんでしょー? シズハにとっては勇者アルタットは永遠に憧れの人だよ」
その資格が、俺にはあるのか。
「それを判断するのはシズハー。憧れるのは勝手だもの。アルには何の責任も無いよぉ」
ただねぇ、と、ヴィーは笑う。
「シズハの場合、アルが猫の姿になっても憧れの人だって言い切るんだよねぇ」
沈黙で返す。
ねぇ、と、ヴィーが言う。
手を頬から喉、そして胸へと移動させた。
軽く、己の胸を叩く。
「返して欲しくなったら言ってよー? いつでも返すよ、アルの身体」
要らない。
人になど、もうなりたくない。
その身体だって処分して貰ってまったく構わない。
「それは俺が困るよ、アル。俺の魂の行き場所が無くなっちゃうよ」
猫の身体に戻ればいい。
「じゃあ、アルの魂は?」
にや、と笑って、続く言葉。
「シズハが哀しむよ?」
沈黙。
ヴィーは基本的にはアルタットに忠実だ。
アルタットの意思に従い、動く。
目立たぬように生きようとするアルタットに従い、例えどれだけ人に罵られようとも、小さな田舎の村に居たのがその証拠。
基本的には忠実。
だが、時たま、ヴィーはこちらを嫌悪をしているのでは、と疑う瞬間があった。
更に、思う。
嫌悪しているとしたら、それはアルタットと言う個人か。
それとも――勇者と言う存在か。
「アル、ねぇ」
笑う。
「俺はアルの猫だよ。アルがしたいって言う事をしてあげる。世界中の誰が敵に回ったって、俺だけはアルの味方で居てあげるよ」
何度も言われた言葉。
「嘘だって疑うなら勝手にするといいよー。でも、嘘は言ってないよー」
猫は嘘を吐かないから。
それがさも面白い冗談のようにヴィーが笑う。
――ヴィー。
呼び掛け。
「ん?」
お前は、何なんだ?
「だぁかぁらぁ」
間延びした声。
笑う顔。
猫のように、笑う、顔。
「俺はアルの猫だって」
それ以上でもそれ以下でも無いよ。
もうひとつ笑ってベッドに転がる。
「オヤスミー」
ヴィー、なぁ、ヴィー。
ただの猫がどうして俺の望みを叶えられるんだ?
人を辞めたいと言う俺の望みを叶えて、かつ、俺を生かす事が出来るんだ?
なぁ、ヴィー?
ヴィーは答えない。
猫は嘘を吐かない。
確かにそれは真実だろう。
だが、嘘を吐かなくとも沈黙する事は出来る。
丸くなるヴィーの背を見て、そんな事を考えた。
【4・ヴィーと『 』】
丸くなって眠ったフリをする。
アルタットが何やら話しかけてきていたが、無視する事は簡単だ。
やがてアルタットも沈黙。
ごそごそと動く気配。
丸くなって眠るだろう。猫の身体はとてもよく眠る。幾ら勇者の精神力とは言え、身体の本能には抗えない。
さて、これからどうなるのだろう。
考える。
勇者アルタットは猫のまま。
彼に続く勇者は現れない。
ただ、彼に敵対するモノはどうなるか。
現れるだろう、きっと。
魔物たちが動き出すよりも強く感じられるのは、世界を包むような悪意。
人は何故気付かないのか不思議に思うほどの、悪意だ。
いや――彼らは慣れ過ぎているのだろう。
彼らは、常に憎まれ、疎まれ、死を望まれているのだ。
それが当たり前になっているのならば、改めて悪意を感じる必要はない。
しかし、先ほども考えた通り。
勇者アルタットは猫のまま。
彼に続く勇者現れない。
――シズハ。
続いて、思い出す。
面白い存在が現れた。
アルタットを知って、かつ、その過去と思いを知っても、共に在るのを望む。
予定外の存在。完全なる異分子。
ただ今のアルタットには必要なものだ。
彼を純粋に信仰する存在が、必要だ。
シズハはアルタットに依存する。
その依存さえも必要だ。
勇者が、勇者である為に。
――シズハに関してはひとつ……迷う所があるが、まぁ、これは楽観的に観ても良いだろう。
何の問題も無い。
多分。
少しずつ本当に眠くなっていく。
今頃、『彼ら』も眠っているのだろうか。
一千年前からそうしたように。
五百年前にそうしたように。
十年前と同じように。
やがて、目覚めて、そこに至るために。
眠りに落ちる寸前、懐かしい声がした。
――これは、よくある御伽噺。
僅かに笑みを含んだその声が語る物語を、可能ならば最後まで聞きたいと今更ながらヴィーは思うのだ。
【5・イルノリアとシズハ】
幼い頃、シズハはよく本を読んでくれた。
彼が育っていた村には学校が無くて、元神官だと言う老女が子供たちを集めて読み書きを教えてくれていた。
シズハは何故か同年代の子と一緒に居るのが苦手らしく、老女の元へ行くのを嫌がった。
結論、シズハの母であるキリコが、殆どの教育を施した。
教科書代わりの本。
キリコが読んでくれたのを真似するように、イルノリア相手に本を読んでくれた。
幼い頃のイルノリアは大きな犬ぐらいのサイズで、よくシズハの家に上がりこんでいた。
同じベッドに潜り込んだ。
薄い灯りの下、シズハが本を読むのを聞いていた。
文字も覚えた。
物語も幾つも覚えた。
飛竜の出てくるお話は幾つもあった。竜騎士が出てくるお話も、沢山。
だけど不思議な事に、どの竜騎士もやがて人と恋に落ちるのだ。
不思議だ。
何故竜に恋しないのだろう。
途中から出てきた人間よりもずっと傍に居るのに。
姿が同じ。それがどれほど大切なのだろうか。
シズハに問う。
シズハもよく分からないらしい。
一生懸命に考えて、やがて、笑う。
――じゃあ、イルノリアは僕のお嫁さんになって?
お嫁さんの意味分かった。
花嫁。シズハの結婚相手。
結婚と恋の差はよく分からない。
だけど、そんなに違わないだろう。
だから頷いた。
お嫁さんになる。シズハのお嫁さんになる。
その代わり、傍に居て。
昔話の竜騎士のように、結局は誰かの所に行かないで。
シズハとイルノリアの『婚約』の報告に、父親であるテオドールは笑って同意し、キリコは卒倒しそうな顔をしていた。
あれからずっと時が流れて、飛竜と人が結婚出来ないのはよく分かった。
竜の片割れと、恋人は違うらしい。
それでもシズハは人の恋人を持っていない。
シズハにとって大切な人――両親や友達や、あと憧れの人――は居るけれど、その中でも、彼の恋人に昇格出来た人間は、居ない。
ならば、自分が竜の恋人を名乗ってもいいかもしれない。
イルノリアはそう思っている。
「――イルノリア?」
ぼんやりと地面に横たわり、見つめる花の向こうに過去を思っていたイルノリアは、待ちわびていたその声に顔を上げた。
シズハだ。
彼はイルノリアの姿を見つけ、笑顔を浮かべた。
そのまま駆け寄ってくる。
身体を起こし、シズハを迎える。
「御免な、寂しかったか?」
問い掛けに擦り寄る事で答える。
シズハの手が顔を撫でてくれた。優しい動き。
ひとつひとつ、全部が好きだと思う。
きっと世界中の何処を探しても、自分よりシズハを好きな竜はいない。
勿論、人間にだって負ける気はしない。
シズハがすぐに何処かに行ってしまわないように、服を軽く引いた。
すぐに理解してくれて、誘われるままに腰を下ろしてくれる。シズハが座り易いように軽く身体を丸めた。
イルノリアの胴にシズハが背を預ける。
人の体温は竜より高い。
優しい、暖かさだ。
「――イルノリア、御免な」
唐突にシズハが謝罪を口にする。
寂しい思いをさせた謝罪は先ほどされた。
では、こちらの『御免』は何だろう。
「外にばかり居るのは辛くないか?」
そういう事か。
平気、とそう答える。
野生の飛竜は竜舎になど入らない。ずっと外に居る。
それと比べたら平気だ。
「有難う」
有難う、と繰り返し。
「俺の我侭に付き合ってくれて有難う」
シズハが笑う。
シズハの表情ならばどんな表情でも好き。笑っている顔が一番好きだけど、寂しい顔も泣き顔も嫌いじゃない。
たまにする怖い顔も好き。
「――今日はこっちに居ようかな」
呟く声。
夜?
一緒に居ると、言ってくれるのだろうか。
でも、それは。
夜になれば冷えてくる。
竜の身体は耐え切れるが、人の身体は寒さには耐え切れない。
だめ、と、伝える。
「分かった」
しない、と、シズハが小さく答える。
イルノリアの頭を撫でる。
「でも」
シズハの声が少しだけ弱くなる。
普段の大人びた口調ではなく、子供の時と似た色になる。
「もう少し、此処に居る」
それならいい、と、イルノリアは小さく鳴いた。
シズハ、シズハ、お話をして。
「お話?」
昔話。
御伽噺が聞きたい。
「何を話そうか」
何でもいい。シズハの話が聞きたい。
じゃあ、と、シズハが笑った。
イルノリアの身体に背を預けたまま、シズハはゆっくりと口を開く。
「――これは、よくある御伽噺」
身体を撫でてくれる優しい手の動きと、優しいシズハの視線を受けて、イルノリアはそれこそ恋する少女のように、目を閉じた。
【6・シズハと『 』】
「――これはよくある御伽噺」
そう、よくある御伽噺。
「ある所にとてもとても美しい女神様がいました」
とてもとても美しい女神様でした。
「女神様はある日、人の男に恋をしました」
とてもとても激しい恋でした。
「人の男も、女神様に恋をしました」
とてもとても、深く恋をしました。
そしてそして、繰り広げられるのは冒険譚。
美しい女神に愛された人の男は、彼女との幸せを得る為に、数多の敵と戦い、数多の苦難を乗り越えた。
「――多くの苦しみと哀しみを乗り越えた末、ようやく、美しい女神様と人の男は結ばれたのです」
――……。
違う違う。
男は数多の敵を倒し、数多の苦難を克服した。
だけどだけど、最後のひとつに引っかかる。
残されたのは男の亡骸。
残されたのは女神の嘆き。
結ばれる事の無い恋人たち。
幾ら幸福な結末を偽造したって、その事実は変わらない。
でもこれはよくある御伽噺。
何度も繰り返される御伽噺。
何度も――何度も。
誰がそれを愚かと言えるのだろうか。
「女神様と人の男は、皆に祝福され、末永く幸せに暮らしました」
偽造された結末に、いつか行き着けるように。
――いつか、いつか……。
「さぁ、次は何の話をしようか?」
さぁ、何の話をしてくれるんだ?
……short story all close……
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