第9話2章・現在。それぞれの物語。
■シルスティン編■
【1・バートラムとラインハルト】
シルスティン竜騎士団団長室。
入り口に立っているのはがっしりとした体格の長身の老人だ。かなりの高齢ではあるが、背筋は曲がっておらず、真っ直ぐに前を見る視線も淀みが無い。
若い頃はさぞ美男だったろう顔が、今は、険しい。
「――バートラム殿」
ゆっくりとバートラムを呼ぶ声にも張りがあった。声だけならば年齢よりも随分と若く感じる。
その声を老人の背後から聞きながら、バートラムは参ったなあと胸の中で呟いた。
老人が肩越しに振り返る。
「この部屋の有様は何か、ご説明願えるか」
「見ての通り」
肩を竦める。
「ちょっと片付けてない」
「ちょっと片付けてない、どころで済む問題か、馬鹿者!!」
物凄い声量。
雷鳴、と評される老人――ラインハルトの怒声。
シルスティンの王城全体に響き渡っている事だろう。
ラインハルトはこちらに完全に向き直り、腕だけで部屋の様子を示す。
「此処を何処と思う! 銀の秘宝とも呼ばれる、シルスティン王城であるぞ! その一室とは言え、この醜い有様……!!」
ぎりぎりと奥歯を噛み締める音が聞こえてくる。
「ああ、この部屋をご覧になったら女王陛下はいかほど哀しまれるのか。――ワシの力が足りないばかりに」
「いやぁ、女王陛下なら『あら、賑やかなお部屋ね』笑顔、だと思うぜ」
「黙れっ!!」
雷鳴。
バートラムは肩を竦める。
鼓膜が破れそうだ。
「至急、片付けて頂く」
「あぁじゃあメイドか誰か呼んで――」
「ご自分で片付けて頂く」
「へ?」
「何度でも言おう。バートラム殿、ご自分で片付けられよ」
「い、いや――」
彷徨うバートラムの視線が向かってくる事務官を見つけた。
若い事務官は手に書類を持っている。
バートラムと、彼に詰め寄っているラインハルト老の姿を見つけ、少し引いている。
「ほ、ほら、何か俺に用がありそうなヤツが――」
「……何用か?」
ラインハルトの鋭い視線を受けて、事務官、完全に引いてる。
それでも、裏返った声で返事を返したのは大したものだ。
「山頂付近で魔力風が原因と見られる魔物が発生しております。明後日にはシルスティンに到着する恐れがあります。至急、竜騎士団にて魔物の処分を、との事です」
「了解!」
バートラムは嬉しそうに答える。
自分に詰め寄っているラインハルトの胸を手で何度も叩き、笑顔。
「ほらほらほら、竜騎士団として重要なお仕事がやってきたぜ」
「何度でも言おう。バートラム殿、部屋はご自分で片付けられよ」
ラインハルトは事務官から書類を受け取る。
それを胸に抱き、背を伸ばす。
ただでさえ長身の老人が、まるで巨人のように見えた。
「これはワシが出陣致す。バートラム殿は何も心配なさらず、部屋の片づけをして頂きたい」
「ちょ、ちょっと待てよ! 暫くぶりの大物相手に俺はお留守番とか、酷くねぇか、それ」
「酷いのは部屋の有様だ!!」
三度目の雷鳴。
書類を確認。
「魔物の大きさは、3段階目ほど。これならば、我がロバートと、サポートの飛竜を二匹ほどで事足りる。ガドルアとテレンスを連れて行く」
「で、でも」
「男ならば自分のなさった事に責任を持たれよ!! それでも名誉あるシルスティン竜騎士団の長か!!!」
四度目。
ちなみに事務官は耳を押さえて悶絶している。
さすがのバートラムも耳を押さえた。
この爺、本当どういう声をしてるんだ。
あと五十年ぐらいぎっくり腰で自宅療養して欲しかった。
「では、バートラム殿、失礼致す」
「………おお」
「戻り次第、部屋を確認させて頂く」
「………ガンバリマス」
片言で返事。
ラインハルト老はマントを翻し、これまた良い姿勢で廊下を歩き出した。
バートラムは部屋を見た。
確かに酷い有様だ。
一人で片付けられるとは思えない。
しかし、ラインハルトの事だ。誰かに手伝って貰ったと分かれば、再度の雷鳴。
近距離雷鳴は本当に死ぬかと思う。
「……死ぬ気で頑張るかぁ」
廊下でぴくぴく悶絶している事務官を起こしてやりながら、そう呟いた。
事務官はうんうん唸っている。
「あーぁ……魔物と戦いたかったなぁ」
お菓子を取り上げられた子供のような顔で、バートラムはため息を付いた。
【2・バダとラインハルト】
ガドルアはやはり元気が無い。
好物の肉を喰わせてやったが、食欲こそあるものの、全体の様子がどうも……張りが無い。
「……ガドルア……」
ため息を付いて背を撫でた。
ガドルアは短く答える。
本人も元気を出そうと頑張っているようだが、どうも身体が付いていかないらしい。
「――どうかしたのか」
よく通る声にそう言われ、バダは慌てて振り返る。
背後に立っていたのは、ラインハルト老。相変わらず伸びた背筋で、僅かに瞳を細め、ガドルアを見ていた。
「ラインハルト殿、お戻りになられたのですか」
「長きの休み、申し訳なく思う。――それより」
ガドルアを見る。
「何があった。気が弱まっている」
「そ、それが――」
言っていいものか。
ガドルアを見る。
言うな、と言わんばかりの瞳と目が合った。
「……」
その様子を見ていたラインハルトが、「成程」と呟いた。
「恋煩いか」
「……大正解です」
ガドルアが床に突っ伏した。
それどころか寝藁の中に顔を突っ込んでしまった。
「ならば、相手はイルノリアか」
「更に大正解です」
ガドルアはもういじけまくっている。
ラインハルトはそのガドルアを見ていた。
やがて、「失礼する」とガドルアの真横に立った。マントを後ろに流し、その場に片膝を付く。
「ガドルア」
呼びかけ。
「何もお前に恋をするなど誰も言わん。そして、恋をして心を痛ませるなとも言わん。若者には恋も、痛みも必要だ」
ガドルアが顔を上げる。
寝藁の中からラインハルト老を見た。
「しかし、それでこの有様は何事か。男ならば立ち上がられよ。その強き牙も、鋭き爪も、このまま腐らせるつもりか!」
ヤバイ、声がでかくなってきた。
バダは一歩引く。
ラインハルトの怒声の大きさは既に有名。
ガドルア、すまん。
両手を合わせて謝罪し、後ずさりながら、両耳に指を突っ込んだ。
ガドルアも既に危機を感じている。
腰が引きかけていた。
しかし、逃げられない。スペースが無い。
「愛しく思うものがあるならば、それこそ戦うべきだ! 愛しきものを守る、それこそ男の戦いの真髄! お分かりか!!」
ガドルアが顔を起こして必死に頷いている。
竜舎を見回せば、此処に居る他の飛竜たちもドン引き。逃げようとばたばたしているのさえ居る。
バダは許される範囲で後ろに逃げた。
指で耳栓をしていると言うのに、がんがん来るラインハルトの声。
この爺さん、バンシーか何かかよ。
声だけでこの破壊力。人を超えている。
「分かったのなら結構。ならば、己のすべき事は分かるか」
ガドルアは困ったようにバダを見る。
バダは指を外し、恐る恐る、ラインハルトに背後から問い掛ける。
「何か、ありましたか?」
「山頂付近に魔物が出現している。魔力風の影響かと思われる」
シルスティンには魔力の雪が降る。
その雪を降らせる原因は、山頂に吹く魔力が篭った風と言われた。
雪を降らせるだけならいいのだが、時たま、風は人を象った魔物を出現させる。
雪と同じように魔物はシルスティンへと降り落ちる。
雪と違うのは、奴等が明確な意思を持っている事。降り落ちるだけではなく、国自体に被害を与える。
魔物退治は神聖騎士団には少々難しい。彼らの専門はアンデット。
そこで出番が回ってくるのは竜騎士団だ。
バダは背筋を伸ばし、敬礼。
「分かりました! バダ、そしてガドルア、すぐに出陣準備を行います!」
「うむ。頼む」
ラインハルトが立ち上がる。
「ガドルア」
見下ろすような視線でラインハルトが呼ぶ。
ガドルアの巨体がびくりと震えた。
「……恋ではなく、愛を持て。恋は与え、与えられる事を求める行為だが、愛は違う。――愛はただ、相手に尽くし、相手を思い、相手の為だけに存在する事だ」
たとえ、永遠に叶わなくとも。
「では」
ラインハルトはやはり素晴らしい姿勢で歩き出す。
その後姿を見送る。
「……」
バダはガドルアの傍に寄った。
腰が抜けてしまったようなガドルアの背を、撫でる。
「ま、まぁ」
よく分からないが。
「出陣、と行こうぜ」
ガドルアは大きく頷き、同意を示した。
ラインハルトの怒声に対する恐怖からでもいい。ガドルアが自発的に動こうとしているのが、嬉しかった。
【3・女王とエルターシャ】
シルスティン王城際奥。
女王の間とも呼ばれる、広大な部屋。
その部屋に、一匹の銀竜が蹲っている。
鮮やかな銀色の鱗。小柄な銀竜とは言え、かなりの大きさだ。
この銀竜の名はエルターシャ。
シルスティン女王の愛竜、齢150歳強の飛竜である。
そして、大陸上で唯一、死者蘇生を行える銀竜でもある。
エルターシャは長い首を持ち上げ、天井を見ていた。
薄く開いた牙の並ぶ口から、声が漏れている。
細い、金属の鳴き声。
エルターシャの知性ある瞳には明確な哀しみの色。
この銀竜は何かを嘆き、鳴いている。
「――エルターシャ」
その足元。
シルスティン女王は愛竜を見る。
片割れの呼び掛けにもエルターシャは答えない。
嘆く。
「何が、哀しいの?」
女王が生まれたその日、人々の祝いの声の中、この銀竜は王城へと降り立った。
そして、生まれたばかりの赤子に顔を寄せたのだ。
人々の間にいまだ語られるその登場。
女王は勿論、その話を後から人に聞いた。
この銀竜の大きな前足に甘えて寄り掛かりながら。
生まれた時から傍に居た。
当たり前の片割れ。
故に、エルターシャの嘆きはすべて分かっていた。
彼女の嘆き。
誰かの、死。
女王の愛しき子供、たった一人の王子の死の前も、エルターシャは鳴き続けた。
女王は王子の死を予感した。
だが、もう助けられなかった。
生まれた時から病弱だった王子。思えばあの子の父親も身体が弱かった。貴族の生まれで優しく、思慮深い男だったが、心も身体も弱かった。
王子に対しての癒しの魔力は、常にエルターシャが行ってきた。国民には秘密裏に行ったが、復活の奇跡は既に三度。
四度目の死は、既に、エルターシャの魔力でも無理だった。
だからエルターシャは嘆いた。
嘆き続けた。
女王もその身体に寄り、泣いた。
「エルターシャ」
呼び掛け。
銀色の身体に頬を寄せる。
「今度は誰が死ぬのかしら?」
女王は薄く微笑む。
「私?」
「私が死ぬのかしら?」
死ぬのは怖くない。
死は生の向こう側、当たり前にある事だから。
ただ怖いのは。
一人の青年の顔を思い出す。
愛しき王子の子。女王の孫。シルスティンの次代の王。
「お願い、もう少し、生きながらせて」
あの子を導くまで。
あの子はまだ若い。いいえ、幼い。国を治めるには力が足りない。
あの子を――正しき王へと導くまで、時間が欲しい。
竜が無ければ王になれないと思っているあの子。
愚かな跡取り――ヒューマ。
「お願いよ、エルターシャ。まだ嘆かないで。私はまだ生きていたいの」
エルターシャに願いの声は届かない。
銀竜は嘆く。
その嘆きが――突然、止まる。
女王の願い故ではない。
遠く、遠く。恐らく、城の真上。
雷鳴のような飛竜の声が響き渡った。
「……ロバートの声だわ」
ラインハルトの片割れ、雷竜のロバート。
女王はラインハルトの顔を思い出す。
少しだけ、笑った。
幼い頃から傍に仕えていた少年騎士。今は年老い、他の騎士たちが引退する中、竜騎士として国に――いや、女王に仕えてくれている。
微笑む女王の顔に、エルターシャが顔を寄せた。
まだ哀しみの色を乗せ、それでも優しい瞳が、女王を見る。
「……エルターシャ」
年老いた腕で、女王は片割れを抱く。
銀竜は女王に顔を寄せ、瞳を閉じた。
その銀色の頬に、涙が滑っていく。
「エルターシャ……泣くの?」
嘆きの声ではなく、涙。
「泣くのね……エルターシャ……」
何か起きるのだろう。
もう変えられない、大きな変化が、この身に。
エルターシャの涙を見、それを、知る。
いや、理解する。
どうなるのだろう、この身は、この国は。
ただ願うのは。
「――……」
女王は小さく誰かの名を呼んだ。
応える声は無く、ただ、銀色の竜が小さく息を吐いた。
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