第9話3章・現在。それぞれの物語。


■ウィンダム編■





【1・マルクスとサリア】




「――へぇ、お客さん、ゴルティアの人なんだぁ」


 にこにこ笑いながら、サリアはカウンター席に座った若い男の客に酒を出す。


 美女に飛び切りの笑みを向けられ、幾ら酒場とは言え、その若い男は嫌な顔をしない。

 かなり際どい所まで露出しているサリアの胸元を見つつ、小さく頷く。


「一年中、向こうとウィンダムを行ったり来たりなんだ」

「何をしてるの? 商人さん?」

「そんなもの」


 男は笑って荷物から小さな袋を取り出した。


 振ると、微かな音がする。


「なぁに、それ?」

「記録媒体。魔法で映像を閉じ込めた水晶さ。これを専用機械にセットしてキーワードを口にすると映像が再生される」

「へぇ、そんなのあるんだぁ」

「最近、これを使える魔術師も増えてきてね。あと数年もすればもっと一般的になるよ」

「今はどんな映像が入ってるの?」

「今回は――ゴルティアで開催された演劇の映像が幾つかと、あと、自由騎士団に依頼されたのが幾つか、だな」


 自由騎士団、とサリアが呟く。

 マルクスはカウンター中でグラスを磨きつつ、耳を澄ます。


「ついこないだ、一般市民に飛竜を見せるなんてイベントを企画してね。それの映像と、あと武術大会の。それから、バーンホーンの方で行われた闘技大会の映像もある」

「そんなのが自由騎士団からの依頼?」

「武術大会や闘技大会の映像は結構評判だよ。ゴルティアもバーンホーンも、騎士の質はかなり良いからね。どういう技があるのか、知りたがっている人間も多い」


 酒が入っている為か男は饒舌だ。


 ふぅん、とサリアが呟き、頷いた。


「今、ゴルティアってどんな感じ?」

「相変わらず綺麗な街だ。だが、良い街って言うならウィンダムの方が上かな」


 サリアを見て、笑う。


「ゴルティアにはこんな美人は居ない」

「お上手」


 きゃははは、と高い笑い声。


「ゴルティアの竜騎士団は?」


 サリアの問いにマルクスは横目で睨む。

 彼女がその視線に気付かぬ訳が無い。


 若い男はマルクスとサリアの視線の会話に気付かない。


「ゴルティアの竜騎士団? 飛竜が好きなのか?」

「だぁい好き。可愛いじゃない?」

「珍しい人だねぇ」


 若い男は声に出して笑った。


「相変わらずじゃないか? よく金竜が上空を飛んでいるのを見るよ」

「金竜だけ?」

「じゃないのか? あそこは建国者が金竜乗りだからって金竜ばかりを選ぶ」

「……風竜は居なかった?」

「風竜? ウィンダムじゃなくて、ゴルティアに? ――いやぁ、見なかったなぁ」


「――サリア」


 マルクスは我慢出来ずに声を掛けた。


「裏から在庫を持ってきてくれ」

「え?」


 視線を合わせる。


「裏口の所だ」


 ついでに頭を冷やして来い。

 無言で付け加える。


 サリアはふぅんと曖昧に頷き、若い男に顔を戻す。


「すぐに戻って来ますねぇ」


 彼女はぱたぱたと駆け出した。

 マルクスは客に向かって笑いかけ、空になりかけたグラスに視線を落とす。


「お代わりは如何ですか?」

「そうだなぁ……今日のお勧めのものってある? こっちは久しぶりだから、今こっちで流行っているようなの飲みたいんだけど」

「では――」


 マルクスは笑顔のまま、酒の名前を口にした。





 ――深夜。


 店仕舞いの最中、マルクスはため息混じりにサリアに声を掛ける。


「なんであんな質問をするんだ」

「だって、マルクスだって気にしてるんでしょー?」


 カウンターの中で食器を洗うサリアを、モップを手に持ったまま見つめる。

 彼女は唇を尖らせた。


「シヴァが今どうしてるか、気にしてないの?」

「もう忘れていた」

「嘘吐き」


 ぴ、と、カウンター越しに水が飛んできた。

 濡れた手で水を弾いたのだ。

 顔に付いた水を拭いながら、マルクスは不機嫌に答える。



「嘘吐きとは何だ」

「知ってるんだよー、この前、ゴルティアの方での暗殺依頼、断ったでしょう? 凄い良い依頼金だったのに」

「ゴルティアまで行くのが面倒だ」

「嘘吐き。――万が一、騎士団とぶつかったりしたら怖いから、断ったんでしょう」


 シヴァがゴルティアに戻ってどうなったか分からない。

 だが、竜騎士の殆どは国に仕える。

 恐らくはゴルティアの竜騎士団に入ったのだろう。


 それは十分推測出来る事だ。


 マルクスは沈黙。


「心配なら調べてもらえば? 情報収集なら得意な人、幾らでも居るじゃない」

「だから、もう忘れていたと言ったろうが」

「意地張らなくてもいいんだよ」


 サリアが笑う。

 優しい声だった。


「もう二度と来るなって言ったの、後悔してるんでしょ?」

「……していない」

「裏の世界のルールは大切だけど、後悔してるんでしょ」

「していない」

「意地っ張り」


 サリアの呟き。


 水音。

 食器を洗う音。


「大丈夫だよ」


 サリアの声。


「きっと元気だよ。あの子、運の良い子だから」

「……あぁ」


 思わず頷いた言葉に、サリアが笑った。

 マルクスはその笑顔に少しだけ口元で笑い返し、店の掃除を再開した。





【2・ライデンとシグマ】





 ウィンダム自由騎士団本部。



「――ライデン」


 呼び掛けにライデンは足を止める。

 彼に駆け寄ってくるのは小柄な少女だ。丸顔に細いフレームの眼鏡。結い上げた髪の隙間から、微かに小さな突起が覗く。

 角だ。

 自由騎士団所属の地竜乗り。

 名前は何と言ったか。


 その彼女は手に小さな水晶球を持っている。


「これ、依頼されていたゴルティアの映像」

「分かった」

「他にもバーンホーンの闘技大会の映像とか来てるけど、見る?」

「結構。――興味は無い」


 水晶を受け取りながらの返答。


 少女はライデンの顔を見上げる。


「他の男たちは大喜びで見ていたけどな」

「何の役に立つ」


 呆れた顔のライデン。

 少女は少しだけ迷った後に言った。


「まぁ、格闘技見ているみたいで盛り上がってるみたい」

「くだらん」


 歩き出す。


「ね、ねぇ、ライデン!」

「何だ?」

「まだ演劇の練習ってしてるの?」

「あぁ」


 再来月行われる予定の野外劇。

 それにほぼ準主役として、ライデン、そして愛竜のシグマが参加予定だ。


 劇の内容は昔から伝えられる英雄譚。

 一千年前に、名も無き闇を倒したと言われる英雄の物語だ。

 ただし、今回の劇はその中でも、英雄を愛した姫君を中心とした物語構成となっている。


 よく行われる劇だ。

 ただし、今回は本物の飛竜が出演すると言う事で話題になっている。


「一人で台詞の練習するのって辛くない? ほら、ラストの旅立ちのシーンとか、お姫様との会話でしょ?」


 少女が笑う。


「わ、私で良ければ手伝ってあげようか?」

「結構」


 ライデンは突き放すような物言い。


「特に困ってはいない」

「……そ、そっか」


 御免なさい、と少女。

 あからさまに落胆した顔だ。


「いや。――それでは」


 歩き出しながらライデンは首を傾げる。

 あの少女は演劇には参加していない筈だ。

 演劇の練習手伝いを申し出るぐらいならば、最初から演劇に参加してくれればいいものだが。

 出演者の数もぎりぎりで、脚本担当の人間がかなり困っていたのを思い出す。


 それとも、と台本を思い出す。


 英雄譚とは言え、結論は恋愛物だ。

 女はそういうものが好きだと聞く。

 だから興味を持っただけか。


 まぁ、どっちしても。


「よく分からん」


 女の気持ちは本当によく分からない。


「――あ」


 少女の名前をようやく思い出す。

 ヴァイオラだ。


 毎度忘れる。


 どうも印象が薄い。

 それも失礼な話である。今度は出会った時に思い出せるようにしよう。


 そう心に決めた。





 本部付属の竜舎――の横。

 昔、自由騎士団所属の飛竜が多かった頃に使っていた別棟だ。

 今は、ライデンの愛竜、シグマが一人で過ごしている。


 シグマは真面目な性格の雷竜なのだが、他の飛竜が同じ竜舎だと怯えてしまう。

 まぁ確かに顔は迫力がある。

 体格も非常に立派だ。

 始終、その紫色の身体には雷が走っている。



 だが、怯える事は無いだろう。


 失礼な奴等だ。

 戦いの場とあれば、皆がシグマの傍に寄って来ると言うのに。


 竜舎の扉を開く。


「シグマ」


 呼び掛け。

 ポケットの中の水晶球。それから小脇に抱えた再生の魔法機械。


 シグマは顔を上げた。

 ひとつ、吼える。

 軽い揺れ。

 雷のような、と言われる雷竜の鳴き声だ。

 ライデンには慣れたもの。慣れぬ者には、辛いらしい。

 よく分からないが。


 指の間に水晶球を挟んで見せる。


「お前の見たがっていた映像だ」


 シグマは大きく吼えた。

 さすがに身体が揺れる。


 これで倒れるようなドジはしないが、歩みは止まる。


「喜ぶのは分かる。落ち着け」


 シグマは素直に従った。

 喜びのあまり、大きな口から牙がはみ出ている。同時に雷も牙と牙の間に走っていた。

 喜ぶ時も怒る時も同じ顔をする。


 器用なヤツだ。


 シグマの横に腰を下ろす。

 胡坐をかき、その前に再生装置を置いた。

 水晶を光に翳し、ぐるりと確認。きらきらと輝く水晶に作品のタイトルと再生用、一時停止用、終了用のキーワードが書かれている。

 それを覚え、装置の中に水晶球を嵌め込んだ。


 ぐるぐるとシグマが唸る。

 雷が鳴る寸前、空の上で聞こえるような音だ。


 よほど楽しみなようだ。

 ライデンは軽く笑う。

 シグマの鼻面を撫でた。


「“開始”」


 映像の再生を始めるキーワードを口にする。

 何を格好付けているのか。魔術語だ。

 魔法は得意で無くとも、魔術語として用いられる古代語の発音ぐらいは出来る。


 空中に四角の光が浮かんだ。

 微かな音と共に映像が結ばれる。

 最初に映し出されたのは賑やかな露店や、そこに群がる子供たち。


 残念ながら背景は見えない。布が広がっている。

 テントの中か。


 シグマはまだ唸っている。

 落ち着け、と、その鼻面を撫でた。


 目的の映像が映った。


 シグマが身を起こす。


「シグマ、止まれ!」


 映像に喰らい付く勢いなのを怒鳴る事で止めた。

 映像に鼻面をつけた位置でシグマは止まった。

 まだぐるぐる唸っている。

 興奮しているのだ。

 身体にまとう雷が、更に、強い。



 映像には一匹の金竜が映っている。


「……100歳と言う所か」


 鮮やかな金の体躯をした、立派な金竜だ。

 骨格から推測して恐らくオス。

 

 飛竜たちの王と呼ばれる、金竜。

 プライドの高さで有名な飛竜だ。


 その金竜が地面に寝そべり――しかも、その周囲には多くの子供が群がっている。


 子供たちは金竜を恐れているようには見えない。

 金竜の巨大な前足に触っている子供も、背に乗っている子供も居る。

 口を開いて牙に触っている子供さえ居る。鱗を剥いでいる子供もいるぐらいだ。


 しかし金竜は目を細めて動かない。

 眠っているわけではない。時たま左右を見回す瞳はしっかりとした理性の色がある。

 薬で大人しくしている訳でもない。


 この金竜は自分の意思で子供たちに好きにさせている。



「――どうだ、シグマ」


 映像の前で、今にもブレスを吐き出しそうなぐらい興奮している愛竜を呼ぶ。


「このように市民――しかも、子供たちに愛される飛竜も存在しているんだぞ」


「大人ならまだしも、子供は難しい。少しの敵意に敏感に反応し、警戒する。必要以上の善意を向けられても彼らは用心する」


 映像の子供たちから警戒は見えない。


 映像の中では男が一人、金竜の翼を捻じ曲げた子供に注意しに来た。この男が片割れだろうか。神経質そうな男だ。この、堂々とした金竜とは少々、違う気がする。

 世話役だろうか。


「――シグマ」


 撫でる。


「お前の目標に近い姿だろう」


 いいか、とゆっくりとした声で続ける。


「この姿を目に焼き付けておけ。己の中の衝動を抑え切れん時はこの姿を思い出せ。お前の理想と、今のお前。その差を思い出し、衝動を食い殺せ」


 シグマは静かに身体を引く。

 いまだ興奮状態の身体は雷を纏う。


 ライデンの横で床に這う。

 爛々と輝く瞳は、どう見ても獲物を狙う獣の瞳。

 牙の隙間から大きく雷が跳ねた。

 爪が床を掻いた。

 大きく削られる。


「シグマ」


 落ち着け、と、繰り返す。


「お前は私の片割れだ。獣ではない。理性を持て」


 シグマも必死だ。

 興奮状態の己を鎮めようと牙を噛み締める。


 その片割れの様子にライデンはゆっくりと硬質の鱗を撫でた。


「良い子だ、シグマ」


 映像の金竜に視線を戻す。

 

 噂には聞いていたが本当に素晴らしい金竜だ。流石ゴルティア。金竜の国だ。

 金竜の名を思い出す。


 ベルグマン。


 微かにライデンは笑う。


 これから演じる劇に登場する飛竜と同じ名前ではないか。

 シグマが演じるのは、ベルグマンの息子である金竜である。

 何となくの偶然に、思わず、微笑。


 映像の中の金竜。

 相変わらず身を横たえている。

 その横たえ方にも堂々としたものを感じる。

 これが金竜の迫力と言うものか。


 これだけ素晴らしい金竜。

 どういう人間が片割れなのか。一度会ってみたいものだ。

 この金竜から推測すれば、堂々とした人間なのだろう。

 人としても、竜騎士としても素晴らしい人間に違いない。


「……ゴルティアか」


 そう言えば、あの風竜乗りはどうしたのだろうか。

 シヴァ。

 ゴルティアの竜騎士団に入ると言っていた。

 元気にやっているだろうか。

 ヤツとも、もう一度、会ってみたいものだ。


 それも含めて、ゴルティアには一度行ってみたい。

 シグマの翼を用いれば往復でも二日ほどで事足りるだろう。それぐらいの休暇ならば可能かもしれない。


「――シグマ」


 ぐる、と唸る声。


「今度、ゴルティアに行ってみるか」





 そして、ウィンダムに巨大な雷鳴が響き渡った。

 原因は勿論、自由騎士団所属雷竜、シグマのブレス。喜びの余りに思わず吐いてしまったらしいが、被害は甚大。


 とりあえず、ゴルティアには暫く行けそうにもないのは確かだった。

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